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福田路線で日本変える一体感
 
はぐるま座60周年集会総括実行委
               人民奉仕の思想で多数派に   2012年11月26日付

 11日に下関市で開催された劇団はぐるま座創立60周年記念祝賀集会は、下関をはじめ山口県内、広島、長崎、沖縄など全国から約400人の支持者が参集し、はぐるま座がこの5年間を通じて人民劇団として本格的な役割を発揮する新しい出発点に立ったことが確認された。24日に開かれた第四回実行委員会では、集会参加者の反響からこの歴史的な大勝利を改めて確認するとともに、集会を契機に新たな実践に踏み出し運動がどんどん広がっていることが報告され、長周・福田路線で一致団結して進めば日本を必ず変えることができるとの確信が熱をこめて語り合われた。
 
  集会契機に新たな実践始まる

 実行委員会では、はじめに重谷悦彦実行委員長が「はぐるま座がこの5年間の自己改造のたたかいを通じて生まれ変わったことへの激励と、それに学んで参加者一人一人が行動に移していこうと語られている。集会は大勝利した」と挨拶した。
 次に事務局長の肥後容子氏が、要旨以下の内容で報告をおこなった。
 この間実行委員会は、はぐるま座の創立60周年と下関移転の声明、総括論議の呼びかけにもとづいて、長周新聞紙上で総括論議を巻き起こすとともに、『動けば雷電の如く』下関公演をとりくみ、約1000人の観劇となった。それを受けた第2回実行委員会では、はぐるま座のこの5年間の自己変革を多くの人人が歓迎していることを確認、集会の基本的な内容を定めるとともに、集会を公明正大さや純粋な美しさ、未来を見据えた結束力を体現するものにすることを決定した。
 記念集会は、はぐるま座の再建斗争を支持し、全国で『動けば雷電の如く』『原爆展物語』の2作品をとりくんできた新しい人人が多く参加したのが特徴。長周新聞の来賓挨拶で「人民劇団であるはぐるま座は長周・福田路線と結びついていくなら勝利し、それと対立するなら潰れるというのが、劇団の60年の全歴史の教訓であり、これは譲ることのできない死活の問題」との内容に、参加者から強い支持と共感が寄せられた。また、はぐるま座の総括報告と『修羅街挽歌』に込めた決意が支持されるとともに、下関、広島、長崎の被爆者、人民教育同盟の教師、沖縄からの参加者、下関市民の会などから同じ精神でともに頑張る決意が発言や構成詩、詩の朗読などとして発表された。
 そして「私たち支持者も、新しい出発点に立ったはぐるま座と深く団結して、戦争や失業、貧困に立ち向かって、平和で豊かな社会をつくっていくために奮斗していきたい」としめくくった。
 続いてはぐるま座を代表して斎藤さやか氏が挨拶に立った。斎藤氏は集会準備へのお礼とともに「長周新聞社の挨拶を聞いて安心したという感想が多かった。長周・福田路線と結びつくなら発展し、それと対立するなら人人から相手にされず潰れていくということは、劇団の60年の歴史が示している。『雷電』『原爆展物語』の二作品は長周新聞社の支援のもとにつくられ、その舞台を創造する過程で大衆の中から大衆の中への実践を通じて、ブルジョア路線と決別し“人民に奉仕する”創立精神をとり戻していったし、そこへの確信が強まるなかで多くの人人と結びつけた。記念集会を準備する過程でも、劇団内に“自分たちが主人公で、祝ってもらう”という、みなさんが支持されたこの五年間の発展の質を否定する旧態依然の流れがあったが、それとのたたかいを激しくくぐりながらみなさんとともに勝利させることができた。集会で“この方向で行け”と示されたことが、私たちのなかでも強固な確信と揺るぎない決意になっている。戦争情勢を迎え、独立と平和を求める思いが人人のなかで強まっている。新しい時代を切り開くリアリズム芸術の役割を発揮できるように、60周年を新しい出発点として奮斗していきたい。『礒永秀雄の世界』の舞台化、人民教育同盟のみなさんが切り開いてきた新しい教育運動を描いた劇の創作をやり抜いていく。みなさんと団結して頑張っていきたい」とのべた。

 多くの人励ます劇団に自らの決意こめ討議

 その後、討論に移った。
 下関市のPTA関係者は、「劇団の声明を読み返し、60年のたたかいとこの五年間の格斗があらわれたものと思っている。それを踏まえた長周新聞社の挨拶では、創立精神、つまり福田精神に戻り、人民のために人民に奉仕する人民劇団としてやっていくことが大事だといわれた。この五年間の集大成として記念集会は意義深いものになったが、これに満足せず、生まれ変わった劇団を支援しようという声が全国で大きくなるなかで、その期待に応える出発点にしていけば、いろんな苦難を乗りきって、必ず道は開けると思う。またはぐるま座下関移転を契機に、下関で年に何回か意見交換をする場を設け、支持者の意見をとり入れて今以上にみなに愛される劇団として進んでほしい」と発言した。
 下関で維新の史跡を守ってきた実行委員は、「集会当日の朝9時、会場にトラックが着くやいなや、はぐるま座や長周新聞の人たちが全員てきぱきと、統率されて動いていることに非常に感心した。集会では、宮崎県の川南の婦人やTPPについて語った都城のJA青年部長、はぐるま座と出会って人生が変わったとのべた京都の青年、学校を卒業するにあたっての決意をのべた小中高生平和の会の高校生の発言に感銘を受けた。はぐるま座のみなさんは、過去の教訓を記憶にとどめ、大道具、小道具、照明、役者が一体となって舞台の上で羽ばたいてほしい」とのべた。
 「長周さんの偉大さがわかったのはこの2、3年だ」と切り出した下関原爆被害者の会会長の大松妙子氏は、「被爆者の会も長周さんのお世話になっているが、こうした会で先生方、市民の会のみなさんとの交流ができることが私にとっての宝だ。それを全面的に援助してくださるのが長周さん。だから長周あっての私たちと思う。はぐるま座のみなさんも長周さんと一緒になって各地を回り、私たちの思いを全国に伝えて欲しい。国会議員は国民無視。『雷電』の舞台を国会議員の前でやってもらいたいと思う」と発言した。また男性被爆者も「集会は胸にジーンとくるものがたくさんあった。広島、長崎、沖縄の発言など、いろんなことを教えてもらった」とのべるとともに、この間小学生に被爆体験を語ってきた経験をふまえ「今の子どもたちはしっかりしている。これだったら日本をまかせていいと思う」とのべた。
 その後、全国の参加者から「はぐるま座の原動力が長周新聞にあることがわかった。長周新聞とともに頑張ってほしい」「広島、長崎、沖縄をつなげているのがはぐるま座や長周新聞であり、人人の生きる支えになっていることがわかった」、また参加した青年から「自分の小さなエゴを捨てて人人のために働きたい。そのために残りの人生をかけたい」との感想が寄せられていることが紹介された。

 進むべき指標が鮮明に 各戦線からも確信

 続いて市民の会の会員からも「元気の出る集会だった。発言した京都の青年が、被爆者の人がお茶をこぼしたら拭いてあげたり、周りのお世話をよくしていた。こういう若い人が全国に出てきたら本当に日本は変わると思う」「はぐるま座が葛藤をへて、人数が減ろうが創立精神で行くんだという決意に、自分たちの経験とも重なって元気をもらった。こういう姿勢で頑張っていくことが多くの人を励ます劇団に生まれ変わることだ。戦争情勢になっているが下関で長周新聞、はぐるま座、そして私たちも力を合わせて、市民に対する責任を果たしていきたい」と発言があった。
 人民教育同盟の教師からは、「集会は大勝利した。若い世代の台頭と下関、広島、長崎、被爆者の人たち、全国からの参加者と、福田路線で進む一体感が会場にみなぎっていた。長周新聞の挨拶が大勝利を導いた原動力だった。そこで心に残っていることは、“なにが多数派の道か。純化することによって多数派になる。ここは決して勘違いしてはならない”“長周・福田路線と結びついていけば勝利し、それと対立すればつぶれる”などのところで、われわれにとっても進むべき指標が明らかになった」「集会では、各分野の運動が福田路線に導かれた長周新聞の指し示す方向で一つに結びついたことを実感した。教育運動も長周の指導がなければ発展しなかった。この方向で全国が一つに結びつけば、今度こそ戦争を阻止する大きな力になっていく。集会で、福田路線を導きとして教育運動を発展させたいという決意に立てたし、事実この一カ月間、新しい教師がどんどん立ち上がっている。福田路線と結びついたら無限に発展し勝利する」と確信に満ちた発言が続いた。
 北九州市の小学校教師は、記念集会直後にとりくんだ被爆体験を学ぶ会について報告した。「体験を語る被爆者も記念集会に参加しており、これまでと迫力も違ったし、全校生徒550人が集中して聞いた。子どもから“平和のために頑張っているおばあちゃんを、私たちが守ってあげる”と感想が寄せられている。そこには記念集会に参加して一歩も二歩も踏み出した若い先生たちの奮斗があった。全校で群読する峠三吉の“序”を真剣にとりくませ、最初はふざけていた子が態度を改めて、一週間校内放送で心を込めて詩を朗読したし、当日も胸をはって“返せ!”という気持ちを伝えた。下級生のなかで“あんな六年生になろう”という気持ちが生まれ、学校全体の団結の力が強まった。被爆者、勤労人民とともにでなければ教育はできないと教えられ、子どもたちを成長させる確信が生まれている」。
 長門市の小学校教師は、「集会で、社会を変えるためにはどの路線でいくべきかが鮮明になり、戦争を阻止するために被爆者や体験者に学んで子どもを育てるんだという決意に立てた」とのべた。下関の被爆者を呼んで体験を学ぶ授業をもったが、「その次の日、いつもは乱雑になっているトイレのスリッパがピタッと整っているし、きちんと席に座って私が行くのを待っており、話もよく聞く。授業が終わればサーッと給食準備に行くし、給食も残さず食べる。これは被爆者の方の訴えをすぐに実行しているのだと、後になってわかった。私たち教師も、子どもを信じて本当のことを話せば子どもは育つということを、被爆者の方に教えてもらった。学校の枠を飛び出して、長周・福田路線を握りしめて頑張っていきたい」とのべた。
 萩市の小学校教師も、記念集会後に上宇部実践に学ぶ交流会を持ったことを報告した。「同僚の教師が、交流会で学んだことを翌日からすぐに実践している。“逆上がりができないのがいけない”ではなく、子どもがどれほど努力しているかを見ることだと論議し、翌日、子どもの見方を変えて教えると、ずっとできなかった2人の子ができた。ある教師のクラスでは、これまで足し算や引き算で競争させていたのを改め、“みんなのために頑張ることが大事”という基準で教えた。福田路線が導きとなってできた鉄棒実践パンフが、子どもたちを育てたいと真剣に思っている生徒を立ち上がらせている」とのべた。
 長周新聞社からは「このとりくみを通して、これまでになくうちとけ合って遠慮なく安心して思いを語り合える場ができたことをうれしく思う。“福田路線で長周新聞、はぐるま座とともに進む”ということは狭いセクト的な意味ではない。人民大衆が一番力を持っており、新しい歴史を切り開く原動力であり、長周新聞はその幾千万大衆の生活や苦難を学び代表する、それを阻むものとはいかなる者ともたたかうという立場だ。今の政治家、政治勢力のなかで、人民に奉仕するというものはどこにもない。そのとき全国から記念集会に参加した人が“この方向でいけば日本が変わる”というのは並大抵のことではない。集会で勝ち取られ、共有しあった確信は絶対に崩せないものだ。そして、こうした運動を渇望する全国の人人にはぐるま座が送り届ける出発点になった」と発言があった。
 60周年記念集会の歴史的な大勝利を確認し、五年後に向けての奮斗を誓いあって実行委員会を終えた。


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