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 「被爆市民と戦地体験者の思いを結び、平和な未来のために語りつぐ」をスローガンに、広島市まちづくり市民交流プラザで開かれてきた広島「原爆と戦争展」は7日、閉幕日を迎えた。6日間で参観者は2500人に及び、広島市民をはじめ、全国からの参観者、とくに若い世代が多く訪れた。体験者たちは第2次大戦の凄惨な体験を語り、「久間発言」とかかわって原爆投下の目的と、アメリカに単独占領された戦後社会を見直す論議が発展した。戦後62年たった今日、目に余る社会荒廃への怒りとともに、アメリカの下僕となってふたたび戦争をくり返す事態まで来ていることについて世代を超えた論議が広がり、行動を求める若い世代を中心に146人が新たに賛同協力者となった。

 行動を求める全国の参観者
 原爆記念日を頂点に、会場にはぞくぞくと参観者が詰めかけた。被爆市民、戦争体験者をはじめ、医療関係者、労働組合などの団体、東京、新潟、愛知、大阪、四国などからの学生の集団、教師や大学教授、外国人などが訪れた。被爆、戦争の真実に触れるなかで、認識の変化や戦争阻止に向けて行動を求める声が相次いだ。
 原爆で4人の家族を失った70代の男性は、腕に残るケロイドの痕を見せながら、「日本人はアメリカの奴隷になるな!といいたい」と語気を荒らげ、「私も戦後、ABCCに強制的に引っ張られ、胸から骨髄液を抜かれた。私たちはアメリカへの怒りは消えることはないが、浜井市長時代からアメリカを批判するなという圧力がかかりはじめ、広島の平和運動から怒りは消され、“過ちはくり返しません”になった。アオギリ、三輪車、折り鶴だけでは平和はこない。原爆投下の犯人、戦争の犯人を追及することをやめれば必ず戦争をくり返す。だが、国も市も、ほとんどの平和団体もそこに踏み込もうとしない。それをはっきりやっているのがいい」と共感をのべ、夫婦で「アメリカに謝罪を求める」署名を記した。
 東京から子どもを連れてきた40代の男性は、「これまで戦争の悲惨さは知っても、結局はアメリカのおかげで日本は豊かになったといわれてきた。だがアメリカがアジア支配の目的で呵責なく残虐な殺戮をやったということは隠されてきたと思う。日本の上層部も戦争末期からアメリカに協力して国民を殺したことを知り、いまの安倍首相のやり方も単なる戦後生まれのボンボンだからということではなく、完全にアメリカの代理人として政治をしているのだと思った。この展示は、これまでのフワッとしたウソが吹き飛ばされる」と衝撃を口にし「国民保護法なども国民の知らないところで勝手にすすめられているし、戦前と似ていると思う」と語り、賛同者となった。参観者は日日増え続け、体験者との熱気のこもる交流の輪が広がった。

 確信胸に更なる発信へ 閉 幕 式
 最終日、いまだ参観の続くなかでおこなわれた閉幕式には、とり組みを担った原爆展を成功させる広島の会の被爆者、戦争体験者をはじめ、参観者たちも列席し、日を追って盛り上がっていった同展の成果を全員で確認した。
 共催した下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長からは、平和運動の担い手となる現役世代、若い人が運動に参加してきたことが「被爆者にとって限りない喜びであり、伊藤前長崎市長の銃殺、久間前防衛大臣の暴言、アメリカ政府高官の原爆投下正当化発言などのいかなる圧力もはねかえして、私たちの運動が前進していることへの深い確信」であり、これを新たな出発点として、広島、長崎との絆をさらに深めて奮斗するメッセージが寄せられた。
 連日、会場で被爆体験を語った真木淳治氏は、「まず、朝早くから献身的にやってくださった下関のみなさんに深甚の謝辞を申し上げたい」と感謝をのべ、「この原爆と戦争展は、今年の宇品、呉、広島大学、修道大学、大竹での原爆展の総仕上げとして意義深いものになった。大学生のグループや子どもを連れた若い親たちが高い問題意識で意欲的に学びにこられ、話す私たちにも熱が入った。若い世代の可能性に希望を感じた」と喜びを語った。
 「今回の成果を顧み、来年にむけこの活動をより以上にがんばりたい。語っていけば変わっていくのだということを確信し、これからも発言し続ける」と決意をのべると、会場には強い共感の拍手が鳴り響いた。他県から来た参観者からも感想と感謝がのべられ、この間の成果を喜び合いながら、運動をさらに発展させていくことを誓い合って閉幕した。

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