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平和の願いを力強く発揚
没30周年記念礒永秀雄詩祭
             全国から世代超え850人参加   2006年10月9日付

 戦後日本人民の魂をうたった優れた詩人・礒永秀雄の没30周年を記念する、「礒永秀雄詩祭「 が8日、下関市の海峡メッセ下関・4階イベントホールで盛大に開催された。詩祭には山口県はもとより新潟、富山、神奈川、大阪、京都、岡山、鳥取、島根、広島、愛媛、徳島、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、沖縄の19府県から、小・中・高校生、大学生、父親や母親、また年配者は80代、90代まで、合計850人の広範な人人が参加。下関市内を中心にポスターが貼りめぐらされ、当日券入場者も100人を超えた。しかも舞台の演目である詩の朗読や劇、紙芝居、合唱、ペープサートから、展示部門の絵や書、子どもの感想画の出品までの多彩なジャンルがアンサンブルを奏で、まさに大衆自身の手で礒永秀雄の世界を描きあげ顕彰するという画期的な詩祭となった。参加者は心を揺さぶる深い感動をアンケートにつづったが、「このような催しをぜひ続けてほしい「「礒永作品をもっと多くの人へ、とくに子どもたちへ伝えてほしい」との願いを多くの人が記している。
 この日、午前9時を過ぎると、ぞくぞくと、舞台出演者や展示コーナーの出品者が会場に集まり、あちこちから朗読などを練習する声が響いてきた。舞台出演者はこの日に向けて、それぞれの演目の練習を入念に積み重ねてきた。展示コーナーでも、1年がかりで練り上げられた絵本原画や、19時間の授業時間を使って礒永童話を読み製作された子どもたちの切り絵作品をはじめ、どの作品も力を込めて準備されたものであった。どの出演・出品者も満を持して、この日がくるのを待っていた。
 司会が午後1時に開会を告げると、はじめにこの詩祭の13人の呼びかけ人を代表して、旧駱駝同人のスヤマ・ユージ氏が挨拶に立った。スヤマ氏は、「詩人とは、その優れた詩業のゆえに没後世の人から与えられる栄光の呼び名」といい、多くの人人に役立つ詩をめざした礒永秀雄が、亡くなって30年たった今、まさに「詩人」という栄光の呼び名を与えられるにふさわしい存在になったことが証明されていると強調した。
 次に礒永秀雄の長男・礒永天志氏からのメッセージが紹介された。天志氏は「詩とは歩きながら、働きながら、行動しながら、その中から生まれてくるものだ」という父・秀雄の言葉を紹介しながら、その生き様が共感を呼び、盛大な詩祭となったことに感謝の気持ちをのべた。また、旧駱駝同人で元日本現代詩人会会長の磯村英樹氏からも、没後30周年で持たれる詩祭に期待をこめたメッセージが寄せられた。

 人生重ね詩を朗読 戦争体験者の心の叫び・若い世代に託す
 続いて舞台で詩の朗読が始まった。1番初めに登場したのは、かつての戦争で兵士としてインパール作戦に参加、九死に一生を得て日本に帰ってきた経験を持つ西田政治氏(88歳、宇部市)。礒永秀雄の「八月の審判」を力強いはりのある声で朗読し始めた西田氏は、「八月が審判にやってくる」と読んだのち、その場で敬礼。60余年前の、あの凄惨な戦場に帰ったようであった。「死にとうナカ」「茶碗で米のメシが喰いたい」「帰りたい、帰りたい、日本に帰りたい」というセリフは、西田氏の戦友が実際に発した言葉であった。西田氏は、日本に帰ったときの「僕の眼を射たものはすばらしい日本の野山の美しさだった」という言葉に心を込め、「しかし僕は生き残っている。臆面もなく生き残っている」というところに現在の思いを重ねた。
 次に、戦争当時、本土決戦首都防衛陸軍水上特攻隊員であった、黒田義清氏(80歳、愛媛県松山市)は「十年目の秋に」を朗読した。舞台の椅子に座りゆっくりと詩を開いて「近道なら/あなただ/あなたの声だ」と静かに読み始めた黒田氏の朗読は、「天皇……あなたの心にもなかったという/〈玉砕命令〉……私たちは片唾をのんで聞いた/真暗な思いで聞きとどけた」のところからは押さえがたい憤りの感情が伝わる。「汚された富士のかなしみをこめ/かえらぬ人々の願いをもこめて/私は希う 私は求める……平和の願いが必ずいくさを退けうることを」という言葉の1つ1つに、平和へのゆずれぬ思いが爆発した。
 戦争体験者が読む礒永の詩は、礒永と同じ戦場の死線をくぐった体験を持つ読み手自身の魂の叫びであり、次の世代に託す願いであった。会場は水を打ったように静まり返り、年配者も子どもたちも、朗読をする体験者の思いを受けとめ、あちこちで涙する声が聞かれた。
 次に登場したのは下関市民の会の婦人や男性、子どもら12人。舞台中央にもちつきの臼を持ち出し、お父さんが鉢巻きにたすきがけで杵をふりあげ、割烹着のお母さんが餅をこねるという演出のなか、「さて」を群読した。ようやく年が越せた正月。年寄りにも子どもにも思いやりを持ち、家族が支えあって、「人間太鼓の行列作って/歩いていこうな 胸を張ってな」と、困難に負けずに生きる庶民の力強さを演じた。
 続いて旧駱駝同人の西村謙氏が「礒永秀雄の思い出」について意見をのべた。西村氏は、生涯礒永とともに歩もうと思ったのは、なんでも受け入れてくれるような礒永の笑顔であり、そのなかにある彼の純粋な生き方である、とのべた。そして、「詩とはなにか」と問いかけ、「礒永に“詩と革命とどっちが大事か”と聞けば、“それは革命だよ”というだろう。権威主義、権力者に対して革命をしなければならない、というのが彼の考えである。わたしたち駱駝のメンバーも、現在のファシズムに対してはたたかわないといけないと決意している」と発言した。

 紙芝居、合唱、劇も 礒永の教え子も出演・多彩な魂の交流
 次に舞台にあがったのは小中高生平和の会の約80人のメンバー。毎月開いている平和教室で礒永作品に親しんできた平和の会は、この日に向けて礒永童話「鬼の子の角のお話」を紙芝居にしようと、童話を読み分担して絵を描くところからとりくんできた。平和の会の小・中・高校生は、舞台のスクリーンいっぱいにみんなで描いた17枚の紙芝居の1コマ1コマを大きく映し出し、大きな声で物語を読みあげた。
 生まれた子どもに角がはえないことに悩む鬼の夫婦の悲しみ。それを聞いて、シカやウシ、イノシシ、たけのこまでが自分の身を差し出して子どもの角に使ってもらおうとする。それを見て、自分たちだけがよい生活をしようとした鬼の夫婦は反省する。願いが届いて子どもに角が生えてきたときの喜び、村の鬼たちと仲良く暮らすようになったことを、絵と朗読で、生き生きと伝えた。最後に全員で紙芝居を持ち、「雨だれの子守歌」を合唱した。
 萩市からは萩朗読の会の教師たちが、小学生と一緒に16人で登場。数年前から礒永童話を朗読劇にして披露してきたが、そのなかで生まれた曲「おんのろ行進曲」「桃の木の子守歌」をみんなでうたった。最後に、礒永の詩「さて」から生まれ、現在も学級の愛唱歌としてうたっている「人間太鼓」を元気よくうたった。
 続いて礒永の光市・室積中学校時代の教え子を代表して、河野伊和氏が「恩師礒永秀雄の思い出」を語った。河野氏が室積中に入学したのは終戦直後の昭和23(1948)年で、学舎は旧光海軍工廠の工員宿舎であったこと、そのときの楽しい思い出や、結婚式のとき礒永先生から父母を顧みよとそっと教えてもらい、父母に感謝の念がこみあげたことなど、礒永の人となりを心をこめて語った。そのあと礒永の教え子と光市からの参加者が、まるで小学校時代に返ったように大きな口をあけて、礒永作詞の「室積中学校校歌」をうたった。
 かわって、下関市の長府高校3年・平山香澄さんが「ゲンシュク」を朗読した。力強い声で、「それだよってその時先生が言ったわ/ゲンシュクって1つの死を前にして何かを心に誓う状態だって/この世の中ってあんまりゲンシュクでないのね」と堂堂と読みあげ、現代の青年の葛藤を表現した。

 被爆者や旧駱駝同人も出演
 広島市からは松田政榛氏が登壇し、「虎」を朗読した。松田氏は、第2次大戦中は兵士として中国戦線を体験。再召集で硫黄島に向かう途上、米軍の爆撃にあって船は沈没、太平洋上を漂流したのち、療養で戻った広島でアメリカに原爆を投げつけられた。「友よ/君のその黒い縞も/黄色い皮にあてられた焼ごての跡ではなかったか/白い天の とてつもない白い天が/焼きつけた屈辱の印ではなかったか」。それは、松田氏自身の体験に根ざした、真実の叫びであった。
 朗読が終わると、舞台には秋の月夜のイモ畑が持ち出された。秋の虫が盛んに鳴いているなか、タヌキとタコの人形が登場。下関市の会社員有志によるペープサート「アオイ貝の歌」である。コミカルなやりとりのなかに、お姫さまにタコの生んだアオイ貝を届け、「国中の人たちに見かけや古い考えで弱い者をいじめないようにいってもらおう」という温かさを演じた。
 次に「ただいま臨終!」の朗読を、劇団はぐるま座の鬼池規理子氏がおこなった。「衆をたのむな/おのれを焼きなおせ」「一瞬の仕事の連続こそすなわち永遠」と、みずからの生き方を問い直すように読んだ。
 長門市の母親と子ども、教師18人は、劇「花咲く桃の木の下で」を演じた。父親が死に、村人にいじめられ、赤ん坊をおいて服毒自殺をはかろうとするお母さん。それをカラス役の小学生男子が「やめるんだー!」と叫んでとめる。赤ん坊を助けようと走るお母さんを、レンゲや菜の花のお面をかぶった小学生女子が「お母さんガンバレ」「早く、早く」と応援する。出演者は「練習を積むたびにみんなの心が1つになった。きょうは演じながら泣いていた。礒永さんの心を1人1人が感じることができた」と話している。
 続いて下関詩を朗読する会「峡」の川原孝雄氏が、礒永秀雄作品に学んでつくった自作の詩「八月…六一年目の夏」を朗読した。戦争体験のない戦後世代が、戦争体験を受け継ぐ決意を込めた。
 第1部の最後は、旧駱駝同人の小野静枝氏。礒永秀雄の「一かつぎの水」を、力まず、凛とした姿勢で朗読した。「ただ黙々とかげひなたなしに/きびしい奉仕に生きている/あなたたちこそ人民の中の人民」という詩は、実直に生活する人人を励ましている。

 未来担う決意溢れ 礒永秀雄の芸術と精神・全国化を切望
 休憩をはさみ、第2部の冒頭、劇団はぐるま座が朗読劇「四角い窓とまるい窓」を演じた。
 日本の東北を思わせる、山深い働き者の小人の国に、ジャズを鳴らして青い眼の王子がやってくる。彼はなんでも望みの物をやるといって、まるい窓から見える「美しいお姫さま」「お菓子のお城」「すてきな車」でだましたが、実は王子は、小人たちを食べようとした魔法使いのおばあさんだった。それを見抜いた親のない貧しい兄弟は、次次と村人を後ろにひっくり返して魔法をといていく。魔法からさめた小人たちは、「自分たちの四角い窓を、つくづく美しいなぁと思ったのです」というこのお話、日本の今の状況とまさにぴったりとくると感想が寄せられている。
 舞台は原爆被害者の会の朗読「核をかついで去れ」に移る。はじめに窄頭アキ子氏が「昨年の原爆と下関空襲展で、原爆と全国の空襲や沖縄戦、戦地の体験はひとつながりのものであることがわかった。礒永さんの詩には戦争の苦しさ、悲しさ、辛さとともに、命と平和の尊さ、戦争をひき起こす者への怒り、再び原爆や戦争を許さない決意があり、私たちの思いと深く響きあい通じあう」と挨拶。小西好美氏が被爆者としての悲願を込め「人間の怒り、民族の怒りだ」と、「核をかついで去れ」を朗読した。
 次に下関詩を朗読する会「峡」の野村忠司氏が、自作の詩「真金はいかばかり」を朗読した。野村氏はしばしば会場の大きな礒永秀雄の写真を見上げながら、20年後の没後50周年で礒永秀雄がよみがえり、「みなさんの真金はいかばかり」と問うている場面をうたいあげ、みずからの堅い決意とした。
 長崎県の山口八郎氏は「前へ」を朗読。山口氏も戦争中は兵士として、中国戦線での体験を持つ退職教師である。山口氏はこの詩を20年間座右の詩とし、「民衆 ただ民衆であることへの誇り」を思いを心を込めて朗読した。
 福岡県から参加している、美術グループあらくさの桑原嗣子氏は、「礒永さんから受け継ぐもの」と題し、礒永童話を絵本原画にあらわした経験から、現代にこれほど多くの人人をひきつける礒永秀雄の芸術路線を受け継ぐみずからの決意を発言した。
 プログラムの最後に、平和の会の小・中・高校生ら約100人が登壇。会場の子どもたちとともに元気いっぱいに「夜が明ける」を群読。子どもたちが「まだまだ足りぬ人びとへのあつい思い」「太陽との対面の姿勢で/きょう一日は/はっきりと/きまる」と、戦争体験世代からバトンを受け継いで未来を担う決意をあらわした。
 最後に、元下関市中学校PTA連合会会長の海原三勇氏が閉会の挨拶に立ち、「これからみなさんとともに手をとりあい、35周年、40周年と、さらに礒永秀雄の芸術を広げていきたい」と結んだ。
 「没30周年記念・礒永秀雄詩祭」は、年がたつにつれて礒永秀雄の詩業がますます広範な大衆に支持されており、礒永の作品が現代にひじょうに大きな生命力を持っていることを証明した。礒永秀雄の作品は平和の力を激励し、戦後失われてきた、本当の日本人の心を描いており、現代に広範な人人が求めるものである。今後、礒永芸術をさらに全国的に広げ、新しい文化運動の主体を形成していくことが切望されている。

        
                行動して創作
                              礒永秀雄長男  
礒永天志

 父・礒永秀雄没30周年を記念して、盛大な詩祭を開催してくださったことを心よりお礼申しあげます。
 父・礒永秀雄は生前「『詩人』という呼称は後生の人から与えられる称号だ」として本人は自らを『詩人』と名乗ることはありませんでした。しかし本日は「戦後日本人民の魂をうたう詩人」として紹介され、本人もさぞかし本懐を遂げた思いでしょう。
 父・礒永秀雄の詩作活動は第2次世界大戦終戦後、戦地から帰国した山口県光市室積の地で始まります。
 室積の役場に臨時職員で採用されたのを皮切りに、室積中学校、徳山高校、光高校の教諭を歴任しましたが、貧しい生活のなかにある喜び、悲しみ、憤りをそのまま詩にしていました。
 「詩とは机に向かって考えてつくるものではなく、歩きながら、働きながら、行動しながら、そのなかから生まれてくるものだ」といっていたのを思い出します。
 父・礒永秀雄の詩は「当人の生き様そのもの」です。そうした意味では、礒永秀雄の詩に感動する人は、当然彼の生き様にも共鳴を覚えるはずです。
 没後30年たった今「やはり偉大な詩人だったのだな」と、詩人としての礒永秀雄と、父としての礒永秀雄を重複させながら懐かしく思い起こしています。
 改めて盛大な詩祭を開催してくださいました関係者の皆様、ご参加くださった方方に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。


 < 開会挨拶 >    ”人々の心動かす詩人”
                   山口県防府市旧駱駝同人 
スヤマ・ユージ
 礒永秀雄に1度でも会ったことがある人なら、男性でも女性でも、あの澄み切った笑顔を忘れることができないに違いありません。それは、純粋な心から、自然にわきおこる笑顔です。その純粋さが、いのちを愛する優しさと、命を守るための厳しさとに、結びついているのが、礒永秀雄という人であり、同時に、その詩の根本にあるものです。その純粋さにとって、とりわけ許せないのは、表面では何もしないふりをしながら、悪い企みを内に隠している「まやかし」であり、そのようなものを見つけたら、その正体を鋭くあばかずにはいられないのです。生まれつきということもあるでしょうが、礒永秀雄の場合、親しいいのちが奪われていくのを目の当たりに見た、戦争の体験が大きな影響を与えていることは、疑いありません。自分のまわりに次次に起こったあの悲しみ、自分の身に重くのしかかったあの苦しみを、これから生きる人人に経験させてはいけない、という気持ちが、強い使命感になり、それに基づいた詩を作ることによって、戦後の活動を始めました。
 そういうわけで、礒永秀雄の詩は、いわゆる「現代詩」として、詩を専門とする少数の人人に喜ばれる形をめざしたものではありません。その詩には、人の心を揺さぶり、動かす力が必要なのです。その内容が、1人の心にではなく、多くの人の心に伝わらなければいけないのです。
 『海がわたしをつつむ時』という詩集の「あとがき」に礒永秀雄は次のように書いています。「わたしは詩人とは、そのすぐれた詩業のゆえに没後世の人から与えられる栄光の呼び名であって、決してみずからは口にすべきものではないように思う」
 亡くなってから30年経った今、礒永秀雄の残した詩や童話などが、多くの人の心を強く動かしています。「詩人」という「栄光の呼び名」を与えられるにふさわしい存在であることが、はっきりと証明されています。
 この記念すべき「礒永秀雄詩祭」に、お忙しい中を、また、ずいぶん遠くの方からも、お出かけいただいた皆様に、心から、お礼を申し上げます。この催しを実現するにあたって、「長周新聞社」や「はぐるま座」の人人をはじめ、苦労をいとわずに準備などの作業をしてくださった多くの人人に、感謝します。また、お忙しい時間を割いて、この場で礒永秀雄の作品を伝えてくださったり、その生き方や価値などについて話してくださったり、今の思いを詩に表したりしてくださる方方、その他、いろいろな形で発表してくださる方方、ありがとうございます。ここに集まられた皆さんは、限られた時間ではありますが、様様な形で、礒永秀雄という優れた詩人に接して、大切な宝を胸に抱いてお帰りいただけることと、信じています。
 呼びかけ人の1人として、お礼と期待の気持ちをこめ、開会のあいさつといたします。

 
各界各層からアンケート


 ▼88歳の詩の朗読・80歳の、元特攻隊員の詩の朗読。礒永秀雄の詩の朗読をしているのに、その時代を生きた人の歴史と重なって心に響きました。光から、周南から、山口からかけつけてきたみなさん。詩祭の演出と工夫に満足して帰られたことでしょう。詩祭にむかってたくさんの人たちが心をつないできょうの日を迎えたその感動が伝わってきました。教え子たちのあたたかい挨拶やうた声から、活字からはうかがえない礒永秀雄の人柄がうかがえました。会場のみなさんもきっと礒永秀雄の詩が身近なものになったと思います。野村さんの詩がすばらしかったです。子どもたちの展示物、礒永童話の力強い作品をよく表現してありました。子どもたちのうた声が広い会場に響きました。 (73歳、下関、女性)
 ▼全体を通して平和の叫びを感じました。80代の方方が戦場にあってどんなに平和を望み、生命の大切さを願ったか、心が痛くなりました。礒永先生が生還されたからこそ詩祭に巡りあえたこと感謝いたします。「生命一粒いちょうの実」立派な先生に会われて良かったですネ。
                                          (70代、下関、女性)
 ▼高齢の戦争体験者から小・中学生まで、そして全国各地からそれもずぶの素人ばかりによる詩の朗読など心をうつものがありました。民衆の暮らしのなかにいきいきと息づいている文化のあかりに気づきました。とりわけ戦争体験者の平和への願いのつよさが胸にびしびしと響きました。すばらしい詩祭でした。 (70代、男性)

 ▼市場原理社会、論理優先、情緒性を失いつつある社会に共感を呼ぶすばらしい詩祭であった。戦後60年の今日、日本人の魂を呼ぶ永遠の課題である。子どもたちの素朴な心情溢れるすばらしい作品です。広くその心を展開し、荒れすさんだ社会に新風を送ってください。日本の正しい言葉が失われている今日、詩の正しい朗読をとおし日本人の心情を深め温めて下さい。
                                          (70代、下関、男性)
 ▼盛況でしたね。個人の詩祭としては、日本でも類を見ないのではないでしょうか? 機会を見て続けてください。この会が下関はもとより全国に広がっていくように期待しています。最高でした。特に子どもたちの絵。童話の原画。詩祭にふさわしく気品あふれ、詩祭の世界へのプロローグとして会場までの雰囲気づくりに役立っていました。関係者のご苦労は大変でしたね。
                                          (71歳、下関、男性)
 ▼日本人としてもっともなこと、当たり前の考え方、見方であったことをしばらくの間、みな忘れかけていた気がしていましたが、礒永先生の詩を知ることで人間本来の優しさや正しさをこれからの子どもたちが学んでいくことは、本当に大切なことだと、改めて感じました。たくさんの人に知ってほしいと思いました。創造力豊かに描かれた絵にびっくりしました。どれもよく出来ていました。 (69歳、下関市、女性)
 ▼事実と歴史をはっきりふまえた朗読と劇の演出のご苦労をしみじみ味わわせていただきました。未知の者もリアルな場面に引きこまれるほどでした。子どもたちとPTAのとりくみの劇はかぎられた時間をうまく使いしっかりとりくまれていました。礒永氏の詩にある一語一句の言葉の重みをかみしめることができました。私は60代をこえました。子から孫へこの感動をめざめを確実に伝えていかなくてはならないと、改めて深く考えました。子ども、大人共に絵画は心こもる表現がされていて私をその世界に引きこんでくれた。精密な描き方はしっかり理解したからだろう。詩はリアルに読む人に心を伝えた。 (60代、広島県、女性)

 沢山の人人胸打つ作品
 ▼徳山高校時代の教え子の1人として参加させていただきました。これだけたくさんの人を感動させている先生の詩をあらためて読み返してみたいと思います。今のような世の中だからこそ、平和を大切にする人を、平和を知る人を育てる必要を痛感します。幕間に"曼珠沙華"の唄が流れ45年ぶりに耳にして感動しました。 (61歳、長門市、女性)
 ▼不戦の誓いが、たった61年で危ぶまれている今、礒永さんの思いは胸にこたえ、戦争を知らない子どもたちと、あぐらをかいていた自分を恥ずかしく思った。礒永さんの詩をもっと知りたいと思った。 (57歳、下関、自営業、女性)
 ▼小さな子どもから高齢の方方まで、すべての年代の人人を包み込み、厳粛な思い、激しく重い怒りを静かに心にしみこませることができたすばらしい詩祭だった。深い内容をもった詩を絵におこすことで、詩をより理解し、より絵画を発展させる可能性を見た。(54歳、山口、男性)
 ▼礒永さんの魂に直に触れた思いで、参加できて本当に良かった。奇しくも、安倍総理のお膝元の山口での催し、しかも訪中、訪韓出発当日でもあり、何か因果的なるものを感じている。このような企画が熊本でもやれたらと思う。 (54歳、高校教員、熊本県、男性)
 ▼礒永さんの詩を愛する方方が、県内のあちらこちらから集まって作り上げられた、心温まる詩祭だった。老若男女が集い、1人の詩人に思いを馳せ、語り継がれていく様は、たとえ生命に終わりがあっても作品はしっかり人人の心に生き続けるのだと改めて感動した。                                                      (47歳、女性)
 ▼この日を心待ちにしていた。三世代にわたり、それぞれに趣があり、舞台上の礒永さんが本当に共に参加しているかの様だった。日日忙しさに追われ、子どもたちがくずれていくかの様子を見ると、心が疲れ切ってしまう。でも、諦めてはいけない。子どもたちの幸せを守るため、未来のためがんばり続けなければ…多くの人たちの朗読意見発表に力をもらった。元気をもらった。今のこの世の中、まっとうに地道に生き抜く人人が苦しめられ、いためつけられる、そんなのどこか間違っている。今日からまたがんばります。  (46歳、宇部、教師、女性)
 ▼礒永氏の思い、生きる姿勢が朗読、意見発表を通して、私なりに少しだけわかったように思う。文学が商品として切り売りされ、それを当然と思っていたが、その思いを正された思いがする。礒永氏の文学が、子どもたちの心(大人も)を刺激し、それが絵画や切り絵に結実したところを展示し、見せてもらい感動した。絵を描いている間、その人と礒永氏とは時間と空間でこえた対話をしていたはずだ。そしてその作品が又、観る我我に語りかける。高い文学というのはそういった時と場をこえた、また表現様式にもとらわれない対話をうみだすものだと思った。                                       (45歳、北九州、公務員、女性)
 ▼今、憲法九条の見直しがいわれ、"平和"がおびやかされようとしている。より多くの人に礒永さんの詩を読んでもらい、戦争を、敗戦を、平和についてをもう1度考えて欲しいと思った。
                                              (43歳、主婦)
 ▼礒永秀雄氏の名前は今回初めて知った。地元の方方の地道な活動に深く感動した。平和を願う気持ち、人を大切にすることをあらためて強く心に思うことができた。年配の方方の参加が多く、いかに平和を語り継いでいくかということを考えさせられた。子どもからお年寄りまで多くの方方をひきつける詩祭に出席し勉強になった。どの作品も心がこもっていてよかった。詩祭を盛り上げ、参加した者にとって、何かを訴えかける展示であると感じた。絵本があるといいと思った。(44歳、福岡県、女性)
 若い世代も着実に継承
 ▼発表者、参観者がともに勇気づけられる内容だった。皆さんが次へつなげていこうと思ったのではないだろうか。自分としては、もっと感性をみがき、礒永さんの作品をもっと理解したい。子どもたちの絵に表現したいことがあらわれていたように感じられた。いい取り組みをされていると思った。可能であれば礒永さんの作詞の室積中校歌(楽譜付)を、長周新聞に載せてほしい。 (39歳、公務員、男性)
 ▼心がとても優しくなる内容で、今の学生たちにもっと聞いてほしいと思った。戦争を2度としないという心を教えてくれると同時に、心に優しさを持つこと、その心を保ち続ける意志を育ててくれると感じた。参加して本当によかった。こういった会に参加し、平和について考えることはとても大切なことだと思った。(26歳、事務職、女性)
 ▼礒永さんの詩をたくさん聞くことができて大変嬉しく思った。どの作品も戦争について訴える力がとても強く、私の心に響いた。戦後に生まれた私たちの世代にも、戦争の深刻さを伝えるには充分なものだった。劇などもあり、とても楽しく観ることができた。文芸部に所属している私としても、礒永さんの詩はとても参考になった。 (17歳、下関、高校生、女子)
 ▼礒永さんはとてもすばらしい作品を作られ、その作品を見られて良かった。私は、礒永さんに会ってみたいと思った。ものすごく1つ1つの作品が生き生きとしていて、見ていてとても気持ちが良くなった。私も見習って上手に描きたい。たくさん展示が見たい。(12歳、小学生、女子)

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