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被爆の新鮮な怒り共有し
 原爆使用阻止の力結集を
 
               8・6広島集会の成功にむけて   2005年7月7日付                

 アメリカが広島と長崎に原爆を投下してから60年を迎えようとしている。なんの罪もない女、子ども、学生、年寄り、勤め人という無辜(こ)の非戦斗員数十万人を瞬時に火の海にたたきこみ、むごたらしく焼き殺し、戦争が終わっても親や兄弟を奪われた苦しみのうえに、放射能障害がくり返し襲って、人人を死に追いやるという史上もっとも凶悪なむごたらしい兵器を使用した。この傷痕は60年たっても消えることはない。ところが原爆を投下したアメリカは、正義の行為であったかのように開き直って、核兵器廃絶の約束を破り、核の先制使用を広言し、核実験を再開し、使用可能な小型核兵器の開発をすすめようとしている。しかも、中国、朝鮮を敵国と名指しし、日本を核攻撃基地としてアメリカの核戦略のもとに縛りつけて再編し、日本をアメリカの戦争の下請として動員して、アジアと日本を原水爆戦争の戦場にしようとするなかで、世界で唯一原爆を受けた民族として、このような状況を黙って見ておくことはできない。いっさいの原水爆の製造も貯蔵も使用も禁止する、真に力のある運動を再建することが切望されている。
  
 50年8・6平和斗争を継承
 原水爆禁止運動は、敗戦から5年目の朝鮮戦争をはじめた戒厳令のような弾圧下の広島で、占領軍の弾圧をうち破って、原爆投下の犯罪を正面からあばいて切り開かれた。それはたちまちのうちに全国に広がり、5年後の1955年には世界大会が開かれ、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも使用させず、「原爆を使用することが正しい」などとはいわせない力をつくった。
 この運動がその後、さまざまにあらわれたアメリカ擁護の潮流によって変質させられ、破壊され、表面にあらわれた多くの運動はまったく無力なものとなった。このなかで、峠三吉の時期の原点、すなわち1950年8・6平和斗争の路線をとりもどして原水爆禁止運動の再建をはかる活動が、広島、長崎で大多数の市民の圧倒的な共感を呼び、全国に共感を広げてきた。
 原爆の惨状を伝える写真や絵と峠三吉の原爆詩を組みあわせた原爆展パネルの展示は、下関からはじまって、広島で被爆市民の大きな共感をえ、長崎でも被爆市民の激しい共感を呼び、「祈りの長崎」は虚構にほかならず、怒りこそが大多数の本心であることを証明した。峠の原爆展は、東京、沖縄をはじめ全国の数千カ所で展示され、いまや数百万人が参観し、心から共感するものとなっている。
 とりわけ、広島と長崎の被爆市民が、原水禁運動の変質潮流、アメリカ輸入の「祈り」潮流などの長期の抑圧を突き破り、ともに原爆投下者の犯罪を糾弾し、二度と使用させないために声をあわせはじめたことはきわめて大きな力を発揮するものとなっている。原爆に反対するとき、世界で唯一原爆被爆の痛みを知る広島、長崎の被爆市民の怒りから出発しなければ力のあるものにはならない。
 力ある原水爆禁止の運動を起こすには、戦後世界的な運動となって実際に原爆使用を縛りつけた歴史的な経験である、1950年の原爆反対のたたかいの原点に返ることである。
 それは、
 第1に原爆で無惨に殺された地下からの叫び、生き残った人人の新鮮な怒りを共有することを出発点にすること、
 第2に原爆投下が「戦争を終結させるためであった」とか、「原爆投下者に文句をいってはならず、日本人は侵略の反省をせよ」などの欺まんを一掃し、原爆投下者の犯罪をあいまいさなく暴露すること、
 第3に現在原爆投下者アメリカがそれを謝罪するどころかふたたび使用しようとしていることを断じて許さないこと、
 第4に平和を愛好する全世界の人人と連帯すること、とりわけかつて侵略した隣接する朝鮮、中国の人民と友好連帯を断固としてすすめること、
 第5に平和運動の装いで運動をねじ曲げ変質させてきたあらゆるインチキ潮流を暴露し一線を画すこと、
 そして第6に、社会の進歩を代表して最大の政治的な力をもっている、労働者が中心になって、被爆者、青年、婦人、文化・知識人、教師などあらゆる階層の人民が団結した運動を建設すること、である。
   
 渦巻く被爆への怒り 「祈りの長崎」は虚構
 長崎における峠三吉の原爆展は衝撃的な反響を呼び起こした。「祈りの長崎」というのは表面をおおうだけの虚構であり、実際の被爆市民は語っても語り尽くせぬ激しい怒りに燃えていた。このほんとうの思いを表面に出せないようにしてきたものは、「なんのためにこんな目にあわなければならなかったか」という問題で欺まんがおおいかぶさってきたことであった。
 戦後、「原爆は戦争を終結させるためにやむを得ぬ手段であり、それによって幾百万の生命を救った」といい、アメリカはそれを「英雄的な行為」「慈悲深い行為」とまでいってきた。それは「侵略戦争に加担した日本人は反省せよ」という宣伝と結びついて人人を黙らせてきた。そこに、とくに長崎ではGHQにかかえられた永井隆などが持ち上げられ、「召されて妻は天国へ」とか「神の摂理」とか、「幾百万の命を救った原爆が落ちて幸せだ」といった宣伝が人人を押さえつけてきた。最大の殺人者が正義で、理由なく殺された側が反省せよというとんでもない転倒がふりまかれてきた。
 世界的に権威を持った原水禁運動が、1960年代の混乱をへて衰退したのちの近年では、「日本人は戦争の加害者であり、原爆投下者に抗議するのでなく反省をせよ」といういわゆる加害者論が幅をきかせてきた。広島、長崎では「おじいちゃん、おばあちゃんが悪いことをしたから原爆を落とされた」ということが、平和教育と称してやられるありさまであった。そしてキリスト調の反核運動なるものが持ち上げられてきた。
 アメリカの広島、長崎への原爆投下は、戦争を終わらせるためでも、平和をもたらすためでもなく、もっぱらアメリカの利己的な戦後支配の目的によるものであった。
 マッカーサーは「日本は降伏を準備しており、軍事的には原爆はまったく必要がなかった」といっているが、それはアメリカ指導部のほんとうの見解であった。原爆投下を焦らせた要素は、ドイツ降伏後3カ月後すなわち8月8日と決められたソ連の参戦であった。すなわち、日本を単独で占領・支配すること、あわせてソ連を脅しつけ、戦後世界を支配する目的のために、ソ連参戦まえの8月6日に広島、ソ連軍が関東軍陣地に攻めこみはじめた9日に長崎へと原爆を投下したのである。
 歴史的な経緯から見ると、日中戦争で軍事的な敗北は不可避となり、陸軍参謀本部ですら中国撤退計画をつくるような状況で、日米戦争に突きすすんでいった。日米戦争は開戦に際しても、海軍上層部などは「1年なら暴れてみせる」(山本五十六)という状態でのやみくもな突入であった。早くも1年後にはガダルカナル海戦で日本海軍は壊滅的な打撃を受け、あとは敗走につぐ敗走の状態となっていた。
 1944年にはサイパンが米軍の猛攻で陥落し、日本本土への空襲が現実問題となった。これで東条内閣は倒壊し、戦争指導部のなかで降伏論も出るが、戦争続行を指示したのは天皇側であった。その後1年余りのあいだに最大の戦死者を出した。東京をはじめ全国の都市空襲がはじまるが、なんの抵抗もできずに焼かれ放題。制空権も制海権もないなかで武器も持たせずに兵隊を輸送船につめこんで沈めるにまかせ、南の島ではチリジリとなってとり残された兵隊が飢えと病気で死んでいた。そして、沖縄戦で20万をこえる戦死者を出しても戦争をやめなかった。
 アメリカは、日露戦争のあとには、アジア・中国市場の奪いあいをめぐって新興の帝国主義日本との戦争は不可避と見こんで、日本のハワイ攻撃をも想定し、それを絶好の口実として日本をたたきつぶし、占領するという計画を立てていた。日米開戦後には、天皇は利用できると評価し、皇室への攻撃を禁止すること、すべての戦争責任は軍部にかぶせるという方針をつくっていた。戦後に駐日大使となったライシャワーなどは「ヒロヒトを中心としたカイライ政権をつくる」といっていた。
 アメリカはこのような帝国主義支配者の利己的な野望のために、眉根一つ動かさず原爆を投げつけたのである。

 天皇制支配の温存にも役割
 天皇を頭とする戦争指導部は、45年2月の近衛文麿の上奏文が代表するように、もっとも憂うべきは人民の革命であること、米英は国体変革まで要求していないので、米英に降伏して天皇制支配の地位を守ることを考えていた。国民には「鬼畜米英」「1億総玉砕」「捕虜になるなら自決せよ」と号令をかけて無惨に命を捨てさせながら、みずからの地位を温存するために米英に救いを求めていた、というのが実際であった。原爆投下はかれらが米英に助けられる形で戦争を終える格好の機会となった。
   
 開き直るアメリカ 日本を核攻撃拠点化
 それから60年、広島、長崎に原爆を投げつけたアメリカは、反省するどころか開き直って、いままた原水爆を使用しようとしている。ブッシュ政府は先のNPT会議で「核廃絶」の国際的合意を拒絶し、核兵器の独占と「使える核」の開発、配備に拍車をかけ、日本をめぐる原水爆戦争の危険が緊迫の度を増している。ブッシュ政府は「東アジア重視」の核戦略をとなえ、米軍基地の再編、日本とその周辺海域へのミサイル配備を急ぎ、小泉政府がこれに追随し、原水爆による交戦を想定した戦事体制に国民を動員しようとしている。
 ブッシュ政府は今年の年頭、「中国の軍備増強」「北朝鮮の核」の脅威を強調。2月には日米安保協議委員会(2プラス2)で、「台湾有事」に自衛隊を起用し米軍との共同作戦で介入する「日米共通戦略目標」をうち出し、その方向で在日米軍基地の大きな再編を強行している。
 広島に隣接する米軍岩国基地には厚木基地機能の移転・拡張増設をすすめている。これまでも核貯蔵庫の存在が暴露され、ホーネットなど核搭載機を配備してきた岩国基地に空母を接岸させ、核搭載艦載機や空中給油機を大量配備しようとするものである。それは、岩国基地の核攻撃機能を格段に強化するものである。こともあろうに被爆地・広島の周辺を原水爆戦争の一大出撃拠点にしようというのである。
 岩国基地内ではすでに核ミサイルの攻撃を想定した待避演習、とりわけ米兵家族を国外に脱出させる訓練をひんぱんにくり返している。さらにNLP(空母離発着訓練)基地の岩国や、拒絶された広島県沖美町への移転の策動もうごめいている。こうした動きは、「ミサイル防衛」の名による迎撃ミサイル搭載イージス艦の日本海への配備、岩国や佐世保に米原子力空母を寄港させる計画、アメリカの極東核戦略を支えてきた嘉手納など沖縄米軍基地と連動したものであり、日本全土の核基地化を格段にすすめるものである。それは、中国市場を狙ってアジア人同士をたたかわせるアメリカの長期戦略に乗って、日本を破滅に導く屈辱的で危険な道である。
 小泉政府が靖国神社参拝や尖閣列島をめぐって、また核や拉致問題で中国や北朝鮮への挑発をくり返し、緊張を高めているのは、こうした策動とつながる意図的なものである。
 小泉政府は現実に日本への核攻撃を想定した準備をすすめている。「弾道ミサイル飛来時の警報」をテレビや携帯電話で発信するシステムの整備や、「テロの標的」とされる原発周辺の住民を動員した実動訓練を本格化させ、原水爆による攻撃や放射能汚染を想定して自治体、放送局、病院、港湾、自治会などを動員する「有事体制」づくりに拍車をかけている。
 3月に閣議決定された「国民保護に関する基本指針」では、「核兵器による攻撃」や「原発爆破攻撃」のさいには、「風下をさけて避難する」とか、「手袋やタオルで口や顔を保護する」など、被爆体験を愚弄(ろう)する内容を記すまでになっている。
 また広島に隣接した山口県上関町に原発計画を「国策」として強行しており、広島周辺一帯を放射能にまみれさせようとする暴挙をすすめている。
 社会主義の崩壊、米ソ2極構造の崩壊は、原水爆戦争の危険性を遠ざけたのではなかった。むしろ逆に、対抗する強力な勢力がいなくなり、核報復の心配が遠のいたことが、アメリカの原水爆使用の危険性を強めている。
 かつて広島、長崎の原爆を受けた日本が、またもやアジアを原水爆攻撃する基地となり、あろうことか日本本土をも原水爆戦争の戦場にするというもくろみは、日本民族にとってはかりがたい屈辱である。
   
 力ある運動が急務 無力にした「加害者論」
 このようななかで、アメリカの好き勝手を許さず、原水爆戦争を押しとどめることのできる運動を起こすことが死活の要求となっている。原水爆禁止の運動は、1950年の広島にはじまり、たちまち全国に広がり、5年後には広島で世界大会が開かれるまでになった。
 だがその後、アメリカは原水爆禁止運動を破壊するためにさまざまな手口を使ってきた。このなかで、ソ連とそれにつづいて中国の指導部がアメリカに屈服し、世界の人民を裏切っていく過程が進行するなかで、原水禁運動は変質し無力なものとされてきた。この特徴は、「いかなる核にも反対」とか「核拡散を防止する」とかさまざまにいいつつ、原爆を受けた被爆市民の怒りを基盤としないこと、そして原爆投下者であるアメリカに矛先をむけさせないことが、共通した特徴である。そして原水禁、被爆者運動が、一部の特権集団の党利党略の道具とし、その売名と飯のタネにされてしまった。
 近年はびこってきたのは「加害者論」である。原爆投下者の犯罪を糾弾するのでなく、原爆投下の原因は日本のアジア侵略に責任があったとして、その反省をするのが進歩的で徳の高いものであり、それ以外は平和運動とはみなさないという調子で、マスコミや行政が監視しあおる形で、運動をさらに無力なものにした。
 天皇の戦争責任を発言して有名になった本島等元長崎市長が、広島の平和団体に呼ばれて、「広島よおごるなかれ」という講演をしたことがある。原爆で殺された子どもたちも、「万歳」をして侵略兵を送り出したのだから加害責任があるといい、この反省なしに原爆投下者に文句ばかりいうのはけしからんというものであった。
 かつての日本のアジア侵略を反省するならば、現在に生かさなければならず、現在のアメリカの中国、朝鮮への侵略・核攻撃のもくろみに反対しなければならない。またアメリカの原爆投下に反省を求めなければならず、戦後のアメリカの日本への侵略に反対するのでなければインチキである。
 80年代以後は、フランスの核実験を契機にして高まったヨーロッパを中心とする「反核運動」がもてはやされた。道路に寝そべり、ローソクをたき、太鼓や歌を歌うような、デモともいえないデモがもてはやされた。昨年の広島では、「反核運動を反米にすりかえてはならない」ということがマスコミから強調された。核兵器が自分で自然に生まれ、爆発するわけではなく、それを製造し使用する人間を問題にしなければ廃絶するなど話にもならない。
 歴史上、史上最悪の原爆を人類の頭上に投げつけたのはアメリカだけである。そしてそれをまともに投げつけられたのは広島と長崎だけである。世界中から核兵器を廃絶しなければならないが、そのためには核独占をして世界を恫喝するアメリカに真先に廃棄させなければなんの意味もないのは明らかである。
 かつて日本が侵略し、筆舌に尽くしがたい被害を与えた中国や朝鮮などアジア近隣諸国との関係で、核攻撃をふくむ敵対関係にするのでなく、すべて国際的な紛争は武力によらず話しあいで解決するという戦争の痛い教訓を守り、友好団結の関係にすることは日本人民にとって死活の重要性を持っている。
   
 労働運動再建が要 反帝反戦が第一義
 原水爆を阻止しうる力のある運動を再建するには、労働者を中心とする運動を再建しなければならない。かつての1950年平和斗争は労働者が中心になって、各界の人民が団結し、国際的な連帯をしたものであった。団結した労働者こそこの社会で最大の政治的力量を持った勢力である。アメリカや日本の反動支配層も、戦争を引き起こすには労働者の協力がなければ不可能である。それは同時に、労働者が反対すればかれらも戦争はできないということである。
 50年8・6斗争で白熱論議された問題は、経済主義は誤りであり、国際連帯と階級宣伝でなければならず、反帝反戦斗争が労働運動の第一義に任務であることということであった。労働者が、自分たちの経済要求がすべてというのではなく、戦争を阻止し平和を実現するという全人民的な政治課題を掲げて、戦争を引き起こすアメリカと日本の政府に対してたたかうことを第一義とするという問題である。
 労働運動は、50年代の原水禁運動から60年安保改定阻止の大政治斗争を担った。ところがその後、政治斗争を否定し、資本主義の発展、企業の成長に依存して自分の経済要求を実現するという経済主義、企業主義がはびこり、そのなかで労働貴族培養の政策がとられ、すっかり瓦解してきた。
 今日では、アメリカのグローバル戦略による「市場原理」「自由競争」「規制緩和」のもとで、好き勝手な資本の利潤追求が正義であるかのようにされ、そのもとで失業者があふれ、低賃金と殺人的な労働によって労働者の生活も健康も極度に破壊されている。労働者はものをいわせぬ奴隷であるという実感を強めさせるものとなっている。米日資本が労働者を支配する最大の武器が原水爆である。アメリカが日本の独占資本手段を従属させ、人人を搾取し、弾圧して戦争に駆り立てることとたたかわなければ労働者の生活を守ることはできない。
 労働者の運動を再建することを中心課題にして、青年、婦人、農漁民、商工業者、勤労市民、文化・知識人、教師などすべての人民各層が団結して、真に原水爆戦争を阻止しうる力を結集しなければならない。
 今年の8・6広島集会が、原水爆を禁止する展望を示すものとして成功させることが期待されている。

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