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被爆地・長崎から真実伝える
長崎「原爆と戦争展」主催者会議
              6月に原爆と戦争展準備    2009年5月11日付

 長崎市中央公民館で10日、第五回長崎「原爆と戦争展」の主催者・賛同者のつどいが開かれ、開催に向けた取り組みがはじまった。「被爆市民と戦地体験者の思いを結び、若い世代、全国・世界に語り継ごう」をスローガンにひらかれる第五回長崎「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる長崎の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる広島の会)は、6月14日(日)〜21日(日)まで長崎市川口町の長崎西洋館イベントホールで開かれる。戦後社会の荒廃と日本を巻き込む新しい原水爆戦争の動きに対して、320万人もの犠牲者を出した第2次大戦の体験者の思いを1つに結び、独立と平和の力を結集する場として、成功が期待されている。
 会議には、主催者である原爆展を成功させる長崎の会、下関原爆被害者の会の被爆者をはじめ、主婦、介護ヘルパー、大学生など約20人が参加し、被爆地・長崎から本当の声を若い世代に伝えていく意欲に満ちた論議となった。
 はじめに原爆展を成功させる長崎の会の永田良幸会長があいさつし、「毎年やってきた原爆と戦争展も5回目を迎える。戦争を知らない人たちが増えるなかで、いまこそ戦争の真実を知らせていかなければならない。最近、市長や被爆者団体代表がアメリカに行って“核廃絶をお願いします”と大騒ぎしているが、市民にはなんの相談もなく、カヤの外に置かれている。アメリカは、広島と長崎にウラン型、プルトニウム型の2種類の原爆を投下し日本人をモルモットにした。アメリカに行くのであれば、その犯罪性を声を大にして訴えなければいけない。きれいごとですまされる問題ではない」と強調した。
 さらに、「私たち被爆者は、戦争と原爆で両親や兄弟を亡くし、いまだに行方不明もいる。原爆のことを口にするのは辛いが、語るのなら本音で話さなければ意味がない。若い人たちには、偽りの歴史ではなく、本当のことを知らせなければいけない。ぜひ力をあわせて成功させましょう」と力強く訴えた。
 下関原爆被害者の会の升本勝子副会長は、今年はじめに逝去した吉本幸子前会長の偲ぶ会に長崎の会から花が贈られた事へのお礼をのべ、「今年に入ってから下関市立大学やシーモールで原爆と戦争展をおこなってきた。これからも吉本会長の遺志を継いで下関の会もがんばっていきたい」と連帯の気持ちを伝えた。
 自己紹介のあと、下関原爆展事務局から今年のとりくみの経過と概要について報告された。
 報告では、「戦後60年を越えた今日の日本社会は、働いてもまともに食べていけない貧困問題や、就職難、失業、後期高齢者問題など、老若男女を問わず明日をも知れぬ深刻な状態にさらされている。また、相次ぐ青少年の犯罪、親殺し子殺しが多発するという植民地的な荒廃状況に多くの人が胸を痛め平和な未来の後継ぎとして子どもたちを育てることが切望されている」ことを指摘。
 また、アメリカ発の金融恐慌からふたたび戦争へというきな臭さも身近に漂うなかで、市民のなかでは「みんなが貧乏になって戦争へ」というかつての経験が思い起こされるとともに、320万人もの戦争犠牲者を冒涜し、ぼう大な税金をつぎ込んだ在日米軍基地の再編強化や、「核攻撃にはカッパをきて風下へ逃げる」などというテロ対策訓練、自衛隊の海外活動の本来任務化、日本全土へのミサイル配備など日本全土をふたたびアメリカのための原水爆戦争に巻き込む動きに対し、「このまま黙っているわけにはいかない「子や孫のためにも声をあげて行動しなければいけない」という声が渦巻いていることを強調した。
 そして、被爆者、戦争体験者の心を結び、その本当の思いを若い世代に語り継ぎ、平和と独立の展望のある未来を切り開くための世代を超えた大交流の場にすることが提起された。

 体験語る使命感溢れる 原子雲の下から
 論議の中では、それぞれが体験した被爆の実相や、戦後の有形無形の圧力の中で口をつぐんできた経験をはじめ、原爆を落とした側からではなく、原子雲の下にいた市民の側から肉親や兄弟を殺された生生しい体験を語り継いでいく使命感に満ちた意見があいついだ。
 16歳で被爆した婦人は、「学校でも原爆を知っている先生はいなくなり、原爆については教師の判断1つで教えられない学校もある。アメリカに行って“ノーモアナガサキ”と叫ぶこともいいが、原爆の実際を知らないのではまともな話にならない。私の友人はみんなピカドンで亡くなり、ずっと口にしたくなかったがこれからは後世に残すことが生き残りの役割だと思う。この原爆展で、写真を見て、生の話を直接学んでほしい」とのべた。
 別の婦人は、いまでも黒い服を着た人を見ると被爆後に市内に転がっていた黒こげの死体が蘇るとのべ、「戦後は、原爆手帳をもっていれば嫁にも行けないといわれるので母がタンスの奧にしまいこみ、被爆したことも黙ってきた。ビルマ戦線から帰国した父も亡くなり、貧乏と親のいないつらさは身に染みている。二度とこういう経験をいまからの子どもたちにさせないために力になりたい」と語った。
 被爆者のなかでは「いまでも内臓に卵形のガンが無数にあり、何度も手術を繰り返している」ことや、「ガスコンロを付けるたびに崩れた家のガレキが一瞬にして燃えたことを思い出す「夏の生ゴミや西瓜の皮が腐った臭いを嗅ぐと死体の山が蘇ってくる」など鮮烈に脳裏に焼き付いている体験が口口に語られた。
 70代の男性被爆者は、「城山の叔母の家は、原爆ですべて燃え尽きて、大きな頭蓋骨のまわりに小さい骨が散らばっていて一家全滅とわかった。周囲の死体はみんな仰向けになり、天に向けて両手両足をつきだした格好で焼け焦げていた。浦上川には重なり合った死体が潮の満ち干にあわせて川を上下しているなかで、丸裸になった人たちが死体をかき分けて川に水を飲みに行っていた。この世の光景ではなかった」と話した。
 また、「両親が亡くなった四歳と六歳の兄妹を引き取って自宅に寝かせていたが、それまで我慢していた妹がスッと立って台所に行き、ガブガブと水を飲み出した。兄は“水を飲んだら死ぬ”と怒っていたが起きあがる体力がない。妹は“お母ちゃんが川の向こうにおる!”と死んだはずの母親の名を呼びながら、安らかな表情で寝床に戻って息を引き取った。兄も後を追うように亡くなり、2人をトタンに並べて火葬した。ちゃんと燃えないので心を鬼にして、親指の骨を石でたたき割って持ち帰った。残りの死体は他の何十体もの死体と一緒にいまもその場所に眠っている。長崎にはそんな場所がいくつもある。原爆ほど残酷な兵器はない」と涙ながらに語った。
 他の参加者や学生たちも涙を拭いながら聞き入った。
 滑石に住む80代の婦人は、空襲警報が解除になって安心して防空壕から出たとき、茂木方面からB29が飛来し、凄まじい光と爆音で真っ暗になり、屋外にいた5歳の女の子は一瞬にして髪が燃えて即死したことを話した。
 「裸になって作業をしていた動員学徒たちは黒こげの墨のようになり、生き残った生徒たちもフラフラと畑の縁に腰掛けたまま動かなくなった。爆心地の松山町では、電車の中で運転手がハンドルを握ったまま死に、工業高校の生徒がしゃがみ込んで靴ヒモを結ぼうとしたままの格好で焼け死んでいた。三菱グラウンドには男と女に分けて骨が山積みにされ、消防団の人がスコップで焼け残った遺体をトラックに乗せていた。今もあの場所を通るたびにあの光景が浮かんできて、手を合わせている」と堰を切ったように語った。
 また、これまで長崎では原爆のことを語る場所がなかったことや、「茂里町の製鋼所でも相当数の人が死んでいるが慰霊碑の一つも立っていない。あれでは成仏できるわけがない「戦争を二度とさせないためには、知られていない事実を知らせないといけない。また戦争をすれば、自分の家族どころか国全体が壊滅する。若い人たちに絶対に伝えなければいけない」と活発に論議は広がった。

 学生も取組に強い意欲 原爆投下許さぬ
 長崎大学2年の女子学生は、「長崎に来て1年間原爆のことを学んできたが、今年は知らない人たちに原爆と戦争について伝えていきたい。そのまま伝えることは難しくても、少しでも原爆の悲惨さと、2度とやってはいけないことを伝えたい」とのべた。
 教育学部の女子学生は、「教員を目指しているので平和教育について長崎で原爆について学びたいと思ってきた。はじめて被爆の生の体験を聞くことができ、友人にも声を掛けて、1人でも多くの人に直接話を聞いたり、写真を見てもらいたいと感じた」と感極まった表情で語った。
 男子学生は、「原爆といえば死ぬ人数が多いということだけが強調されてきたが、実際には戦後60年経っても後遺症が続いていることの深刻さをはじめて知った。学校の平和教育では資料や本を見るだけだったが、実際の体験を聞くことが大切だし、この運動を広げていくためにできることをやりたい」と意欲をのべた。
 できあがったポスターやチラシを市内各地に掲示、配布し、全市民的な協力のもとで宣伝を広げていくことや山口県のスタッフとともに長崎市民も宣伝行動に参加していくこと、学校や官庁、地域のなかで創意を凝らした取り組みを広げていくことも語り合われた。
 最後に、永田会長が「なぜこんなに世の中が狂っているのか、どうすれば平和な日本をつくれるのかは、戦争体験者の生の声を聞くことで見えてくると思う。政治家が悪事ばかりをやり、ウソの情報が垂れ流されているなかでも、体験者の脳裏に戦争は昨日のことのように鮮明に残っている。ぜひ多くの人に心の内を語ってもらい、原爆や戦争を肌で感じることのできる原爆展にしていきましょう」と呼びかけて散会した。

 開催要項
 第5回長崎「原爆と戦争展」の開催要項はつぎのとおり。
 日時 6月14日(日)から21日(日)。午前10時から午後7時(最終日は午後5時)まで。
 会場 長崎西洋館2階イベントホール(長崎市川口町、浜口電停横)

 展示 パネル「原爆と峠三吉の詩」/第2次世界大戦の真実/沖縄戦の真実、全国空襲の記録/長崎被爆市民の声・「沈黙を破る長崎の怒り」/各種被爆資料、被爆・戦争体験を語るコーナー
 後援 長崎県、長崎市
 入場無料

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