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広島「原爆と戦争展」の取組開始
主催者会議開催
             戦争させぬ全国の力結集へ   2010年6月14日付

 広島市南区の広島県健康福祉センターで13日、7月下旬から広島市内で開催される第9回広島「原爆と戦争展」の主催者会議が開かれた。被爆から65年目の8月6日が近づき、荒廃した戦後社会を立て直す機運が盛り上がるなか、今日の日本社会の現状をもたらした第二次大戦と原爆投下の真実を語り継ぎ、「二度と日本を核の戦場にさせぬ」という全広島市民の思いを束ね、全国的な戦争阻止の勢力を大結集するとりくみがスタートした。
 会議には原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)の被爆者、戦争体験者、原爆遺児、主婦、被爆二世、会社員、自治体労働者、大学生をはじめ、下関原爆被害者の会(伊東秀夫会長)の被爆者、下関原爆展事務局スタッフ、劇団はぐるま座団員など約30人が出席。
 はじめに重力敬三会長が「被爆65年目の8月6日が近づくなか、昨年にも勝る原爆と戦争展になるよう活発な意見をお願いしたい」と呼びかけた。
 つづいて、下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長のメッセージを同会副会長の升本勝子氏が代読。下関、広島、長崎で連帯して進めてきた原爆展活動が劇団はぐるま座による『峠三吉・原爆展物語』に結実し、各地での公演が大成功をおさめたことへの喜びとともに、「欺瞞的なNPT再検討会議、普天間基地問題など民主党政府になってもアメリカに従属した現状は深まるばかりであり、日本を核戦争の盾にする企みに断固反対し、広島、長崎の本当の声を発信していく」と決意が示された。
 劇団はぐるま座の宇田川純氏は、原爆展運動を描いた『原爆展物語』を広島、廿日市で公演し、「隣接する岩国で米軍基地が増強されることに対して、広島でこんなことを許していいものか! という多くの声が寄せられた。小・中学生、若い母親たち、地域の人人による地道なとりくみが広がっている」と反響を紹介。原爆記念日をめがけて全国から人人が集まってくる8月4日(水)に原爆ドームに近い広島県民文化センターでの公演を中心に、広島県内7、8カ所で公演することを紹介し、原爆展と連動して全県、全国とつなげた戦争阻止の大運動をつくりあげていく決意をのべた。
 つづいて広島の会事務局の犬塚善五氏から、今夏の第九回広島「原爆と戦争展」のとりくみの概況報告や開催要項が提案された。
 報告では、広島市周辺、廿日市市や北広島町、広島大学での「原爆と戦争展」をはじめ、『原爆展物語』広島公演、広島市内の小学校、修学旅行生への体験証言など精力的なとりくみが進められ、そのなかで若い世代を中心に120人を超える人人が原爆展運動の賛同協力者に加わってきたことを明らかにし、「とくに、青年・学生と現役世代から激しい反応がよせられる新しい局面が生まれている」と紹介。被爆者や戦争体験者の、核兵器の廃絶と戦争阻止の思いを受け止め行動する機運が生まれており、今年の原爆と戦争展を広島、長崎の絆を深め、全国規模の平和の力を結集する交流の場とすることを提起した。
 すでに昨年までの賛同者500人に案内が送られており、大学生の新規賛同者など110人を超える人人から賛同協力の申し出が寄せられている現状を報告。全市民の協力を仰ぎながら圧倒的に宣伝を広げ、実務面でのスタッフや体験を語る被爆市民を募り、平和と独立の力を結集する全国大交流の場として開催することが提案された。

 今こそしっかり語る時 熱こめ語る体験者

 討議では、力強い決意が活発に語り合われた。
 広島の会役員の男性被爆者は、「被爆者、戦争体験者が体験を語る場であり、一人でも多くの体験者が会場に控えて体験を継承していきたい。日本社会では鳩山内閣が潰れ、米軍基地問題がいまだ大きくのしかかっている。そういう状況のなかで熱を帯びた論議になると思う。被爆体験者が老齢化しており、これまで黙ってきた被爆者たち、次の世代に伝えていく若い世代にも会に加わってもらいたい。このとりくみを通じてより多くの市民が運動主体に参画することを促していきたい」と意気ごみ高くのべた。
 廿日市在住の婦人被爆者は、「廿日市での原爆展では、若い人の熱意に引かれて、私たちが体験を語る意義を再認識した。いま社会の先行きが見えず、いつ戦争になってもおかしくない時代だ。私たちが幼少期を過ごした昭和初期には、戦争が起こる空気を幼心に感じていたが、いまがまさにその時期とそっくりになっている。先日の『原爆展物語』廿日市公演では戦争を起こさせぬという劇団の熱意が非常に伝わったが、被爆を経験した私たちも二度とあのような悲しい経験をさせないためにがんばりたい」と力を込めて語った。
 北広島町(旧豊平町)から参加した原爆遺児の婦人は、学童疎開にいっている間に両親を含めて16人の身内を原爆で失い、孤児収容所に入るところを養女として引き取られた経験を語り、「これまで原爆については避けてきたが、原爆展に行き、残りの人生が少なくなるなかで、伝えていかなければいけないと痛切に感じるようになった」とのべ、「豊平町でも義勇隊として広島市内で死体処理をした人もおり、小学校の校長先生からも声がかかっている。私たち生き証人には、生きている限り伝える義務がある。町内や地域で体験を語る場をつくっていけるように呼びかけたい」と意欲をのべた。
 佐伯区在住の婦人被爆者は、数日前に実妹が亡くなったことを明かし、「修学旅行生に体験を語った日に病院に駆けつけると、ちょうど私が語り終えたころに息が切れたことがわかった。私は13歳で被爆し、火傷のひどかった母と弟が亡くなり、3年前に広島の会に入った。私が生かされてきたのはこのためだったのかと思える。いまが私の青春だ。命のつづく限り、みなさんのために、私のために、亡くなった人たちの供養のためにしっかりと語っていきたい」と厳粛な思いをのべた。

 よく学び役に立ちたい 真剣な学生達

 広島大学や広島市立大学の学生からも、原爆展への新鮮な感動とともにその思いを受け継いでいく決意が語られた。
 理学部の女子学生は、「原爆や戦争は遠い存在だったが、パネルを見て戦争はすぐにでも起こるものだと気づかされ、ハッとした。まだ知識も少ないので、みなさんの意見をきいて勉強していきたい」とのべた。
 九州出身で教育学部の男子学生は、「大学の原爆展に参加したとき、男性の被爆者の方が体全身を使って語られるのを見て心を打たれ、ボランティアスタッフになろうと思った。せっかく九州から広島に来たからには、これから教壇に立つものとして原爆についてしっかり深めていきたい。学生としてできることを考え、力になりたい」とのべた。
 法学部の女子学生(広島出身)は、これまで原爆は遠い存在と思い、被爆した祖父からも話を聞いてこなかったことを明かし、「広島に生まれたからこそ自分が動かなければいけないと感じはじめた。普天間の米軍基地問題など戦争処理の問題がいまになって大きくなっている。日米関係にしても、いまから問いたださなければいけないことがたくさんある。みなさんの意見をしっかり聞き勉強して役に立っていきたい」と意気ごみを語った。
 市立大学の女子学生は、「若い人たちにとって核兵器に対する認識があまりないが、被爆者のみなさんの話がとてもリアルで、核兵器に対する感覚がひしひしと伝わってきた。この感覚が若い人たちみんなに伝われば、真剣に考えてもらえると確信している。現実に向き合って話を聞く機会を増やしていきたい」と抱負をのべた。学生たちの真摯な思いに参加者からは大きな拍手が送られた。
 南区在住の被爆二世の婦人は、「入市被爆した父親が数年前に白血病で亡くなり、検査のデータを見ると血液成分がゼロに近く、父の血液は赤い色をした水同然だった。私と弟を一生懸命育ててくれたが、最後は苦しみながら何もいわずに亡くなった。金庫を開けると被爆手帳を申請するときに父が書いた手記が見つかり、はじめて父の被爆後の動向がわかった。父からはなにも聞いていないが、これを機にしっかり被爆者から学んだことを次世代に伝えていきたい」と涙ながらに思いをのべ、学生たちに激励を送った。
 また、「地元の小学校で2年続けて被爆体験を語る場を重ねるなかで子どもたちの意識が変わり、取り組みが相互に繋がりはじめた。今年は保護者の方たちにも一人でも多く参加してもらえるようがんばりたい」(自治体労働者)、「これまで語ることを拒んできた人もいろいろと教えてくれるようになり、それらの体験を紙芝居にまとめて子どもたちに見せている。これからも次世代としてがんばりたい」と自作の紙芝居を紹介する婦人など、現役世代からも強い意気ごみが語り合われた。
 最後に、今月27日からの第6回目の「原爆と戦争展」が開催される長崎でも市民の意欲的な取り組みが広がっていることが報告され、今年の8月6日にむけて被爆地の絆を深め、広島から全国に力強い平和運動を発信するため旺盛なとりくみを開始することが確認された。

 広島「原爆と戦争展」開催要項

 日時 7月31日(土)から8月7日(土)。午前10時〜午後7時(8月5、6日は午前9時半〜      午後9時、最終日は5時)まで。
 会場 広島市まちづくり市民交流プラザ4階ギャラリー(旧日本銀行広島支店うら・袋町小学      校となり)
 展示内容 パネル「原爆と峠三吉の詩」/第二次世界大戦の真実/沖縄戦の真実、全国空     襲の記録/市民が初めて知る二万体の遺骨/米軍再編をめぐる全国のたたかい、被     爆・戦争体験を語るコーナーなど
 後援 広島市教育委員会
 入場無料

 

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