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平和を担う集団に成長
広島に学ぶ小中高生平和の旅
              全国の42校から116人が参加   2004年8月10日付
 
 第5回広島に学ぶ小中高生平和の旅(主催・小中高生平和の会、後援・下関原爆被害者の会、人民教育同盟)が5日と6日、「被爆者や戦争体験者の体験や思いに学び、受けつぎ平和のために行動しよう!」の目的のもとおこなわれた。山口県内の下関、宇部、美祢、萩、防府、山口、岩国から山口県外からは北九州、宮崎、広島、岡山、大阪、埼玉から42校116人の小・中・高・大学生が参加し、教師や親をふくめ総勢153人の団が広島の地を踏みしめた。6月から下関や北九州を中心に子どもたちが街頭で、旅の意義を訴え多くの市民、被爆者、戦争体験者、父母や教師から期待のこもったカンパ約75万円と署名約1200人寄せられた。また広島市民原爆展を参観した家族や学生が旅に参加するなど新しい輪が広がった。今回は、小中高生平和の会のリーダーをつとめた卒業者が中心にスタッフとして旅の進行を支えた。 
 
 熱こめ語る広島の被爆者
 北九州、下関、宇部の3地域から三台のバスが各地で参加者をのせながら、自己紹介や「青い空は」の歌を練習したり、峠三吉の詩「8月6日」の朗読を練習しながら、広島へむかった。
 午前11時、広島平和公園に到着した小・中・高校生は、12時15分までのあいだに昼食をとり、知らない子同士も仲よくなっていた。12時15分から17班の班分けがおこなわれ大学生、高校生、中学生の17人の班長が手づくりの班旗を振りながら、6〜7人の班員を集合させ、班のなかで自己紹介をしたり、係分担を決めた。
 今年は係活動をとり入れ、班長、生活係、保健係、食事・おやつ・弁当係、ジュース係、ゴミ係などこれまで班長が中心に担っていた仕事を班員で分担することで班での結束力、団の団結が強まる大きな要因となった。班のなかでやりたい係に積極的に「ハイ!」と手が挙がりつぎつぎと決まった。さっそくおやつ係は班員におやつを配り、生活係が被爆者のためのうちわやおしぼりをとりにいくなど大きい子も小さい子も自分の係に責任を持った。
 午後1時から結団式がおこなわれ、子どもたちの前にはこれから被爆体験を語る広島の被爆者18人がずらりと並んだ。はじめに平和の旅の目的、めあてを全員で読んで確認した。「目的一、被爆者や戦争体験者の体験や思いに学び、受けつぎ平和のために行動しよう! 二、小中高生は団結し、平和の担い手になろう! 三、学んだことを多くの人に伝えていこう! めあて一、班をもとに、すべての行動は指揮に従おう! 二、人の話を真剣に聞こう! 三、自分のことよりみんなのことを考え、人に感謝の気持ちを持とう! 四、困難なことにも負けず、がんばろう! 五、大きい子は小さい子の世話をよく見よう! 六、小さい子は大きい子のいうことをよく聞こう! 七、発表するときは大きい声で発表しよう! 八、平和の会のみんなは仲よくしよう! 九、時間を守り、規律正しく行動しよう! 一〇、平和教育をすすめている先生の指導を受けよう!」

 被爆者18人に体験学ぶ
 平和の会代表の今田一恵氏が、「この目的、めあてを守ってすばらしい旅にしましょう」と子どもたちに呼びかけ、18人の被爆者を1人1人紹介した。59年間体験を語ることのなかった被爆者、広島の各地で広がる呉、廿日市、江波での地域原爆展をきっかけに語ることを決めた被爆者、昨年につづいて語る被爆者などが、体調を整えて平和公園に足を運んだ。被爆者を代表して広島市江波の真木淳治氏が「広島のことを勉強していただくことがうれしい。わたしは昨年福屋での原爆展で体験を聞いていただいたことがきっかけとなってこの活動に参加した。これまで修学旅行で体験を語り感想文をいただき勇気づけられてきた。自分自身体験を話すことを生きがいとして感じている。被爆者の話をしっかり聞いて意識を持って勉強していただきたい」と子どもたちに訴えた。
 今年は例年にない猛暑で、熱中症防止のためにスタッフによって、水分補給が入念にされながら、各班は被爆者とともに平和公園の木陰に散らばり、被爆体験の聞きとりがはじまった。暑いなか被爆者はみずから持参した被爆当時の絵や広島の地図、写真などを見せながら「子どもたちに伝えたい」との使命感は昨年にも増す熱意のこもったものであった。一言ももらすまいとメモをとる子どもたちの真剣な感性と響きあい、平和公園内にはりつめた空気が流れた。平和公園に来ていた大学生数人も聞きとりに加わった。
 廿日市から来た妹尾治人氏は、廿日市での原爆展がきっかけとなり、当時の状況をひとつひとつ思い出すように、静かに子どもたちに語りかけた。当時17歳のとき広島市役所付近で建物疎開作業をしており、ちょうどとり壊そうとする家の縁側に座っていたため助かった。くずれたがれきの下から「助けてー!」という先輩の声が聞こえ、“これは助けないといけない!”と必死で壁をくずして助け出したこと、逃げる途中くずれた建物の下から「助けてください」という娘さんの声、しかし火の手が回っており「どこか突き破って出なさい」と声をかけることしかできなかったこと、ガラスの破片が飛び散ったご飯を食べたことなど、壮絶な経験を語った。
 「戦争は自分勝手な考えが起こしている。戦争を早く終わらせるためというが、原子爆弾を落とすこと自体が人間を虫けらのようにしか思っていない」と原爆への憎しみをこめた。「相手の立場を考えられるような、命をたいせつにすることのできるような人間になってほしい。人間のほんとうの心の原点に返らないといけない」と子どもたちに語りかけた。
 17歳のときに被爆した内田汎子氏は、原爆で妹が死に、自身は被爆後髪の毛がぬけ、口の中ではぐきがぶら下がり歯がどんどんぬけていき、18〜20歳まで歯のない生活で食べることもむずかしいつらい時期があったことを語った。姉が結婚して妊娠したと思って喜んでいたが、それは白血病でおなかに血液がたまってふくらんだためで、耳・鼻、口からピンク色のソフトクリームのような血の混じった泡が出てきて、結局亡くなったという。さらに50数年たって原爆症で弟を亡くしたという経験を語る姿に子どもたちは衝撃を受けていた。「みんながいっしょだったからつらくなかった」「いまから思えば昔話のようなもの」と、悲しい経験を笑顔で語る前向きな生き方は、逆に子どもたちを元気づけた。
 59年間体験を語ってこなかった江波の松田政榛氏は現在86歳。今年江波地域でおこなわれた原爆展を参観したことがきっかけでこの日、平和公園に足を運ぶことになった。
 「兵隊である自分が市民を守って一番犠牲にならないといけないのに、助けることができなかった」という責任から、語ることはないとこれまで語ってこなかった。「もう先は長くない。自分と同じ経験はさせたくない」と思い語ることを決めた。電車の中で立っている人も座っている人もそのまま死んでいる光景、家にはさまれている人たちから「兵隊さん助けてー!」といわれ、その声がいまだに耳に残っているという。みずからの経験を何度も思い出しながら「戦争がきらいだからといって、逃げることはできない」と、人と人とがつながり助けあうことのたいせつさを強調した。
 西義和氏は、「わたしの話を聞いてください」とすすんで体験を語った。救助活動の援助を求められたとき、やらずに帰宅したことをいまでも悔やんでいることを語った。警察官であった父親が、横川駅で木の下敷きになっている少年を助けようとしたが、火が来たので助けることができなかったこと、「どうしてもダメだから米英を恨んで死んでくれ」というと、少年が「ありがとう」といって手帳を渡し死んでいったという経験を泣きながら話したことを語った。「昔の犠牲があっていまがあるんです。みなさんに平和運動をがんばってほしい。そのためには礼儀正しく体をきたえてください」と愛情をこめて語った。
 どの班も被爆者がこれから生きていく子どもたちのために、熱をこめて語り伝える気持ちが、しっかり伝わっていた。
 被爆体験を聞くあいだ班長や副班長が被爆者や班員に気を配り、うちわであおぐなど積極的に動いていた。被爆体験の聞きとりを終えた班は、被爆者とともにメルパルクでの「広島市民原爆展」会場へむかった。原爆展会場にむかう道すがら、ある中学1年の女子は内田氏に相談しながら会場へとむかった。自分のうしろむきな性格のことなどを話すと「そんなことばかり気にしていたらいけない」と励まされた。「いままでヤケクソみたいになっていたけど、それじゃいけない」と自分の態度を変え、積極的に班の仲間のなかに入っていった。被爆者がほんとうのおばあちゃんのように、子どもたちは親しみをもって接していった。  
 班長が班員や被爆者のことに気を配り、被爆者岡谷イチノさんの車イスをゆっくり押して原爆展を見て回ったり、日傘をさして移動するなどの光景が見られ、被爆者への尊敬の気持ちが自然な行動になってあらわれていた。原爆展会場でもパネル1枚1枚詳しく説明する被爆者と熱心に説明を聞く班や、「この子たちと離れたくない」といって最後までみんなで手を振って被爆者と別れた班もあった。
 班活動を基本にして団全体の統率がきちんととれ、午後4時に17班が時間どおりに原爆ドームに集合し、宿泊所である「三滝少年自然の家」にむかった。宿舎の説明を受けたあと班長会議、係会議がおこなわれた。みんな疲れも見せず、係の先生の説明を真剣に聞き、その後5時30分からの夕食時間には、さっそく食事係が活躍した。班員のお茶をついだり、はしを配ったり学年が小さくてもたがいにカバーしながら楽しく夕食を終えた。風呂に入って班長を中心に被爆体験をまとめ、感想文を書いた。子どもたちは短時間で集中して感想文を書きあげ、とくに低学年の集中力は教師が驚くほどだった。

 他の班の体験にも学ぶ 感想発表会
 午後7時30分から体育館で17班を4グループに分け、感想発表会をおこない、ほかの班の体験や感想に真剣に耳を傾けた。
 家の下敷きになった人を助け出すことができず、戦後ずっと悔やみながら生きてきた被爆者、同級生がみんな原爆で死んだ経験から「友だちのために語らないといけない」と体験を語った被爆者、痛む足の傷をおして平和公園に体験を語りに来た被爆者、うめきながら「水をください」といわれた声がいまでも耳から離れないと涙ながらに伝えた体験など、被爆者が全身全霊をかけて語ったことを子どもたちがつかみ、被爆者への尊敬へとなっていた。同時に、つらい経験を乗りこえてきた被爆者の生き方を学び自分のこととして真剣に受けとめていた。
 「ぼくは内田さんの話を聞いてとても前むきな方だと感じた。“みんながいっしょだったからつらくなかった”“いまから思えば昔話のようなもの”など、逆にこちらが勇気づけられるような言葉がとても多かった。これからも内田さんのように前むきに平和の担い手として活動していきたい」(中学3年男子)、「命のたいせつさを教えてくれたので、友だちをたくさんつくりたい」(小学1年女子)、「山本さんはがまんするとえらい人になれるといっていました。だからわたしはがまんしようと思いました」(小学4年女子)、「ぼくたちは、戦争の悲惨さ、残酷さ、命のたいせつさを原爆をとおして学び、ではつぎになにができるのか、なにをしなければならないかを考えることがたいせつだと思う。原爆を学ぶことが一時的なものではなく、継続してみんなで考えていくこともたいせつだと思う」(大学2回生男子)、「人を助けられなかったことをいまでも悔やんでおられた。なんでなにも悪いことをしていない人たちが死ぬまで苦しまないといけないのか。ほんとうに悪いのは原爆を落としたアメリカだと思う。西さんは“尊い犠牲があっていまがある。一生懸命平和活動をやってほしい”といわれた。その気持ちを受けとめて人に優しくできる人になろうと思う」(中学2年女子)と発表した。
 その後、つぎの日の平和集会にむけて『青い空は』の歌の練習をし、何班ずつかがいっしょになって、子どもの詩の朗読や感想発表の練習に移った。
 『弟』
いたといたの中に
はさまっている弟
うなっている
弟は、僕に、水 水といった
僕は
くずれている家の中に
はいるのは、いやといった
弟は
だまって
そのまま死んでいった
あの時
僕は
水をくんでやればよかった「ただ大きい声ではなく気持ちを考えながら」と教師の指導も入りながら、班長を中心に汗をかきながらの練習で、体育館の中は熱気につつまれ短時間の練習で終えることができた。パンとジュースが配られるため、ジュース係とおやつ係が活躍した。
 午後9時30分には寝る班に分かれ寝る班のなかでも班長、シーツ係、そうじ係の分担をし解散した。

 係活動など通し固く団結
 1日を終えた高校生のリーダーは、班員が係活動をつうじて、すすんでみんなのためにがんばることが喜びになっていること、班員1人1人が被爆者と仲よく心をかよい合わせることができたこと、団としてまとまっていることを喜んでいた。
 6日の朝は6時30分に起床し、布団、シーツたたみ、掃除などを分担し7時15分に体育館に集合。朝食のあと8時15分に全員で黙祷をささげ、平和集会の構成詩のとおし練習を1時間ほどおこない9時30分に宿舎を出発した。
 平和公園の原爆の子の像の前で整列し、平和集会をおこなった。炎天下のもとで大きな声で歌や詩の発表をおこなう姿を、平和公園に来ていた人人や外国人がじっと見守っていた。この日も子どもたちの水分補給はスタッフによって万全におこなわれた。
 午後からはアステールプラザでおこなわれる「2004年原水爆禁止広島集会」に参加し、「広島にほんとうのおじいちゃん、おばあちゃんができたようでとてもうれしいです」と構成詩を発表した。前日に体験を語った広島の被爆者たちも子どもたちの発表を見ようと集会に参加していた。5日にはじめて体験を語った松田政榛氏も会場を訪れ身を乗り出して発表を見、「子どもたちが素直にわたしの話を聞いてくれてうれしい。語ってよかった」と喜び、これからも協力したいと話していた。また子どもたちは「よく広島に来てくれましたね」と語りかける広島の被爆者たちの発言にも真剣に聞き入っていた。
 集会後のデモ行進では平和の旅の子どもたちが峠三吉の詩「八月六日」を大きな声で群読しながら行進し、子どもたちの元気な姿は広島市民の注目を集めた。行進しながらうちわであおいだり、励ましあって最後まで4`の道のりを歩いたことは子どもたちにとって大きな達成感と連帯感になっていた。
 原爆ドームの前で解団式をおこないおたがいをたたえあった。各地の参加者が「大阪に帰っても被爆者に聞いた話を伝えていきたい」「お友だちがたくさんできました。また来年も参加したい」と感想を発表した。リーダーの小林さつきさんは、「とても楽しい旅になりました。被爆者の人たちに学んだことを学校に帰ってもがんばりましょう」と呼びかけて解散した。
 参加した教師は、「その日に会った見ず知らずの子どもが集まり短時間で集団的にできるのは、同じ目的を持っているからだと思う。子どもの力はすごいと思った」と語っていた。
 「広島の被爆者に学び、平和のために行動しよう」の目的で2日間をともにした42校116人の小・中・高校生は、大きく成長した。

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