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賛同広がる広島市民原爆展
7月27日からメルパルクで展示
                語りつぐ力さらに大きく      2004年6月17日

 今夏、広島市中区基町にある郵便貯金・メルパルク3階ギャラリーで開催される「原爆と峠三吉の詩――原子雲の下よりすべての声は訴える」広島市民原爆展のとりくみと準備がはじまっている。7月27日〜8月8日までの13日間の日程でおこなわれる市民原爆展は、6月18日に「第1回賛同者会議」がおこなわれチラシ、ポスターによって本格的に宣伝が準備されている。
   
 被爆資料の提供もあいつぐ
 昨年の福屋での市民原爆展まできて、「ほんとうの思いを語れる場に出会った」と、長年月にわたって原爆へのいい尽くせぬ思いを胸の内に秘めてきた被爆者が、原爆を正当化する抑圧をひきはがし、ほんとうの思いを語りはじめたことが市内でも大きな励ましとなり、その影響は1年をつうじてさらに大きくなっている。
 また今年は、原爆展全国キャラバン隊が下関、広島からはじまり、九州、中国、関西、関東、東北、そして現在北海道の各所で街頭原爆展が展開されるなかで、全国的な規模で平和の力を強め結集していく場として広島市民原爆展への期待が高まっている。
 広島市民原爆展への賛同協力者は、広島の被爆市民、県内をはじめ、北は北海道から南は沖縄まで全国的な規模で賛同者が名前をつらねている。市内ではこれまで語ってこなかった被爆者が多数名前をつらねた。日赤病院、広島市、県医師会をはじめ、医者、商店街振興組合、お好み焼き屋、町内会長、青少年育成協議会、交通安全推進協議会、寺、保育園園長、演劇関係者、画家、主婦、設計士、慰霊碑世話人、商店主、被爆写真撮影者、峠三吉の関係者など不掲載者をふくめ134人(15日現在)の人人が賛同、協力者となっている。カンパも13万4000円が寄せられている。
 賛同・協力者は市内でも広げられ、新しく賛同する人も多く被爆市民が前面に出て堰(せき)を切ったように語りはじめるのがどこでも共通している。また被爆資料を提供する人、被爆当時の写真、戦後商店街を復興してきた歴史をふり返りながら写真を展示してほしいとの要望も出されている。

 切実な思いを語る被爆市民 佐世保事件等も重ね
 また多くの被爆者がイラク戦争、自衛隊の参戦などがすすむなかで「ほんとうに自分たちが語っておかなければ」と切実な思いを強くしている。「語り残さねばと思いつつ、語る機会がなく、もしそういうことで奉仕させてもらえるのであれば」と純粋に子どもたちに語り残していくことへの使命感で新しい動きとなっている。また「ほとんど広島では家を訪ねてくることもなく、語ることも、そういう場もなかった」と既存勢力への批判をこめて語られていた。
 ある青少年育成協議会の人は「広島ではこういう原爆の問題を政党の党利党略に絡ませてきたからダメになったんだ」といい、「峠三吉さんは純粋に詩を残された人だし、被爆した人にも子どもたちにも親しまれてきた。いまのような人殺しの時代に伝えることが必要だ」と賛同した。いま学校現場では、広島の資料館でさえ「悲惨だから見せられない」などというおかしな風潮があることにふれ、「子どもたちは人殺しをやり、メールで“殺してやる”という時代になっているのに、“悲惨すぎる”といって原爆でほんとうにあった事実さえも見せない。こんなおかしなことはない。人殺しをする時代だからこそおじいちゃんやおばあちゃんが受けてきたことを伝え感じさせることではないのか」と原爆展の必要性を強調した。
 ある東区の婦人は、「今回ほどデタラメな戦争はなかった。土足で上がりこんでイラクの人人が怒るのも当然です。アメリカは日本で成功したからできると思ったのでしょうが、世界はアメリカに愛想をつかせている。わたしらは原爆で首を切り、戦後も何度も手術をしてきてひどい目にあってきた。いい加減にしてほしい」と、積年の怒りをぶつけるように語り、多額のカンパを寄せた。
 被爆者である商店の婦人は、「なぜ長崎であのような事件が起こるのか。長崎も原爆を受け一瞬のうちに焼かれ、生きたくても生きられなかった人たちが多くいるところ。同じ小学生や女学生がなにもわからず殺され、死んでいったことを考えると、なぜこんなことになるのかいたたまれない」と唇をかんだ。「長崎は原爆を受けているが、ほんとうにはそのことが子どもたちに伝わっていないのでは、長崎や広島が無念の思いで死んでいった人たちのことを子どもたちに伝えることをやらないといけないと思う」と語り、もっと原爆展を長崎でも力を入れてやってほしいと訴えていた。
 さらに「イラクでアメリカが大量に人殺しをして英雄になり、マスコミがそれを宣伝する。そのことが子どもたちに写っていますよ。小泉さんは勝手に多国籍軍に自衛隊を参加させるといっているが、あんなことが勝手にやられていいでしょうか。わたしらは兄を原爆で殺され、なんでアメリカに協力せにゃならんかわかりません」と悔しさをにじませながら訴えた。

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