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「平和教室」、「平和の旅」運動へ

第4回広島に学ぶ小中高生平和の旅
広島の被爆市民に学び成長
            50校から147人、平和を担う大集団に  2003年8月9日付

 「被爆者や戦争体験者の体験や思いに学び、受け継ぎ、平和のために行動しよう 」の目的のもと第4回広島に学ぶ小中高生平和の旅(主催 小中高生平和の会/後援 下関原爆被害者の会・人民教育同盟)の一団は5、6の両日、被爆地広島を訪れた。4回目を迎えた今年の平和の旅は、一昨年の第1回平和の旅をきっかけにつくられた「小中高生平和の会」が、毎月積み重ねてきた平和教室のなかで育ってきたリーダーたちを中心に、企画、運営された。広島平和公園と広島市民原爆展の会場は大交流の場となった。6月から旅にむけて下関、北九州を中心に子どもたちが連日街頭で広島に学ぶ旅の目的を多くの市民に訴え、署名1272人、カンパ約75万円の期待と支持が寄せられた。とりわけ連続する少年犯罪などを背景に、子どもを平和の担い手として育てたいという母親の期待も強まるなかで今回の旅がおこなわれた。山口県内の下関・美祢・萩・長門・宇部・山口・防府・下松・岩国・油谷・厚狭・福栄、山口県外の広島・北九州・宮崎・大阪の50校から小・中・高校生、大学生が147人、教師や母親ふくめて昨年の倍となる191人の大集団となった。

  自らの生き方問う子ども達
 4台のバスは下関、北九州、美祢、宇部から出発し、各地で子どもたちを乗せながら送り出した父母、教師、地域の人人の期待を胸に広島へむかった。バスの中では自己紹介や「青い空は」の歌の練習、「八月六日」の詩の朗読などで中・高校生が運営しながら広島へと近づいていった。
 昼まえには各地の子どもたちが広島の平和公園に合流。12時から小・中・高校生の縦系列の24班に分かれて結団式。平和の会の「目的・めあて」を大きな声で唱和した。
 目的 1、被爆者や戦争体験者の体験や思いに学び、受け継ぎ、平和のために行動しよう! 2、小中高生は団結し、平和の担い手になろう! 3、学んだことを、多くの人に伝えていこう!
 めあて 1、班をもとに、すべての行動は指揮に従おう! 2、人の話を真剣に聞こう! 3、自分のことよりみんなのことを考え、人に感謝の気持ちを持とう! 4、困難なことにも負けず、がんばろう! 5、大きい子は、小さい子の世話をよく見よう! 6、小さい子は、大きい子の言う事をよく聞こう! 7、発表する時は大きい声で発表しよう! 8、平和の会のみんなは仲良くしよう! 9、時間を守り、規律正しく行動しよう! 10、平和教育をすすめている先生の指導を受けよう!。
 平和の旅に毎年参加してきた中学生もはじめて班長をつとめ緊張と不安の気持ちを抑え班員を整列させていた。
 その後語ってもらう被爆者と対面した。戦後58年目にしてはじめて体験を語ろうという被爆者や、昨年の平和の旅ではじめて体験を語った被爆者が、運動の広がりを喜び、まだ体験を語ったことのない友人とともに姿を見せた。
 平和の会の高校生のリーダーが事前に、被爆者宅を訪問したとき、「昨年の報告集を見て語ることを決めた」「わたしたちの体験が役に立つなら」と体験を語ることを決めた被爆者、それぞれの思いを胸に秘めた70代から90代までの被爆者28人が、暑いなか平和公園に足を運んだ。そのなかには広島市民原爆展の賛同人やスタッフの人もいた。
 被爆者代表としてあいさつに立った田中武司氏は、「わたしは中学1年のときに原子爆弾で被爆した。ほんとうはもう思い出したくもない。しかし、これを忘れてしまったらまた戦争が起こるのではないかと思い、みなさんに伝え二度とあのいまわしい原爆や戦争を起こさないために、経験を語りにやってきた」と子どもたちに語りかけ、体験を聞いて自分たちがどうしたらいいのかを考えてほしいと力をこめて訴えた。子どもたちはそうした被爆者の思いを胸にきざみ、班ごとに平和公園の木陰に散らばった。そのうち4班は、基町アパートの被爆者のところへむかった。
 
   被爆者と心通わす
 広島市民原爆展の賛同人にも名をつらねた林末寿氏は、「なにか協力できることがあったら」とはじめて体験を語った一人で、「祖父の体験が聞きたい」という20代の孫娘とともに平和公園に訪れた。当時18歳で暁部隊に所属し金輪島で軍属として従事。つぎつぎに運ばれて死んでいく人人の光景や母親と兄を亡くした体験を語った。女子中学生を介護したとき、「お尻が見えないか?」と気にする少女に「見えないから大丈夫」といいつつ、トイレに行かせようと抱きかかえたさい皮がズルッとむけ、かかえることもできなかったこと、防火用水のなかで赤ちゃんを抱いたまま死んでいる母親がいたこと、平和公園の両側の川が死体でいっぱいだったことなど、目に涙を浮かべながら58年まえの光景を語った。中学2年の班長を中心に子どもたちは真剣に耳を傾け、いっしょに訪れた孫も祖父の姿に尊敬のまなざしをむけていた。その後、いっしょに福屋デパートの市民原爆展会場にむかう道道でも林氏は子どもたちに「平和な世の中をつくるのは君たちだよ」と声をかけていた。
 91歳の岡谷イチノ氏は車いすの体をおして平和公園に訪れ、「平和のためによく来てくれた。涙が出るほどうれしい」と喜び、はじめて被爆体験を語った。身ごもっているとき2人の子どもを連れて火の海のなかを逃げたが、声をかけてきた人を助けられなかったことがいまも心にひっかかっていること、死体が重油で焼かれるにおいでご飯が食べられなかったことをつらさをこらえながら語った。そして被爆後9月に生まれた男の子が翌年の8月4日に亡くなったと静かに話し、「戦争は命を奪いあうものだ。真の平和、戦争のない平和を望みます」と何度も子どもたちに訴えた。福屋デパートの市民原爆展にもいっしょに訪れ、中学2年の班長が車いすを押しながら、原爆展を見て回った。
 昨年の旅ではじめて体験を語った田村重正氏や、3年連続して子どもたちに体験を語った基町アパートの加藤タマ氏、いまでも痛むという足の傷をさすりながら語った三保ノエ氏など、戦後つらい思いを乗りこえて生きてきた被爆者は、共通して子どもたちに「絶対に戦争はいけない。社会の役に立つ人に、人に優しく弱い人の立場に立って、お父さんお母さんを大事にしてください」とくり返し話した。そうした経験を笑顔で話す姿に子どもたちは衝撃を受けていた。子どもたちと固い握手をかわして別れる被爆者もいた。
 その後平和公園で聞きとりを終えた広島に学ぶ小中高生平和の旅の子どもたちがつぎつぎに福屋デパートの原爆展会場に移動し200人が会場を埋めつくし、被爆者、親、子どもたちの熱気にあふれた大交流がはじまった。床にも車座をつくり子どもたちは体験者に真剣なまなざしをむけ体験を聞いた。原爆展を参観していた市民や全国からの参観者も輪に加わった。
 また、会場を訪れた被爆者に「語ってほしい」と頼む子どもたちもおり、こころよく引き受けた被爆者たちが身振りもまじえながら被爆当時の惨状を熱をこめて話していた。語り終えた被爆婦人の1人は、「原爆の話をするのはきらいでしたが子どもから頼まれたのは生まれてはじめて。展示のなかにうずくまって死んでいる少女の写真があったが、わたしの妹が見つかったときそのままだった。それが胸にきていっきに話した。58年たってもこの思いは消えるものではありません」と語った。被爆者に真剣に学ぼうとする子どもたちの大集団は会場の多くの参観者を励ましていた。ここでは、班長の大学生や高校生が班員の小学生にわかりやすく説明しながら参観していた。
 体験を語った1人の被爆者は、「これまでは忘れようとしていた。でも、生き残った自分が語り伝えることによって少しでも、平和に近づけないといけないと思うようになった」と戦後58年間の押し殺していた被爆体験を語り出した使命感を語り、別の被爆者は「広島のものががんばらないといけないと思って語った。子どもたちはよく話を聞いてくれ、こちらの方が励まされた」と語った。「思い出したくないつらい経験を語ってくれた」という被爆者の気持ちが子どもたちに印象強く残り、どの班も被爆者と心をかよいあわせて真剣に聞き入っていた。
 
   結束が強まる集団
 4時に、全員が原爆ドームに集合し、宿舎の「広島市青少年野外活動センター子ども村」にむかった。入所前のオリエンテーションでは、平和公園ではじめて整列したときより、体験を学んだ集団としてまとまりが出てきた。
 宿舎に着くと食事と入浴をすませて、7時30分に宿舎の体育館に集合。班長を中心にきょう聞いた体験をふり返りながら感想をまとめた。班長がメモした体験を「ここは大事なことをいわれていた」など小学生の班員にわかりやすく気を配りながら全体が集中して3、40分の間に感想をまとめていった。
 林末寿氏に体験を聞いた6年生の男子は「川には、死んだ人が埋まるくらいいっぱいいたそうです。その話をするとき林さんは涙ぐんでいました。どれだけそのときの状態が悲惨かがわかりました。そんな20万人もの人を殺してしまう戦争をなくして平和な国にしていきたいです」と書いた。小学3年の女の子は「わたしは、きょういままで知らなかったいろんなことを知ることができました。自分がよければそれでいいということは、絶対にいけない」と真剣に感想を書いていた。福屋原爆展の会場で被爆体験を聞いた小学4年の男子は、「自分のことだけでなく、みんなのことを考えて、行動したら戦争もなくなると思いました」とのべた。昨年旅に参加し今年班長になった中学2年の男子は、「はじめて班長になってみんながよく話を聞いてくれた」と班員ががんばったことを自分のこととして喜んでいた。宮崎から参加した大学生は、「被爆者の方は、58年間、なにかあれば亡くなった人たちを思い出されてきたと語られていた。被爆体験を学ぶことは被爆者の人生に学ぶことだと思ったし、話を聞くだけでなくて自分がどう生きるかだと思った。みんなで朗読した峠三吉さんの“今からでも遅くはない”という呼びかけに感動した」と語っていた。
 8時からは24班を3つのグループに分け、それぞれのグループで各班ごとに聞いた体験の報告と一言ずつの感想交流会をおこなった。9時からは引率した教師に導かれ、つぎの日の平和集会にむけ「青い空は」の歌と平和宣言の緊張感のある練習がつづいた。「小さい子」の朗読は24班から1人ずつ代表を選んで朗読した。きびしいスケジュールで疲れもかくせなかったが、「最後までがんばろう」と励ましあいながら、大きな歌声が響いた。「きょう聞いた被爆者の体験を思い出しながら、気合いを入れないとダメ!」「女子は男子に負けない!」など教師のきびしい指導の声も飛びながらみんなでつくりあげ10時に練習を終えた。
 宿舎で5日の夕方と6日の朝におこなわれた班長会議では、1日の行動が確認され、1人1人の班長が責任を持って班員や旅の成功のために奮斗することを確認。子どもたちは、各班ごとに班長を中心に小・中・高生・大学生の147人が平和の担い手になろうという1つの大きな集団に成長していった。
 翌朝、昨晩練習した平和集会の早朝練習を太陽がのぼりはじめた運動場でもう一度おこなったのち、平和公園の原爆の子の像の前に移動し学んだことを報告する平和集会をおこなった。かんかんに照りつける陽射しの下で、「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の147人が、峠三吉の詩「小さい子」の朗読や「わたしたちはいつまでもかわることなく平和を愛し、戦争をにくみ、二度とあの戦争をくり返すことのないように、全生涯を平和のためにつくすことを誓います」「この地球から戦争をたくらんでいる者、戦争のための武器、核兵器をなくすまで、戦争反対の運動をつづけることを誓います」「被爆者、戦争体験者の方から体験を学び、受けつぎ、つぎの世代に伝えていくことを誓います」と堂堂と宣言する姿を、全国から広島を訪れていた人人が食い入るように見つめていた。
 午後からは、アステールプラザで開かれた「二〇〇三年原水爆禁止広島集会」に参加して、全国から結集した被爆者や昨日体験を学んだ広島の被爆者が見つめるなかで、「第4回小中高生平和の旅」の子ども、教師、親191人が登壇し、被爆者に学んで平和の担い手としての決意を詩や歌にこめて発表し、参加者を励ました。
 集会後におこなわれたデモ行進では、平和の旅の一団が先頭に並び中・高校生のリードで峠三吉の詩「八月六日」を群読しながら汗だくになりながら、広島市内の4`の道のりを行進した。原爆ドームの前でおこなわれた解団式では、小学生から大学生まで全員で旅を成功させたという達成感で、疲れも忘れていきいきとした表情をしていた。子どもたちは小中高生平和の旅の集団としてきたえられ成長していった。

  初めて参加した教師も感動
 はじめて参加した小学校教師は、「これがほんとうの平和教育だと思った。被爆者の方は“自分が被害を受けた”とか、戦争は怖いことを話されるのかと思っていた。でも、ほんとうに優しくどんな子どもになってほしいかに語りかけていた。これだったら、一生子どもたちの心に残ると思う」と感動していた。また参加した教師のなかでは、異年齢集団のなかで成長する子どもたちの姿に感動し、「それぞれの班長さんが、下の子に気を配ってとてもやさしいのに驚いた」と、学校とは違う子どもたちの解放された姿に驚いているようすだった。
 8月24日の人民教育全国集会で再会し、広島で学んできたことを母親や教師、全国の人に伝えることを約束して別れた。

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