トップページへ戻る

    平和の担い手教育に熱い思い
人民教育全国集会
              学校崩壊政策と対決   2006年8月28日付

 第28回人民教育全国集会の「平和の担い手を育てる子ども、父母、教師のつどい」が26日、下関市の市民会館中ホールで開かれ山口県を中心に広島、福岡、沖縄、大阪、神奈川などから教師、父母、戦争体験者、被爆者、小中高校生など350人が参加した。

 地域と結び運動へ
 はじめに主催者を代表して黒川謙治氏があいさつ。現在、日本社会がアメリカ型の弱肉強食の社会にされるなかで、親殺し、子殺しがひん発しアメリカ型の教育が破たんしていること、これにたいして人民の戦争に反対する運動と教育運動は発展しているとのべた。第2次世界大戦の論議とともに、各地の教育懇談会では、日本人民の後継ぎとして育てていくことが語りあわれ、諸悪の根源であるアメリカ支配と、その一環である「教育改革」とたたかうことが重要とのべた。また教師はアメリカ型の教育によって子どもたちが戦争の肉弾にされようとしているとき、被爆者、戦争体験者、地域の父母、祖父母の労働や生き方により深く学び、団結して教育運動を起こしていく重要性を強調した。
 つぎに、事務局長の今田一恵氏が基調報告を提案。「“教育改革”が教育を破壊し、学校は崩壊状態」「なぜこんな社会になったのか」「子どもたちを成長させている戦争体験者、父母の力」「戦争反対、平和の担い手を育てる教師集団の形成を」の4つの柱で提起した。「教え子がアメリカの戦争の肉弾にかり出されようとしている現在、教師自身が戦争体験者の歴史的体験や父母の願いに学び、戦争反対を第1義にかかげてたたかうこと」「“教育改革”反対を戦争反対の運動に位置づけてたたかうことに展望があり、豊かな人間性をはぐくみ、批判する力、判断する力、真実を貫く力をもった子どもを育てること、その運動を担う教師集団を形成することが独立、平和、民主、繁栄の日本を建設する道である」と呼びかけた。
 はじめに小中高生平和の会が構成詩を披露。広島に学ぶ平和の旅で学んだことや、毎月の平和教室で漁師や、市場で働く人たちに学んだ経験を発表した。つぎに萩市大井小の6年生10人が自分達で作った紙芝居を発表。広島修学旅行で被爆体験を聞いた真木淳治氏の話が絵と文章でリアルにあらわされ「自分のことだけでなく、人のこと社会のことを考えることを誓った。力を合わせて平和な社会をつくっていきたい」と結んだ。心のこもった発表に大きな拍手が起こった。つづいて教師と退職教師で構成する萩朗読の会が『花咲く桃の木の下で』(礒永秀雄作)の朗読を披露した。

 戦争を止める人に 被爆者や戦争体験者・力こめ意見発表
 休憩をはさんで意見発表に移った。はじめに被爆者や戦争体験世代の発言がつづいた。
 下関市の被爆者小西好美氏は、学徒動員で呉の海軍工廠で働いていたこと、何度も空襲にあって死ぬような目にあった経験を語った。忘れられないこととして、汽車で移動中に敵機が機銃掃射で狙いうちしてきたことにふれ、「お母さん助けて」「早くトンネルに入って」と叫びながら生きた心地はしなかったと語った。子どもたちにむかって「平和についてもっと学んで、平和の担い手として一生懸命がんばってください」と語りかけた。
 つぎに広島から参加した被爆者の真木淳治氏が発言。これまで平和公園で6校の修学旅行生に語り、今後大阪、滋賀、奈良などの修学旅行生に語る計画があることを紹介。広島でも西区の井口台小学校や江波小学校、藤ノ木小学校など、被爆体験を語る活動が広がり、努力が実ってきたと喜びを語った。今年の広島市民原爆展の特徴にふれ、若い人がパネルを熱心に見、体験を聞き「自分にはなにかできないか」という反響が心強かったとのべた。今後も子どもたちや若い世代に語るとのべ「原爆の実際から目をそむけてはいけない。61年前の昔のことではない、また起こりうることだ。戦争を2度と起こさないためにどうすべきか一緒に考え、原爆や戦争を絶対にダメだと声を大にしていえる人になってほしい」と訴えた。
 つづいてインパール作戦を経験した宇部市在住の西田政治氏(88歳)が、食糧も武器もなく死んでいった戦地での経験とともに「戦争は絶対にダメだ」と力をこめて語った。シンガポールが陥落しビルマをとおってインドまで行ったインパール作戦にふれ「2万、3万の兵士がいたが、食べるものがなく栄養が足りない、マラリアや病気にかかって戦争をする能力がまったくなくみじめだった」と語った。前戦から下がってくる兵士はやせ細りびっこをひきながらであり、飯ごうに入れたご飯1杯の重みに耐えられず転げて死んでいった兵隊のことなど身ぶり手ぶりで話した。

 ”肉弾にはさせぬ” 戦争体験学び成長する子供・力こめ意見発表
 つぎに現場の教師の発言に移った。宇部市の小学校教師の町田由美子氏は、宇部地域での『天狗の火あぶり』公演のとりくみで学んだ地域の戦争体験者の、戦争や戦後日本社会にたいする思いや願いにふれて報告した。公演の実行委員会で、礒永秀雄と同年代の80代の戦争体験者が気持ちをこめて読んだ『8月の審判』の、「死にとうなか」「茶碗でコメの飯が食いたい」「帰りたい帰りたい日本へ帰りたい」という言葉にふれ「自分自身が経験されているだけに、そのときの思いをしぼり出すようにいわれ、涙が止まらなかった」とのべた。そして「戦後日本は誇りも、情のある日本の伝統文化も切り捨て欧米の文化や習慣が入りこんできて、日本人がなにか劣っているような風潮が強くなっている。国づくりは教育にある。小さいときからもっと思いやりのある精神を育てる教育ができないものでしょうか」と語っていたとのべた。
 また学校で子どもたちと峠三吉や礒永秀雄の詩を朗読したとりくみと家族から寄せられた感想文を紹介した。「8月の審判はたんに戦争の悲惨さや悲劇性を語っているのではなく、現実に起こってしまった戦争の意味を私たちに問いかけ、生き残った人たち、つぎへ続く私たちがその後どのように生きていかなければならないかあらためて考えさせてくれた。あの戦争での多くの犠牲は、無駄ではなかったというような国にしなければと思う」(中学生の姉)。
 最後に「閉塞感のある世の中の未来を憂えているのは子どもたちだと思う。だれもが戦争のない平和な世の中であってほしいと願っている。私自身、学校という狭い世界から外へ出ていろんなことを得た。みなさんに力を貸していただくことで、子どもたちもそして未来もすばらしいものにできる。今こそ子どもたちと保護者と地域の人たちとみんなで思いを結集させて行動を起こすときではないか」と締めくくった。
 長門市の小学校教師、江原美佐江氏は「目の前にいる子どもたちを2度と殺してはならない。教師として戦争のない平和な社会をつくりあげていかなければならない、そのために父母や地域と力を合わせて教育をすすめていきたい」と学校現場での実践を報告した。ここ数年、親や教師の願いとまったく逆の方向で進められている「教育改革」のなかで、「できる子、できない子」で2極化が進み、集団的に育てることができなくなり、親も教師もバラバラにされてきたとのべた。そういうなかで、社会の主人公である勤労父母と団結し、まっとうな子どもを育てたいと昨年総合学習で礒永童話『鬼の子の角のお話』の劇にとりくんだことを紹介。礒永作品にふれることをつうじて、親子関係について、社会のあり方について、子どもへの願いなど、論議が広がり「自分の子どもだけちゃんと育てばよいというのではなく、みんなで地域の子どもとして育てていきたいという親たちの強い思いを感じた」と語った。
 それをきっかけにクラスをこえた「学年の親の会」をもうけて、8月には親子100人の参加で第1回の会を持ったこと、その後地域の戦争体験者の力を借りて「子どもと語る平和学習会」を8月10日に開き、平和の旅の報告や詩の朗読などをしたとのべ、「今後も地域の父母や祖父母とつながり活動を続けていきたい」と語った。
 つぎに沖縄の幼稚園教師、源河一美氏が発言。今年の広島に学ぶ平和の旅のとりくみにふれ、昨年沖縄から参加した被爆2世の父親の呼びかけで小学生3人、高校生2人、青年教師が3人参加し感動を胸に帰ったことを報告。旅に参加した青年教師が、「他人を思いやる心、目的と規律をもった集団行動、役割と責任をもった集団生活、教師の指導をまのあたりにして感動した」とのべ、学んだことを生かして今後教師としてどう生きるか、平和教育について真剣に考えているとのべた。

 大矛盾となる学校現場・教育改革に強い批判
 「教育改革」とたたかう教師の実践について宇部市の小学校教師、佐藤公治氏が発言した。現場では「教育改革」の具体策がつぎつぎにおろされ、子どもたちの荒れが問題となっている。子どもたちの家庭環境が激変し、食事もままならなかったり、学校にお金が持って来れない状況、学校では習熟度別指導の導入や授業内容の削減、小間切れの知識のつめこみが進行していることにふれ「子どもたちのあえぎ声が聞こえてくる」とのべた。日夜子どものために奮斗している現場教師に「体罰はいけない。プライバシーの問題があるので、子どもの家庭に踏みこまないように、子どもを残して指導をするな」など抑圧を強めている現状も報告した。
 また昨年山口県内各地で学力テスト反対斗争が起こり、宇部市では小学校での教科担任制導入の提案に対して、各学校で活発な反対意見が出されたと報告。「子どもたちの低学力を回復し、学力の向上をめざし、教職員の資質向上をめざす」という名目でおろされたが、これに対して「子どもの健康状態や、喜怒哀楽などの気分感情をしっかりと把握して教育し、笑顔でさよならがいえるように日夜奮斗している。教科担任制で入れ替わり立ち替わり教師が替わって、子どもたちを混乱させ学力がつくわけがない。子どもと教師の結びあいを理解しないものがいうこと」など教師が、一連の教育改革の動きに反対する発言をした。そして1校を除いて、撤回か形骸化させたとのべ「文科省がすすめる改革の本質を明らかにし、論議しながら職場全体のたたかいにすれば阻止できる。全校の教師と手をとりあってがんばりたい」と結んだ。
 発言の最後に萩市の小学校教師、阿部喜久恵氏が、修学旅行のとりくみをつうじて成長した子どもたちと教師の役割について発言。現在担任の6年生は4年生のとき「学級崩壊」状態であったが、「今平和な世の中を築くために真っ直ぐに歩きはじめている」とのべ、修学旅行で学んだ体験を多くの人に伝えていこうと行動していると報告した。また知育面体育面でも目を見はる成長に、「このエネルギーはどこからわいてくるのか」と語った。そして戦争体験者や被爆者と直接つながり、生の体験を聞き、悲しみや困難に負けず生き抜いてきたことを学び、家庭生活を重ねて心の奥深くまで響いていることを、2人の生徒の変化をあげて発言した。
 父親が過酷な仕事で病気になり、母親は仕事で遅いため、日ごろは実家で生活し4年生まで荒れていたB君が、被爆者の話を聞いて「とけたコンクリートの上に杖をついて足に板を巻き付けて立っていたおじさんが、父親だとわかってよかった。でも昭和22年お父さんは亡くなりましたと聞いて、かわいそうだと思った。僕は父親はいるが病気で療養中です。もし父親がこんなふうになったらと思うと、憎んでも憎みきれないです。でも被爆者の方は父親が亡くなってもがんばって生きてこられました。父の病気が早く治ってほしいです」と感想を書いたことを紹介。「被爆者の話は、弱肉強食で困難を強いられている子どもたちの心にぴたっと一致し、それは父母の願いとも一致している。子どもや親の側、被爆者、戦争体験者の側に立って、多くの人とつながって平和な社会のために奮斗していきたい」と決意をのべた。
 会場からの発言では、原爆展を成功させる広島の会の30代の父親が、「これまで自分のことばかり考えて生きてきたがみんながよくならないと、自分もよくなることはない。学校の勉強も自分のためではなく、よりよい社会のためにしていこう。本当の教育を学校にとりもどすために、運動をつなげていかないといけない」とのべた。平和の旅に参加した萩市の教師は、「自分の娘が、被爆者の話を聞いて、自分が悩んでいたことが、つまらないことだったという感想を持った。このような教育の運動がつながって発展していったらいいと思う」と語った。そのほか、広島からの参加者や宗像市の教師などつぎつぎと意見が出された。

トップページへ戻る