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成功させる広島の会と下関原爆被害者の会
福屋で広島市民原爆展開催
           峠三吉没50周年記念し取組開始 2003年6月17日付

  会期は7月31日から8月6日
 「峠三吉没50周年記念・広島市民原爆展」の主催者会議が14日、広島市東区の二葉公民館で開かれた。この夏、「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会と下関原爆被害者の会が主催して、広島市民が主体となった原爆展を開催しようと準備されてきたもので、とりくみの発会となるこの日の会議には広島と下関から二〇余人が参加した。会議では一昨年末に旧日本銀行広島支店で開催された原爆展以後、原爆投下の真実と広島の被爆市民のほんとうの心を伝える運動へ発展した確信のうえに、市民原爆展をどのようなとりくみにするか活発に論議、7月31日から8月6日まで、市内のデパート福屋八丁堀本店で開催することを決めた。
 はじめに、「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会の重力敬三・代表世話人があいさつで、「広島では一昨年以来、原爆展が市内各地区、各所で開催され、全市に発展して被爆の地広島の面目を一新することができた。広島から全国全世界に平和運動が発展していくことを信じている」とのべ、「今回の市民原爆展には市民の強い期待がかかっている」と、成功させる決意を示した。
 下関原爆被害者の会の吉本幸子会長は、「旧日銀の何倍もの大成功を収めようと、被害者の会でもとりくむことを決めた。みなさんの熱意と力でりっぱな催しになるよう願っている。わたしたちも知っている福屋でやる意義は大きい」とあいさつした。
 事前の準備をすすめてきた下関原爆展事務局の杉山真一事務局長(下関原爆被害者の会)が、これまでの経過と論議されてきた市民原爆展の構想について報告した。
 杉山氏は、「旧日銀での原爆展とその後の継続した原爆展をつうじて市民のなかでの信頼は大きくなり、福屋デパートでの開催の経緯にもそうした市民の厚い信頼と期待が示されている」とのべた。5月末に旧日銀原爆展の賛同人とアンケート協力者、その後の地域・街頭原爆展での協力者に賛同協力のお願いを郵送したところ6月13日現在で各界各層の97人の賛同者を得たことを報告(15日現在103人)。市民原爆展の開催要綱と原爆展の構想を明らかにした。
 また、賛同者名簿には市内、周辺町村のこれまで体験を語ったことがなかった一般の被爆者が大多数を占め、町内会長、老人会、婦人団体、社会福祉協議会の関係者、県と市の医師会、企業や商店街振興会、小・中学校の教師、「原子雲の下より」「原爆の子」当時の執筆者、広島商業の同窓生、文化関係者など各界から賛同の声が上がり、名実ともに広島市民が主体となったとりくみとして発展しつつあることも報告された。
 会議は、ポスターやチラシでの宣伝や、会場設営、展示内容などをめぐって、どのような原爆展にするのか積極的に意見がかわされるなかで、広島と下関の被爆者の深い思いを交流し、平和な日本のために市民原爆展を成功させる意義を深めあう場となった。
  
  喜び溢れる被爆者
 出席者は共通して、「福屋は戦前からあるデパートで、原爆で残った遺跡だ」「平和公園から近く、人がいちばん集まる場所だ」「被爆した人たちが逃げて、治療したところです。時期的にもよい」など、8月6日にむけて広島市民になじみの深い場所で開催できることを喜びをもって語った。
 広島の男性被爆者は、「これまで子どもたちに語ってきたが、小さい子は純真に受けとめてくれる。しかし、30代ぐらいの人たちは、わたしたちが悲惨なことばかりいって、日本が悪いことをしたことをいわないといって、なかなか気持ちが伝わらない。そうした若い世代と論議して、ほんとうの思いを伝えていくことが大きな課題だ。アメリカは原爆を正当化するためにそれを出してきていることを知ってほしい」とのべた。
 婦人の被爆者は「やけどで皮膚がやられ、頭にはげができてずっとつらい思いをしてきた」ことや「2人目の子どもがお腹にいるとき被爆した。長女は全身が焼かれ、ウジをとるのがたいへんだった。妹が亡くなり、肉親の一人はどこで死んだかわからない。兵隊さんの死体を焼く光景がいまでも頭からはなれない。平和はたいせつだ」としみじみと語り、被爆体験を語り伝える真意を訴えた。
 また、「峠三吉の名前は知っていたが、恥ずかしいことに詩は“ちちをかえせ”ぐらいしか知らなかった。原爆展に参加して、詩集を読んでこんなに詩を書いておられたことを知った」「若い人は峠三吉さんの名前も知らない人が多い。どういう詩人かぜひ知ってほしい」など、峠三吉の詩業を紹介することについても、熱の入った討議となった。
 下関の婦人被爆者は、「峠さんの詩は、被爆者を代弁しており、広島のそのものずばりを書いている。わたしたちがいなくなっても、峠さんの詩があれば当時の状況や広島の心がわかる。たいせつな詩だと最近とくに思っている。読めば読むほどどの詩も胸にこたえる」と語った。
 さらに、「新たに峠三吉の詩論を中心に、業績を紹介するパネルを作製している。峠三吉は、“人が読んでもわからない詩が多いが、大衆の心を代弁してうたうのが詩人だ”と書いている。峠三吉のほんとうの業績はかくされて世間に知らされてこなかった。いろんな政治勢力がねじまげてきた」「この30年来、“加害責任”というのが平和運動のなかでひどくなってきたが、それにともなって、峠三吉の姿が薄くなってきた。峠の詩は党派をはるかにこえて広島の真の思いを描いている。それを党派的に利用したり、ねじまげられてきた。市民的な感覚とぴったりした峠三吉のありのままの姿を見てもらう意義は大きい」(下関原爆展事務局)などの意見が出され、論議は発展した。
 広島の婦人被爆者は、最近はじめて子どもたちに語り出した喜びを語り、市民原爆展でもどのように語るかについて、創意的な意見がかわされた。下関から「体験を語ることが、被爆者の愚痴ととられるのがいやだ。語りたくないことを語るのは、体験を将来の平和への道にもっていかねばならないからだということを知ってもらいたい」(婦人被爆者)との意見も出された。
 また、「会場では積極的に語り、新しく語る人も出てくるようにしたい」「いまのアメリカの原爆をめぐる緊迫状況のなか、全国から広島に多くの人が問題意識をもって集まってくる。市民が多数参加して、被爆者の本音の話が聞けるなら、日本全国に大きな影響を与える」などと展望も論議され、いまから本格的な宣伝活動に力を入れ、賛同・協力者も広げて、大きな成功にむけてとりくむことを確認しあった。

       <広島市民原爆展への賛同・協力のお願い>
  原爆の投下から58年目の夏を迎えます。敗戦後、人人は廃虚の苦しみのなかから立ち上がり、平和で美しい郷土を建設するために努力してきましたが、今日の日本の現状は政治、経済、教育、文化の全般にわたって荒れはてた様相を示しています。そればかりか、わが国をまきこんだ新たな原水爆戦争の危険すらも、不気味にただよう事態となっています。被爆地広島のほんとうの声を、若い世代に伝え、全国、世界に広げて、国民的な規模で平和の力を束ねることが、今日切実に求められています。
 こうしたなかで今夏、広島市の福屋デパート(八丁堀本店)において、「原爆と峠三吉の詩」(下関原爆展事務局作製)のパネルによる原爆展を開催することになりました。この原爆展は一昨年末、旧日本銀行広島支店で開催された「原爆と峠三吉の詩」原爆展が4000人の市民の参加のもとに、大きく成功したのを受けて、その後長崎、東京、大阪、沖縄など全国各地で1000回におよぶ展示をおこなってきた成果を持ち帰っておこなわれるものです。原爆展を成功させる広島の会と下関原爆被害者の会が共催する方向で準備をすすめています。
 原爆展を成功させる広島の会は、日銀広島支店での原爆展を機に広島市内と周辺の各学校、公民館、公共施設などで継続して原爆展をおこなってきました。このとりくみをつうじて、これまで被爆の体験を語ったことがなかった多くの人人の協力を得て、広島だけでなく山口県の学校現場とも連携しあって子どもたちに被爆体験を継承し平和の担い手に育てる教育運動として発展しています。また、広島と下関を軸にした全国の被爆者の交流を広げるとともに、次代を担う青少年の行動を促してきました。この間、パネルは英文に翻訳されて世界の多くの国で展示され、大きな衝撃を与えています。下関原爆被害者の会の活動からはじまった原爆展運動は、平和への確かな力を築くうえで、その役割をはたしてきたといえます。
 今年は、広島で被爆した詩人・峠三吉の没後50年目にあたります。峠三吉の名前は広く知られ、広島では絶大な信頼を得ていますが、その作品と業績についてはあまり知られていない状況にあります。このたびの原爆展は峠三吉の詩業を顕彰するとともに、峠が活動した時期の活動の息吹を反映させた特色あるものにしたいと考えています。
 各地の原爆展では共通して、原爆を投下して幾十万人を殺し、被爆市民に筆舌に尽くしがたい苦しみを押しつけたものが、いまだに一片の謝罪もしないばかりか、イラクなどで「広島、長崎のような目にあわせる」といってなんの罪もない人人を大量に殺りくしていることへの怒りの声が寄せられています。このたびの原爆展が、広島市民の広範な願いを一つに束ね、それを全国、世界に波及させ、原水爆の製造、貯蔵、使用を禁止する力をさらに強いものにするうえで、貢献できることを願うものです。
 「原爆と峠三吉の詩」原爆展は、7月31日(木)から8月6日(水)まで、福屋八丁堀本店七階催し場で開催する予定です。このとりくみは広島の多くの市民の協力なくして実現できるものではありません。この原爆展への賛同者として名前をつらねていただき、ご協力いただくことをお願いするものです。
  2003年5月30日
  「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会  代表世話人・重力敬三 
  下関原爆被害者の会 会長・ 吉本幸子

             市民原爆展開催要項
 名称 峠三吉没50周年記念広島市民原爆展
 日時 7月31日(木)〜8月6日(水)午前10時から午後7時半まで。
    (金・土曜日は8時まで、最終日は5時まで)
 会場 福屋八丁堀本店七階 催し場
 主催 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会
 展示 旧日銀原爆展で展示したパネル(A1判)67枚に峠三吉の業績を紹介す
    るパネル6枚、小中高生平和の会2枚、昨年の八・六広島集会と広島アピ
    ール1枚を追加。計76枚。被爆当時の福屋関係の写真パネルも作成。
    書籍はパネル集『原爆と峠三吉の詩』『峠三吉詩集』『峠三吉評論集』
   『福田正義評論集』『広島と長崎』『小中高生平和の旅』など。
 とりくみの基調
 「再び原爆が使用されることのないよう、広島の本当の心を伝えよう」を合言葉に、「原爆と峠三吉の詩」パネル展示を中心にした全市民的な規模の原爆展を、広島市民が主体となってとりくむ。
 福屋は広島の戦前からの老舗であり、被爆直後に市民が避難した場所でもあり、1950(昭和25)年アメリカ占領下の八・六平和斗争で、市民がはじめて原爆反対ののろしをあげた場所でもある。広島市民にとって歴史的に思いの深い会場で開催するという条件をおおいに生かして1万人の参加者を目標に、大大的な宣伝をくり広げる。
原爆展を成功させるうえで、賛同人・協力者を各界から幅広くつのり、賛同者名を記名したチラシで、ポスターとともに大量に宣伝する。町内会、老人会、婦人会、商工会、企業、銀行、医師会、農協などにできるかぎり賛同・協力を訴える。また「原子雲の下より」「原爆の子」の関係者、広島商業の同窓会、慰霊のグループなどにも働きかける。
広島で被爆した詩人・峠三吉の没後50周年を記念し、このとりくみをつうじて、峠三吉の業績を紹介し、広島の心をうたった峠三吉を市民の手にとりもどせるようにする。『峠三吉原爆詩集』『峠三吉評論集』を普及する。
 原爆展の期間中、全国の被爆者の交流、小中高生平和の旅など子どもたちとの交流、平和教育の交流の場にし、各界各層の平和の願いを発揚し一つに束ねる方向で運営する。

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