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千人参観し大反響に
広島五日市原爆展
              「何かしたい」と行動求める    2006年2月7日付
 
 「原爆と峠三吉の詩」五日市原爆展が5日、閉幕した。5日間で約1000人が参観した。広島五日市に住む被爆者をはじめ、戦争体験世代、また若い母親などが多く参観した。米軍基地の再編や米国産牛肉輸入問題、上関原発などアメリカ追随の政治への怒りが語られ、なにかしたいと行動を申し出る人があいついだ。
 63歳の婦人は、「わたしも3歳のとき家がつぶれて挟まれたんです」と体験を語った。とおりかかった見知らぬ人がのこで柱を切って、助けてくれたという。そののこはいまもたいせつにとってある。5人家族が奇跡的に助かったが、母親だけが1カ月後に亡くなった。「これまで家族のなかで1度も原爆のことを話したことがないんです。しかしこのパネルを見ると、なにか話していかないといけないのではないかと思います」と語った。会の被爆者が12日の被爆体験に学ぶ交流会のチラシを渡すと、「家族と話してみて、できれば参加したいと思います」と約束して帰った。
 80代の男性は「この展示ではまだ少ない。もっとひどいものをたくさん見てきた」と、被爆して逃げる途中、猿猴橋にヤケドを冷やす人、水を飲みに来る人などがつめ寄せ、両岸には死体が折り重なって地獄のようだったことを語った。そして、アピールのパネルを指して、「これだ。アメリカに謝罪を求めることをもっと大きな声でやらないといけない。米軍が一番悪いのにいまでもいばっている」と語った。
 被爆直後の広島で救護の手伝いをした71歳の男性は、「体中に包帯を巻いてリバノール(消毒液)をつけるだけだったが、交換するとき、ガーゼといっしょに皮膚がはがれるので、みんなうめき声をあげていた。悲惨な光景だった」と体験を語った。そして「アメリカは原爆のような化学兵器で子ども、女、年寄りなどの無抵抗の人間を殺した。これは見せしめの集団虐殺であってテロと同じだ。絶対に許されない犯罪だ」とアピール署名に署名した。
 そして、「米軍基地でも国家予算の太い額をつぎこんで、日本が米軍を養っているようなものだ。米軍はいいかげんに帰るべきだ。自衛隊も米軍にいいように手足に使われている。まさに植民地じゃないか。国がそんなことに予算をつぎこむから、ニートやフリーターがふえている。これでは難民社会になる」と語り、「若者が骨ぬきにされて自分のことばかり考え、愛国心がなくなった。ホリエモンのような考え方が孫子の時代にまでひきつがれることが一番恐ろしい」といいながら、長周新聞の「売国性極まる戦争政治」の見出しを指し、「このとおりだ。しっかりやってほしい」と新聞を持ち帰った。
  当時海軍の衛生兵で南太平洋連合艦隊に所属していた92歳の男性は「このパネルのとおりだ。アメリカという国は日本以上に残虐な国だ」と強い口調で語った。原爆が落とされて10日後に広島をとおり、真赤に燃える街をまのあたりにしたという。「わたしはいつも思うが平和公園に“過ちはくり返しません”とあるが過ちをくり返すのはアメリカだ。日本も戦争という手段に訴えたのはいけないが、アメリカは油を止め、日本が戦争に突きすすまざるをえないように追いこんだんだ。いま北朝鮮がやられているのとまったく同じ手口だ」と怒りを語った。
 また宇佐の海軍航空隊にいるときに空襲を受け、まわりの民家が多数犠牲になったことを語り、「アメリカは高度4000bという高いところから爆弾を落としていた。そんな高いところから落として、わざとまわりの民間人を殺したんだ。なんの関係もない一般人をこれだけ殺した。しかし戦後そのことを棚に上げて、日本が悪いとばかりいってきた。平和教育でも日本軍部の問題しかとりあげられなかった」と語った。沖縄戦や、全国空襲のパネルを見ながら、「わたしの友人も沖縄戦で戦死した。いまの政治を見ていると、このままではハワイのようにアメリカの1州になってしまう。なぜこれだけ殺したアメリカの基地がまだ日本に居座っているのか。狂牛病の危険部分がついた肉をみてもアメリカは日本人をバカにしている」と憤りを語って、アピール署名に名前をつらねた。

 教育や政治の問題も論議に
 80代の男性は「わたしは新潟から復員してきて広島の惨状を見た」と、姉とその子ども、いとこ2人、親せきの子2人が死んだことを語った。「兵隊に行かなかった同級生は御用船に乗って沈められ、女子は陸軍病院で働いていたものが十数人死んでいる。アメリカは戦争に勝っておごっている。これだけの目にあわされているのに米軍基地の移設など、日本中どこの人間もいやがるのはあたりまえだ」と語った。
 当時、宝塚の川西航空に動員され、飛行機をつくっていた78歳の婦人は、「終戦の2カ月まえの6月に原料不足のため解散になった。もうジュラルミンもなにもなく、戦争に負けることはすでにわかっていた」と話した。
 「アメリカが一番悪いのにアメリカのいうことはなんでもあけてとおして、アジアからは日本ばかりが責められる。日本中に基地をつくられて、アメリカのたてですよ。中国や朝鮮と戦争をしたら日本はもうおしまいだ。岩国基地が大きくなるということは、江田島をかならず狙っている。昔からあそこは基地には最適な場所だからアメリカも使いたいんだ。アメリカ人のために国債まで日本の税金をつぎこんで、日本は奴隷だ。若い人たちがもっと立ち上がってほしいと思う」と語った。
 アンケートを書いていた70代の男性は「思うことがたくさんある。いまの政治はアメリカのいいなりだ。あの小泉チルドレンなんてもってのほかだ」と怒りを語った。そして会場においてある本紙の上関の記事を見て、「この上関にしても、島根の原発にしても中国電力は何億という金をばらまいてやっている。しかし最近の新聞やマスコミでそんなことをはっきり書くところがない。いまの日本はほんとうにおかしい」とつもる思いをぶつけた。
 今回新しく展示された全国空襲のパネルや沖縄戦のパネルも反響を呼び、「わたしの友人も沖縄戦で戦死した」(90代男性)、「ルメイに勲章を与えたというのが許せない。これだけひどいことをされていて、なにに貢献して勲章を与えたのか」(80代被爆男性)、「あれほど残虐なことをしておまけにああいう将軍に勲章まで与えてはがゆい」(80代婦人)、「千葉でもまわりから逃げられないように焼夷弾を落として燃やして、焼き殺した。ひどいことをしている」(50代、男性)など、口口に語りながらパネルを熱心に見る姿が多く見られた。
 また佐伯区にある短大の助教授は「これから被爆体験を掘り起こして、若い人に語りついでいく活動をしたいと思っている」と語り、12日の交流会への参加を約束したり、これまで語ったことのなかった被爆者が、協力者に名前をつらねたり、母親世代がなにかしたいと申し出るなど、積極的な行動があらわれている。
 広島の会の被爆者も、今年最初のとりくみが大きな反響を呼んだことに確信を強めている。地元佐伯区に住む婦人は「みんなで小学校や中学校、高校とアタックして結果が出たことがうれしい。子どもたちに行かせることができなかったので、とあいさつに来た校長先生もいた。打てば響くというのがうれしかった。ああいうのが教育だと思う」と喜びをあらわした。 
 また、「これからは自分たちだけでなく、いままで話したことのない人を引っぱり出して、話してもらうようにしていかないといけない」と、輪を広げていくことへの意欲が語られている。

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