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−小中高生平和教室−
母親達の愛情受止める子供達
                ゴミ袋値下げの会の婦人招く      2005年4月7日付

 小中高生平和の会(代表・今田一恵/中高生代表・古閑歩、伊藤晃広、古川理郁)は3日、第31回平和教室を開いた。「みんなのために頑張っているお母さん方に学ぼう!」とのテーマでおこなわれた今回は、下関でゴミ袋値下げの署名を10万人集め、ひきつづき市民のために、運動を広げている「有料指定ゴミ袋を値下げさせる会」の婦人4氏を招いて話を聞いた。子どもたちは被爆者、戦争体験者に学んできたことと重ね、婦人たちが自分のためではなく下関市民のため、子どもたちのために奮斗している姿に心を動かし新鮮に受けとめた。また婦人たちのパワーは参加した教師にも大きな感銘を与えた。この日は下関を中心に、宇部、防府、萩、北九州から67人の小・中・高校生と教師や親26人が参加し会場全体が元気にあふれたものとなった。

  教育アンケートの話も
 午前中は体育館で4チームに分かれてドッジボールと長縄跳びで交流した。はじめて参加した小・中学生もすぐに集団のなかになじんで、班ごとに教えあいながら時間を過ごした。午後からはからと会館で「有料指定ゴミ袋を値下げさせる会」代表の西岡文子氏をはじめ4人が子どもたちの前に並んだ。会場にはゴミ署名運動や教育アンケートのパネルが展示された。
   
  「人の輪の力」強調、10万人署名を担った婦人達
 はじめに西岡氏がゴミ袋値下げの署名運動のきっかけと経過を話した。看護の現場に立つ西岡氏は、「お年寄りの在宅介護をしている仲間たちが、一日200円の食費がやっとで生活がたいへんだというお年寄りの生活状況をまのあたりにしていた。また若い看護の仲間たちのお父さんの給料が入ってこなくなったり、遅れたりと生活がたいへんになっている。そんな人たちにとって50円のゴミ袋は高い。そのようななかで一昨年6月に署名運動を展開しはじめた」とのべた。
 西岡氏はこれまでの運動の経験から5つのことをのべた。署名運動は一行一行を埋めていくことの結集で10万人という署名になったこと、「これは“人の輪の力”だということ、これから仲間と力を合わせて手をとりあって目的を持って生きていただきたい」と語りかけた。また運動をとおして、これまでいいたいこともいえない下関の市民が多かったが、署名活動を広げるなかで勇気を出していうようになったこと、「みなさんも自分の考えをはっきりいうことが大事で、自信を持っていえる勇気がいる」とのべた。
 また「いいと思っていたことでも失敗はある。そんなときには素直にごめんなさいといえる優しさがたいせつだと思うし、失敗を恐れないでほしい」とつけ加えた。「つぎに目標を持つこと、署名運動ははじめから10万人を目標にしてとりくんだ。それを市に提出して変えてもらうことだったが、それはかなわなかった。しかし目標は持ちつづけていこう、弱い人たちにだけでも安くすることも考えてもらいたいと思った。10万人を集めるのはたくさんの人ががんばった人の輪の積み重ねです。きょう一日を努力することがたいせつ」とのべた。

  先輩の戦争経験も重ね
 そして人生経験をふまえて人との出会いのたいせつさについてつぎのように語った。「わたしははじめに下関市立中央病院に就職したが、もっと勉強したいと思い名古屋大学に就職した。これまで変わらず持ちつづけてきた看護観はこの名古屋大学での出会いでできた。そこで出会った先輩看護婦たちは戦争経験を持っており、90%以上の方が結婚しておらず、8人の寮生活をしていた」という。
 先輩たちは戦時中、野戦病院で仕事をし“あすには敵が攻めてくるので、すぐに逃げてください”と指令があったとき、動かせない患者がいるなかで、看護婦は競ってその場に残ること、つまり何十人の患者といっしょに死ぬことを選んだという。後ろ髪を引かれる思いで、逃げた先輩たちは爆発の音が聞こえたので引き返すと仲間の看護婦と患者が10人ずつぐらいがぎゅっと抱きしめあったまま手榴弾で死んでいたという。「“だからわたしは結婚もしません。看護の道でその人の分も生きつづけます”という話を生活のなかで教えられた。それでわたしは看護師としてみんなのために市町村合併した30万の市民のために命をかけていきたいと、少しでもいい社会を子どもたちに残してあげたいと思った。それは看護のなかで学んだ戦争体験、一つの出会いが心の財産として残っているからです」としめくくった。
 つぎに運動を担ってきた太田和子氏がゴミ袋値下げの署名用紙を子どもに見せながら、「いろんな力を借りながら10万人の署名を集めたことに拍手をしてください。そしてこれからのあなたたちに担っていってほしい。自分たちの住みよい町にしてほしい」と語りかけた。
 5歳で母親を10歳で父親を亡くし、叔母に育てられたこと、「この世のために自分が生まれてきてなにができるか、60年以上生きてきて一人では生きられない、みんなの手を借りて生きてきてお返ししないといけないと思った。みんなそれぞれ役割があって生まれている。生んでくれたことに感謝してほしい」とのべた。

  苦労した事など子ども達から質問
 子どもからの「署名運動で一番苦労されたことは?」という質問にたいしては、「苦労はありません。みなさんが身につまされて動いた」「病院に預けると院長がストップしたり、スーパー前では市長に悪く見られたらいけないからと、させてもらえないところもあった。その苦しいなかでも“個人でやります”という人や、“単独の自治会でやります”とみなさんからパワーを見せていただいた。あらゆる手を使ってあらゆる妨害がありました。ある意味、署名活動というのはたたかいでもあります。苦労を楽しみながらみんなががんばりぬいた」とのべ、苦しんでいる人たち、そして仲間たちと苦労にたちむかい支えあいがんばったと語った。
 また「江島市長は署名にたいしてなんといったのですか?」という質問には「いい質問ですね。“絶対下げません。いずれ日本全体がそうなります。10万持ってこようが、20万持ってこようが変わりません”といわれました」と答えた。また今後、ゴミ問題、教育問題、商店街の問題、建設業者の問題、郡部の問題などで討論会を展開していくと運動の方向ものべた。
 下関のゴミ袋を子どもたちに見せると、他市の子どもたちが「ぼくたちのところは下のビラビラはついてない」「なんのためについているの」「意味がない」と口口にいっていた。だんだん婦人たちと子どもたちがうちとけながら進行した。

  教育環境改善の行動も熱こめ報告
 この日参加した子どもたちの多くがいまだにアルマイトの食器を使用しているため休憩時間には下関や宇部、防府、北九州の子どもたちが美祢市の耐熱性の食器をさわったりながめたりしていた。その後2人の母親が教育アンケートについて語った。「ゴミの署名で一件一件回ったときに、ゴミ袋のことだけでなく教育にたいするご意見もたくさん出されたことがきっかけで、下関の勇気あるお母さんたちが立ち上がりました。一カ月半ぐらいで旧市内50校すべての学校からお母さんお父さんのたくさんの声が寄せられた。この活動は子どもたちの環境がよくなるまで、ずっとつづけていこうと思っている」とはじめにのべた。
 これまでどこにもいうところがなく、ずっと友だちと愚痴るだけだったが、アンケートの集計作業のなかで教育予算が毎年10%削減されていること、使用禁止のトイレがずっと放置されていたり、サイズの合わない机や穴のあいた机を使っていたり、持つと熱いアルマイトの食器で給食を食べていたりと下関の子どもたちがたくさん不便な思いをしていることを多くの母親が書いていたことを語った。
 アンケートのなかには「子どもは国の宝、下関の宝です。たいせつに育ててください」という母親の声があり、「お父さん、お母さん、学校の先生たちが“宝”だと思ってみんなをたいせつに一生懸命育てているのに、教育の環境がいまみたいに悪いのは絶対におかしいと思います。宝物である子どもたちのために目に見える形で一つでも環境をよくしてほしい」と熱をこめて語り、子どもたちにたいする愛情が伝わってきた。最後に「どの子も同じように安心して勉強して、給食を食べてほしいというのは大人の願い。大人が声を一つにして、心を一つにして市に届けていきたい」としめくくった。
 
  “トイレ直りすごい”子供たちが感想・自分の母の姿重ね
 その後おこなわれた感想発表では、「お母さんたちがわたしたちのためにこんなにもがんばっていることを知りました」(文関小女子)、「わたしたちの学校のトイレがなおっていたのですごいと思いました」(名池小女子)など感謝の思いをのべたり、子どもたちのために困難にたちむかって奮斗する婦人たちの思いを知り、自分の母親の姿と重ねて「わたしのお母さんも苦労して働いています」と母親への気持ちを口にした子もいた。
 また「下関の人が値下げしてほしいといっているのになんで値下げしないのかなと思いました」(小学2年男子)という防府の子や、「ゴミ袋に値段があることをはじめて知った」「ゴミ袋の値段はどこも同じだと思っていた」と率直な感想を語った。
 また自分たちの生活経験と重ねて、「美祢市のきれいな食器を見てびっくりした。ぼくもきれいな食器で食べてみたい」「がたがたの机でなく、穴のあいていない勉強しやすい机にしてほしい」と各地の子どもたちがつぎつぎとのべたことは特徴だった。
 子どもの感想を笑顔でうなずきながら聞いていた太田和子氏は、「みなさん全員が思ったことをいえたことがすばらしい。これで日本、下関は大丈夫だと思いました」とのべた。アンケートをとりくんだ母親は、「子どもたちのほんとうの気持ちを聞いて、子どもたちもトイレのこと、食器のことなどいう場がない。この願いを絶対に実現したい」と運動に確信が持てたと語っていた。
 参加した中学校教師は、「下関の宝である子どもたちをしっかり教育したり教育環境を整えたりするのは教員の役目なのに“しかたがないよね”の一言でかたづけていた自分がとても情けない。もっとわたしたちが後押しをしないといけないし、ときには矢面に立たないといけないと思った。まずはアルマイトの食器がなんとかなるように声を大にしていきます」「姿勢を正された。防府でもこのような運動を起こしたい」(小学校教師)と教育環境をよくしていこうと行動している母親の情熱に衝撃を受け、教師の役割について語っていた。

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