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非教育市政に父母の怒り圧倒
下関川中中地元説明会
               点取り虫より人間育てろ     2007年6月13日付

 「市長が中央(政府)にいい顔をするために、川中中学校があるんじゃないんですよ!」「これほど地元が反対の声を上げているのに、聞こうともしない。どうなっているんでしょうか?」。下関市・江島潔市長の意向で松田雅昭教育長がしゃにむにすすめている市立川中中学校の学校移転にともなう教科教室導入をめぐって、父母や地域の堪忍袋の緒が切れた。11日夜に市教委が開催した地元説明会では猛烈な反対意見が吹き荒れ、なめてかかった松田教育長は目を白黒させるばかりとなった。帰属するクラスがなくなり、700人が毎時間学校中を大移動する教科教室で、教育関係者は誰もが大規模校では無理というものに、地域の子どもたちを問答無用で投げ込む。独裁政治の暴走に、子どもの教育をないがしろにされた親たちの怒りは、こらえきれないものになった。安倍首相は、「自由と民主主義の理念を共有する国と仲良くする」などといっているが、やっていることは独裁政治である。

 茫然自失の松田教育長
 川中公民館で開かれた初の地元説明会は、まるで、アリバイ的な事後報告に終始したことから、総反発となった。行政にははじめから聞く耳などなかったからである。夕方6時30分に間に合うように、川中中学校の父母をはじめ、川中小学校、熊野小学校の父母たちは仕事を終えて駆けつけた。地元自治会の関係者や住民などあわせて約150人が参加したが、期待していたものとは真反対だった。
 冒頭からウキウキ顔で登場した松田教育長が、川中中の校舎建設を「教科教室型」にすることは平成14年12月の建設検討委員会で確認され、平成15年には基本設計ができる寸前まで進行し、業者も決まっていたと経緯を説明。昨年に用地取得が完了し、平成22年4月の開校を目指すとのべた。建設費「2割増し」の校舎を建てる話に説明のほとんどを費した。
 市教委担当者が平成22年度4月開校までのスケジュールとこれまでの経緯を説明し平成15年に決まったという基本設計の素案として鳥瞰(かん)図を示し、教科教室型での子どもの1日の動きをシミュレーションで説明すると、はじめて聞くことばかりだった保護者からはどよめきが起こった。その後、豊北中の梅月校長が、豊北中学校の教科教室型の学校運営についての講演をおこない、質疑へとうつった。
 質疑に入ると、挙手による父母からの発言があいついだ。口火を切った父親はまず、松田教育長に「教科教室型にすると口火を切ったのは、市教委側か地元側か」と質問。松田教育長は「教育委員会だと思います…」と認めた。父親は続けて「そのために先生方も教科教室型について表だっては反対できずにきたと思う」とのべた。平成15年度にPTA代表としてワークショップに参加したものの、保護者の意見を聞くような余地はなくすでに異を唱えることはできなかったことを明かした。
 「“もう決まっているから一応保護者に説明したよ”という持っていき方がはたしていいのか。学校は自分たちの教室、安心できる場所があってこそだと思う。子どもが6時間分の荷物を抱えて、サブバックを持って、今ならプールの道具も持って学校をゾロゾロするのを想像してみて下さい。われわれの子どもや孫、川中の未来の子どもたちがいらんことをしなくてもいいのではないか。本当にこれでいいのでしょうか」と参加者にむかって呼びかけた。
 続けて挙手発言したのは、市内で教鞭に立っている母親だった。「私も反対です。幼稚園や保育園、小学校に通っている子どもをもつ住民全員にアンケートをとってもいいぐらい大事な問題。本当に教育のことを思うなら、今の川中中学校は、学習面より生徒指導の方が大事だと思う。1人1人の個性を生かす教育をやるのは、普通教室でも十分にできる自信は教育関係者の一員としてある。中学生は大事な時期で不安定。器だけかえて教員の意識を変えればいいなど、誤魔化されているような気がしてならない」とみずからが教師であることを明かして堂堂と意見をのべた。会場からは大きな拍手が湧き起こった。

 父母が次次と挙手発言
 そうなると、母親や父親がつぎつぎと挙手して発言は止まらなかった。「個性を大切にする教育はわかるが、なぜ教科教室型でないとできないのか。毎時間、700人が1度に民族大移動するというので、本当に落ちついた学びができるのか不安を覚える」とのべる人。「川中中は模範校ではなく、都市の中の実験校だと思う。江島市長さんは、子どもたちよりも中央に目がむいているのではないか」。
 「今日は期待して来たが、暗い気持ちになった。トップダウンでお上からおりてきて、“我慢しなさいよ”といわれている気がする。新しい学校になれば先生たちの会議なども増えて、生徒に目が届かないことも増え、そこで事件が起こったりすることも考えられる」「親として住民として考える時間がほしい。いいたいこともいいたい。50年、100年とずっと川中中で子どもたちが育っていくのだから」「私たちのまったく知らないところで話が動いている」など、市教委や市にたいする厳しい批判が相次いだ。
 川中小学校のPTA会長は、「教育長は中学校が教科担任制だから教科教室というが、高校も教科担任制だが通常学級になる。なぜ中学校だけが教科教室型を導入しないといけないのか」と前置きし、「小・中学校は地域住民と運命共同体であるが、なぜ平成14年の段階で説明会を持たなかったのか。もう決まっていたのだから、結果報告をするというやり方では、反対意見が出ても当然」と市教委のすすめ方に意見をのべた。また県央部にある小郡中学校は大規模校での教科教室型をやめたことにふれ、「本当に先生方の意見を汲んだうえで、これが決定されているのか。先生の声が聞こえてこない」と疑問を投げかけた。また、「市教委は、教科教室にすれば教科指導は成果があるが生徒指導は不安、課題が残るといった。中学生は多感な時期で心の動きがあらわれてくる。生徒指導に課題があるのにあえてこの教科教室型を導入していいのか」とのべ、保護者、地域との対話を強く訴えた。
 熊野小のPTA会長は、「このままいっていいのか? 私もワークショップに参加していたが、住民の理解を得られぬままやるべきでない。半年でも1年でも時間をかけるべきだ」とのべた。

 賛成の意見は全く出ず
 市教委は「今日の説明会は経緯を説明するもの。示した教科教室の素案について意見をいただきたい」と軌道修正を試みたがアウト。「それでも教科教室でいくというのですか?」の親たちの質問も次第に怒りがにじみはじめた。聞いても、訴えても「教科教室でいきたい」と役人答弁のオウム返しをくり返して噛み合わない。賛成意見はまったく出ず、圧倒的に反対意見や強権的なすすめ方に対する批判意見であった。
 今春、鳴り物入りで昇格(秘書課長から異動)した三木教育次長が登場し、「住民のご意見を聞いてからというお話があったが、教科教室型でいきたいという強い思いがある。そのなかで検討委員会を立ち上げて話をするが、委員のなかにも反対意見もあるので、そのなかで意見を出していただき、地域にお返ししながらよりよい結果を出したい」とのべた。父母や地域の声など“聞きません”とはいえないが、“しっかり聞きます”ともいわない肩すかし。
 松田教育長は想定外の親たちの迫力に、表情はひきつるばかり。説明会のあと親たちの意見を聞いての見解を求めると、自分が招集した説明会なのに「今日は反対の人ばかりだったから…」というのが精一杯。茫然自失の顔つきで家路についた。
 途中退席した母親は、「民主主義を教える学校をつくるのに、こんなやり方があるんでしょうか?」と疑問を呈した。別の母親は、「教育委員会の方たちはメモもとっていなかった。親たちの意見は聞き捨てでしょうか?」と信じられない様子で語った。
 1時間の予定が2時間半に及んだ説明会で、父母たちの願いは子どもの教育はお上からの強権でなく、民主主義的に親や地域で十分論議してすすめてほしいということであり、勉強も大事だがそれ以上に人間性を養うこと、生徒指導・徳育をしっかりする方が大事だという切実な要求が共通していた。
 川中中では「点数よりもまともな人間を育てるようにして」という願いは、計画が浮上した5年前から、現場教師や親たちがずっと主張していることだ。それを江島市長や松田教育長など、教育の外側から強行にごり押ししてきたのである。この5月末には松田教育長が川中中学校に足を運び「いかに教科教室がいいものであるか」を教職員に説教して、「教師はものをいうな」の圧力をかけたばかりだった。
 教科教室で子どもたちを実験台にしクラスのまとまりをなくして子ども同士を点数で競わせて、ますます崩壊させようとしていることに、もっとも子どもの教育に心を砕いている父母や教師たちの、教育を自分の利権のためにもてあそぶ、江島市長やそのヒラメ役人である松田教育長への怒りは、すでに尋常でない領域に入った。

 学校崩壊の5年間 教委やメディアが攪乱・教師の指導性奪う
 そもそも川中中学校が崩れはじめたきっかけは、2002(平成14)〜2003(平成15)年度にかけて上から押しつけられた「教科教室」型校舎の研修に、現場の教師を動員しはじめたことであり、2年のあいだに各教科の教師が1人ずつ全国の“先進校”に視察に行かされた。その結果「川中中のような大規模校では生徒指導上難しい」という意見が出ても、マイナス面はとりあわず、「校舎に死角が多すぎて生徒指導上どうか」「ホームルームが必要」という指摘に対しても、「予算がない」と改善されず、極秘事項としてすすめられた。そのため「あの時期は教員同士もギスギスしていた」とふり返って語られている。しかしその年の12月に用地取得を理由に計画が頓挫した。
 それから3年のあいだに状況は大きく変わった。市教委は人事で教科教室の計画に意見した教員を異動させ「長年築いてきた地域とのパイプを切った」と語られている。2004(平成16)年4月には、部活で熱心な指導をしていた教師に対して、マスコミが「体罰」と騒ぎ、教師を袋だたきにして教師の指導性を奪った。
そのようななかで「学校崩壊」状態になり、2005(平成17)4年月には校内で女子生徒が自殺するという痛ましい事件が起こった。それに対しマスコミが教委やマスコミ自身の責任は棚に上げて「教師の責任」を大騒ぎし、松田教育長は無責任発言をくり返して「現場責任」を押しつけ、現在でもマスコミによる「教師責任」の攻撃が続いている。この5年間の川中中の経過を見たとき、教育の外側からの教育行政やマスコミが権力を使って学校現場を混乱させ崩壊させていったのがありのままの姿である。
 今回の教科教室をなにがなんでもごり押しすることは、クラスを解体して勉強で子どもを競わせ、子ども間格差をさらにつくり出してもっと現場を決定的にがちゃがちゃにしていくことは明らかで、教育破壊の政策である。
 教科教室型は、多くの教師が指摘するように「生徒の主体性を育てる」と称して、学級集団のまとまりが希薄になり、「能力に応じた教育」で子ども間の格差を広げるものにほかならない。そして子ども同士をバラバラにし、生徒指導をできなくさせるものである。
 多くの親や教師は、学校のテストの点数よりも、学級集団のなかで友だちと仲よくし、集団のなかで切磋琢磨して、人の気持ちのわかる子どもに成長してほしいというのが要求である。現在、安倍首相が目玉にしてすすめる教育再生会議は、学校現場と無関係な人間が、学校現場に競争原理を持ちこみ、学校間、生徒間を徹底的に競争させ、学校選択制を持ちこみ、学力や経済力で選別し一部のエリートと大量の落ちこぼれをつくり出すというものである。貧乏人の子は金の問題から平等な進学条件をなくし、食えない大量の青年をつくって兵隊に駆り出すというアメリカの真似をしているとしか考えられない。

 教師の役割に期待 全市的な教育の問題
 このような、大規模校に「教科教室」を押しつけるというのは、電子入札や最新式の犬猫と殺施設、国民保護計画の実動演習など、ろくなものではない「全国初」が大好きな江島市長のやり口であり、それが教育再生を叫ぶ安倍首相の実験台であることは明らかである。保護者の1人は、「川中中の問題は、江島市政の独裁政治の縮図ですよ」と憤りを語っている。そして「江島市長は早く辞めさせなければならない」し、「松田氏のようないいかげんな人物に下関の子どもの命運を決めるような教育長という大事な役をさせてはならない」と語られている。
 川中校区では、今度の説明会をやって、父母も地域もみんなが同じことを考えていたことを確信するところとなった。川中中の教科教室問題は、川中校区だけではなく、下関の子どもをどう育てるかをめぐって、全市的な大論議が起きるすう勢となっている。今度の説明会で、教師である父母が先頭に立って発言したことが大歓迎されたが、教育の正しい発展のために、全市の教師が、勤労父母と結んで役割を果たすことが期待されている。

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