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8.6広島集会成功へ労働者の運動を
力ある原水爆禁止の大運動を
             峠三吉の時期の原点に返る    2003年7月17日付

 58年まえの8月6日と9日、広島、長崎に原爆を投げつけられ、瞬時にして幾十万もの罪のない幼老男女がむごたらしく虐殺され、生き残った人人も戦後つぎつぎに死んでいき、筆舌に尽くしがたい苦難を強いられてきた。人類史上もっともむごたらしい兵器である原爆を投下したアメリカは、一度たりとも謝罪することなく「戦争から人人を救うため」などといって開き直ってきたが、今日「核の先制使用」を公言してアフガン、イラクへの軍事攻撃、占領支配を強行し、朝鮮での緊張をつくり出し、「使える核兵器」と称して小型原水爆の開発に拍車をかけ、日本とアジアを原水爆戦争の火の海に投げこむたくらみをすすめている。小泉政府は憲法も投げ捨てて、アメリカの下請戦争に日本を総動員し、民族の根本的利益を売り飛ばしている。このようななかで、原水爆の製造も貯蔵も使用も禁止する力のある平和運動を再建することは日本だけでなく世界の平和愛好者の悲願である。広島を起点にした1950年の8・6平和斗争で火蓋を切られ世界的な運動となり、世界の誰にも「原爆を投下することが正しい」などといわせなくさせた平和運動の原点に返ること、それを否定しねじ曲げてきた親米のイカサマ潮流と一線を画すことが、大多数の広島市民の心からの賛同を受けている。被爆市民の願いを代表し、原爆投下者アメリカの犯罪と正面からたたかう、労働者、青年・学生、婦人、教師、文化・知識人などあらゆる階級階層が団結し、朝鮮・アジア・世界の人民と連帯した力ある平和運動の再建が急務である。

  抑圧突き破り行動開始した広島市民
 下関原爆被害者の会がJRの会場妨害などをはねのけて第1回下関原爆展を成功させたのは1999年の夏であった。その運動のなかで作成された「原爆と峠三吉の詩 原子雲の下よりすべての声は訴える」の原爆展パネルは、全国に普及され、2001年冬の広島における旧日銀支店の大原爆展が広島市民の大きな支持を受けた。昨年はこの運動のなかでできた「アメリカに謝罪を要求する広島アピール」署名が、広島全市で強い共感を受けた。年間をつうじた平和公園での展示をへて、今年は広島を代表するデパート福屋での開催となり、被爆した全広島市民の心からの賛同を得ている。パネルはこの間、山口、東京をはじめ全国千数百カ所の地域、学校、職場、街頭で展示され、衝撃的な反響を呼び起こしてきた。
 広島市民は既存の原水協、原水禁、被団協などの指導路線を、市内どこへ行ってもダカツのごとく嫌い、べっ視している。これらの既存組織は、広島でぬけ殻のような状態であり、まったく広島市民を代表していないのである。市民のなかで、原爆を売り物にし、私的な利得をはかるという評価が一致しており、市民が自由にものをいうのもはばからせているのだ。その広島市民が、無私の精神で身を犠牲にして突破した峠三吉の時期の運動と、その精神を今日継承する運動を、自分たちの運動として心から信頼し歓迎している。そして被爆の体験をいまこそ語らねばならないといって行動に立ち上がっているのである。
 広島市民が支持しているのは、峠三吉の詩と活動に代表される、朝鮮戦争をはじめた占領軍弾圧下の広島で突破した1950年8・6平和斗争の精神と路線である。それは原爆を投下された市民の苦しみや悲しみ、怒りを代表し、原爆投下者であるアメリカと平和の仮面をかぶったその手先と正面からたたかって、二度と原水爆が使われないようにする断固とした立場である。
 そして「戦争をやめさせるためにやむをえぬ投下であった」「生き残ったものは慈悲深いアメリカの行為に感謝しなければならない」といった戦後アメリカ占領軍がやってきた宣伝、近年では「広島は軍都だったから、悪いことをしたから落とされたのであり、被害をいうまえに加害責任を反省しなければならない」と、平和運動の看板をかけ進歩顔をした部分のなかから、原爆投下者・アメリカ擁護の主張をすることを心から憎んできた。

  『原子雲の下より』の様な教育運動へ
今年はまた、下関の運動のなかから生まれてきた「広島に学ぶ小中高生の旅」が、4回目を迎え、250人の子ども、教師、親たちの参加で、数十人の広島の被爆市民の体験と思いを学ぶとりくみとなっている。広島でも、近くにたくさんいる被爆者の生の体験と思いを聞かせなければならないという声は、被爆者のなかでも心ある教師のなかでも高まっている。それは「小さな人権ばかりをうるさくいって、大きな人権をじゅうりんする」「自分の人権だけ主張して他人の人権を踏みにじる」アメリカ型のインチキ教育ともかかわって、また自分中心の人殺しをもしかねない現状への危惧と合わさって、祖父母、曽祖父母である被爆市民の体験のなかから「困難のなかで人の痛みのわかる子、人を思いやる子、正しいことを判別し貫きとおせる強い子」、すなわち「安上がりなアメリカの下請兵隊ではなく、平和な社会の担い手を育てなければ」との思いをこめて、きわめて切実感を強めている。
 そして教師のなかでも、峠三吉が編纂(さん)した子どもたちの原爆詩集『原子雲の下より』のようなものが広島の平和教育の原点であり、その後そこから似て非なるものにすりかえられ、「加害責任論」とも合わさって「悪いことをしたから原爆を落とされた」などと被爆市民を冒。(とく)するような反平和教育になってきたことへの反省の声も上がりはじめている。

  被爆者も現役労働者の力結集を切望
 しかしそれ以上に被爆者の思いは、親たちの世代、若い世代に伝えることである。この社会を担う現役の世代が、被爆市民の思いを受けついで、原水爆戦争を押し止める力となることである。余命は長くなく、情勢は切迫しているのだ。
 1950年の、広範な被爆市民の願いを代表して、あらゆる弾圧も辞さずに敢然として原爆反対のたたかいの火蓋を切ったのは中国地方の戦斗的な労働者であった。その犠牲を恐れぬたたかいが広島の被爆市民に深い印象を残した。当時GHQがつくった総評はアメリカの朝鮮戦争を支持していた。さらに当時の共産党中央部も「アメリカ占領軍は解放軍」という見解を持っていて、共産党中国地方委員会が労働者とともに組織する原爆反対の斗争を激しく妨害していた。
 当時の労働者がどういう論議をしてこのたたかいを担ったか。当時1面全面を使ってはじめて原爆の惨状の写真を暴露した新聞「平和戦線」の責任者で、この運動を組織した本紙の福田正義主幹は、1962年に書いた「広島と長崎」という評論のなかでつぎのように書いている。
 「その年の7月25日に広島造船労働クラブでひらかれた中国地方青年代表者会議(全地方の労働組合青年部と民主的青年組織21団体、40数名出席)は、白熱的な討論ののち、いままでの活動のなかにある誤りを認め、@反帝反戦斗争を基本とし、日常的斗争はその一環であること、A経済主義的斗争をあらため階級的宣伝と国際連帯性を強化すること、B朝鮮民族解放斗争を支持する態度を明確にし、これを行動に移して共通の敵とたたかうことを決議している」と記している。
 現在、労働者のすさまじい困難のなかで、労働組合の停滞と腐敗堕落は目を覆うものがある。50年の8・6斗争からはじまって、平和、独立というような日本民族の命運をかけてたたかわれた60年安保斗争まで発展したが、その後政治斗争が弾圧され企業の繁栄に依存してパイを分け合う企業主義、経済主義がまんえん。自分たちの利益のためには大多数の勤労人民の利益をも踏みにじる、体制の枠のなかで安住する労働貴族層がはびこって、戦前と同じ産業報国会のようになってきた。
 そして今日、アメリカとそれに隷属する日本の独占資本集団による「グローバル化、自由化、規制緩和」の攻撃のなかで、倒産と失業があふれ、大多数の労働者が低賃金と権利はく奪に呻(しん)吟する状態となっている。アメリカが日本をはじめ世界市場を支配するための最大の武器が史上最悪の兵器・原水爆にほかならない。労働者はアメリカの支配、とりわけ原水爆に反対するたたかいを、企業をこえ、産業をこえ、全国的に団結し、また農漁民、中小商工業者、勤労市民などと団結し、さらにアジア、世界の労働者、各民族との国際的な連帯を強めてたたかわなければ、身を起こすこともできない。
 今年、青年、学生、労働者、サラリーマンなどの現役世代が、峠のパネル、原爆詩集、さらに50年8・6平和斗争の教訓を描いた「広島と長崎」などに新鮮な共鳴を寄せている。峠のパネルが多くの労働者の職場で展示されてきたのも今年の新しい特徴である。原爆が戦後のアメリカの日本への植民地的な支配のはじまりであり、日本人民の苦難のはじまりであること、原水爆に反対する政治斗争をこそたたかわなければならないことなどが、感動を持って考えられる状況が広がりはじめている。それが平和の力として組織され、斬新な政治集団が形成されることが求められる。

  峠の詩業を普及し力ある芸術運動へ
 1950年8・6平和斗争は、峠三吉に代表される文化・芸術運動をともなって力強いものとなった。峠三吉はすぐれた原爆詩集をあらわして人人を激励し、それが平和への強力な武器となった。峠の芸術観は「かつて山上に奏でられていた孤独な自我の歌は、すでに寂しいつぶやきのように薄れて、いまや歌が途絶えざるためには人民の魂が鳴り出ねばならないときが来た」というものであり、「芸術は人間のためにある。人間の世界が危機に曝(さら)されるとき、人間が心に持つもっとも美しきものの結晶である芸術は人間の敵に対するもっとも鋭利な武器となってかざされねばならぬ」という、人民への燃えるような愛情と人民の敵への憎しみをこめて、新しい時代意識を代表した戦斗的なものである。
 この峠三吉もまた死後、さまざまな政治勢力から迫害、攻撃されてきた。とくに大衆が読んでも訳が分からないものを書いて自慢しているような、飯を食うためと虚栄心のための商業主義にいかれた文壇・詩壇の俗物文士どもからさんざんねじ曲げられ、黙殺されてきた。それは広島の平和運動の変質と同一歩調をとってきた。ふたたび原水爆戦争の危機が接近し、「人間の世界が危機」にあるとき、平和運動を力のあるものにするには、峠三吉の詩業を広く普及するとともに、峠三吉のような大衆への燃えるような愛情と人間の敵にたいする憎しみに燃えた、力ある文化・芸術の運動が起こらなければならない。
  
  真実を語り知識人が役割を
 知識人は御用学者がはびこるなかで、なによりも広島の被爆市民をはじめ広範な人民大衆の平和への願いや行動と結びつきをもち、その役に立つというのでなければ、知識人の使命ははたせない。知識人が真実を語ることは、学生を教育し、平和の力にするうえで役割は大きい。

  朝鮮民族との友好・団結・連帯が不可欠
 50年8・6平和斗争では、在日朝鮮人が大きな役割をはたした。広島では朝鮮人も多数が被爆した。当時原爆に反対することは、朝鮮戦争においてアメリカが原爆を使用することに反対すること、朝鮮民族の民族解放斗争を支持し、連帯することが重要な課題であった。今日小泉政府が朝鮮への排外主義をあおり、有事法制、米軍の下請軍隊として自衛隊の海外派兵など、戦時国家体制を急ぐなかで、朝鮮民族との友好団結、なかでも在日朝鮮人、韓国人の戦争反対・原爆反対の運動と団結することなしに戦争を阻止し平和を守ることはできない。
 この問題でも、かつての朝鮮侵略への反省だけを主張して、日本民族も朝鮮民族も共通した課題としてアメリカの原水爆戦争に反対して団結することを妨害する流れがあった。原爆で受けた広島、長崎市民の惨状と苦難は、朝鮮人であれ、中国人、アラブやヨーロッパ、アメリカ人であれ、ならず者のような反動支配層をのぞくすべてのものが、みな共有するものである。
 朝鮮民主主義人民共和国・北朝鮮をめぐる原水爆戦争の危機は日本にとって深刻な問題である。拉致問題は、許しがたい犯罪であるが、肉親を思う心は、日本人も朝鮮人も同じである。それを話し合いで友好団結の関係を築くことで解決するのでなく、排外主義と原水爆使用も辞さない戦争という法外な人殺しのために利用するのは、日本民族としての誇りを捨てることであり、朝鮮民族だけでなく日本民族にたいして、もっと大きな犯罪である。
 世界にあるすべての原水爆兵器は完全に廃絶されなければならない。そのためには、自分はおびただしい原水爆を保有し、新型原爆までも開発しているアメリカが、よその国は持つなといっても廃絶することはできない。イラク戦争でも、放射能をばらまく劣化ウラン弾のような大量破壊兵器を保有し使用したのはイラクではなくて米軍であった。アメリカがやることはみな正義という基準が狂っているのは明らかである。だれがみても原水爆はアメリカが圧倒的に保持しており、それを実戦で使用したのはまえにもあとにもアメリカだけであって、アメリカが廃棄しなければ世界の原水爆兵器を廃絶することはできない。
 アメリカは「悪の枢軸」といい「大量破壊兵器を保有している」といって、圧倒的な兵力を持ってイラクのフセイン政府を瞬時に倒壊させた。北朝鮮もまた、日本を侵攻、支配する意志も力もないことはだれが見ても明らかである。アジアの隣人とは友好・団結することが日本民族の利益であり、いわんやかつての朝鮮侵略からしまいには太平洋戦争にすすみ、朝鮮、アジアの人民に筆舌に尽くしがたい苦難を強いたうえに、1000万人が徴用され300万人が殺され、日本中は焼け野原とされて日本人民が受けた惨禍の経験を思い起こすならなおさらである。アメリカの口車に乗って排外的なヒステリー・キャンペーンをやることこそ、日本人民にとってきわめて危険なことである。

  原水爆禁止8月広島集会に大結集を
 原水爆禁止全国実行委員会が、1950年8・6平和斗争の路線を継承して、この1年全国各地で峠の原爆展をとりくみ、「広島アピール」署名をすすめ、広島全市民の期待を集めてきた。今年の8月6日、アステールプラザで平和集会を開催する。この集会を成功させ、原水爆を禁止する平和運動を力のあるものとして再建することが期待される。

★58年まえの広島、長崎の原爆投下の惨状を伝え、広島、長崎の被爆市民の本当の声を若い世代に、全国、世界へ広げよう。
★戦争の終結には必要なく戦後支配という利己的な目的のために広島、長崎に原爆投下した犯罪についてアメリカ政府に謝罪を求める。
★有事法撤回、イラク派遣法撤回、アメリカの下請戦争への参戦を阻止しよう。
★世界中からすべての原水爆兵器の製造、貯蔵、使用の禁止を要求する。そのためにはアメリカが率先して原水爆を廃絶しなければならない。
★労働者を中心に各層人民が全国的に団結して平和の力を大結集しよう。
★朝鮮、アジア、全世界の平和愛好者との国際連帯を強めよう。
★峠三吉が活動した1950年8・6平和斗争の原点に立ち返って原水爆反対の運動を再建しよう。

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