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軍都・呉市で衝撃的な反響
そごう呉店で原爆と戦争展
              旧軍人や遺族の強い共感     2007年5月4日付

 広島県呉市のそごう呉店5階・イベントプラザで1日、「なぜ320万もの命が奪われたのか 第2次世界大戦の真実を語りつぐ」と題する「原爆と戦争展」が開幕した。主催は、原爆展を成功させる広島の会と呉市傷痍軍人会。呉市民を中心に、113人の賛同者の協力のもと、被爆者、空襲体験者や兵役経験者、遺族たちが「2度と戦争を繰り返させない」という共通の思いで取り組みの中心を担ってきた。
 戦時中に海軍鎮守府が置かれ、戦後も海上自衛隊が盤きょする呉市は、歴史的に「海軍の町」と呼ばれ、呉海軍墓地には先の大戦で海底に消えた90隻の艦船と13万人といわれる戦没者の慰霊碑が建てられ、遺族や生存者によって慰霊が続けられてきた。また、一方では昨年からの映画による戦艦大和ブームとあわせて「大和ミュージアム」が完成し、今年4月には潜水艦の実物展示を目玉とする「てつのくじら館」(海上自衛隊呉史料館)がオープンするなど観光の目玉として売り出され、市民の間では複雑な思いが渦巻いてきた。イラク戦争をすすめる米軍の補給部隊として海自呉基地からも自衛艦がインド洋に派遣されるなどふたたび戦時色が強まるなかで、「戦没者の死を無駄にしてはならない」「戦争の真実を語り継ぎたい」という被爆者、戦争体験者、遺族たちの切実な思いが一体となって開幕を迎えた。

 使命感溢れる開会式 命ある限り真実伝える
 初日の午前10時からおこなわれた開会式には、広島市、呉市などから被爆、戦争体験者ら約30人が参加した。
 はじめに、原爆展を成功させる広島の会副会長の真木淳治氏が、重力敬三会長のメッセージを代読。
 先般の長崎市長銃殺事件に触れて、「これまで平和運動に協力されていた長崎市長が、卑怯にも背後から射殺されたことは非常に残念で、憤りと憎しみを感じる。これは単に個人的な恨みではなく、背後に大きな圧力と勢力があったのだと思う。私たち同志はいかなる弾圧にも負けず、平和運動を続けなければならない。今回の原爆と戦争展が盛大にアピールできるようみんなでがんばりましょう」と、被爆市民としての使命を強調した。
 つづけて真木氏は、原爆で多数の同級生を失った経験を語り、「日本では政府をはじめ平和憲法の見直しがいわれているが、これは安倍首相をはじめあまりにも原爆や戦争を知らない人たちの浅はかな考えだ。広島市民として、被爆者としてこのような流れは止めていかなくてはならない。この戦争展で戦争の愚かさと原爆の悲惨さを精一杯訴えていきたい」と力強くのべた。
 共催する呉市傷痍軍人会の佐々木忠孝会長は、「このパネルはわたしたち生き残ったものがもっとも身近に感じることができるし、1番よく当時のことが身にしみて思い出される」とのべ、「兵役中に原爆で全身ヤケドを負い、それを看護してくれた妻も母親も先立った。さまざまな変遷をたどって平和活動に従事してきたが、平和のために命のある限り努力していく信念は変わらない。大型連休で多くの人が海外旅行にいく今日の日本社会は、この360万の犠牲のうえにある。絶対にこれを忘れるわけにはいかないし、みなさんには真実を伝えてもらいたい」と訴えた。
 また賛同者の代表として、西教寺住職の岩崎正衛氏は自らも被爆者であることを明かし、「“戦いに関わりのなきが声高に、世界を敵に戦えという”という歌があるが、戦争を知らず、戦火を浴びない人間が戦争を命じている。私たち体験者は命をはってでも戦争を阻止しなければいけない。トルーマン米大統領は、“畜生には畜生の方法で報いる”と日本への原爆投下を開き直っている始末。このような許し難い人種差別にも、安倍首相はいいなりだ」とのべ、「兵隊も武器もいらないというのは仏教の信念。本当の平和を実現するためにみなさんと努力したい」と決意を語った。
 呉遺族連合会の神信宮子氏は、「私は兄が潜水艦で終戦の前年に亡くなった。私は広島で生まれ、小学生で父を亡くしたので母の里の呉市に引き上げた。そのおかげで原爆はまぬがれたが、女学校のクラスメートは土橋の建物疎開作業中に熱線を浴びてそのまま亡くなった。こんないたましい戦争はもういやです。世界平和のためにもこの原爆と戦争展を大成功させたい」とのべた。列席した参加者には涙をぬぐう姿も見られ、共感の拍手が会場いっぱいに響いた。

 続続と市民が参観 現在と重ね熱い論議に
 初日から年配者や親子連れ、主婦、会社員、学生などが詰めかけ、3日間で約500人が参観。とくに、これまで沈黙してきた兵役体験者や遺族たちの強い共感が目立ち、パネルを前に論議の輪が広がった。受付は被爆者や遺族会員らが担い、案内役として体験を語り伝える被爆者たちにも熱がこもった。
 じっくりパネルを見た傷痍軍人会の90代の男性は、「昭和18年に31歳で召集され、妻子を残して中国北部へ送られた。家族持ちが戦争に行かされるようでは勝ち目はない。はじめからデタラメな戦争だった」と語り、「出征先の山西省では、日本軍は蒋介石軍と手を結んで八路軍と戦ったが追いつめられ、“山西省に独立国をつくる”といっていた蒋介石は兵隊をおきざりにして自分だけ台湾へ逃げた。残された数万の日本兵が死んだ」と語り、「有無もいわさず戦地に送られ、“朕(天皇)の命令”に背けば死刑だった。天皇が1番の責任者だ。また憲法まで変えて戦争をやろうとしているが、アメリカについて行けば近いうちに日本は大変なことになる。次の戦争は鉄砲でドンパチではなく原爆、水爆だ。絶対に繰り返してはいけない」と切迫する思いを語った。
 別の80代の兵役体験者も論議に加わり、「天皇は現人神といわれ、陸海軍の大元帥としてすべての統帥権を持っていた。天皇がはじめるといわなければ戦争ははじまっていないし、終わることもなかった。彼の我が身かわいさの判断でどれだけの国民が犠牲になったか。私たちも腰に巻いた弾倉はカラで、銃剣だけで戦地に送られた。最後は爆弾を抱えて敵戦車に飛び込む作戦だった」と憤りをにじませた。
 「憲法では戦争放棄をうたっていたが、アメリカは朝鮮戦争で警察予備隊を作らせた。旧日本軍をいったんぶっつぶして、今度は自分の下請軍隊をつくったのだ。それでまた戦争になろうとしている。私たちは戦争問題を巡っては左翼とも右翼ともケンカをしてきたが、ここまで生きてきて命が惜しいとは思わない。真実を伝えないといけない」と熱意を語った。
 江田島で終戦を迎えた70代の年配男性は、「兄が宇佐の航空隊で、鹿屋から特攻隊として出撃した」と語り、「中国に出征していた父は、日本軍が上海を占領しても1歩外に出れば敵だらけで、いまのバグダッドの米兵も民衆を敵に回したら勝てないといっていた。日本はこれまでアメリカの敗戦国といわれて好きなようにされてきたが、実際にはすでに中国で負けていたのだ。三菱や天皇は狙われなかったことや、アメリカと手を結んでわざと兵隊を殺したことははじめて知った。このままでは犠牲者は浮かばれない」と厳粛な表情を浮かべて語った。
 中国戦線へ出征した年配男性は、「当時の日本の指導者の考えでたくさんの人間が死んだ。私も3年中国へ行ったが、気候の厳しさから病気になり戦どころではなかった。勝ち目のない戦争に殺すために行かせたことは許されない…」とかみしめるように語った。「昔は数隻だった呉港の軍艦も最近は急激に増えた。今度はアメリカに使われて戦争になる時代だ。安倍首相の言動を見ていると戦争を全く知らない。若い人はかっこいいくらいに思って平気で戦争に賛成してはいけない」と語り、戦争パネル冊子を買い求めた。

 呉空襲の体験者も 「今もやり方は同じ」
 市街地への焼夷弾攻撃で約2万人の死者を出した呉空襲の体験者らも多数訪れた。
 呉空襲を体験した70代の婦人は、米軍の焼夷弾攻撃で避難した寺本公園の防空壕のなかで450人の市民が蒸し焼きになったこと、「山側から雨のような焼夷弾攻撃で逃げ場をふさがれたくさんの人が焼け死んだ。水をかけても消えない特殊な油で、体についたらどうしようもなかった」「アメリカのやり方はいまだに変わっていないし、日本がまた戦争に進もうとしている。戦争を止めるために力になることをやっていきたい」と意欲をのべ、広島の会の被爆者らと思いを交流しあった。
 呉海軍工廠で働いていた70代の男性は、「終戦の年には呉工廠にはすでに兵器をつくる材料がなかったが、アメリカは軍需工場を叩く口実で、市街地まで焼け野原にした」と話し、「アメリカはイラクでも同じことを繰り返し、その野蛮さは動物以下じゃないか。戦後社会は、アメリカのうたう民主主義に巧妙に騙されてきた。原爆や空襲でこれだけひどい目にあわされたのに、いつのまにか親兄弟を殺したマッカーサーを尊敬し、チョコレートや脱脂粉乳などの家畜の餌を与えられたことを感謝するようにされた。アメリカは中国やロシアを狙うために日本を占領したし、“終戦を早めるため原爆を投下した”などごまかしだ。政治家がやらないのなら日本中から声を上げていかないといけない」と語った。
 別の年配男性は、戦時中、実家が潜水学校の若い水兵たちの下宿になっていたと語り、「“お母ちゃん”と母を慕っていた子どもたちは潜水艦に乗って出たまま2度と帰ることはなかった。戦後、母が“この子も死んだ…この子も死んだ…”と泣きながら写真をめくっていた姿が忘れられない」と話し、「大和や潜水艦を飾り立てて観光材料にするなどバカにしている。広島の地下にも、呉の海底にも犠牲者の骨がいまだに眠っているのにお祭り騒ぎにしてはいけない」と憤りを口にした。
 パネルを見た後被爆者や空襲体験者らの体験を真剣な表情で聞く子連れの母親や社会人、学生の姿も目立ち、「授業で使いたい」とパネル購入を申し出る教師も見られた。
 原爆と戦争展は6日(日)までおこなわれる。

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