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浜の復興阻む陸側の意図的放置
岩手・宮城現地取材
              「誰のための復興か」と憤激    2012年10月10日付

 被災地であらためて語られているのが、働くことの意味や生きがいを感じながら、地域のみなとともに暮らしていくことの大切さで、浜も陸もともに立ち上がっていかなければ、津波で奪われた地域の産業や暮らしをとり戻すことにはならないといわれている。震災から1年7カ月が経過したなかで、浜の生産活動は補助金投入によって船や漁具が揃い始め、息を吹き返しつつある。しかし、陸側の産業政策が立ち後れていることがどこでも共通現象としてあらわれている。せっかく水揚げした水産物が行き場を失って値下がりしたり、製氷・輸送・加工が充分でないために水産市場が受け入れられないといった状況に直面。基幹産業が復活しつつあるように見えて、実は不安を抱えていることや、まだまだ先は遠いことが語られている。
 
 “考える人”になり行政動かず

 岩手県は震災後に「生業(なりわい)の再生」に重点を置き、生産現場に寄り添った対応を見せてきたことで、宮城県のように市場原理に委ねる方向へ舵を切ったものとの違いが比べられてきた。浜の漁業者に一人一隻ずつ漁船が揃ったところも少なくなく、一歩一歩前に向かって進み始めている。しかし、水産市場の水揚げが再開されたり、船が揃ったからといって、「復興万歳!」と喜べるような代物ではない。
 「マスメディアが部分だけ切り取って、まるで復興が終わったように扱う。現場の苦しみや悩みを取材しようとはしない。まだまだ先は長いんだ」とだれもが語っている。10年先にどうなっているかすらわからない。復興が何年後にまともな形になっていくのかもわからない。目の前はペンペン草だらけの旧市街地が広がり、行政はいつまでも“考える人”になって「持ち帰って検討します」が口癖になり、実務がいっこうに進まないことも、もどかしさを感じさせる原因だ。さらに、震災前から苦しかった基幹産業の漁業が元に戻ったとしても、後継者が増えるような職種ではなかったこととあわせて、地域の進路がどうあるべきかがこれまで以上に考えられている。
 岩手県では農林水産業に12%近い県民が従事している。これは全国平均の3倍近い。とくに三陸沿岸では漁業がなくなれば地域が消滅しかねないほど、産業として果たしてきた役割は大きい。
 よその水産都市と比べても比較的スピード感を持って復興が進んでいる大船渡市では、水産市場の周囲がサンマの水揚げで賑わっている。津波で被災した市場は1週間後から復旧に向けて動き出しサンマ船が接岸する港といっても嵩上げが本格的に施されているわけではない。しかし毎日350d以上もの水揚げを受け入れ、三陸沿岸の水産市場ではもっとも水揚げ量が多い。宮古が250d、釜石が90d、女川が200d、気仙沼が300dなのに比べても、最大500dの受け入れが可能な市場として役割を担っている。
 ひっきりなしに北海道や岩手、宮城、福島のサンマ船が接岸し、荷を下ろしたらすかさず出港していく。ギンギンに冷やしたサンマを船員たちが巨大なタモですくい上げ、専用カートに移していく。それを市場の若手職員たちがフォークリフトを操りながら忙しなく走り回り、全国に発送するトラックの荷台に積んでいく。築地を目指すものも多い。
 市場の周囲にはプレハブながら、包装や製氷、問屋などが営業を再開し、それなりに冷蔵施設も整い始めた。「鮮度勝負なので、製氷がないことにはどうにもならない。サンマの受け入れなら大船渡に任せてくれ!と思って復興にあたってきた」と関係者は語っていた。
 宮城県の水産市場は震災前の4割しか水揚げ量が戻ってないのに比べて、岩手では八割近く戻っている。これは冷蔵施設が復旧しているか否かの違いが大きいという。ただ、これだけを杓子定規に比較しても意味がないという。
 市場関係者の男性は、「暗中模索というのが実際だ。先が見えない不安感を抱えながらやっている。去年は“がんばっぺ”の一心でやってきた。しかし今年に入って支援も薄れるなかで、現実が見え始めた。黙ってなにもしないより動いた方がいいと思ってやってきたが、どこに向かっているのかがはっきりしないから不安なのだ」といった。
 サンマの水揚げで抜きん出ている大船渡では、震災前に中国やアジア各国の商圏に食い込み、取引のウエイトが国内向けよりも大きなものになろうとしていた。しかし福島事故や尖閣問題などを通じて振り出しのゼロに戻り、苦労して築いた販売ルートが途絶えた。主に築地経由で海外に出荷していたものだが、それっきりだという。「日本人がこの時期に食べるサンマの量が、これまで10匹だったのから100匹になるはずもない。ならばと開拓した矢先だった」と語られていた。
 市場周囲が華やかそうに見えても、まだまだ陸の水産加工業者の復活は遅れていることが語られ、浜の復活と陸の復活という、本来いっしょに立ち上がっていくべき業種のアンバランスな再建状態も危惧されている。「漁師や漁協の場合、農林水産省が管轄でかなり手厚い補助がやられて奏功してきた。しかし製氷、加工など中小企業になると行政的な管轄は原発に夢中になっている経済産業省で、この温度差が現れている。准公共的な漁協は書類審査も通りやすいが、個人経営の企業がグループ化の書類を申請しても、市→県→国と渡っていく過程で時間だけ要して、審査でふるい分けられて決定するまでに時間がかかっている」と加工業者の一人は実情を明かしていた。再開の踏ん切りがつかず、様子見をしている業者も多いという。
 市場関係者の一人は「漁師だけ元に戻ってもうまくいかない。陸がいっしょにうまく回っていかなければ歯車は狂ってしまう。それが一次産業だ」といった。そして、せっかく補助金や全国からの支援で再開にこぎ着けた銀ザケ養殖も、大手商社が1年のブランクのあいだにチリ産の輸入物を国内市場にはびこらせ、おかげでいざ今年出荷にこぎつけてみると値がつかず、努力が水の泡になったことについても、「大企業というのは国内の工場を捨てて海外移転ばかりしているが、被災地や国内の産地がどうなろうと知ったことではないというのは同じだ。せっかく出荷までできたのに、なんの意味もなくなる」と憤っていた。

 「協同」軸に復興の努力 建築規制中の気仙沼

 宮城県の気仙沼では、建築規制がかかっているうえに市街地再生の青写真も二転三転し、市場周辺の工場群は閑散としたままだ。市街地では復興商店街が幾つもでき、休日には住民らが協力しながら活力を求めてイベントを開催するなど、「協同」や「連帯」を求め、絆を確かめ合うようにとりくみがやられている。「人と人とのつながりこそ気仙沼の宝」「この地域で暮らす人間こそ復興の主人公でなければ本末転倒。行政が遅いのはわかっているし、あの人たちはいつも“考える人”だ。“考え続けている人”かもしれない。待っていても仕方がない」と語られていた。
 水産加工業者の男性は、隣接の岩手県に土地を借りて工場を再開した。震災から3カ月ほどは茫然自失でなにも考えられなかったが、投げやりになっても虚しいだけで、自分の誇れるモノはなにかを改めて考えたときに「これ(水産加工)しかない!」と思えたのだといった。馴染みの企業が復活を約束してくれたのも最近の励みで、みんなが悩みながら前に進もうとしているのだと様子を話した。
 ただ、海から離れた高台では限界もある。これまでは海水を引っ張ってこなしていた作業も難しくなり、さらに水産加工では臭いを伴った排水があるため、地域住民の理解を得るのも苦労する。早急に工場を立ち上げなければ震災前から付き合いがあった取引先が逃げてしまうという焦りがある一方で、難題続きなのだと頭を抱えていた。銀行も担保がない人間には決して融資しないので、運転資金を工面するのも少少ではない。「それでも苦労を乗り越えて、10年後に後悔しないことが目標だ」といった。

 問われる復興のあり方 人間が復興の原動力

 被災地のどこへ行っても語られ始めているのが、「だれのための復興なのか?」だ。もっぱら行政の分野では巨大防潮堤、嵩上げ、高台移転ばかりに目が奪われ、産業政策が二の次になっている印象が拭えない。メガソーラー誘致、市役所の駅前移転など、住民にとってどうでも良いことが「復興」の象徴のようなニュアンスで持ち上げられ、市街地はいつまでたってもペンペン草のまま放置されている。
 人口流出を放置していくら巨大防潮堤を築いたところで、それは国土交通省やゼネコンの自己満足や利権事業に過ぎず、自然を相手にどれだけ意味があるのかは、次の津波が来なければわからない。「津波が来ることすらわからなかった連中がなにやってんだ!」「想定外は福島事故だけにしてくれ」といわれている。
 膨大な国家予算を消化して、東京人や技術者だけが満足して「後は野となれ」で去って行くというのでは笑えない。水産業や加工業、地域の雇用や福祉、市街地再生などが置き去りにされて、土木分野にばかり政策が偏っていることや、だれが状況を統括しているのかもわからないようなチグハグな復興のあり方が問題になっている。地域住民の生活基盤となっている産業や都市機能、コミュニティ、商店街など、これまでの歴史や文化、伝統をもとに、地域全体を再生させることこそ全力を上げなければならないことはいうまでもない。
 このなかで被災した人間が自立して立ち上がっていくための施策がもっとも求められている。「食っていける見込みが立てば、前に進んでいく力が違う。絶望ではパワーが出てこない。仕事をして生活基盤が再建できるような展望が必要。防潮堤よりもそっちを急いで欲しい」という声が各所で聞かれた。そして、矛盾するようだが、安易な支援も考えもので、もらい癖がつくようなことは厳に慎むべきこと、被災地の住民がみずからの努力で再建に立ち向かっていく厳しさがいるのだ、と切実な思いを込めて語る人人も多かった。
 大船渡の仮設住宅にいた老人の一人は、義援金を頼りにして働くことをやめた近所の40代男性に「腐るなよ!」と声をかけているのだという。確かに義援金はありがたいし、本当に援助が必要な人もいる。しかしあまりに甘やかされると自分でレベルを下げてしまって、これまでできたことまでができなくなること、なにもしなくなればホイト根性が離れなくなり、それは人間にとってもっともよくないことなのだといった。「アイツだって、前は働いていたんだ。気が利いて良いヤツだった。それが震災で嫁さんと娘さんを亡くして人間が変わった。だけど、パチンコにうつつを抜かしても腐っていくばかりだ。全国の皆さんの支援は有り難いが、手のさしのべ方によっては生殺しにもなる。わたしら自身がぬるま湯に浸かっていたんじゃ、この地域は震災前よりも逆に悪くなってしまう」と心配していた。
 別の水産市場関係者も「人それぞれに苦悩を抱えながら2年近くを迎えようとしている。傷跡は大きいし、街も人間も復活していくのには時間がかかる。例え大リーグのホームランバッターでも、1年のブランクがあって復活するとして、いきなり“40本打て”といわれてもムリなのと同じで、わたしらの商売でも、水ものの水産業では自然界の状況も日日変化する。このなかで元の調子をとり戻していくだけでも苦労は当然ある。人間だってそうだ。ジックリと時間をかけながら前を向けるような支援こそ必要だ。みんなが良くなっていくのが復興だと思うし、働かずして寄りすがっていくような考えが浸透するのはマイナスだ。この国の爺さんや婆さんたちは戦後の焼け野原から義援金なしで復興させていったんだから、わたしら世代にもできると信じたい」といった。
 人間こそが復興の原動力で、そのための行政的な支援なりかかわりを求める声がどこでもうっ積している。仮説住宅に囲い込んで、好き勝手に巨大堤防、高台移転といった土木事業にだけ熱を上げている異常さとあわせて、復興のあり方が根本から問われている。

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