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平和運動の全国結集に展望 
座談会 8・6斗争の評価と教訓
              米核反対が団結の基礎     2006年8月21日付

 「アメリカは核を持って帰れ」のスローガンを前面に掲げてたたかわれた今年の8・6広島集会に示された原水禁運動は、広島市民の圧倒的な支持を受け、全国から世界から集まった人人に新鮮な印象を与えた。既存のさまざまな「平和勢力」は、参加者は減り、元気はなく、市民からは孤立し、いまや非常に精彩を欠いた姿をあらわした。なにもないところから戦後はじめてアメリカの原爆投下を糾弾し、朝鮮戦争における原爆使用に反対する運動を切り開いた、1950年8・6平和斗争の路線を継承する運動が、世界的な共感を受け全国の平和運動の様相を一新させる力を持っていることを証明した。本紙では、この間の原水禁運動に取り組んだ人人に集まってもらい、今年の運動の到達と評価、その中から平和運動の路線上の教訓について語り合ってもらった。

 若い世代や海外にも広がる
 司会 まずはこの間の経過から出してもらいたい。
  今年は2月に岩国基地の増強問題をめぐる住民投票、市長選挙の勝利にかかわった。4月の実行委員会会議で、空論ではなく実践的な行動を重視することを決め大衆的な署名運動を取り組むことを決定した。下関では街頭や自治会、個人などで「原爆と空襲展」を開き、「アメリカに謝罪を求める」アピール署名が進み、日本は、アメリカの植民地になっていると大論議になっていった。
 5月に長崎市民原爆展が昨年につづいてやられ、市民のひじょうに激しい怒りと行動的な姿勢があらわれた。7月の北朝鮮ミサイル問題が騒がれるなかで開かれた全国実行委員会会議では、この現実にすすむ原水爆戦争の危険性を回避したところで原水禁運動はないこと、これと正面からたたかうことが確認された。
 今年の広島宣伝行動では、8・6集会、広島市民原爆展のチラシとともに「暴支膺懲の失敗繰り返すな」の長周新聞号外を10万枚まき、アピール署名を募っていった。8月はじめから連日、3台の宣伝カーを回して「アメリカは核を持って帰れ!」の訴えを流し、平和公園では毎年の恒例となっている原爆展をやり、市民や全国の人人から圧倒的な共感を集めた。メルパルクでの市民原爆展には3500人、広島集会には20都府県から600人が参加し、広島の全市民を代表する運動になった。8、9日には長崎でも原爆展と宣伝をやって共感を集め、被爆地共通の世論が示された。
 B 下関では、昨年、下関空襲パネルを作り「原爆と下関空襲」展を開き、戦争体験者がどんどん語り始めた。被爆者だけの思いではなく、空襲犠牲者も同じだと団結が進み、今年に入って、地域で「原爆と空襲展」を開くなかで、アメリカが日本を占領するために原爆、空襲をやったということが体験として描かれ、それが8・6の取り組みにつながっていった。

 現代重ね沈黙破る市民・広島でも長崎でも
 C 長崎では、去年以上に現代への問題意識が強く、原爆投下から61年たってどうなったのかと論議され、沈黙していてはいけないと語られた。市民原爆展のなかで長崎の会も作られ、下関や広島との団結が深まり、「祈り」といって長崎市民を抑えつけてきたインチキな平和運動の欺瞞を市民の力で突き破った。地域原爆展もやり、広島集会にも参加して運動への確信になっている。
 D 広島では、去年11月に原爆展を成功させる広島の会の臨時総会を開いて会の整頓をした。全広島市民の願いを代表する会の性格を鮮明にし、被爆市民が、本音をきたんなく語れるし、自由に行動に参加できるように奉仕していくことを決めた。11月に江田島、2月五日市、4月宮島、5月廿日市、広島大学と地域原爆展をやってきた。広島湾にNLP基地を作る動きに対し、被爆地の上を米軍機が飛び回るのは我慢できないと共通して語られ、黙って見ているわけにはいかない、もっと若い世代に知らせていかないといけないという意欲が強くなった。毎月1回、青年の被爆体験を学ぶ交流会を開き、そこでどうやって戦争を阻止するのかという問題意識が語りあわれてきた。若い協力者が増えて、アピール署名を預かっていくなど行動的なことが特徴的だった。そしてメルパルクの原爆展に進んだ。
 C キャラバン隊は2月に岩国市内で街頭原爆展や戸別訪問をやった。米軍再編で既存の平和勢力が、騒音などを取り上げて騒ぐなかで、「日本の安全保障にはならない」という長周新聞号外3万枚が配布された。そのなかで岩国市民の声を聞いて回り、市民の歴史的な体験からくる思いは「基地を持って帰れ」だった。安全保障といわれるが、実際は占領状態で、米軍が日本を守っているのではなく、日本が米軍を守っている関係にあることや、テロ事件以後は米軍は市民に銃口を向け、非常時には米軍家族だけが本国に逃げる訓練をしているなどの実態が語られた。この関係というのは基地の町にとどまらず全国どこも同じだ、基地の街は全国の縮図だと語られた。
 広島市内での宣伝活動は、はじめは「北」制裁の大騒ぎのなかで物がいいにくい雰囲気だった。本紙号外を配布していくと、市民からは堰を切ったように語られはじめ、メディアの騒ぎすぎや、アメリカに利用されてまたあの戦争を繰り返していると切迫感をもって語られた。腹が立ってもどこにもいっていくところがなかったが、いいたいことをよくいってくれたという形でワッと発揚された。やればやるほど注目を集めた。
 「アメリカは核を持って帰れ!」の宣伝カーを市内で1週間回したが、あちこちから手を振られたり、拍手が起きた。諸勢力がチンとしているなかで、街の真ん中で堂堂とやったことがとても喜ばれた。
 集会で発言した広島の労働者が、「これまで参加してきた集会は、組織から動員をかけられて参加するだけで中身がなく、規模も小さくなっている。あのように市民に訴えたり、意見を聞いたりする活動は初めてだった。市民の多くが支持している集会とわかっていたので、発言に立っても緊張しなかった」といっていた。それだけの市民との一体感で集会を迎えた。
 E 7月土日、8月1週間の平和公園の原爆展では、原爆、沖縄戦、全国空襲、下関空襲、戦地の体験のパネルと岩国市民の声のパネルがつながって論議になっていった。北朝鮮問題では、みんな「先制攻撃せよ」という騒ぎがおかしいとは思っているが、どこにもいうところがなく「洗脳されそうだった」という人がいた。
 若い世代は、なぜ日本がアメリカの植民地になっているのかという疑問とつながったという人が多かった。神奈川からきた人は、「騒音だけではなく、戦後六〇年と“安保”問題を見なければ米軍再編は考えられない」と話していた。築城の人は、「北朝鮮問題で米軍が守ってくれるから反対はできないという空気が覆いはじめていたが、岩国のパネルを見て米軍が日本を守るわけがないということがはっきりした」と喜んでいた。
 外国人も多く、「イラクもアメリカにやられている。団結しよう」というイラク人や、号外を読んだ韓国人は「日本はアメリカにこれだけ酷いことをされているのに、なぜついていくのか。北朝鮮が攻めてくるはずはなく、アジアとの友好が大事だ」と語っていた。

 確信与えた8・6集会 核戦争阻止へ・力結集へ強い意欲
 司会 8・6集会まできての運動をどう評価するか。参加者の反応から入ってみたい。
  集会に参加した広島の被爆者はみんな大喜びで、今後の展望が見えたといっていた。被爆者の気持ちをあらわした「アメリカは核を持って帰れ!」のスローガンを若い世代がはっきり受け継ぎ表明してくれたことを深い感動で受けとめていた。
  長崎の参加者は、「核を持って帰れのスローガンが一番よかった」といい、8、9日の長崎での宣伝も喜んでいた。初めて広島に来て体験を語った被爆者も、広島のような運動を長崎でもつくっていかないといけないという思いが強く、長崎の会を結束の強いものにしたいとやる気になっている。ただ体験を語り伝えるというだけではなく、市民のなかで戦争阻止の力をつくっていく活動に衝撃を受けていた。参加できなかった被爆者も含め、今後も運動を進めていきたいと強い意欲を語っている。
  8・6行動で、前日の宣伝活動や署名を取り組んだ全国の活動家からは、「核を持って帰れ」の宣伝への広島市民の共感に驚き、既存の平和運動とは全然違う路線的な問題がはっきりしたということや、広島と沖縄の現役世代が育っているということに感動があった。
 B 岩国からは、被爆者や空襲体験者などの参加者がいたが、ある被爆者は「生きる展望が見えた。残りの人生をこの運動に注ぎ込んでいきたい」と感想を話していた。下関や山口からの参加者も「スローガンがものすごくいい」と高揚していた。
 編集部 今夏、メディアは例年と比べても大した宣伝をやりきらなかった。1昨年は筑紫哲也かなにかが「反核を反米にすり替えてはならない」という説教じみたシンポジウムをやったり、昨年は「和解せよ」とか「許せ」とかキリスト教じみた宣伝をやったり、B29の乗員を呼んだが「謝罪しない。パールハーバーを忘れるな」などと捨てぜりふをいわせてごうごうたる非難になった。今年は、中国新聞も朝日新聞も目立ったことはなにもやれなかった。
 7月はじめに、北朝鮮ミサイル問題で大騒ぎをしたが、「北朝鮮の核の脅威」の宣伝もできなかった。長年「加害責任の反省」を叫んできたんだから、いまこそ安倍や麻生のような連中に「加害責任の反省」を説教すればよいのに、知らぬ顔をしていた。こちらの「暴支膺懲」号外10万枚配布とか「アメリカは核を持って帰れ」の宣伝が広島市内で圧倒的な共感を呼んでおり、この広島市民の反米の世論を無視して原爆キャンペーンはできないことだ。広島、長崎市民の本音を代表したこちらの活動が今年の8・6全体をかなり動かしたといえると思う。
 F 原水禁、原水協など諸団体についてもみんなが受けた印象は瓦解だ。参加者もものすごく減っている。秋葉市長は記念式典の「平和宣言」でいつもの「和解」はいわず、10年も昔の国際司法裁判所の判決例を出していたが、存在感が乏しかった。小泉首相は靖国では「戦没者追悼の心」を売りにしているが、原稿の棒読みをして、一目散に車に乗り込み超スピードで逃げるように帰っていったのが広島市民の怒りとなった。

 全広島市民を代表・堂々と訴え圧倒的共感
 編集部 峠三吉の時期の私心のない運動に立ち返ろうという勢力の登場が全体的に圧倒していることを証明した。これを過小評価するのは誤りだ。集会とデモは600人ほどだが、これは広島の圧倒的多数の市民に支持されてやっている。それに全国各地、外国人までが支持している。直接にも10万枚のビラを配布して市民への宣伝をやってきたが、圧倒的な多数派のデモだ。既存の運動体は全国から数をいくら集めたところで広島市民からはまったく支持はなく、孤立感でコソコソ逃げてかえるようなことにしかならない。この辺は鮮明な評価をもつ必要がある。
  号外を読み宣伝を聞いた県庁の幹部が「私も広島の人間だから本音がある」と歓迎していた。警察もうかつに手を出せず、右翼も遠慮したような状況だった。右翼は「原爆投下者に責任がある」とやっていたが、アメリカとは名指ししていなかった。こっちは大大的に「アメリカは核を持って帰れ!」とやっているのだから、堂堂としたものだ。
  メルパルクの原爆展でも、8・6集会に参加したいという人が多かった。宣伝カーが市内を回り出して、その内容を聞いて原爆展にくる人も日を追うごとに増えた。その響きあいのなかで被爆者の人たちが、「核を持って帰れ!」のスローガンを背景にして、若い参観者に堂堂と語っていることが印象的だった。
 B 何年か前から広島市内で宣伝活動をやってきたが、今年の市民の反応の鋭さはこれまでと比べものにならないほど感じた。どんどんチラシを受け取るし、あんなに署名をするというのは驚きだった。チラシを受け取って通り過ぎながら「核を持って帰れ!」の見出しを見て、署名をしにわざわざ戻って来る人、若い人が集まって署名をするというのも特徴だった。スローガンを叫びながら行く人もいた。
 C 「北」問題では、声を潜めて本音を話すという雰囲気もあったが、宣伝カーを回しはじめると、市民も堂堂と発言してくというふうに変わっていった。あれほど大大的にやって、うるさいといわれることもなかった。平和公園では、平和運動にかかわってきた坊さんが宣伝カーを聞いて「かっこいいなぁ。民族的でアジア的な内容があってアメリカやっつけろというのがいい」と近寄ってきた。まさかあれだけの内容をスピーカーでいって回るものがいるとは思っていない。へっぴり腰でなく、堂堂とやりまくるという態度が必要だった。

 米国の暴露が焦点・新鮮な運動発展の要
 編集部 アメリカとたたかうということへの圧倒的な支持だった。北朝鮮がミサイルを撃ち制裁せよという大キャンペーンのなかでアメリカとたたかうかどうかが鋭い焦点だった。原水協、原水禁の修正主義、社会民主主義勢力、その他の潮流が瓦解していくのは根拠がある。指導路線の根が親米だからだ。原爆を投下して日本を占領し、いまに至るも世界の戦争放火者であるアメリカと正面からたたかわずに、平和が実現するわけがない。アメリカを擁護する平和勢力というのは、平和勢力ではなく、平和を唱えた戦争の共犯者にならざるを得ない。事実こういう指導路線の運動が独占的な「平和の専門家」という顔をすることで、戦争に反対する大多数の大衆が寄りつかなくさせていた。それが瓦解するというのは、悲しいことではなくて喜ばしいことであって、ここから新鮮な力のある平和運動が発展する条件が大きくなっているということだ。
 この大きな分かれ道が、原爆投下の目的をどう見るか、第2次大戦でのアメリカの対日戦争の目的をどう見るかだ。「原爆はひどいことだがおかげで戦争を終わらせてくれた」と、感謝したり、日本を単独占領したアメリカが解放者であり民主主義と平和と繁栄の進歩勢力であるかのようにみなしてきた潮流が平和運動のなかに根深く浸透してきた。そのインチキが行き詰まり、破たんするのはよいことだ。
  アメリカが原爆を投下したことははっきりした事実で、それがまた原爆を使おうとしていることも明白な事実だ。50年8・6斗争では、それをいってはいけないという潮流に対して、「そんな馬鹿なことがあるか」と、市民の大多数の願いを代表してアメリカの原爆投下の目的とその犯罪性をあばいてたたかい、さらに、アメリカが朝鮮で原爆を投下しようとする現実と、正面からたたかった。これが広島市民の圧倒的な支持を得て、急速に全国的に広がり、世界大会を広島で持つまでに発展していった。
 60年代には「いかなる国の核にも反対」という問題をめぐって原水禁運動が分裂するが、中心眼目はアメリカとたたかうことを回避するというものだった。その後は「日共」修正主義集団の「ソ連との共同行動」論などが、アメリカを「平和の敵」として明確にすることに反対することで共通していた。そのような潮流が運動を支配するなかで原水禁運動は60年代後半になるとすっかり生命力を失うものになっていた。70年代には「加害責任反省論」がはびこり、80年代はアメリカ以外が核武装することに反対することを特徴とする「反核運動」という形でアメリカを擁護してきた。
 編集部 50年8・6斗争でアメリカとのたたかいを突破して60年「安保」斗争までいった。そこで分裂攻撃をアメリカが仕組み、社会党が、そのつぎには「日共」修正主義がその手下となって分裂を持ち込んだ。もともと、なにもないところからアメリカ占領軍の支配を突き破って原爆反対の運動を作り出したのは50年8・6斗争だ。その上に乗っかって、利用してつぶしたのが、社会民主主義と「日共」修正主義潮流だ。この潮流ははじめからアメリカ占領者の共犯者であり、アメリカ崇拝イデオロギーに支えられて存在していたものであり、一時期数は集めていても大衆のなかではもともと力はないのだ。
 司会 今年の8・6斗争の高揚を生み出した路線を明確にすること、とくに既存の平和運動を攪乱してきた潮流との違いを鮮明にすることが重要になっている。
 F 平和運動を攪乱してきた潮流は「平和主義」を掲げて、北朝鮮が騒いだらアメリカを擁護するし、靖国問題でいえば戦没者遺族を「あれは軍国主義者」といって斬って捨てる。日本がこれまで武力参戦することを阻止してきた力の源泉は、あの悲惨な戦争の体験だ。それを戦争体験者、戦没者遺族は軍国主義者だなどとみなしたのでは、平和運動が発展するわけがない。戦没者を追悼するというのは非常に必要なことであり、それは2度と繰り返してはいけないという願いを実現するためだ。「小泉のようなブッシュのポチが、なにが戦没者の追悼か」というのが戦争体験者の感情だ。そのような戦争体験者と対立して、逆にアメリカを平和勢力と見ている「平和運動」というのは、平和運動であるわけがない。
 C アメリカ評価、天皇評価がすべての問題にかかわって出てくる。全国を回って沖縄戦、空襲、戦地の体験と一連のみんなの体験を描いて、それが解明された。そして、岩国の基地問題をへて、今年の8・6にいった。だから「アメリカは核を持って帰れ!」というスローガンには確固とした根拠があるし、自信を持ってやれた。これを貫く路線が、禁・協とは違う。これはちょっとした違いではなく体系的に違うものだ。そこが鮮明になればこれからどんな運動をしていけばよいか、どんな路線で平和勢力を結集していくかがはっきりしてくるのではないか。

 全国大結集の様相 改良主義は破綻・労働運動も展望
  全国からの参加者も、「禁・協は、アメリカ批判をまったくしないが、ここではやっていた」と喜んでいた。栃木県の郵便労働者が集会に参加し、「腐敗した民主主義が1番ダメだ」と語っていた。沖縄でも港湾や自治体労働者が長周号外を学習したり、配ったりしている。労働組合のまじめな層が大結集できる様相になっている。
  今年の8・6集会で労働運動の展望が見えたという感想が出されている。労働運動もアメリカとたたかわない改良主義の枠内では、展望は見えない。「原水禁運動ばかりやるのではなく労働運動をやらねば」といって切り離す考えもあったが、それはアメリカの支配の枠のなかでいい暮らしを求めるという改良主義だから、生活のメドもなくなっていくし破たんするほかない。
  労働組合なども含めて改良主義から脱皮して、構造改革反対というような対政府の共同斗争をやらないと話にならない。民主主義や繁栄の問題、生活要求なども、その観点から運動に関わらないと芽は出ない。郵便労働者にしても、郵政民営化はアメリカの指示でやられており、全権力機構を動員してやってきている。そのとき自分の待遇だけを問題にしていて勝てるわけがない。
 E 反米をいわない平和主義というのは外国人にも通用しない。平和公園でも原爆投下の目的が1番注目された。なぜ日本人は原爆を投下されて、アメリカに感謝しているのか、それがわからないと外国人は誰もが思っている。民族的な立場を鮮明にして、アメリカとの関係を明らかにすると外国人も喜んだ。アメリカという共通の敵とたたかうというところに、国際連帯の基礎があることがよくわかった。
  戦後のアメリカの欺瞞宣伝に相当やられてきたことが大衆的にはっきりしてきた。アメリカの原爆投下とかかわって、アメリカの第2次世界大戦での残酷さが語り始められている。戦艦大和でも沈んで泳いでいる兵隊をグラマンで撃ち殺して回ったとか、沖縄戦も、中国の長沙やマニラでも住民を日本軍が殺したかのようにいっているが、空爆や艦砲射撃でアメリカが殺している。戦後のアメリカの占領についても隠してきた。戦後の飢餓作戦や大大的な検閲、言論統制などもわからないようにやっている。新興宗教どころではないアメリカのマインドコントロールだ。

 大殺戮が「民主」か 財界、マスコミを暴け
 編集部 第2次大戦において、ヒトラーや天皇は残酷なことをやったが、実際を見ればアメリカがもっと残酷だ。「ソ連に占領されるよりはマシだった」という宣伝があるが、ソ連と戦ったドイツの場合、ドイツの一般国民はソ連軍からは日本のようには殺されていない。ドレスデンやハンブルグなど、ドイツで無差別殺戮の空襲をしたのは米英軍だ。日米戦では原爆や沖縄戦、空襲で非戦斗員の国民が100万人以上殺された。非戦斗の国民を兵器で殺したのはアメリカの方だ。それがアメリカは「解放してくれた民主主義派」になっている。こんなバカなことはない。被爆者や戦没者遺族など戦争体験者にすればたまったものではない。
 E 原爆展では3、40代の人がパネルを見てびっくりして、「親からはアメリカと付き合うなといわれて意味がわからなかったが、やっと意味がわかった」といういい方をする人が多かった。
 F 岩国の厚木基地移転問題では、「安全保障」のインチキを真正面から暴露する宣伝をしたことが大きかった。岩国市民の全体験からして米軍が日本を守るようなものではないということははっきりしている。「騒音を小さくしてください」というようなものではなく、「アメリカ出ていってくれ」になっている。それを代表して正面からやったから、少少では崩れない力になっている。
 インチキ平和勢力は、「アメリカさんには、いてもらっても仕方がないが、もうちょっと待遇をよくしてください」というもので、市民からは全然相手にされない。敵を明確にすれば、運動は発展しないという考えにとりつかれている。だが、どう見ても敵は敵であり、アメリカは平和の敵だ、というほかはない。それがあるがままの事実であり、そのままに発言したらみんな大喜びした関係だ。
 編集部 戦後築かれてきた支配構造がかなり瓦解して、人人を欺瞞する力を失っている。小泉もメディアもパッとしないが、「日共」や社民、諸雑派勢力まで使い物にならなくなった。
  戦争犯罪問題ではマスコミをもっと暴く必要がある。軍部の被害者のような顔をしている。このやり方で日本の支配層はずっと振る舞ってきた。A級戦犯だけ首をくくらせて、天皇をはじめ、政治家、財界、官僚機構、マスコミなどの戦争に駆り立てた連中はもともと平和主義者で被害者だったみたいな顔をして、「鬼畜米英」といって人人をさんざん駆り立ててさんざんに犠牲をおわせながら、自分たちはアメリカにしっぽを振っていった。この連中がアメリカのための戦争に国民を駆り立てようとしているのだから、みんなは腹を立てるのは当然だ。戦後民主主義、戦後平和主義というのはそういうインチキがある。
 E なぜ天皇が平和主義か! と体験者は頭にきている。財界もなにも責任をとっていない。ドイツでは戦争協力をしたということでマスコミは解散、官僚機構もいったん解体している。日本はそのままだ。

 米国と真っ向で斗う・戦争挑発暴き世論に
 司会 活動家のところではどんな教訓が出されているだろうか。
 H 路線問題が明確でなければならない。7月の実行委員会で、現実の火花が散っている北朝鮮ミサイル問題を回避して、「原水禁」というのは抽象的平和論だということが問題になった。現実の矛盾の接点から逃げた「お祈り」の方向だ。50年8・6斗争はそんなものではない。朝鮮戦争のさなかの戒厳令状態の広島で突破したのだ。ここで日和見主義と斗争しないといけないというのが重要な課題だ。
 G 岩国で「もう1度力をつけて、アメリカと1戦まじえる気概でやらなければ追い出せるものではない」という岩国市民の声があった。戦争でアメリカに奪われた体験者から見たら当然の意見だ。当初、広島行動にあまりいかない、北朝鮮問題も表に出さない、去年のつづきをやればいいというのん気な構えで、市民権を得た原爆展をやっていればなんとかなるという流れとのたたかいが重要だった。原水爆戦争を現実にやろうとするアメリカと正面からたたかって平和を守るというのか、アメリカの支配の枠組みのなかで、平和を祈るがどうにもならないという敗北の道かという対立だ。
 H 実践的に日和見主義が暴かれた。北朝鮮問題の号外を表に出すのか、できるだけ見えないようにして配るのか、宣伝カーのボリュームをおとしてコソコソと動くのか、それとも正正堂堂とやるのか。そこには、アメリカ側に乗せられた大衆べっ視の観点の影響とたたかい一掃する必要があった。全国の活動家もあれだけ広島市民に支持されているというのに驚いたが、その根底にある「そんなにアメリカのことをいったら支持されない」という固定観念が問われた。アメリカとほんとうの対決をする構えがあるのかどうかだ。

 支配の枠内路線と斗う・テポドン騒ぎ砕く
 編集部 戦後日本社会の性質について、アメリカが支配しており、これに天皇以下日本の独占資本が子分になっている。これとたたかわなければどうにもならないとみんな思っている。だがその支配の枠を認めて、その中でちょっと自分の待遇をよくしてほしいというものでは平和にならない。改良主義の破たんだ。戦争を引き起こすアメリカという平和の敵をあいまいにするということは、日本の人民大衆を蔑視するということと結びついている。平和運動家というものが自分を代表するだけで、自分の売名とかお金とか自己満足のためというのではどうにもならない。広範な人民大衆と結びつきその平和の願いを具体的に代表して、戦争を引き起こすものとたたかうというのでなければ平和は実現できるわけがない。
 H 今回も大衆が感じていることを形にしていく活動だった。政府やメディアが大宣伝をしてものがいいにくい空気をつくっているなかで、大多数の大衆が感じていること、語っていることに耳を傾け、号外やスピーカーでやりまくると大きな世論として盛り上がった。広島でも長崎でも、岩国でも大衆自身の論議となって世論が動いている。その大衆的な基盤の上で諸活動をやっているから全然孤立していない。この到達について全国的に宣伝して、論議をしていくことが重要になっている。
 編集部 今年の8・6は米軍再編、北朝鮮ミサイル制裁騒動というなかで「アメリカは核を持って帰れ」という原水爆禁止の焦点となっている実践課題が非常な響きを得た。このなかで現役世代が登場をはじめたことが喜ばれた。今後の課題でもあり条件として大きくなっているのは、平和勢力のもっとも力を持った勢力として労働者の集団的な登場だ。50年8・6斗争では、労働者のなかで、経済主義や日常斗争主義は誤りで反帝反戦斗争、国際連帯が労働運動の第一義的課題だと論議されている。今年の現役労働者の登場、原爆展会場や各地でのまじめな労働組合の賛同の動きは1つ流れを示している。そうなっていけば日本の平和運動はほんとうに大きな力を持つようになる。
 今年の8・6斗争の到達を全国に知らせなければならない。全国が非常に模索しており、1950年8・6斗争の路線を知らせることが非常に切望されている。かなりの勢いで全国を席巻していく基盤があると思う。
 司会 もう一段の奮斗を誓い合って、この辺で終わりたい。

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