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ヒラリー・クリントンとは誰か 上
  ーーアメリカ大統領選挙を目前にして
               国際教育総合文化研究所 寺 島 隆 吉
                            2016年11月2日付
 
 アメリカの選挙情勢は11月8日の投票日を目前にしながら混沌としています。
 というのは、オバマ大統領や民主党幹部・特権階級だけでなく金融街や大手メディアからも圧倒的な支援を得ながらも、世論調査ではヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏の支持率は拮抗しているからです。
 トランプ氏は共和党幹部からもアメリカの財界・支配層からも支持や援助を得ていないにもかかわらず、そして大手メディアから袋叩きにあいながらも、拮抗状態なのです。
 たとえば、民主党のヒラリー女史は、10月19日に行われた最後のテレビ討論に出演しましたが、直後におこなわれたCNNテレビおよび世論調査機関ORCの調べでは、クリントン女史が勝ったと答えた回答者は52%、反対にトランプ氏が上まわったと答えたのは39%に留まっていました。
 ところがワシントン・タイムズ紙は、最後のテレビ討論に関する緊急調査で、同討論会で共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏がライバルのヒラリー・クリントン氏に圧勝したと報じているのです。
 同紙はサイト上で討論後に「最後の討論会、勝ったのはどっち?」という質問をおこなったのですが、討論の終了直後、トランプ氏には77%または1万8290票だったのに反し、ヒラリー女史には4100票または17%しか集まりませんでした。
 その後しばらく経つと状況はさらに変わり、10月20日の日本時間14時35分にはトランプ氏3万2000票(74%)クリントン氏9000票(21%)となりました。
 ワシントン・タイムズは米国で最も著名かつ保守的な編集方針で知られていますから、新聞社のバイアスがかかっているのかも知れませんが、それにしても、トランプ氏は圧倒的な支持を得ているのです。
 さらに、米国大統領選挙まであと16日という時点(10月23日)でのロサンゼルス・タイムズの世論調査では「トランプ支持44・4%、ヒラリーン支持44・1%」という結果でした。
 ご覧のとおり、共和党トランプ氏と民主党ヒラリー女史の支持率は、ほぼ拮抗しているのです。
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 さらに、もうひとつ面白い情報があります。「Sputnik日本」(10月28日)は、イギリス高級紙インデペンデントからの情報として次のような記事を載せているのです。

 ニューヨーク大学のヘルムト・ノーポース教授は、自分の作った米大統領選結果予測モデルによると勝利するのは共和党のドナルド・トランプ候補であることを明らかにした。インデペンデント紙が報じている。
 ノーポース教授の開発した選挙結果予測モデルは1992年から今までの米大統領選挙の予測を2000年の一度を除いて全て当てている。モデルは2000年は民主党の勝利を予測したが、実際はフロリダ州の浮遊票を集め、共和党のジョージ・ブッシュ氏が当選した。
 さて今回だが、このモデルの予測ではプライマリーでより見事な演説を行なった候補者が勝利する。ノースポース氏の見解では、プライマリー(予備選)で勝利を収めたのはトランプ氏で、このことから選挙で勝利する確率は高い。
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 トランプ氏は共和党幹部からもアメリカの財界・支配層からも支持や援助を得ていません。にもかかわらず、そして大手メディアから袋叩きにあいながらも、なぜこのように選挙で勝利する確率が高くなっているのでしょうか。
 それはヒラリー女史とトランプ氏の論争が進めば進むほど、ヒラリー女史の本性が民衆に分かり始めてきたことです。
 すでに民主党内の予備選でさえ、社会主義者を自称するバーニー・サンダース氏に追い上げられて、一時はサンダース氏が勝利するかも知れないと言われていたことすらあったのですが民主党幹部の裏工作、大手メディアの加勢で何とか乗り切ることができました。この間の事情を櫻井ジャーナル(2016年6月17日)は次のように書いています。

 ところで、民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールが公表されている。本ブログでは何度か取り上げたように、昨年6月11日から14日にかけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加、欧米の支配層は彼女を大統領にする方向で動き出したと言われていたわけで、この電子メールの内容は驚きでない。
 この内定を揺るがしたのがサンダース。急速に人気を集め、支持率はヒラリーと拮抗するまでになった。ただ、そうした動きが現れる前に選挙人登録は終わっていたため、支持率が投票に反映されたとは言い難い。例えば、4月に投票があったニューヨーク州の場合は昨年10月9日までに民主党と共和党のどちらを支持しているかを登録しておかないと予備選で投票できず、投票できなかった人が少なくない。
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 このニューヨーク州の事態については長周新聞2016年5月4日で、私は「続・世界に恥ずべきアメリカの選挙制度」と題して既に拙論を載せてあったのですが、サンダース氏の進出を阻止する動きがもっと露骨になったのはカリフォルニア州の予備選でした。
 それを櫻井ジャーナルは上記に続けて次のように書いています。

 支持政党を登録していなくても投票できるカリフォルニアで予備選が行われる直前の世論調査ではサンダースがクリントンをリード、幹部たちを慌てさせたようだ。民主党支持者ではサンダースが57%、クリントンが40%、無所属の人ではそれぞれ68%と26%だとされている。
 そうした状況の中、予備選の前夜にAP通信は「クリントン勝利」を宣告した。「スーパー代議員(上位代議員、あるいは特別代議員と訳されている)」の投票予測でクリントンが圧倒し、勝利は確定しているというのだ。この「報道」がカリフォルニアにおける予備選でサンダースへの投票を減らしたことは間違いないだろう。
 カリフォルニア州の場合、本ブログではすでに紹介したように、投票妨害とも言えそうなことが行われていたという。政党の登録をしなかった人びとはサンダースを支持する人が多く、民主党の登録をしている人はヒラリー支持者が多いが、登録しているかしていないかで投票用紙が違う。
 投票所によっては投票用紙を受け取ろうとすると、政党無登録の人には予備選に投票できない用紙を自動的に渡す投票所があったという。投票するためには民主党支持変更用紙を要求しなければならない。予備選に投票するにはどうすべきかと尋ねられた係員は、政党無登録の人には民主党用の用紙は渡せないと答え、民主党支持変更用紙のことには触れないよう指示されていたケースもあったようだ。
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 こうした動きのなかで、突如、サンダース氏は選挙戦から降りると宣言し、勢いを増しつつあった支持者の運動や願いを裏切り、あろうことか「ヒラリー女史こそ大統領としてベストの候補者だ」という演説までもするようになりました。
 ではサンダース氏が今まで言ってきたこと、「ヒラリー女史はウォール街と一心同体であり富裕層の代弁者だ」という言はどこへ行ったのかと、支持者たちはやりきれない思いをしたに違いありません。
 ヒラリー女史および民主党幹部とサンダース氏の間に、裏でどんな取引があったのか分かりませんが、とにかくヒラリー女史はこうして無事に予備選をくぐり抜け、本選に挑むことができるようになりました。
 しかし相手は共和党のなかでさえ評判の悪いトランプ氏ですから、ヒラリー女史は本選では楽勝となり、「アメリカ史で初めての女性大統領」という栄冠を難なく手にすることができると思われていました。
 ところがウィキリークスがヒラリー女史や民主党幹部の裏舞台を暴露し始めた頃から雲行きが怪しくなってきました。
 元共和党政権の経済政策担当の財務次官補のポール・グレイグ・ロバーツは自分のブログ(2016年10月5日)で、それを次のように書いています。
 「…。彼女は、ウォール街・巨大銀行・軍産複合体の巨大な政治力を有するひと握りの連中、および外国利益の集団によって買収されている。その証拠は、クリントンの1億2000万ドルという個人資産と、2人の財団の16億万ドルだ。ゴールドマン・サックスは、講演で語られた智恵に対して、ヒラリーの3回の20分講演に、67万5000ドルを払ったわけではあるまい。…」
*Washington Leads The World To War
「世界を戦争へ導くワシントン」
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 上記で登場するゴールドマン・サックスは、2008年の世界金融危機の震源地のひとつとなった世界最大級の投資銀行です。そのように世界経済を破壊した機関で講演すること自体が問題ですが、その謝礼も私たち凡人の想像を絶する金額です。
 かつて私が大学教授として60~90分の講演をしても、その謝礼は3~5万円でしたから(ときには全く無料のものもあります)。ところがヒラリー女史は、そこで20分の講演を3回しただけで、67万5000ドル(約7000万円)の謝礼です。つまり、1回20分で約2300万円もの大金がもらえるのですから、いかに破格の謝礼であるかがよくわかるはずです。
 だからこそ、世界金融危機につながった住宅ローン担保証券の不正販売を巡る事件は、ゴールドマン・サックスから誰一人として刑務所に送られたものはなく、2016年1月に制裁金等33億ドルと借り手救済金18億ドルの和解金で決着してしまったのでしょう。世界最大級の投資銀行としては、おそらく、全くの端金(はしたがね)だったに違いありません。
 かつて民主党の支持基盤のひとつは労働組合だったのに、夫のビル・クリントンが大統領だったときにNAFTA(米国、カナダ・メキシコ3カ国による域内貿易自由化取り決め)によって、大企業がメキシコなどの国外へと移転して、労働者の多くは仕事を失いました。その結果、多くの労働組合が縮小・解体され、民主党は新しい財政基盤を必要とするようになりました。
 民主党が、労働者や一般民衆ではなく、財界や金融街に頼らざるを得なくなった物質的基盤は、このようなところにあります。自ら墓穴を掘ったと言うべきかも知れません。
 NAFTAを通じてビル・クリントンが追求した新自由主義政策は、貧富の格差を広げましたから、勤労者や貧困者から見れば、民主党というのは共和党と何も変わらない政党になったわけです。(日本の民進党と自民党も、全く同じ流れです。)
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 このような貧困化しつつあるアメリカ民衆の不満を代弁したかたちで登場したのが、民主党ではバーニー・サンダース氏であり、共和党ではドナルド・トランプ氏でした。しかし先述のとおり、サンダース氏は支持者を裏切るかたちで選挙戦から身を引きました。しかしトランプ氏の場合、共和党の幹部・特権階級からの妨害をものともせず進撃しつつあります。
 そして、かつては黒人票は民主党のものと思われていたのに、トランプ氏は着実に黒人票をも獲得しつつあるようです。とくに貧困層の黒人は、ヒラリー女史に見切りをつけ、トランプ氏に流れているようです。最近それを象徴する事件がありました。
 映画産業で有名なハリウッドの大通りには、有名スターの名前が入った星形メダルが埋め込まれた街路「ウォーク・オブ・フェイム」があるのですが、そのひとつにトランプ氏の名前が刻み込まれています。
 ところがヒラリー女史の支持者が、この刻み込まれたトランプ氏の名前をツルハシで破壊する事件が起きました。それにたいして今度は、この刻み込まれたトランプ氏の名前を守ろうとして座り込む女性が現れました。
 しかし、ここにもうひとつの事件が起きます。この座り込んでいた一人の黒人女性(しかもホームレスの老いた黒人女性だった)にたいして、なんとヒラリー女史支持者たちが罵詈雑言を浴びせかけ、彼女の衣類などが入っていたカートを彼女もろとも引っくり返して足蹴にする事件が起きたのです。そのうえ、なぜトランプを支持するかを書いた彼女のビラやポスターをずたずたに引き裂くようすがユーチューブに載せられたのでした。
 RT(2016年10月29日)の記事によれば、そのポスターのひとつには「オバマはクリントン一家に恩義を感じて我々黒人どもをバスの下に投げ込んでいる」といった文句が書かれていたそうです。
*Violent crowd attacks, insults homeless woman guarding Trump's Hollywood star
「暴力的群衆が、ハリウッド大通りに刻まれたトランプ氏の名前を守る女性を、襲ったり辱めたりした」

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 ロサンゼルス・タイムズは、今やカリフォルニア州立大学[全部で二三校から成るが全体でひとつの大学機構]の学生の、10人に1人がホームレスだと報じ(2016年6月20日)驚かされましたが、このような事態を生み出した民主党の特権階級にたいする怒りが、ホームレスの老いた黒人女性を上記のような行動に駆り立てたのではないでしょうか。
 「アメリカ史上、初の黒人大統領」と持てはやされる人物を頭(かしら)にいだく民主党政権が貧富の差を拡大させ、黒人どころか白人のホームレスまでもアメリカ全土に広がりつつあるのですから、実に皮肉と言えば皮肉です。
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 このような事態を考えると、社会主義者を自称するサンダース氏が選挙戦から落馬した現在、共和党から出馬したトランプ氏がアメリカ民衆の怒りを一身に背負うことになってきたことは、ある意味で当然のこととも言えます。
 これを裏書きするような象徴的な爆弾が、映画監督マイケル・ムーアによって投げつけられました。ムーアと言えば、映画『華氏九一一』やアメリカ医療を鋭く告発した映画『シッコ』などで有名ですが、そのムーア監督が、今度はトランプ氏を題材とした映画『トランプ・ランド』をつくりました。その映画上演会のため訪れたオハイオで彼は次のようなスピーチをして聴衆を驚かせました。

 「トランプ氏に投票する人たちは、必ずしもそんなに彼が好きなわけではありませんし、必ずしも彼の意見に同意しているというわけでもありません。彼らは必ずしも人種差別主義者ではありませんし、白人の肉体労働者でもありません。じっさい彼らはかなり礼儀正しい人たちです」
 「ドナルド・トランプ氏はデトロイト経済同友会にやって来て、フォード社の経営陣の前に立ってこう言ったのです。『あなた方がデトロイトでやろうと計画しているように、これらの工場を閉鎖してメキシコで建て直すつもりなら、そしてそこで生産した車をアメリカに送り返すなら、私はそれらの車に三五パーセントの関税率をつけるつもりだ。そうすれば誰もそれらを買わないだろう』」
 「それは、驚くべきことでした。政治家の誰も、共和党員であれ民主党員であれ、これまでに誰もそんなことを、これらの経営陣に言ったものはいません。それは、ミシガン州、オハイオ州、ペンシルバニア州、ウィスコンシン州の民衆の耳には実に心地よい調べだったでしょう。 Brexit の諸州、つまりアメリカから脱出しようとする大企業の存在する州では、民衆は同じ思いで聴くでしょう」
 「トランプ氏の言っていることが本気かどうかは、ここではあまり関係がありません。なぜなら、それは傷ついている人々が聴きたいと思っていたことだからです。だからこそ、あらゆる打ちのめされて役立たずになり忘れさられた一般労働者、いわゆる中流階級の一部を成す人々のすべてが、トランプ氏を好きになるのです」
 「トランプ氏は、そのような人たちの待ち望んでいた人間火焔瓶・人間手榴弾なのです。彼らは、自分たちから生活を盗み奪った組織や機構に、それを投げ込むことができるからです」
 「そして11月8日は選挙の投票日です。民衆・勤労者は仕事を失い、銀行によって家を差し押さえされ、次にやってきたのが離婚。今や妻と子供は去って自分のところにはいない。そして車も回収・没収。彼らは何年ものあいだ本当の休暇をとったことがない。くそにもならないオバマケア(医療保険改革法)ブロンズプランは、お先真っ暗。この保険では解熱剤すら手に入らない。要するに彼らは持てるもの全てを失ったのです。民衆の手に残されたものがひとつだけあります。それをもつには一セントのお金すら必要ありません。それは合州国憲法によって所有が保証されているからです。それが投票権です」 
*Michael Moore just gave the most convincing speech for Trump
「マイケル・ムーアが、今までのなかで最も説得力のある演説をトランプ氏のためにおこなった」
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 ムーア監督のスピーチは、まだ続いているのですが長くなるので、翻訳はここで止めます。
 ただスピーチの最後が、「トランプが選ばれれば、人類史に記録された最大の『くたばれ、この野郎』になること間違いなしです。勤労大衆にはさぞかし気持ちのよいことでしょう」で結ばれていることだけを紹介しておきます。
 今までサンダースを支援していたムーア監督が、ことここに至って、このようなスピーチをせざるを得なくなった悔しさがにじみ出ているようなスピーチではありませんか。
 ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであったミシガン州フリントで生まれたムーア監督が、故郷フリントの自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリーの名作『ロジャー&ミー』をつくっているだけに、この無念さはひとしおだったことでしょう。
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 さて、このようなトランプ氏の動きに対してヒラリー女史はどのように対応したでしょうか。
 最初は財界寄りの政策でしたがサンダースの打ち出す政策が民主党の若者や貧困層の支持を得て自分が劣勢になりそうなのに気づいて、TPPなど民衆の生活を破壊する政策に反対を表明するように変わってきました。
 しかし最近のウィキリークスが暴露したところによると、「政治家は表の顔と裏の顔があるのは当然だ」とする意見を彼女は身内のものに漏らしています。さらに予備選では「左寄りの政策を掲げても本選では右に戻せばよい」とも語っています。
 もっと恐ろしいことには、RT(2016年10月29日)の記事によれば、彼女は『Jewish Press』というユダヤ人のための週刊紙のインタビューで、「パレスチナの選挙に裏工作をしてファタハを勝たせるべきだった、そうすればハマスの一派が勝利することはなかった」とすら述べています。
*Clinton bemoans US not rigging 2006 Palestinian election in newly-released tape
「クリントンは、新しく公開されたテープ録音のなかで、2006年のパレスチナにおける選挙で不正操作しなかったことを、嘆いている」
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 このようにヒラリー女史は、他国の選挙に干渉して傀儡(かいらい)政権をつくることを何ら悪いことだと思っていないのです。
 2014年のウクライナ政変では、彼女の盟友であるヌーランド国務次官補が、米国ウクライナ大使と一緒になって反政府デモに加わり、デモ参加者にお菓子を配って歩いている光景が堂々とテレビ画面に登場していますが、これほど露骨な内政干渉はないでしょう。
 (ロシアの外務省高官や在米大使館員が、ニューヨークその他のデモや集会、座り込みテントに参加して、差し入れなどすれば、アメリカがどんな態度をとるか。想像してみればすぐ分かることです。)
 ところがトランプ氏との論争になると、ヒラリー女史は、政策をめぐる論争はほとんどやめてしまい、「トランプ氏はプーチンの操り人形だ」とか「ウィキリークスによるヒラリー関係のメール暴露は、プーチンがアメリカのコンピュータに侵入してウィキリークスに渡したものだ」といった主張を繰りかえすだけになってしまいました。政策論争ではトランプ氏と争っても勝ち目がないということを自ら認めたに等しいでしょう。
 それどころか、自分が国務長官として公的なメールサーバーを使うべきだったのに、私的サーバーを使って外部から侵入しやすくなったことにたいする反省もありませんし、その漏れた国家的重要機密情報が、リビアのアメリカ大使館に勤務する大使その他の職員をイスラム原理主義者による死に至らしめる結果になったかも知れないのに、そのことにたいする反省もありません。
 もっと奇妙なのは、このように私的サーバーを使って最高機密情報を漏らした当人は、FBIから訴追されることもなく堂々と選挙に出馬できているという事態です。イラクにおける米軍の悪事を暴いたマニング上等兵が牢獄につながれ元情報機関職員だったスノーデンが亡命に追い込まれたのとは、天と地の違いです。「悪いやつほどよく眠る」の典型例と言うべきかも知れません。
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 ここまでは、ドナルド・トランプ氏と比較しながら、アメリカの国内政策を中心にして「ヒラリー・クリントンとは誰か」を論じてきたのですが、以下では外交政策をとりあげてヒラリー女史の問題点を探ってみたいと思います。
 しかし、これを論じていると長大なものになる予感がするので、今回は幹の部分だけを紹介して詳しくは次回に譲りたいと思います。
 それはともかく、ヒラリー女史とトランプ氏の外交政策における最大の違いは、ロシアとどう対峙するかという問題です。いまアメリカはシリアにおける内戦をどう解決するかという点で、ロシアと鋭く対立しているからです。
 いまヒラリー女史がシリア情勢で強く主張しているのは「リビア内戦時と同じようにシリアにおいても飛行禁止区域をもうけるべきだ」ということです。その理由としてあげられているのが、「ロシア軍とシリア政府軍がシリア第二の大都市アレッポを無差別に爆撃し一般市民からたくさんの犠牲者が出ているから」という口実です。
 これにたいしてトランプ氏は次のように主張しています。
 「アメリカは他国に内政干渉したり政権転覆に手を出すべきではない。国内には問題が山積していて他国に手を出す余裕などないはずだ」
 「今はロシアと手をつないで、『アルカイダ』『イスラム国』といったテロリスト=イスラム原理主義者集団をシリアから追い出すべきだ」
 これに関してロシアもシリア政府も、「リビア内戦時と同じようにシリアにおいても飛行禁止区域をもうけるべきだという主張は、シリアをリビアと同じような混乱に陥れ、シリアを破壊・解体して、さらに死傷者と難民を激増させるだけだ。休戦地帯をもうけろと言う主張は、テロと戦うという名目でアサド政権をつぶそうとする隠れ蓑にすぎない」と反論しています。
 この飛行禁止区域の設定については、ロシアもシリア政府も次のように主張し、アメリカの要求をきっぱりと退ける姿勢を示しています。
 「アレッポの東部地区を占拠して一般市民を『人間の盾』としながら休戦協定を無視してアレッポの西部地区の一般市民を無差別に攻撃しているのは、むしろ反政府勢力のほうだ。しかも彼らはアメリカの主張する『穏健派』どころか、『アルカイダ』『イスラム国』の一派であり、シリアには『穏健派』など存在しない」
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 ですから、このまま緊張状態が続けば、アメリカ軍とロシア軍との直接的な戦闘になり、いつ世界大戦になるか、いつ核戦争になるか分からない情勢です。トランプ氏は「『アルカイダ』『イスラム国』といった過激なイスラム原理集団をつくり出したのは、アメリカなのだから、そのような政策から手を引くべきだ」と言っているのですから、今までの感覚でアメリカを見ていたひとたちは頭が混乱するかも知れません。
 というのは、従来の図式からすれば、民主党=リベラル=ハト派であり、共和党=保守派=タカ派なのに、ヒラリー女史の方がトランプ氏よりはるかに好戦的だからです。それに反してトランプ氏は、ロイター通信(2016年10月25日)によれば、「ヒラリー氏が大統領になれば第三次世界大戦になりかねない」と主張しています。
 これはトランプ氏の単なる選挙戦術のようにもみえますが、同じ警告はあちこちから聞こえてきます。
 すでに前半で紹介したように、元共和党政権の経済政策担当の財務次官補だったポール・グレイグ・ロバーツは自分のブログ(2016年10月5日)で、下記のような「戦争に導くワシントン」という記事を書いています。
*Washington Leads The World To War
「世界を戦争へと導くワシントン」
 またイギリスの保守的高級紙と言われるインデペンデント紙(2016年10月25日)も次のような論文を載せています。
*Could Hillary Clinton start a world war? Sure as hell she could? and here's how
「ヒラリー・クリントンは世界大戦を始める可能性があるか、確かにそうだ。それはこうして始まる」
 どちらかというと今まではトランプに批判的だったインデペンデント紙がこのような論説を載せるようになったこと自体が、現在の情勢がいかに緊迫しているかをしめすものではないでしょうか。
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 もっと驚いたことには、調べてみると既に四月の時点で、クリントン氏の自叙伝の著者ディアナ・ジョンストン氏は、イタリアのイオ・ジョルナーレ紙のインタビューで、「クリントン氏の大統領選の勝利は、第三次世界大戦の勃発も含め予想外の結果をもたらす可能性がある」と語っているのです。
 RTの記事(2016年4月29日)によると、ジョンストン氏は次のように語っています。

 クリントン氏がまだ国務長官に在任していた頃、押しの強い外交政策を掲げていた。クリントン氏はアメリカのイラク侵攻及びリビアでの戦争参加を支持し、そして現在はシリアのバッシャール・アサド大統領に反対する姿勢を支持している。これに加え、クリントン氏は反ロシア的見解に固執している。世界は不安を呼び起こすような選挙公約を掲げるクリントン氏の「積極的な活動」に対して用心するべきだ。クリントン氏は外交の代わりに軍事力を用い、あらゆる事件が第三次世界大戦を引き起こしかねないほどにNATOを強化するつもりである。
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 このように、今まさに世界はアメリカ大統領選挙を前にして「伸るか反るか」の曲がり角に来ているのです。にもかかわらず、アメリカや日本の、リベラルを自称する知識人も大手メディアも、「アメリカ史上、初の女性大統領」という殺し文句に惑わされて、現在の深刻な事態が見えなくなっているように思われます。
 しかし現在の事態の深刻さを理解してもらうためには、ヒラリー女史が国務長官だったときだけでなく、それ以前に外交政策で彼女が何を主張し、どのような行動をとってきたかを、もっと詳しく説明する必要があります。
 とはいえ、すでに長くなりすぎていますので、これについては、次回の論考に譲りたいと思います。

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