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偏向教育長はすぐにやめろ
嶋倉教育長・朝鮮植民地否定
             下関知らぬ傲慢さ、呼んだ者に責任  2008年6月30日付

 下関市の嶋倉剛教育長(44歳)が、補助金増額の要望に訪れていた山口朝鮮学園の理事長や校長、保護者らに、朝鮮半島に対して日本支配階級がおこなった植民地支配について、「植民地支配という部分については歴史的事実に反する」などとムキになって繰り返した発言を巡って、怒りが広がっている。天下りしてきたばかりの文科省キャリアが、えらそうに歴史ねじ曲げで大暴走していることに、「キャリアとはアホということか」の声が広がっている。とくに朝鮮半島とのつながりが深く、市民同士も友好関係を築いてきた下関では、みな驚きを隠せず「はやく地元(新潟)に帰せ」「だれがこんな人物を引っ張ってきたのか」の声が高まっている。

 天下りの文科省キャリア
 この発言は、26日に山口朝鮮学園の金理事長らが要望に出向いた席で、補助金増額を嶋倉教育長が拒否するやりとりのなかで起きた。要望に対して、教育長は「補助金は公教育のルールにのっとって決められている。加えて市には財源がない」と下関市の“公式見解”を回答。
 保護者らが「植民地支配によって日本に来た朝鮮人の子弟が通っている。他の外国人学校とは歴史的経緯が異なることを踏まえてほしい」と述べたのに対して、「植民地支配という部分は歴史的事実に反するので受け入れられない」「日朝併合をいかにいうかは自由だが、それを植民地支配だったと事実関係を変えて語ったのでは、事実関係は進まない」と激しく反論した。植民地発言が出た時点で「全否定しなければ認めてしまうことになる」と思ったとしている。
 問題の発言をした翌27日の午前中にも緊急記者会見を持ち「併合は植民地だという意識はない。対等だ」などとあらためて繰り返し、関係機関がざわつきはじめた午後になって、「下関の教育行政をおこなうにあたり、政府見解を尊重するものです」とのコメントを発表する事態となった。
 27日には本廣副市長に要望がおこなわれ、そのさい金理事長らは「昨日の教育長の発言にたいへん憤慨している。教育というのは、今までの先輩が培ってきた伝統や歴史を正しく受け継いでいく場なのに、そこの長が間違った歴史認識をもって携わることを懸念する。訂正、謝罪をしてほしい」と求めた。

 許し難い発言謝罪ですまぬ 怒る在日朝鮮人
 市内に暮らしている在日朝鮮人はみな怒っている。
 竹崎のグリーンモール商店街で商売を営んでいる男性は、「過去の歴史をどんなにねじ曲げようとしても、それはできない。隠すこともできない。生き証人のオモニやアボジがおり、植民地にして引っ張ってきたから、私らが日本に住んでいる。世間がみんな知っている歴史の事実をなぜ今になって“違う”といいはじめたのか。右翼かなにかの思想の持ち主か? 許し難い発言でうやむやにはできない」と強い口調で語った。
 高齢の在日男性は「“徴用”といって、奴隷を捕まえるように朝鮮の村から引っ張って、日本に連れてこられた人が多い。宇部や九州の炭坑で牛や馬みたいに働かされて、死んでいった同胞がどれほどいると思っているのか。名前も変えさせたり(創氏改名)、ただ働きさせて、戦争が終わってからもわれわれは民族差別に耐えて力を合わせて生きてきた。“植民地支配ではない”“日朝併合は対等”などと、若いのがふざけたことをいう。謝罪ですむ問題ではない」と怒りに震えていた。
 2世の女性は「在日を叩きたがる人は政治家はお上に多いけれど、下関の街は、よそに比べて市民同士は友好を深めてきた。日本人でも、分け隔てなく友人として心を砕いた関係もあるし心強い。それこそ歴史の事実にたいへん反している。思いの丈を“リトル釜山フェスタ”に来て話させたらどうかとも思う。このまま下関の教育行政の長に座り続けるんでしょうか?」と話していた。
 地元市民のなかでは「だれがこんな男を連れてきたのか!」と任命責任を問う声も多い。安倍人脈で派遣されたキャリア官僚ということで、市議会も、顔を見たこともなければ所信表明すら聞かないまま諸手をあげて賛成した経緯がある。江島市長が海外旅行で不在の市役所では、だれも暴走を止められず大混乱に陥っていた。

 ねじ曲げられぬ歴史の真実 日本の植民地支配
 歴史の事実を見てみると、日本の支配階級が1905年に朝鮮総督府をつくってから、下関は朝鮮半島との玄関口として利用された歴史がある。伊藤博文はじめとした明治政府が、アジアを植民地支配していたイギリスを模範にした政策で、1910年には軍隊でもって朝鮮制圧。言論、出版、結社などあらゆるものを拘束して奪い、名前や名字も日本名にさせるなどした。
 第2次大戦が佳境に入ると朝鮮総督府が命令する形で朝鮮の村村から強制的に連行し200万人が日本へ連れてこられた。炭坑労働の他、アジア侵略の兵隊としてかり出された人人もいる。幾多の犠牲者を出した関門トンネル建設などにも従事した。
 終戦になると、本国へ帰国するために全国から山口県に朝鮮人が集まったが、関門は機雷が多く、長門市仙崎が帰還の港となった。しかし、当時はGHQマッカーサーの指令が万事を決定しており、さまざまな事情で足止めを食ってこの地に暮らすことを余儀なくされた人人が多い。
 ちなみに、今回の発言のきっかけとなった補助金の問題であるが、山口朝鮮初中級学校を運営している朝鮮学園の関係者たちは、以前から増額を要望してきた。在日朝鮮人・在日韓国人の子どもたちが通う同校は、半世紀前に同胞や父母、協力する市民らの尽力のうえに創立された。全国で初めて認可をとるのにも、大きな努力が払われた。永住することになった異国の地にありながら、朝鮮民族の歴史や伝統、文化、誇りを身につけ、アイデンティティーを育む学舎として愛情が注がれ、経済的な困難を乗り越えながら運営されてきた。

 全国で最少の朝鮮学校補助 生徒1人に年間1000円
 下関市は朝鮮学校がある全国の自治体のなかでも、もっとも補助金が少ないことで有名で、年間20万円プラス生徒1人あたり1000円(49人なので1年間で合計4万9000円)の支出にとどまっている。多くの在日朝鮮人が下関で暮らし、働き、税金も納めているが、学校への補助金は年間運営費の0・5%でしかない。これは江島市長がブラジル旅行で150万円を散財するのと比較しても、いかに微微たる額かがわかる。
 「各種学校」の扱いなので、国からの補助はなく、助成額については自治体ごとの裁量に委ねられている。山口県は今年度から1人あたり年額4万円だった補助金を5万円にアップしたが、それでも私学への補助と比べるなら5分の1に満たない。
 この4月からは宇部と下関の朝鮮学校が統合し、宇部から13人の生徒が下関に通うようになった。学校はなくなったけれど、宇部市は通学する子どもたちへの助成金として20万円を出している。周南市は生徒1人あたり2万円を助成しており、これらと比較しても下関の少なさはきわだつ。各家庭にかかる経済的な負担も大きい。
 国籍は違えど、下関に生まれ育ち、日本に永住する子どもたちがいる。それは日本の支配層がおこなった植民地支配の結果で、大量に拉致・連行してきたからである。民族的排外ではなく友好を大切にしてきた下関市民のなかでは、「下関のことを本当に知らない人間だ。教育行政の長はまかせられないし恥ずかしい。すぐ帰れ」と話題になっている。

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