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漁業の誇りが子供に響く
小中高生平和教育
               角島漁協の漁民に学ぶ     2005年5月24日付

 「魚、おいしい!」。目の前でさばかれるハマチを見て、怖がったり仰天していた子どもたちだったが、盛りつけられた刺身の大皿をとり囲むと、飛びつくようにしてバクバク食べはじめた。1人3切れずつ食べたのち、残った刺身の枚数を先生が数える。「食べたい人はもう一切れいいよ」とGOサインが出ると、四方八方から箸をのばして、すごい勢いでたいらげた。皿がきれいになるまでわずか5分。生きた魚を調理する漁師を囲む子供(21日、下関市豊北町角島)
まるで「ピラニア」。さっきまでピチピチ跳ねていた天然魚の刺身など、生まれてはじめて口にする子どもばかりで、どの顔も満足そうだった。
 小中高生平和の会(代表・今田一恵、小中高生代表・古閑歩、伊藤晃廣、古川理郁)の第32回平和教室は、「漁師さんのお話を聞こう!」と題してとりくまれた。下関市豊北町の角島漁協が、多忙のなか依頼を快諾して実現した。21日、下関市、宇部市、萩市、防府市、山口市、油谷町、北九州市から約70人の小学生、中学生、高校生、教師、父母らが参加した。一同は角島大橋を渡って到着したのち、弁当を食べて海辺で遊び、いよいよ学習の場となる角島漁協へむかった。漁業学習の先生役は、同漁協組合長の森澄一實氏と理事の村岡充氏。漁協2階広間。はじめに森澄組合長が、本州の最西端に位置する角島の外側には対馬暖流が流れていること、5年まえに角島大橋がかかるまでは渡船に頼って暮らしが営まれていたこと、現在角島では150隻が操業していること、一本釣り、棒受け網、沖建網のほかにアワビ、サザエを箱メガネでとる磯見漁業などの業種があることなど、島の生活や漁協の成り立ちの概略を説明した。その後現役で沖に出ている村岡氏が、用意してきた一本釣りのシカケなどを見せながら、語りはじめた。  
 
  溢れる漁業の誇り 現役漁民村岡充氏の話
 わたしはプラスチック船の"好洋丸(11d、エンジン650馬力)"に乗っています。昭和34年に中学校を卒業してから45年ほど漁をしています。1〜2月までは一本釣りでヤズ、ブリ、イサキ、イカなどを釣ります。角島の5沖に潮巻き漁場というのがあって、北浦で一番いい漁場があります。そこで魚を釣るのです。角島では一本釣りの約70%、角島漁協全体の水揚げの60%をイカが占めています。船数も45〜50隻います。
 3〜6月は沖建網というのをやります。これは地先2000b以内ではやってはいけない決まりがあります。角島の沖合2000b以内は地先権といって、わかりやすくいうと「うちの畑ですよ」という約束があります。ヤズ、ブリ、ウマヅラ、タイ、アラ、オコゼなどがとれます。
 7月から11月までは棒受け網。これはみなさんが家庭で食べるいりこになるカタクチイワシをとっています。夜中に出ていって水中灯をたいてイワシをおびき寄せてすくう漁です。8月、9月までは沖合15マイルのところで操業しますが、10月、11月になると60マイル、島根県の県境までとりに行きます。夏場の6・7・8月は夜中の10〜11時ごろに沖に出ます。12月初旬から1カ月くらいは大型の船は延縄をやっています。正月用のブリを狙うのです。
 船は無線機で連絡をとりあいます。50`b先まで届く無線を持っています。あと、最近では携帯電話が大活躍しています。市場との連絡はみな携帯電話です。角島から北にむかって遠方に行くときは60〜70マイル走るときもあります。われわれ棒受け網の船は速力が20〜25マイル出ますが、遠くに出かけるときは、油の消費量を抑えるためにスピードを控えます。早めに港を出て、最小限度の使用量につとめています。
 魚をとるのはむずかしいですが、そのなかで活躍するのは魚群探知機です。魚の群を探す機械です。最近は優れたものが出てきたのと、みんなも研究心があるので、魚探の反応を見て、ブリ、イカ、イサキなどを見分けられるようになりました。なかでも進歩したのがソナーです。これは360度を見渡せる海中レーダーです。魚探は真下だけですが、ソナーは広く海域を見渡すことができます。漁獲の向上にも役立っています。
 魚はどうやって生かして運ぶか。一本釣りの船には生け簀(す)の数が12個あります。その中に生かします。夏場に備えて酸素、循環ポンプを備えています。生きた新鮮な魚をみなさんに食べてもらうためにそうしています。イワシの場合は、生け簀に氷と海水を半分ずつ入れて水氷にします。一つの生け簀に25箱入ります。10個生け簀があれば250箱入りますが、最近ではだいぶへって、よく獲っても100箱程度です。沖に出るまえに、特牛(対岸の港)で氷を積みます。鮮度をよくするために工夫します。値段がまったく違ってくるからです。
 角島の場合、月に第一日曜日はいつも休みです。漁協で定めた休みは年間に15〜20日あります。正月の3日間は休みです。それから春祭りの5月に4日間休みがあります。シケのときは網の手入れ、道具の修理などします。若い人はデートに行ったりします。魚はなんでもとっていいかというと、そうではありません。ヒラメは25a以上のもの、タイは15a以上、イサキは20a以上、アワビは10a以上からです。乱獲を防いで資源を守っています。
 漁業をしていて一番の喜びは、その日にとると決めた魚が確実にとれたときです。しかしめったにないです。「きょうは大きいブリを釣りに行こう」と意気ごんで港を出たものの、沖に出たら魚が食わないときは残念です。自分の計画どおりにいかないのだから。だけどあきらめたらいけません。つぎの日にたくさん釣れることもあるんです。
 船の安全的な操業をするために、漁協のなかには八人の実行委員がいます。海岸、沖合の船の事故などの対処、救命要員をまかせています。しかしなににしても個人個人の常識的な行動が一番大きな責任になります。
 一番懸念しているのは魚の価格低迷です。油代は上がるのに、出荷する魚の値段は下がってばかりで、バランスが崩れて困っています。  
 
 質問浴びせる子供達 後継者育成の話も
 話が終わってから、子どもたちは「一番大きな魚は何aくらいですか?」「少ないときは何匹くらい釣れるのですか?」などおう盛な質問をくり返した。沖建網で体重35`、長さが1b30aのアラが水揚げされたことを話すと、歓声が上がった。
 「大漁旗はどういうときにつけるのですか?」の質問には苦笑いで、村岡氏が漁をはじめた昭和30〜40年ころまではつけていたといった。「うれしくてしかたなかった。しかしそれ以後あまりつけた記憶がありませんね」。組合長の笑いながらの補足説明では、時代が変わって、いまでは魚がとれたことをかくそうとする習性があること、無線で「とれたかね?」と聞かれても「とれん!」というのが漁師の合い言葉で、自分の漁場を教えないようにするシステムがあるのだといった。
 また、沖の操業は危険と隣りあわせであることも語られた。昨年10月の台風で、まだ風が強くないときに沖に出た漁師が、角島の近回りで操業していると、天気が急変して強風に流されたこと、すぐに仲間漁師たちが捜索したけれども、白波が立って、小さな船は見えなくなっていた。「どんどん流されて70`離れた九州の芦屋で遺体も船も浜にうち上がっていました。いまは無線や気象で個人個人が予報を集めて操業しますが、たとえばこれからの時期に(西長門)リゾートの上にポコンポコンと雲が浮かび、それが急激に山から飛び出して流れ出すと、1時間余りのあいだに突風が立つと昔の人はいっていました。地域の知恵を古老から若い者へ伝えていくことで対処していました」と組合長は語り、ないがしろにできない漁村の伝承のたいせつさを語った。
 角島は山口県下では後継者の多い地域とされ、毎年2〜3人が漁師になる。30歳以下が31人おり、若潮会という組織をつくって地域を盛りたてている。親子2隻で水揚げ競争をして、合わせて2700万円の収入をあげる家庭もある。それでも、小学生の女の子が「一番たいへんなことはなんですか?」と尋ねると、村岡氏は「後継者がおらんことです。おじさんのあとに漁をするものがおらんことが寂しいですね」と少し寂し気な表情を浮かべた。
 組合長は、「魚の値段が上がらないこともです。オコゼという高級魚は一昔まえには1箱2万円していたものが、いまは3000〜5000円です。漁師さんがいくら高く売ろうと思ってもそうならない、すごく新鮮なよい魚をとっても、値段がたたかれると漁師さんは励みがなくなります。輸入物や養殖物と同じような値段で、漁師さんがとってきた天然物があつかわれているのも現実です。また、油がいますごく値上が アワビの養殖の現場を見る平和教室の一行
りしていますが、油は漁師さんのご飯です。これが1g当り5円でも10円でも上がると、すごい額になってくる」と実情を語った。
 そして、「漁師さんが一生懸命とってきた魚はほんとうにおいしいです。みなさん魚をしっかり食べてください。わたしたちも一生懸命とってきますから約束してください」と子どもたちに呼びかけた。「魚が好きな人は手を挙げて」というと、みんな手を挙げた。
   
 「おいしい」と歓声 生きた魚試食
 待ちに待った調理・試食は漁協調理室に移動しておこなわれた。ねじり鉢巻き姿の理事の中野秀幸氏がハマチを2本持って登場。ビクンビクン跳ねる魚を見て、子どもたちはギャーギャーいって大騒ぎ。作業の邪魔になるくらいにとり囲んだ。手にははしと小皿をしっかり持って、「血が飛んでくる」「サメだー」「怖い……」などと吠(ほ)えるものもいた。
 三枚におろしても魚は動く。中野氏は「これはブリの子ども」「お刺身にするからよく見ておけよ」といって、心臓、腸、背骨など一つ一つ冗談まじりに説明しながらさばいていった。口はあんぐりの状態で「生きた魚をさばく」ことにビックリしている子もいた。「角島に来ればまた食べられるよ」と中野氏はお母さんたちへの宣伝も忘れなかった。あとは前述のとおりペロッとたいらげた。
 その後一人一人が感想をいった。「さばくのは気持ち悪かったけど、刺身がおいしかった」(5年生)、「海で遊んで楽しかった」(5年生)、「刺身をさばいているのをはじめて見た」(中学2年生)、「外国から入る魚が多いが、もっと日本のものを食べることをたいせつにしたい」(引率父母)など、それぞれ思ったことをいった。
 森澄組合長は「実はきょうは朝からたいへんなスケジュールで、1年に1回魚介類を供養する日でした。どうしようか迷いましたが、感想を聞いてやってよかったと思いました。“楽しかった”“うれしかった”“おいしかった”の最近耳にしない言葉を久しぶりにたくさん聞きました。村岡さんが“1匹も釣れない日もあるけれど、あきらめずにがんばればつぎの日はとれます”といわれた。これはみなさんが勉強するのと同じです。きょうはわからないことが、努力したらあしたはわかるようになる。漁師さんが努力するのと、みなさんの努力は同じです。ハングリー精神でがんばりぬいて、45年もやりつづけるような仕事をしてほしいと思います。またぜひ角島に来てください」とあいさつ。一同は元気よくお礼をして会をしめた。
 帰り際、森澄組合長が先導してアワビの養殖場を訪れた一行は、10万個の稚貝を育てている現場をのぞかせてもらった。3a以上になったら海に放流しているもので、それが大きくなるまでに何年もの年月を要することを教えてもらった。
 はじめての漁業学習・生産者に学ぶとりくみは、海に生きる漁業者のなまの声を聞くことができたこと、「魚はおいしい」ことがわかったことなど、たいへん有意義なものになったようだ。子どもたちは帰りの車のなかで「また食べたい(行きたい)」を連発していた。

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