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反米愛国掲げ戦争阻止の全国的政治斗争を
         新年座談会 戦争阻止の人民運動の展望を論議  2004年1月1日付                               

 2004年の新しい年を迎えて各界座談会を開いた。昨年1年、「原爆と峠三吉の詩」原爆展の全国化がすすみ、原水禁運動が発展し、上関原発阻止の斗争も基本的な勝利の局面となり、これらの運動とつながって平和教育が発展した。下関ではゴミ袋料金値下げの10万人の署名という全市民的な運動が発展した。イラク派兵撤回署名も政治、思想をこえた大衆的な運動になってきた。ひじょうに新鮮な大衆運動が力を持って発展しはじめた。それはいっさいの日和見主義、修正主義路線との斗争をすすめ、大衆的基盤に立った反米愛国路線を鮮明にすることをともなって人人の支持を集め発展しはじめた。今年は戦争を阻止する全国的な政治斗争が重要課題となるが、座談会では昨年の発展した大衆運動の経験を総括し、戦争を阻止する運動を建設する展望を中心に論議してもらった。
 社会のど真中に立った運動
 司会
 全体の運動の発展は原爆反対の運動が軸になったと思う。その辺から出してほしい。
 労働者が動きだした原水禁 
 松友 昨年3月にアメリカがイラク攻撃を開始し、日本を拠点にしてアジアや朝鮮への原水爆戦争の危険性が高まってくるなかで、これを阻止する力をどうつくるかということで出発した。原水爆禁止全国実行委員会では4月に会議を持ち、峠の原爆展を広げること、しかしその反響が大きいことで満足するのでなく、そこから原水爆戦争を阻止する大運動にどうするかを重視した。福田さんが50年8・6平和斗争について書いた「広島と長崎」を持ちこんで、労働者の運動を突出させ、各戦線の運動を発展させることが方針だった。そのなかで原爆投下にはじまる戦後社会の総括的な論議が強まった。
 去年の特徴の第一は労働者の動きがはじまったことだ。原爆展パネルを労働現場に持ちこみ「広島と長崎」で論議するとその内容が感動的に受けとめられ、この方向で日本の労働運動を再建していくんだという認識が動いた。有事法制やイラク戦争反対で日本も数万規模の集会がやられるが、「人が集まればいいではなくどんな路線で運動す
るかが重要」と論議になった。
 広島が動きはじめたのがもう一つの特徴で、福屋での峠三吉没50周年広島市民原爆展が7000人の参観で大成功し、58年間語ったことのない多くの被爆市民が語り出した。広島市内では峠三吉の「すべての声は訴える」を号外にして大量にまいて反響を呼んだが、峠が広島の心を代表しており「広島が峠をとりもどした」という実感が出た。
 三つ目は、子どもたちが平和の旅や平和教室のなかでいちだんと成長した。日本社会が荒廃し展望がないなかで人民運動全体に展望を与えた。少年事件が多発したがそれと対比する形で子どもたちを成長させる方向がはっきりした。
 峠のパネルを使った原爆展が全国、全世界へ広がった。下関から出かけてやるというのではなく、各地で自分たちがパネルを使って展示しだした。東京でも学生が自分たちでとりくみ、後輩に受けついでいる。地域、学校、職場でも峠の原爆展がこれまで数千カ所でおこなわれた。広島の元安川べりで毎週やられ原爆展も全国から来た人に注目された。共通して原爆にはじまる戦後の対米従属の日本社会への認識を新たにするという感想が出された。
 そのなかで運動を発展させてきた要因はなにかが問われ、「日共」修正主義、社民、新左翼勢力などのような、大衆を利用し嫌われる路線との斗争があった。そしてわれわれが追求している50年8・6斗争路線は、社会の片隅の特殊な小集団の運動ではなくどまんなかに立っているものだという論議が重要だった。
 犬塚 広島の被爆者が声を上げはじめ、広島が動き出した。福屋デパートの原爆展がそれを象徴している。昨年は2月末から地域原爆展をはじめたが、ちょうどイラク戦争がはじまる時期で戦争への危機感が出された。そしてつらく思い出したくないが語らなければいけないと語られた。現役世代の被爆2世も「直接は経験していないが、親たちから聞いて語りつがないといけない」と語っていた。
 ふり返ると「戦争を終結させるために原爆が必要だった」とか「日本が悪いことをしたから原爆が落とされた」などの論がずっと被爆者の声を抑圧してきた。それがアメリカの謝罪を要求するアピール署名や、原爆投下の犯罪を真正面から暴く宣伝活動と結びつきとり払われていった。原爆展でも「原爆投下は必要なかったというパネルが一番印象に残った」と語られる。被爆者、戦争体験者のなかには戦争反対の大きな力がかならずある。それを抑圧するものをどうとり払うかが重要な教訓だった。
 自分自身、感性で被爆者の原爆投下者への怒りを共有することがほんとうにはわからない。そこを被爆者に学ぶなかで、いままたアメリカがやろうとしていることに「許せない」となった。子どもたちをほんとうに信頼して語る被爆者の姿に学ばされた。
 平和の問題として原発反対
 森谷 上関は昨年5回も選挙があった。近年は東海村臨界事故、NYテロ、アフガン戦争、イラク戦争まできて町内世論は「原発どころではない」となった。上関だけでなく日本全体の平和の問題として、また売町売国政治に反対して農漁業を基本とした郷土の発展の要求として、戦争体験や戦後58年の経験が語られながら「原発はもう終わりだ」との声が大きくなった。
 2月の合併協では上関町について国は面倒をみないという無言のメッセージを出し、大きな転換を印象づけた。4月町長選は前代未聞の乱立騒動のあげく加納町長が出て当選したが、初登庁したつぎの日に、後援会長逮捕。結局8月に加納町長辞職で町議会の補欠選挙となり、10月が町長選のやりなおしとなった。推進派は正面から町民を動員する力は喪失し、インチキ反対派の裏切りが頼りで選挙を仕組んだが、町民のなかでは中電、国、県と町民の対決という認識が強まり、選挙におけるいかなる陰謀をめぐらしても絶対に負けない政治的な力量を示した。この過程では、中電も国、県も上関町をもてあそんだあげくに切り捨てているという認識から、20年の推進の内幕が「書いてくれ」と語られはじめた。
 イラク戦争になるなかで四代の地権者たちも軍事施設はつくらせないと信念を持ちがんばっている。郷土を守ることが全県・全国の平和の問題とつながった。基本は情勢が変わったことがある。20年まえの、「田舎はダメだから都市に行こう」という状態から様変わりした。町内には都会でリストラにあい、帰ってきて漁業をはじめる状況がある。敗北主義ではなく上関の農漁業を発展させなければいけないと出てきている。珠洲原発も電力側の経営事情で断念になったが、上関も中電、国、県に責任をとらせ、町民主導による上関の発展の方向を勝利させるときにきている。
 黒川 上関町民の力が大きくなったと実感した1年だった。反対内部に敵の手先をもぐりこませ内部で分裂をあおって原発を推進する町民を抑圧していた構図が暴露され、町民が真の敵とのたたかいにすすみはじめた。選挙を見ると、山戸がいかなるものか町民は知りぬいている。しかし敵に勝つために山戸を使う。中電、国、県に手を引かして、みずからの力でやらないといけない、そのリーダーがいるという意識が大きくなった。
 原発共斗は98年に活動を再開し、原発は原水爆の製造工場、戦争をひき寄せるものという課題を中心に全県の運動をとりくんできた。はじめは上関に行って怒られながら、大衆路線とはどんなものかがわかっていった。そして、現地の応援団ではなく、国策に反対する、戦争に反対する自分たち自身の運動として、自分たちの足下から運動をつくり、現地と交流し激励しあっていくという方向が力を持った。イラク派兵のなかで原発斗争を売国政治反対・戦争反対の課題として勝利させたい。上関が勝利するならば豊北につづく勝利として全国をそうとうに激励するだろう。
 平和教室で成長する子供達
 今田 昨年は長崎や沖縄など青少年の凶悪犯罪がひん発した。このままでは日本はどうなるかと深刻な問いなおしがあり、「人殺しか平和の担い手か」の斗争が鋭いものになった。このなかで、平和教室、平和の旅で子どもたちが成長した。被爆者、戦争体験者が子どもを教育した。下関ではじまった平和教室は北九州や宇部、萩に広がった。親世代が積極的に参加しているのが特徴だ。「いままでの平和教育はなんだったのか」という実感とともに多くの教師に衝撃を与えた。小中高生平和の会は昨年が3年目で、平和の旅も一昨年を上回る大集団を形成して大成功した。
 平和教室の内容も広がった。金子みすゞの詩に子どもたちが心を動かして絵を描き、それを下関のみすゞ祭や唐戸商店街や仙崎に展示すると「いまの子どもたちはみすゞの心がわかる」と日本の心を受けつぐことが喜ばれた。高杉晋作や明治維新の学習もしたが、下関の人人のなかに脈脈としてある高杉晋作と父祖たちの社会変革の精神への誇り、それを子どもたちに受けつがせたいという願いが子どもたちにストレートに響いた。
 子どもをバラバラにする教育改革の攻撃のなかで異年齢集団で班を形成し集団のなかで人民のモラルを身につけ成長した。それがアメリカ型の、自由、民主、人権型の教育をうち破り、地域の被爆者、戦争体験者、教師、親と一体になった運動として広がった。中・高校生がイラク派兵撤回署名を全校生徒にしたが、子どもたちの思想的な団結ができ、学校を自分たちの力で変え、子ども自身が真に力のある平和の担い手に成長する方向がはっきりした。
 これを学校のなかでどうやるかが課題だ。教師が戦争反対の人民運動と結びついて「教え子を戦場に送らない」決意に立ち、新しい社会を建設していく、地域の人人と結びついていく、つまり統一戦線のところからやれば教育運動を発展させることができるというのが実感だ。
 林田 昨年は学級崩壊に苦しみながらきたが、平和教室に助けられた。最初は「荒れた子を連れて行けばなんとかなる」という動機だったのだが、平和教室、平和の旅に行き、子どもが変わった。「平和教室に来る人はみんな優しい」という。家庭訪問は悪いことをしたときにいいつけにいくという印象だったが内容が変わった。家庭を訪問して親と団結する姿を見て子どもが安心する。自分自身についていたアカが少しずつはがれてきた。
 昨年、県教研に参加して経験を発表した。自分は学級崩壊が解決してよかったと素直に出せればいいと思っていたが、ものすごく喜ばれた。分科会で選ばれ全国教研に参加することになった。福教組は組合主義が強いところだが、自分が思う以上に教師が教育荒廃をなんとか打開しなければいけないと思っている。レポートを聞くとベテラン先生が小学校1年生を相手に悪戦苦斗している。40代の先生も不登校の問題で家庭訪問を何度もやるがうまくいかない、というのがつぎつぎに出る。とくに教師が立場を変え、子どもの見方を変えることに関心を示していた。
 自分は広島で戸別訪問をしたとき、頭をなぐられた感じがした。教師が学校の枠だけでものごとを見ていてはいけないと思った。親の立場、被爆者の立場から見るということだ。
 市民に銃をむける米軍基地
 森脇 原爆展を中心に上関、基地問題、岩国空襲継承などの運動をしてきた。58年間米軍に屈従を強いられてきた岩国の人人の意識が大きく変わりはじめた。広島で被爆して最愛の妹を失った婦人は、岩国に嫁ぐとき「妹を殺した米軍が許せない」というと周辺から「そんなことをいったら岩国におれん、殺されるぞ」といわれ、それ以後そのことを口にしなかったと原爆展で話していた。米軍基地のもとであった「戦争に負けたからしかたがない」「日本を守る基地は必要」などの抑圧が、実際の情勢の進展と原爆展などをつうじてはがれはじめた。
 9・11テロ事件以来岩国基地は武装米兵が基地を防衛し、自衛隊が防衛し、銃は市民にむけられている。見学に行った高校生に米兵が銃をむけたり、黄色い線をこえたと牧師が逮捕されたり、米兵が基地外で市民を検問した事件もある。米兵の家族、軍属は岩国基地から本国に脱出する訓練をしている。基地に働いているものに防毒マスクを渡して訓練する。岩国空襲でも9回の空襲で人をたくさん殺したが、自分たちが使う滑走路は残したし、柱島空襲は子どもを狙ったものだった。そのなかでイラクの状況も重ね「アメリカが守ってくれているのは違う」「戦後はなんだったのか」と語られる。この人人の大きな変化のなかでそれを束ねてどう運動にするかが問われている。
 中井 岡山では労働者の活動で突破するという方向で街頭原爆展を倉敷駅前を中心に笠岡や岡山市内でやり、社宅などへ原爆展パネル冊子を持って入った。社宅では若い労働者が「日本人としてあたりまえ。社宅で回覧しよう」とひじょうに協力的で、大衆の意識が変わっていると、大きく目を開かされた。
 ところがその後、屏風(びょうぶ)状にしたA3判パネルをその労働者に「社宅で回覧してほしい」と持っていくと「いっぺん協力するとつぎつぎにくるから、それが嫌なんだ」と強く断られた。今度は大きなショックを受けそこに行かないとなった。
 ふり返るとそういう傾向できていた。そこを総括しながら「これが福田路線でいわれる大衆の側か、自分の思いからいくかだし、人民に奉仕する路線と違うところだ」という認識に到達した。労働者は怒りを強めているが、このようなセクト的なひき回し路線が労働者を立ち上がれないようにしていると眼が開けた。その後、A3判のパネルを、昼休みにでも若い人の目にふれるように展示してほしいと訴えて工場を回りはじめた。
 全国にも影響ゴミ袋の署名
 兵頭 昨年5月末ぐらいから下関のゴミ収集体制の問題で、高齢者の介護や福祉の現場にいる介護職の女性のなかで動きが起こった。市から詳しい説明もなく、45gの可燃ゴミ袋50円は山口県で一番高いと知られてきた。訪問介護や訪問看護で高齢者のところへ行くと、カップラーメンの器でご飯を食べているとか、1本の大根を7等分して1週間食べているとか、市民の困難な実態をよく知っている。介護保険も下関が一番高い。そういう人たちを中心に署名運動がスタートした。
 有料指定ゴミ袋を値下げさせる会ができ署名は3週間で9000人をこした。市内のスーパーの店頭で母親たちが街頭署名をやり出した。老人病院、介護施設、開業医、保育園、寺、老人会、自治会などにも広がり、7月の坂本教授を招いた勉強会をやったころは5万人になり全市民の運動に広がった。生活感覚、台所感覚のところから説得的に訴える婦人の力は理屈から出発する運動とは違うと感じた。
 12月に10万3000人分の署名を江島市長に提出したが、市長は「20万持ってこようが値下げしない」という態度だった。参加した婦人たちは「ほんとうに人間の心がかよっていない」「下関の市長ではないことがわかった」「かえって力がわいた」と明るい顔をしている。ある母親は「運動に参加して新しい世界が広がった」と喜んでいる。自分が住んでいない地域でも戸別訪問などはじめての婦人が一番数を集める。広範な市民のなかで、行動を求める要求が大きいし、すごい力量を持っていると実感した。
 下関の10万人の署名を集めたということが、東京の全国ネットのテレビ局がとりあげたりして、全国的に影響が広がった。婦人たちの運動が下関だけではなく全国を動かしている。運動のなかで大事だったのは、私利私欲なくみんなのため、市民の生活に心を寄せ奉仕する純粋な精神か、小集団の利益のために利用するのかの問題だ。
 原爆展パネル職場に持込む
 平賀 昨年4月から、原爆展パネルを各職場に持ちこむと「1週間貸してくれ」と歓迎された。ある労組委員長は「労働運動で戦争反対がなくなってきたのは問題」と語り、イラク派兵撤回署名をとりくんでいる。地域原爆展でも若い労働者が多く、子連れの父母がパネルを見ながら子どもに熱心に読んで聞かせる。
 交通労働者などと「広島と長崎」の学習会をしたが、青年労働者から「50年8・6の斗争をたたかった労働者が、白熱した論議で労働運動をどうするのかと問いなおし、きびしい弾圧のなかで断固たたかいぬいた。こういう運動を自分たちもやりたい」「原水禁がどのようにたたかわれたのか知ってよかった」など新鮮に受けとめられた。
 職場で11月にA3判パネルを持ちこんだ。労働者が1枚1枚厳粛な気持ちで見る。以前「民主化のため日本は自衛隊員が殺されてもイラクに派遣すべきだ」といった労働者が、「アメリカはヒットラーと同じ」「民間人ばかりが殺されている。勝てば官軍で原爆を落としたアメリカがなにもいわれないということがあるか」と怒り、イラク派兵撤回署名に応じカンパした。パネルを前にして本音が出てきた。
 入江 はぐるま座も、イラク戦争が勃発するなかで新作をつくらなければならなかったが、できない現状にある。さまざまな諸斗争に参加したり、講演活動もするが、中心になっている勝利にむかうテーマの作品ができない問題は原因を掘り下げて解決していかなければいけないと思う。
 アメリカ占領美化が障害 
 編集部 いま報告された運動は小さなものではなくて、かなり強力な運動がはじまったと評価できると思う。高杉晋作の防長割拠論ではないが、下関、山口県からはじまった運動が全国に広がっている。大衆のなかでのたたかう機運はじゅうぶんだ。この運動を導いた路線を鮮明にさせれば今年そうとうに発展できる。
 いまのイラク問題でも、「アメリカに戦後世話になったから手伝わないといけない」というのがある。原水禁運動で一貫して追求してきたが、戦争反対というとき、戦後のアメリカ支配を美化する評価が障害としてある。それをとり払うのが、いろいろな戦線を発展させるうえで1つのかなめだ。また独立し平和な社会を実現する、共通敵にたいする共同斗争という統一戦線の立場で、各戦線が発展しはじめた。自分の損得で大衆を利用するのは崩壊するし、これが「日共」、社民の凋落(ちょうらく)になった。さまざまな活動家のなかで、いまや息も絶え絶えで消滅しつつあるか反動化しているものと、いまや有利なときだと見る人と、立場の違いがそうとうにはっきりしてきた。
 松友 平和シンポジウムで退職教師の被爆者が「戦争で大好きなピアノがとられたが、戦争が終わってピアノが弾けるようになった」といった。結局「原爆で解放された」と説教をしていた。わたしもはじめて出くわしたが典型的な嫌われ路線で、これが広島の被爆者を抑圧していると思った。語れなかった被爆者の方が語れるようになると、自分の出番がなくなるから嫌だと攻撃もする。どっちを敵と思っているのかという違いだ。
 今田 総選挙の評価で、頭のなかでは社民や「日共」の凋落とはいうが、気分感情的にはいっしょに落ちこんでいる状況がある。ここで前に出るぞと転換がはじまらない状況がある。
 中井 たしかに数字上並べてみて、岡山市民の数ほど棄権者が出て棄権党が第一党だとか、押していると口ではいうけど、社「共」に批判票が流れるのが通説みたいに思ってがっくりするというのはある。
 森脇 この選挙の評価も50年8・6で押し上げてきた問題も同じだ。中学校の文化祭で原爆展をやったがどこも校長先生が協力してくれ、恒例行事でつづけるという。そこの校友会の会長は「日本だけなのでつづけていかないといけない」というし平和の敵はひとにぎりで、圧倒的な多数の人が真の独立と平和を望んでいると実感した。
 「日共」や社民団結の妨害者
 編集部 「日共」や社民は広島でも上関でも大衆が団結する妨害者としてひじょうに鋭くぶつかってきた。イラク派兵反対署名も党派がやるのなら嫌だと多くの人がいう。それが反米愛国で、党派をこえた運動を訴えると急速に広がっている。イラク署名は校長や管理職、経営者、自治会長が回す。拒否するのが1つの職場で組合の役員だけという例がしばしばある。
 松友 機械警備反対署名をしなかった小学校校長もイラク署名は真先にやる。「文面がいけない」と反対する日教組の支部があったが、「校長は弾圧するもの」という通念と逆になっている。
 黒川 寂しい気持ちの人は自分らの運動が特殊と思うから人のところへ行けない。「親やみなが望んでいる教師の使命感に立つときどんな運動をしないといけないのか」と論議し「教師の使命」となると、じわっと頭が上がる。人人が求める運動がうねりになっているのに、それより社民や「日共」の方が社会受けするに違いないのにと思っている。
 中井 湾岸戦争のときの署名の経験でも、当局は黙認で学校の校長はカンパまでくれるのに、組合役員が妨害した。豊北原発のときも社会党や「日共」は反対した。あのとき原発問題を国策との関係でたたかったが、それが盛り上がり全中国から豊北斗争一点に集中するというとき、新左翼などが「岡山は島根が近いのだから島根をやるべきだ」とかく乱する。「日共」の方は「原発は安全でないから反対。安全ならどうして反対するか」といった。
 黒川 教師でも「イラクのために行かんといけん」という若い先生に「あんたがさっき教えた子どもらが戦争で殺されてもいいんだな」というと「うーん」と考える。一般的にへ理屈はいうが自分の組の子が行くとなると「ちょっと」という。いわれてみると人ごとではなくなっている、「かなり平和ボケだ」と気づくのが一般的にある。
 森脇 そのようなことが工場で大論議になっている。「テロはアメリカだ」とか「湾岸戦争のときクウェートを侵略したというが、今度はアメリカが侵略したのだからアメリカを制裁しないといけない」と語られる。原爆展パネルを見て涙を流し「この人は死んだじゃろう、もっとひどかったろう」と論議になる。知識として頭で理解するのと違う。体で震えるような怒りが労働者の職場で出はじめた。職場も社会全体もグローバル化、自由化で怒りがうっ積しているのが重なる。
 今田 いわゆる「人権派」といわれる先生でもイラク派兵の問題では「いまこそやらんといけん」と署名用紙をどんどん持ち帰る状況もある。いろんな考え方があり摩擦はあるがイラク派兵問題ではいっきに団結し戦争に反対していくというのがある。
 林田 以前は教組の執行委員で署名もやったが、親も子どもも寄りつかなかった。しかし平和の旅の街頭宣伝では子どもも親も来る。これはなにかと思う。こちらの立場を変えると親も子どもも来る。運動は下からつくっていくものと実感できた。
 家庭訪問をするが、大工さんや中小の労働者はほとんど未組織で社民などとかけ離れたところにいる。そこで出るのは小泉批判、年金、イラク問題だ。このまえもある母親に電話したら「平和教室でもらったビラを見てすぐイラク派兵撤回の署名用紙をもらいたいと思って」と声をかけてきた。自分たちの生活もたいへんだしイラクの人が痛めつけられていることに心を痛めている。自分の家がたいへんでも運動会で弁当が持ってこれない家の子の弁当をつくったり、もっとたいへんなところを心配して助けあう。
 編集部 「反米愛国」と何年かまえに強調したとき、「右翼ではないか」とせせら笑うような抵抗があった。しかし「反米愛国」が圧倒的な大衆の要求だし、自分だけを愛することを進歩派と思っている親米派は戦争協力者になる。
 犬塚 原水禁や原水協の指導路線がどういうものかはっきりした。あれだけ被爆者が怒っているのに、被爆体験が子どもたちに継承されないし、峠三吉の作品が広島市民のなかで知らされていない。「革新」というが自分のことしか考えていないし、アメリカ占領による戦後改革に感謝している。そのなかでほんとうに国を愛し、世のため人のためになにかやろうという人たちが結集している。広島でのイラク派兵反対の署名は、アピール署名以上の広がりを持つにちがいない。被爆者も「広島がやらなければならない。下関で盛り上がっているのはすごいな」と語っている。
 全国民的な大運動に 50年8.6や60年安保斗争
 編集部 峠は広島で戦後ずっと攻撃され、かくされてきた。広島の被爆市民に語りにくくさせた力と同じものだ。アメリカの影響が強い広島の支配の側からそうだが、「日共」指導部が意図的にねじ曲げ、かくしてきた。「日共」指導部は50年のときも「原爆反対」に反対していた。社会党はGHQがつくったようなものだ。アメリカは戦後やってきて財閥解体、農地改革をやり労働組合をつくるのも奨励したし、「原爆で殺された人は気の毒だがおかげで豊かになった」が本音だ。アメリカの占領に感謝する、原爆に感謝するというのが本音だ。それが平和運動をねじ曲げ、無力なものにしてきた。
 それが戦前は全面否定をして、戦争の犠牲になった人人を攻撃すらしてきた。そこをとっ払って発動したのが50年の8・6斗争だったし、60年「安保」斗争だった。アメリカを暴露するときは全国民的な大斗争になるのだ。それが60年「安保」以後、入念に破壊され、「日共」や社民勢力など労働貴族層を使って、政治斗争を弾圧し経済主義に押しこんで、組合などでは自分の損得しか関心のないのがはびこっていった。50年8・6から60年「安保」斗争にいたる反米愛国の歴史的伝統をとりもどすなら大運動になる。
 松友 イラク署名がどういう質の署名なのか深めたいと思っている。2000年から、長周45周年で、礒永の世界展、原爆展などがあり、途中で切られていた歴史がつながり「反米愛国」でなければいけないとなり、人人が求めているものがはっきりしてきた。そのなかで大衆みずからがやる運動になっていった。イラク署名も1人1人みずからの意志でやる運動だから広がる。それが60年「安保」斗争でいったような質の運動と思う。
 今田 18歳で「安保」斗争を経験した方に署名を持って行くと「あのころは日本国中あげて元気がよかった。岸を打倒した。元気の出る運動をこれからやるのだ」と署名を預かった。ほんとうに元気の出る、力のある運動をこのイラク派兵の署名運動でつくるところに立つことが重要だ。
 編集部 教師の展望がないというとき、自分の戦線や、自分の身辺のところからだけ物事を見るのが各戦線、習い性になっているというのがある。政治斗争が30年余りない。戦争反対や原爆反対など人民の統一戦線の立場に立てば人民と団結できるし教育の展望が出る。
 今田 いままで学校の側から見るのか、人民の側から見るか論議はしてきた。人民の側からものを見ると大きい問題は戦争反対だ。たんなるいい子をつくるというのではなく、お年寄りが「友だちを大事にしなさい」とか、「お年寄りを大事にしなさい」といわれる内容は、大きい戦争反対をやるうえで力になる。この問題が統一されはじめた。
 黒川 あした自分のクラスをどうしようか、と一生懸命な人が多いが、イラク署名は教育で戦争反対という中身を具体的にどういくかと鮮明になる。子どもは「戦争の肉弾か」となると荒れるだろうし、それにたちむかう平和の担い手となると展望を感じる。昔、教師の運動は学校で教育もするが、本人自身が「戦争反対」で飛び回り、地域と団結していた。親や地域といっしょにやらない斗争は勝ったためしはない。勤評斗争でも、親のなかに入って、親と子どもと日本の未来について論議をしていく。しかも「勤評は戦争の一里塚」と、戦争反対を親といっしょにたたかった。勤評はとおったが使えない。実質的に勝った。
 編集部 子どもは一生学校にいるのではないし、学校を出た先のことを考えている。イラクの署名も中学生の荒れているというメンバーが「これをやれば戦争に行かなくてすむのか」といい一生懸命やる。学校でも共通敵、平和のために、みんなが団結するという機運が強まる。統一戦線に従属して各戦線をやるとならないと展望は出ない。労働運動も企業主義ではなく政治斗争をやっているときは強かった。統一戦線の全人民の利益を代表して戦争反対で労働者がたたかう方向でなければならないという機運が強まっている。
 平賀 ゴミの署名をとりくんで住民のパワーを感じた。自治会などに署名の回収に行ったら、ほとんど枠をはみ出して、自分たちで枠をつくって書いて、思いがものすごく伝わってくる。職場でもイラク署名をはじめたが、「アメリカのいいなりになっているのには頭にきている」とすぐ書く。こちらが頭を入れかえていくと、多くの人たちが意志をこめて書いてくる。労働者の運動もみんなのことを考え、大衆を信頼して前にすすめば変わってくる。
 森脇 保守か革新かではなく、反米愛国か親米売国か、という基準で見ると見過ごしていた問題が見えてくる。たとえば錦帯橋の棟梁(りょう)が「錦帯橋は外国の木材をいっさい使わず、日本の木材だけでつくる。岩国が基地の岩国ではなく、錦帯橋の岩国として語ってもらいたい」といった。大工のなかで、本来の日本の風土にあった建築をやろうという派と、もうけさえすればいいという大手には対立がある。戦後の日本の独立と平和と繁栄をかけてたたかわれている。
 岩国ではA3判パネルが事業所など100カ所で見られ反響が出ている。パネルの反応を聞くなかで、労働者の実際、思い、要求、どう運動をつくるかなど広い話へとつながる。広範な労働者勤労大衆とのかかわりができる。
 黒川 情勢が明るいと思う大きな要因の1つだ。何年間も「労働者を先頭に原発斗争をやろう!」といってきたが、労働現場に原爆展パネルを持ちこんで、その意識がつかまれはじめたというのは大きい。
 編集部 多くある労働運動の観念が経済主義だ。狭い経済要求しか関心がないと思っているが実際は、経済要求だけの組合活動家にみんな反発を持っている。中学生も「お父さんが“おまえ、イラクをどう思っているか”と聞いてくる」と話すが親は労働者だ。ゴミ署名でがんばった母親たちも婦人労働者だ。
 多くの経営者もイラク派兵撤回署名には協力的だ。アメリカと断固としてやるとなると、経営者の側も協力する。水産界も平和外交で朝鮮、中国と仲良くしないとたいへんだ。中央から来た署名でなく、下関ではじまった統一戦線型のイラク撤回署名をとりくむ労組もある。「日共」、社民の縛りがなくなり、「いいものはいい、でいこう」となっている。
 森脇 福田さんの方向でいこうとなって、戦前、戦後の歴史がつながり、敗戦から50年8・6、「安保」斗争とその後の変遷をへてイラク戦争まできた流れが路線としてつかめてきた。このまえ被爆者から「21世紀はアメリカ滅亡の世紀になりそうだ」と電話がかかってきた。上関の署名をスーパー前でやったらおばさんが「イラクは強いねー!」という。やはりたたかっている強い人をみんな支持する。
 米軍基地の前は様変わりでいくつも障害を置いて、自爆テロができないようにしている。長年「安保条約で世話になっている」「国が基地に守ってもらっている」というのがあったが、そうではないという世論は広がっている。
 森谷 実際は「米軍基地が日本に守られている」状況だ。山口に駐屯する陸上自衛隊や築城の航空自衛隊などが米軍が出ていった岩国基地を守り、ひじょうに緊張しているということが上関方面でも語られている。消防なども真先に戦争動員だと緊張している。
 森脇 戦後アメリカに世話になったという意見もある。ある人が「反米ばかりではいけない」というので「なにか世話になったことがありますか?」と聞くと「困った人にチョコレートをくれた」という。しかしそれもここまできて崩れている。
 松友 戦後、天皇をはじめ古い支配階級を使って、独立した見せかけで支配してきたのが、むきつけの状態になりはじめた。日本は植民地だとみんながいいはじめた。戦後改革も財閥解体というが、財閥は解体していない。農地改革で農民は疲弊させられ、教育はみんなから“教育が悪い”と出る始末だ。結局、アメリカと一部の独占資本集団のための戦後改革だった。
 編集部 この行きつくはてが、アメリカのための戦争に総動員して、相当数のものが殺され、日本が戦場になってふたたびガレキの山になる。敗戦後の米軍が破壊し尽くしたスタート時点よりひどい状態になりかねない。アメリカは日本をべっ視しきっている。平和の問題も、対米従属を断ち切って独立して国を再建するという課題と結びつかなければ力にならない。
 今田 高杉の話をしてくれた桜山神社の総代の方が、彦島租借にたいして、高杉が「ノー!」といった、それでいまの日本がある、と喜びを持って語られた。それを聞いた子どもが「ノー! といったのがすごいと思った」と感想を書く。なにを守って反対していくのかというのに子ども自身が響く。いけないものはいけないと子どもたちのあいだで相互に響きあう。
 林田 教科書の歴史学習はまったく反応しない。祖国のためにたたかった高杉には食いつくように集中する。質が違う。人民の歴史だからとてもおもしろい。
 今田 「明治維新のような戦争はやらないといけない」と子どもたちがいう。語ってくれた漁師も自分が体験した第二次大戦はいけない戦争だったということと、明治維新は誇りだと対置して話され、それが子どもたちに伝わる。子どもたちは変革していく力強いものを求めている。
 松友 イラク署名でも中・高校生が学校でがんばっているのが、県内の先生たちを刺激している。「がんばらないといけない」と思いはじめている。中・高校生となると戦争動員の一番のターゲットだ。「荒れている」といわれる子が「わしが第1候補」のように受けとめる切実感がある。教師でいうと、子どもが貧困化して戦前みたいだという実情は語られる。しかしそこでかつての高杉のように断固としてたたかうのかが問われる。
  福田記念館をたたかいの武器に
 編集部 5月には福田正義記念館がオープンする計画だ。戦前戦後の人民運動を総括したときに、国際的には社会主義が崩壊し、日本でも修正主義、社会民主主義、新左翼、市民勢力などさまざまな勢力が崩壊している。このなかで福田主幹の路線が、人人のイメージにある「左翼」というものとは違っていて、ひじょうに新鮮に受けとめられているし、その方向を具体化した運動は圧倒的な支持を受けて発展をはじめることが証明されたと思う。福田記念館はひじょうに大きな意義のある事業になると予想される。
 森脇 元教師が「ひじょうにいいこと。本を拠出する」と語っていた。
 松友 すごいことになると感じる。戦前戦後を全部網羅している。教育のところだけでもどうなるのかと思う。
 戦前の共産党なぜ潰れたか
 編集部 とくに戦争にいくなかで、なぜ日本の共産党はつぶれて苦難にある人民を助けることができず、中国はなぜ勝ったかという問題だ。その中身は支配階級のごう慢な思想に反対して「人民に奉仕する」思想に徹するということだった。ソ連、東欧の社会主義が崩壊したが、それはソ連指導部に発生した民族利己主義からアメリカに敗北した流れであった。福田主幹が歩んだものはそれとたたかってきたものだった。それはいまの情勢にピッタリ同じテーマだし、世界的にも意義が深いものだと思う。
 松友 原爆展でも、いまの朝鮮で戦争をやるという問題があるが、かつてそれを阻止した運動があると衝撃を与えている。だからいまだに原爆を使わせていない。それは福田さんの路線だと話になる。55年の世界大会までにいく過程を意識的にこちらが持ちこんで、論議していくことが大事だと思う。広島でも東京でも「なんで下関からか」というところが論議になる。
 森脇 60年「安保」斗争でも「安保」共斗は全国で山口県が最高水準だった。敗北感で全国が解散したあとの、61年12月にレインジャー号入港阻止の斗争のころ、日和見主義がまんえんするなかで「広島と長崎」を書いておられる。民社党ができ中央から崩れたが山口県は残った。つぶしにかかってもいっしょに基地に押しかけた。
 林田 映画も見られるとあったが、小津安二郎の映画は人人の生活を丹念に描いているなと思う。戦前の『生れてはみたけれど』など。一般の多くの人が集まるようになってほしい。
 入江 ここまできてもう一度福田さんの文芸路線を学びなおさなければならない。第二の反修斗争をやって3月で4年になるが、長年来の修正主義の影響は根深い。人ごとではなく、自分たちが食うためと虚栄心のためなのかをはっきりさせなければならない。一番単純な、現実の運動にたいする感動、燃えるようなものがなくて、こうやれば作品になるとかいうのはダメだと福田さんは痛烈にいわれている。
 編集部 礒永秀雄は「極限のなかで鑑賞にたえる芸術」といった。「ぎりぎりのところに立ったらわが身の安泰」だったらつぶれる。苦しいときこそ自分のことだけでなく、大衆の利益から考えてやるというのでないと、戦争をやる権力にたちむかって勝利していく勢力にはならないということだと思う。自分の安全地帯を確保して戦争反対をいうのとぜんぜん違う。戦前つぶれた流れは戦後もつづいている。小泉政府がイラク派遣を決めるなかで、国内での弾圧態勢も段階を画し、裏切りの流れも恥知らずなものになっていく。人民に依拠して大衆の力を確信して奮斗努力するのでなければ、敵が恐ろしくなる。その辺は理屈の問題ではなく、行動、思想の問題だ。
 平賀 最初は職場にも独身寮にもA3判のパネルを持ちこめなかった。わが身を心配して、規則違反になるなどというのではダメだった。職場を解放するためにやらないといけないと思えば、みんながどんな反応するかの方が関心になる。福田顕彰運動でいえば、1人で著作集を読んで感心するだけでなく、もっと大衆的に広げていきたい。
 記念館で学んだ事を実践へ
 松友 この間発展させてきた運動の路線を体現した政治勢力、活動者集団が全国的に結集していったらすごいことになりそうだ。記念館は、全国からもやって来て、福田さんの路線、戦前戦後の人民運動の歴史を学んで、その方向を各地で実践するような勢力を育成する大きな武器になったらよい。
 今年は原爆展を無数にやりながら、「広島と長崎」とか、50年8・6などを学習する集団をつくりたい。下関から労働者の運動をつくることがもっとも重要だ。労働者のところで突破していく条件はそうとうできた。
 黒川 内部でいえば長周で出した「教育者の戦争責任」だ。口で戦争反対というだけでなく、教師の歴史的使命に立って戦争に反対する教育運動をつくらないと広がらない。毎日の子どもの目の前のことに追いこまれて「子どもをどうにかしないといけない」というより、どうしたらまっとうに子どもが育つのか、というところに立たなければいけない。そこがいけばいくと思う。
 犬塚 広島原爆展で『きけわだつみのこえ』がすごく売れ、パネルも注目された。若い人、学生も学んで受けつぎたいという。戦後「安保」斗争までいく過程では、峠三吉と「わだつみの声」が大きな力を発揮した。広島の役割が、イラク派兵、戦争というなかでひじょうに大きい位置を占めている。被爆市民の発言を広げるとともに、若い人人の結集をはかりたい。
 編集部 原爆展は下関から広島、全国に広がった。上関斗争も豊北につづいて突出した勝利の局面となり全国に大きな影響を与える。金子みすゞ、高杉晋作・明治維新も、平和教育も全国に大きな影響を広げつつある。イラク派兵をやめさせ、戦争を阻止する運動も、形骸化したものではなく、下関・山口県を拠点にして典型的な運動をつくれば全国に広がる。大衆のたたかう力を信頼し、大衆の生活と斗争に学び、その手助けをしていくという立場を堅持して、反米愛国の路線を鮮明にしていく、そのような新鮮な運動をつくるなら全国に大きな影響を広げ、情勢の転換に貢献できると思う。
 司会 この1年、さらに大きな勝利をめざして奮斗しましょう。

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