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「復興」政策が阻む生活再建
宮城県石巻
            中小水産業は深刻な経営難   2015年3月9日付

 4年前の震災でもっとも被害の大きかった宮城県では、沿岸部全域が津波にのまれ大勢の人命が失われた。気仙沼、女川、石巻、塩釜など国内の水産業の主力となってきた地域で市場や加工工場、それにつらなる各種産業で甚大な被害が出た。水産業の復興は宮城県全体の復興にとって第一課題となってきたが、四年たっても現地では復興が遅遅として進んでいない。被災者の必要性とは裏腹な「復興計画」が国や行政が主導する形で押しつけられており、そこに住む住民のため、被災者が立ち上がっていくための施策になっていないことが大矛盾となっている。
 
 沿岸部はいまだ仮設暮らし

 石巻市の水産加工団地は壊滅的な被害をこうむった。津波で魚市場も水産加工会社や冷蔵・冷凍施設、水産加工に付随した関連会社も大きな被害を受けた。更地となり、地盤沈下した漁港は四年を経て様変わりし、企業団地にも巨大な会社や工場、冷蔵・冷凍設備が立ち並んでいる。なにもかも失ったところから経営者が再建を決意し、家族や従業員などみなが必死で建て直してきた苦労があちこちで語られていた。
 多くの企業が再建のためにグループ補助金などの制度を利用し、中小企業で4分の3、大企業で2分の1という補助割合で会社を建て直した。しかし、制度開始当初からこの制度では小さな会社ほど申請段階でふるい落とされると指摘されてきた。約200社のうち4分の1がすでに廃業しており、そのほとんどが小さな企業だという。
 さらに大きな問題になっているのは、再建したとはいえどの企業も厳しい経営状況に置かれていることだった。「いざ始めてみたものの、利益もなく、ただただ操業しているだけ」と語られている。数年先には倒産が何社も出るのではないかという危惧が語られていた。震災前にあった水産加工団地の207の企業や工場の再開状況(軒数)を見ると、平成25年1月に48・3%、平成26年1月は54・1%、そして26年12月末現在で56・5%(石巻市の統計)と、半分程度で伸び悩み、今後増える見込みはない。すべての企業が等しく復興できたわけではなかったことを示している。
 一方で、石巻魚市場の水揚げ状況は漁獲量・漁獲高ともに年年回復している。しかし、「水揚げが戻らない」「資源が足りない」といわれている。再建した会社が震災前の2倍、3倍もの設備をつくったことが原因で、企業数は減ったがその器は大きくなり、資源の奪いあいになっている。女川や気仙沼、志津川などの市場と競争になるため浜値は上がり、それを仕入れる加工会社や卸会社にとっては厳しい状態だ。加えて、労働力が足りないのも深刻な問題で、巨大な設備の維持費だけが重くのしかかっている。また、再建期間に取引先を失っている企業も多くあり販路拡大の問題もみなが頭を悩ませている。「負のスパイラルだ」と経営者の一人は語っていた。
 経営が厳しいなかで、新設した設備をフル稼働させることもできないが、設備を見直し縮小しようと思っても、補助金を使っているために簡単には路線変更できない。にっちもさっちもいかず、かといって経営が行き詰まれば補助金は全額返済しなければならない。返済の余力がある企業などなく、そうなれば国に土地も設備もとりあげられる。そのような破綻会社を狙って二束三文で買い叩こうとする大手企業がいることもとりざたされ、数年先の石巻の姿をみなが危惧している。
 水産加工は石巻の主力産業であるが、長期にわたる人手不足が大きな問題になっている。石巻市の人口そのものが震災前に比べて1万3000人ほど減ったことも影響している。石巻職安によると震災直前の平成23年2月には0・72倍だった新規求人倍率が平成26年11月現在で2・84倍まで上昇している。「20人募集を出しても三3人しか来ない」と語られており、震災前に内陸部に進出してきたトヨタなどに被災者が引っ張られていったこと、仙台に出て行った人も相当数にのぼることが指摘されていた。石巻の浸水地域を住宅メーカーが買いあさったため地価が高騰し、仙台に建てても石巻に建ててもさほど差がなくなって仙台への流出が進んだと語られていた。また、土建業がたけなわで、あちこちで道路工事や岸壁工事、宅地造成やかさ上げ、家屋や会社の建築などに人手が引っ張りだこで、賃金の低い水産加工には回ってこない。

 輸出志向は力にならぬ

 販路はどうして失われたのか。震災後の1年のブランクのあいだに、取引先には別の会社の製品が入り込み、奪われる形になった。それを少しずつとり戻し、同時に新規の開拓をしていかなければ生き残れない。大小を問わずどの企業でもその苦労が語られていた。
 そのなかで販路を海外に向ける動きがあらわれている。石巻では今年の夏に完成する高度衛生管理対応型新市場の建設とあわせ、JETRO(日本貿易振興機構)や商社もかかわって「輸出」に力が入れられている。ベトナムや香港、台湾などアジアを新たな消費地としていくというものだ。販路を失った業者が活路を求めて懸命なPR活動をしている。しかし、輸出が今後の発展の力になっていくのかというと、大量かつ安定的に安価なものを提供する供給地にされるだけで、「大阪や東京など大都市や国内に売り込んでいくことが一番現実的なんです」という会社もあった。
 企業みなが海外と直接取引できるわけもなく、結局そのあいだには商社が介入する。国内の販路開拓も、スーパーを抱える商社があいだに入り込む。国内にしろ、国外にしろ、商社がしっかりもうけていくしくみができあがっている。

 放射能が最大の足かせ

 水産業の復興にとって最大の足かせとなっているのが福島第一原発事故の放射能汚染だ。ある企業は、震災後の早い段階で再建を決め、壊滅した社屋の立て直しにかかった。補助金制度が出る前から自己資金と借り入れによって発注し、設備を復旧させた。しかしその復興に立ちはだかったのが放射能検出だった。津波だけならまだ復興は早かったが、これで離れた取引先もいる。数値を計り、商品の安全性を確認してもらい、一社一社信頼関係をつくり上げてきた。「こんな苦労は今まではなかった」と振り返っていた。しかし最近明らかになった福島原発の汚染水漏れと、それを一年も公表していなかったことに悔しさをにじませていた。「これは絶対に長引く問題になる。10年後、15年後に全国で起きてくることが今ここで起きているんだ」と語っていた。市場では水揚げされたものについてはベクレル検査がおこなわれている。ここ最近では検出されていないが、いまだに「出た」「出なかった」ということに関係なく東北産が敬遠されているのも事実だ。
 典型的なのが韓国に輸出されていたホヤで、北海道から三陸沖にかけての水産物の輸入禁止措置はいまだに解除されない。ホヤは全国の生産のうち4分の3が宮城県(石巻・女川)で生産され、多くが韓国へ輸出されていた。韓国ではキムチの材料として喜ばれていた。しかしいまだに出荷できない。
 製品が安く買われた場合には東京電力から差額分が補償として支払われる。しかし問題はそういったことではない。「公表されていなかったことに本当に頭にきた。いくら浜が復興にむけて努力しても、この問題はどうにもできない。買う側が“どうせ補償されるんでしょ”と買い叩いていくのが悔しい」と生産者は怒りを口にしていた。

 復興置き去りの沿岸部

 宮城県の半島部を走ると、沿岸部に点在する浜の復興はまったくといっていいほど進んでいない。町を丸ごと波にさらわれ、その瓦礫が片付けられただけで人の姿もみえず、道路をダンプが行き交うだけで静けさに包まれていた。家の基礎だけが残され、そこに草が生い茂り、一面にシカの糞が落ちている。
 浜に住んでいた人人の生活は置き去りになっていた。自宅を失った人人はいまだに仮設住宅に住み、そこから浜に通っている。元住んでいた場所は建築規制で戻れず、高台への集団移転もうち出されているが、土地造成が終わっていないどころか、4年もたって木を切る段階。災害復興住宅も大幅に遅れ、「住」環境が整わないことで余計にでも都市部への人口流出が進んでいる。牡鹿半島にあった病院や診療所もすでに石巻市内で開業しており、沿岸部に住んでいる人人の住環境は変わってしまった。
 牡鹿半島の荻浜(おぎのはま)は、牡鹿のなかでも活気がある浜の一つとして知られている。若手の漁業者もおり、カキ養殖やコウナゴ漁、アナゴ漁で生計を立ててきた。しかし津波で漁具も船も家も失った。低地に密集していた民家はみな津波で流され、住民の多くが仮設住宅に住み続けている。四年のあいだに現役世代は定住先と仕事を求めて浜から出て行き、そのため子どもがいなくなり地域の小学校は休校となった。集団移転の造成地も漁港の整備もまだまだで、「七年ぐらいはかかるかと覚悟はしていたが、これでは10年たっても終わるのだろうか…」と語っていた。13軒あった漁家は3軒が廃業した。
 また、土地造成が終わっても家を建てるかどうかは自己責任だ。漁業者は漁業再建のための補助制度を受けており、九分の八の補助で船や漁具をそろえた。補助金の自己負担分と、震災前に抱えていた借金などがある人は二重三重の借金をすることになる。年金暮らしの高齢者も多いなか、高台に土地を造成したところで移転に応じられるのはわずかではないかといわれていた。
 同時に漁業関係者のなかでは、漁業の復興のあり方について「このままではいけない」という危惧が渦巻いていた。被災した漁業者は再建したほとんどが九分の八の補助をうけて船や漁具をそろえた。その補助率は例えば4億円の船を4000万円台の自己負担で造れるようなもので、早期復興には大きな役割を果たした。しかしもう一面で生じている問題も指摘され、「四年たった今だからこそいえることだが、金融面、財政面での支援は本当にありがたかった。でもこれからはそれも必要ない」と語られていた。短期的な補助金の優遇策がむしろ漁業者の意欲を削ぎ、そのことが浜の復興を遅らせてしまうことが指摘され、漁業を立て直し生産意欲をもって真に自立していけるような援助が必要なのだと語られていた。

 商店立退かせ防災拠点

 石巻市内でもっとも復興が遅れているのが雄勝地区だった。道路建設が少しずつ進んでいるだけで壊れた漁港もそのまま。住宅地も更地のままだった。隣接する女川町では工事が進んでおり、雄勝とは対照的な光景が広がっている。4000人いた雄勝の人口はすでに1000人まで減り、建築規制で戻れぬ時間が長くなるほど人口流出を招いている。住民はいつまでたっても仮設暮らしで、商店街も仮設のままである。
 そのうえ市が一度出した復興計画を見直して道路の位置が変わり、雄勝に戻って漁業を再開した漁師が市の承認を得て建てた小屋も、水産物を扱う商店も、最近真新しい建物で再建したばかりの漁協支店も立ち退き対象となっていた。青写真通りに町をつくったとしても、肝心の住民が何人戻るかわからない。やる気になって再建していた人人を立ち退かせるのだから、いったい誰のための復興なのかと思わせる。
 あれほど「絆」と叫んでいたのに、被災者の前に立ちはだかった「復興」は、ここぞとばかりに市街地開発すなわち不動産投機にうつつを抜かすものであったり、ゼネコンの利権獲得競争であったり、でたらめなものだった。石巻市役所の横には被災した市民病院を移転させて新築工事が始まっているが、かかわった駅周辺整備計画のなかで「防災センター」の建設が持ち上がって、市民のなかで問題になっていた。石巻市によると、防災センターは、平常時には防災推進課などが常駐し、防災に関する学習拠点、意識啓発の拠点として活用し防災体制を強化していくこと、災害時には災害対策本部を置き、自衛隊、警察、消防など関係機関との協議を速やかにおこなう拠点施設にすることなどが目的となっている。そしてこの建設のために、石巻の市街地で営業してきた商店や地権者に立ち退きを迫っている。そこ退け方式で商店や住民を蹴散らしていく復興に怒りが語られていた。

 

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