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 広島から全国へ平和運動発信
広島「原爆と戦争展」主催者会議
              戦争の流れ止める力結集へ   2007年6月22日付

 広島市東区の二葉公民館で21日、広島「原爆と戦争展」の主催者会議がおこなわれた。被爆から62年目を迎える今年、憲法改定、米軍再編、日米共同演習や国民保護計画、また、社会的荒廃や生活の圧迫など身近にしのびよってきた戦争情勢に多くの人人の危惧が(ぐ)強まるなか被爆地・広島から戦争を阻止する全国的な平和運動を発信することが期待されている。
 この日の会議には、原爆展を成功させる広島の会をはじめ、下関原爆被害者の会、下関原爆展事務局などから21人が参加。この間の活動の交流やとりくみにかける意気込みを語り合い、今夏の広島「原爆と戦争展」を、「被爆市民と戦地体験者の思い結び、平和な未来のために語り継ぐ」をスローガンに8月2日(木)〜7日(火)まで、「広島市まちづくり市民交流プラザ4階ギャラリー」(中区袋町)で開催すること、原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会の3者が主催することが決定された。
 はじめにあいさつした原爆展を成功させる広島の会の重力敬三会長は、「被爆から62年目の夏がやって来た。敗戦後、人人は廃虚の苦しみから立ち上がり、平和で豊かな郷土を建設するため並並ならぬ努力をしてきたが、今日の日本の現状は政治、経済、教育、文化の全般にわたって荒れ果てた様相を示している。そればかりか、わが国を巻き込んだ新たな原水爆戦争の危険すら不気味にただよう事態となっている」とのべ、「私たちは、原爆が2度と使われることのないよう被爆地広島の本当の声を若い世代に伝え、全国、世界に広げ、国民的な規模で平和の力を束ねることが今日切実に求められている。今年の原爆と戦争展の開催について十分検討し、昨年にも勝るよいアピールができるようご支援、ご協力をお願いします」と呼びかけた。
 続いて、伊東秀夫・下関原爆被害者の会会長のメッセージが同会副会長の升本勝子氏から紹介された。
 メッセージでは、長崎に引き続いて開催される広島での「原爆と戦争展」が、これまでにない大きな関心と期待を集めて開かれることを強調し、「憲法改定の動きや在日米軍の再編など、新たな戦争の気配が感じられる今、この広島から、原水爆禁止・戦争反対の声を上げ、平和のための運動を起こすことが切実に求められている。これは日本全国、さらには世界の圧倒的多数の人人の心からの願い」であり、被爆者、戦争体験者が絆を強め、「ともに力を合わせてがんばりましょう」と激励を送った。
 広島の会事務局の犬塚善五氏が、広島「原爆と戦争展」の概況について提案した。
 提案では、まず、昨年まで5回におよんでとり組まれてきた「広島市民原爆展」、今年、宇品や呉でおこなわれた「原爆と戦争展」の反響を確認し、修学旅行生、小学校、大学などで精力的に体験を語ってきた広島の会の活動も大きく広がってきたことを報告。さらに、長崎の会と共催でとり組んだ長崎「原爆と戦争展」が大きな成功を収め、被爆地の絆が一層強まったこと、「被爆市民を代表した運動は、下関、広島から長崎へと広がり、全国へ影響を及ぼしはじめており、平和への確かな力を築く」役割を果たしてきたとのべた。
 また、「原爆と戦争展」の展示内容として、「原爆と峠三吉の詩」「第2次世界大戦の真実」パネルを中心に第2次大戦の全貌と原爆投下、敗戦から現代までを、一連の流れとして描きながら、「全国に広がる原爆展」「広島の会の活動」「小中校生平和の会」、また「アメリカへの謝罪アピール」「全国キャラバン隊」、長崎「原爆と戦争展」など、被爆地を中心に広がる平和運動を紹介するパネルも加えることが提案された。

 若い世代へ真実伝える 論議の中で強い意欲
 討議では、これまでの活動のなかでの確信や、原爆と戦争展にかける思いが活発に語り合われた。
 精力的に体験を語り継いできた男性被爆者は、これまで宇品や呉でおこなってきた「原爆と戦争展」で若い人が強い関心を寄せてきたことへの確信とともに、呉市では「子どもたちに体験を聞かせたい」と願う中学校教師から体験を語り継ぐ依頼を受けるなど、広島の会の活動が広がっていることを喜び、夏に向けて「それらのとり組みをしっかりと進めながら、原爆と戦争展に結びつけていきたい」と抱負をのべた。
 別の男性被爆者は、「宇品では、空襲体験者の方がこられ、これまでは被害者であっても原爆と空襲の補償の差があるということばかり感じていたが、この展示を見て、狭い視野ではなく同じ戦争被害者として協力していきたいといわれた」こと、また「戦争に突っ込んで、日本全国が貧困になり、敗戦に至るまでの流れがよくわかったという声を多く聞いた。若い人も感心を持ち、反響の広がりを感じた」と活動の中で深まった確信をのべた。
 呉傷痍軍人会の男性は、「呉での開催は盛大で、思わぬ成果が上がった。呉は、海上自衛隊があり昔から特殊な性格をもった都市だが、これまで原爆展をしても、市職員も市長も参加しないなど盛り上がりに欠けていた。だが、“原爆と戦争展”でその空気が変わり、相当数の市民が集まったことは、ほんとうにありがたい」と喜びを語り、「最近では、大和ミュージアム、てつのくじら館(海自資料館)には全国から集まるが、あの関心を原爆と戦争展にもってもらえれば、日本の将来を守り、子や孫に平和な未来を残すことができると思う。はじめは関心も少なかったが、だんだんと雰囲気や考え方が変わりつつある。核廃絶、平和のための運動がもっと広がるようにがんばりたい」と意気込みを語った。
 光海軍工廠で空襲にあった70代の男性は、「戦後自分の体験はいっさい口にしなかったが、被爆60年の一昨年に“2発の原爆で戦争は終わった”と報道されていたことに黙っておれなくなった」と語り、「終戦前日の8月14日の正午光海軍工廠では米軍の低空爆撃を受けて、738名もの動員学徒たちが無惨に亡くなった。そのことを忘れてはいけない。私も空襲体験者の一員として、戦争のない世界のためにお手伝いしたい」と思いをのべた。
 論議のなかでは、戦争体験者との協力の輪を広げていくことや、長崎「原爆と戦争展」について「伊藤市長が殺されたことについてどのような反響があったのか」などの質問も出され、参加者からは、「市民が亡き市長の遺志を継いで、被爆地としての遺志を示そうと意気込み高くとりくんでいた」ことや、多くの若い世代が強い関心をもっていたことが報告された。伊藤前市長と国際会議に同行した経験のある婦人被爆者からは、「市長さんが殺されたときはショックで涙が出たが、長崎市民の方たちががんばっているのに励まされた。このパネルと一緒なら体験談もより伝わると思う。82歳になるが、私も老骨にむち打ってがんばりたい」と決意も語られた。
 また、今年は、昨年まで市民原爆展の会場として定着していた「メルパルク」が郵政民営化の影響で使えなくなったことから、新しい会場を市民をはじめ、全国からの訪問者にも周知すること、これまで関わってきた若い世代が職場で原爆展を開催することなども紹介され、昨年以上の大成功に向けて市民として奮斗することを誓い合った。

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