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福田型の新しい運動始まる
福田正義没10周年記念集会
              全国の日本変える力大合流    2012年5月21日付

 長周新聞を創刊し、日本共産党(左派)の議長であった福田正義の没10周年記念集会が20日(日)、下関市のシーモールホールで開催された。記念集会には、下関や山口県内をはじめ広島、長崎、沖縄から、また大阪、岡山、熊本、宮崎、鹿児島など全国各地から、原爆展運動やはぐるま座公演で結びついた被爆者や戦争体験者、労働者、農漁民、教師、商店主、青年学生など約550人が参加した。記念集会では、原水爆禁止や米軍基地撤去、文化、教育、労働、市民運動など各戦線分野からの意見発表や朗読、構成詩などの発表を通じて、福田正義が逝去してからの10年、とくに没5周年以後の5年間で、福田路線の核心を継承した新しい運動が広大な大衆的基盤をもって勢いよく始まっていることを明らかにし、「これを全国に広げれば日本を変えることができる」という確信を与える感動的なものとなった。
 開会にあたって、集会実行委員長の柳田明氏(川崎市・医師)が挨拶。福田正義が敗戦直後の広島で、アメリカの圧力を恐れず峠三吉や青年労働者とともに原爆投下の非人道的行為と野蛮な他民族支配の野望を暴いたことにふれ、この精神を今こそ日本人全体がとり戻すときだと強調。「10周年を契機に全国に福田路線、福田精神を広げて、地域の未来、日本の未来を形づくろう」と呼びかけた。
 続いて基調提案を事務局の竹下一氏(長周新聞社)がおこなった。没10周年にあたっての顕彰運動が各界各分野で熱を帯びて発展したこと、この10年来福田正義の路線を継承する運動が、広島・長崎をはじめ各分野でいきいきと発展してきたことを明らかにし、本集会を、戦争を阻止し平和で豊かな社会をつくる力を持った運動の起点にすることを訴えた。
 次に舞台スクリーンに、福田正義が長周新聞創刊30周年の社内の集いで、社会進歩の側に立って人民に奉仕する立場を貫く長周新聞の役割を語る姿が上映された。続いて劇団はぐるま座の2人の団員が、福田正義が創刊39周年の社内集会で語った「人民に奉仕する」を朗読した。

 50年8・6斗争継承し発展 沖縄や岩国からも

 意見発表の最初に、原爆展運動を担ってきた広島、長崎、下関の被爆者が登壇した。
 原爆展を成功させる広島の会の上田満子氏は、原爆で母と弟を亡くしたこと、原爆と戦争展に出会い葛藤を経て「生き残った私の使命だ」と体験を語るようになったことを語り、「二度と原爆は使ってはいけない、戦争はしてはいけないと申し送っていきたい。後を継いでくれている若い力がよりよい日本をつくってくれることを切に願い、命ある限り頑張りたい」とのべた。
 原爆展を成功させる長崎の会の吉山昭子氏は、八年間の原爆と戦争展で長崎市民の原爆に対する関心が高まってきたと語った。「今の日本はなんでもアメリカのいいなり。まるで植民地同然だ」とのべ、長崎と広島、日本全国が力を合わせて「日本人魂」をとり戻し、平和な未来をつくっていくことを呼びかけた。
 下関原爆被害者の会の升本勝子氏は、戦後ずっと体験を語らないと決意して生きてきたが、子や孫たちを二度と同じ目にあわせぬため会を再建したこと、その後「被爆体験を語ることや原爆展が嫌だといい、楽しいことや権利をとるための自分たちの利益のための会にする」という分裂が持ち込まれたが、吉本幸子前会長を先頭に「被爆体験を語ることが被爆者の使命」「長周新聞とは車の両輪だ」という方向で被爆体験を語る活動や原爆展運動が発展したことを確信を持って発言した。「その原点は、占領下の圧力や身の危険があるときに、福田正義さんが峠三吉さんらと一緒に原爆のことを初めて世の中に出していただいたおかげだと知った」とのべ、「今後も広島・長崎・沖縄や全国のみなさんとともに力をあわせてやっていきたい」と語った。
 続いて劇団はぐるま座の斎藤さやか氏が『峠三吉・原爆展物語』の全国公演の反響を報告。沖縄では米軍占領下での復帰斗争や土地斗争など米軍と直接対峙してたたかった経験の誇りが蘇り、「これこそ本流だ」と県民の真の独立を願う心と響きあい、劇を見て行動する若い世代も登場しているとのべた。
 沖縄の源河朝陽氏は、県内各地での原爆展運動が広範な人人に衝撃的な反響を呼び起こしてきたと語り、その活動を描いた『原爆展物語』沖縄公演が形骸化してきた沖縄の平和教育を一新させたことを報告した。米軍基地の問題は「安保」破棄の全国民的運動でなければ解決できないことを強調した。
 岩国の森脇政保氏は、米軍再編による米空母艦載機移転に、岩国市民が積年の怒りに燃えて立ち上がっているとし、「アメリカの日本支配と諸悪の根源である日米“安保”を問題にしなければならないことが論議になっている」とのべた。2000年以降おこなわれてきた全市的な原爆展運動で「戦中、戦後の欺瞞のベールを引きはがした歴史の真実が人人の体験と結びあって生み出されてきた」と語り、「日本民族の危機に際して戦争を阻止し、日本の独立と平和、安保破棄、基地撤去の全国民的規模の大団結と大運動を実現するため奮斗したい」とのべた。
 続いて会社員有志による構成詩「遺骨を送還しよう―国際的な連帯強めよう」が上演され、大きな拍手が送られた。

 「皆の為」で成長する子供達 『雷電』公演の反響も

 休憩をはさんで6年生全員に鉄棒の逆上がりや持久縄跳びを達成させる実践をとりくんできた上宇部小学校の教師3人が登壇。佐藤公治氏は、教師集団が結束して一心不乱に子どもたちを勤労人民の後継ぎとして成長できるよう心血を注いできたことが、父母や地域から絶大な支持を得たこと、また子どもたちがそのなかで「自分さえよければ」をうち破り、次次と快挙を成し遂げて胸を張って巣立ったことを語り、福田路線を実践していけば子どもたちはめざましく成長すると発言した。
 2人の女性教師も1年間のとりくみで子どもたちが大きく変化したこと、子どもと教師、父母の心がつながったことにふれ、「三者のつながりこそが、子どもたちの未来を切り開く“ともに子どもを育てる”教育実践の柱になった」と発言した。「みんなのために力を出せる子どもを育て、戦争を阻止し平和で豊かな日本をつくるために頑張りたい」との力強い意見発表に大きな拍手が送られた。
 続いて北九州の小学校教師・林田正人氏が「本物の教師として生きる」として発表。今、朝から同僚の教師とともに逆上がり、登り棒、うんていを子どもたちと一緒にやっている様子を喜びをもって報告した。「なぜ教師としてこんなにうれしいことが今までできなかったのか。それは私が自分の願望からしか子どもの教育を考えていなかったからだ」と振り返り、20年来の教育改革に負けていた状況を転換して、子どもの側に立ち、一心不乱に子どもを成長させる教育を集団でやっていくなかで、子どもの力も見えてきたとのべた。
 次に小中高生平和の会の高校生リーダーたちが発表。高校三年生の藤井南さんは、小学校の頃から参加していた平和の会で、高校一年生からリーダーを務めるようになったこと、先生たちや成長していく子どもたちに励まされながら、苦手なことを克服してきたことを発言した。
 高校3年生の鈴木彰君は、福田主幹がつくったひまわり人民保育所で長周新聞社で頑張る父母の後継ぎになるために育ってきたとのべ、平和の会のリーダーになってからは自分中心の考え方を優先したらなにも進まなかったこと、「大切だったのは、自力更生、刻苦奮斗の精神だった」とのべた。「先輩たちに学んで平和の会のみんなと一緒に、平和の担い手になるために頑張る」と発言した。
 ここで平和の会出身の若い教師が平場から発言。関西の小学校で今年六年生の担当になり広島への修学旅行で被爆体験を学ぶ被爆者が見つからなかったとき、平和の会の教師に連絡をとり広島の会の10人の被爆者が体験を語ってくれることが決まったと報告した。つらい体験を子どもたちのために語る被爆者に思いを寄せて発言。平和の会で培ったものを糧に頑張っている姿に熱い拍手が送られた。
 次に「動けば雷電の如く―父祖たちの志を現代に」をテーマに、劇団はぐるま座の『雷電』公演のとりくみをめぐる発表がおこなわれた。
 劇団はぐるま座の富田浩史氏は、この劇がはぐるま座の人民劇団への再建の突破口として、旧作の『高杉晋作と奇兵隊』の反響から抜本的に検討を加え、福田正義の『高杉晋作から学ぶもの』に学んで創造されたとのべた。各地の公演で日本の独立問題が激しく語られ、「小手先でなく抜本的に変えなければ解決しないと感じている人人と結びつき、その路線を求める人人との衝撃的な出会いが生まれている」とのべた。
 ここで宮崎県の川南町と小林市の公演をとりくんだ実行委員からのメッセージが紹介された。
 長崎県佐々町の実行委員の男性は、合併直前に町が揺れているとき「どのような町にするのか」ともかかわって『雷電』公演をとりくんだと語り、「高杉が主人公だが、実際は農民や大衆が主人公だ」「時として権力者、支配者は考えることをやめさせるように動くが、私たちが考えることを放棄してはいけない。国のため大衆のためで頑張りたい」とのべた。

 日本を変えていく飛躍点に 全人民的な団結へ

 続いて「全人民的な団結へ」のテーマに移り、下関市民の会の婦人たち6人が登壇した。そして、ゴミ袋を値下げさせる署名運動から多くの市民のなかに無差別で入り、そのなかで出された要求から給食食器の改善運動をとりくみ、さらに老人休養ホーム満珠荘の存続を求める署名運動、MCSの閉鎖撤回署名運動など、「30万市民を代表する運動」を粘り強くとりくんできた経験を、掛け合いで発表した。
 平場から発言した元山電労働者の男性は「福田さんは、労働運動は経済主義、改良主義とは根本的に異なる社会変革の運動といわれた。私たちはそれを導きに、1969年に“安保”粉砕斗争委員会を結成し、“佐藤訪米阻止”の歴史的ストライキをたたかった」とのべた。また70年、会社側が220人の首切りと労働協約改悪をうち出し、第2組合の御用幹部が経済要求と引き換えに労働者を売り飛ばそうとしたさい、斗争委員会を中心に第1・第2組合を問わず下部労働者が立ち上がり、ついに撤回させる歴史に残る大斗争となったとのべた。「戦後67年、日本は安保条約によってアメリカに支配され植民地になっている。日本社会の屋台骨を支える労働者階級の役割は重大だ。今日の集会を団結して日本を変える飛躍点にしよう」と力強く訴えた。
 平場から連帯労働組合関西地区生コン支部の労働者が発言。「過去の労働運動が政治ストをたたかってきたが、そうした先人のたたかいを忘れてはならない。現在橋下市政の公務員バッシングがやられているのも、労働運動がそうした過去の運動を継承してこなかったからだ」と語り、「農民、市民、漁民としっかり絆を強め、志高くして頑張っていかないといけない」と決意をのべた。
 続いてはぐるま座公演をとりくんだ広島市や岡山県の男性が発言。「今日の集会で真剣にたたかっている人たちに励まされた」と感動を語った。
 最後に全員で「がんばろう」を力強く合唱し、「この集会を新たな出発点に福田型の新しい運動を全国各地に飛躍的に押し広げよう」と呼びかけられ閉会した。

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