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復興阻む者との全面対決
東北被災地の5年の経験
               腐り果てた統治の姿を暴露    2016年3月16日付

 東日本大震災から5年が経過しながら被災地はまともに復興できない現実に直面している。本紙はこの間、宮城県と福島県に記者を派遣して現地取材にあたってきた。被災地では住民がどのような状況に置かれ、何を願っているのか、復興を阻害している要因は何なのか、現状を打開して復興を成し遂げるためにはどうしたらよいのか、記者座談会をもって論議した。
 
 同情で済まぬ全国的課題 TPPや地方創生の結末示す

  これまで被災地の実情を伝えてきたが、「むごい」とか「頑張っている」というだけで終わらせることはできない。この5年間で復興予算は26兆円を投じ、今後5年でさらに6兆円をつぎ込むことになっているが、金額をかけているのにあまりにも復興とはほど遠い状況だ。まず被災地の状況から出してほしい。
  福島を取材したが、原発周辺の双葉郡八町村と南相馬や飯舘村はひどい状況だった。原発周辺の人のいない町は地震直後のままで、市街地にも農地にもセイタカアワダチソウが生い茂って道路もガタガタだ。今年度から避難指示区域でも「帰還」に向けた除染が始まり、廃炉作業とも相まってかなりの作業員が押し寄せていた。川内村、広野町、楢葉町など帰還が始まっている自治体もあるが、楢葉町では帰還者が1割に満たない。早く住民が戻り始めた広野町でも5割。福島第1原発がある大熊町や双葉町では6割が帰らないとアンケートに答えている。放射線の線量自体は事故当初よりもかなり下がっているが、5年もの長期避難のあいだに住民が帰れない地域になってしまっている。農地は除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグが山積みで農業どころではない。帰還するにはまずボロボロになった自宅の解体・再建が必要だが、先が見えない状況だ。
 原発周辺地域はゴーストタウンになっている。雑草の生い茂った町並みもそうだが、人間がいなくなった土地でイノシシやイノブタ、シカ、キツネ、タヌキなど野生動物たちが徘徊している。「帰還」といっても病院も商店もなく、ライフラインの復旧も進んでいない。これでは住民は戻りようがない。あと、東電の賠償金は1人10万円支払われてきたが、もらえる人ともらえない人がおり、同じ県民でありながら住民が分断されている状況がある。浜通りから避難している住民が冷たい視線で見られ、中通りや会津に移り住んだとしても感情は複雑だ。
 復興はまだまだ先にある。しかし、そんななかでも農地除染や生産者のとりくみは粘り強くやられている。汚染作物が流通しないように検査態勢は万全なものになっている。科学的な解明も進んでいる。中通り、浜通りではまるで状況も異なるが、懸命に福島をとり戻そうとしている。
 一方で政府は「帰還」を唱え始めたが、これは帰還できるからではなく、避難にともなう補助金をうち切る意味合いしかない。帰還の1年後には東電の賠償金もうち切りになる。東電も政府もさっさと手を切ってしまいたいのが本音だ。全般的に政府が引き上げ始めていることを福島の人たちは指摘していた。それで原発がどうなっているかというと、メルトスルーした核燃料をどうとり出すのかアメリカと一緒になって研究を進めるという段階で、「今からやります」という調子だ。
 福島ではいまだに10万人が避難生活を余儀なくされている。原発周辺地域から追い出されたようなものだ。東京のために電力をつくり続けて、震災後もひどい目にあっている。10万円の賠償金がほしかったわけでも何でもない。勝手に爆発して、みなを追い出して今に至っている。しかし口に出すことができないような抑圧感がある。
  震災直後に取材に行ったとき、双葉町の住民は埼玉県の騎西高校や会津のスキーリゾートホテルなどに押し込められていた。大熊町も会津に避難していた。しかし、住民に話を聞こうと思っても重圧感がすごかった。原発立地町に住んでいたというだけで加害者のように扱う雰囲気があり、ものがいえない状況だった。避難して3日目にようやくおにぎりを一つもらえたというお婆さんが「本当に感謝しています」と悪いことをしたように涙目で語っていたのが忘れられない。国策として持ち込んだ原発によって、もともとあった生業や農業、歴史をみな原発依存に塗り替えてきたのは東電なり政府であって、爆発事故はその結果だ。ところが非難の矛先がもっとも苦しんでいる住民に向けられる。郷土を奪ってなお黙らせていく抑圧構造がある。そうやって県民が分断されている状況への怒りは深いものがある。責められるべき東電の経営陣は無罪放免で、国策として推進してきた国も開き直って再稼働に乗り出しているなかで、矛先をそらすのは本末転倒だ。
  これからは東京オリンピックにシフトしていく。「帰還」といって無責任に放置していくことが危惧されている。爆発直後に「逃げろ」といって半径20`圏にコンパスで線引きして、戻れないようにした。爆発直後の危険性がある状況ならまだしもその後に収束した後もずっと規制した。そして五年間放置した結果、子どもは避難先の学校で馴染み、若者や現役世代は新たに就職先を見つけて戻らない。住民が帰還できない町を業者がのっとったようになっている。そんな郷土の姿を見て、帰還をあきらめる住民が後を絶たない。

 福島を核処分場に 米国の為の原発再稼働

  双葉・大熊町にまたがる地域で政府が進めているのは中間貯蔵施設建設だ。「中間」といっても最終処分場のメドがないなかで「最終」になりかねない。原発周辺地域を今度は核処分場にしようとしている。原発輸出をすれば海外から出た使用済み核燃料などの廃棄物の処理も日本が請け負う。原発輸出も安倍政府になってからすぐに成長戦略としてうち出し、2013年4月頃には中東に売り込みに行っている。被災地は置き去りにしておきながら、性懲りもなく原発政策を推し進めている。再稼働と同時に耐用年数40年を60年に伸ばすなど、震災前に論議していたことをそのまま復活させている。
 A 電力会社からしたら稼働しない原発、廃炉が決まった原発は負債になる。逆に古い原発を稼働させればさせるほどもうかる。老朽原発を稼働させたがるのはそのためだ。そして、ウラン燃料はアメリカから買い込んでおり、日本の原発が余剰ウランのはけ口になっている。日米原子力協定で鎖につながれてしまって、原発以外許さないというアメリカの力が働いている。原発が国土を破壊することは誰の目にも明らかなのに、再稼働を強行するのはそのためだ。
  2012年9月に民主党の野田が「脱原発を目指す」というようなコメントを出した。すると即刻アメリカから「それはだめだ」と叱られてひっくり返した。まともな日本の為政者なら国土保全人命を考えたらとても再稼働などできるものではない。あたりまえの話だ。しかしそれをやらせない力が働いている。アメリカ自身はスリーマイルの事故があって以降、国内の新規の原発計画は全てストップしている。だが日本にはやらせる。日本で第2、第3の福島事故が起きようが海の向こうのアメリカにとっては関係ない。
 C 核燃料サイクルは破たんしている。高速増殖炉「もんじゅ」が典型的だが、メドなどない。結局のところ、地下に保管するしかなくなって処分場を必要としている。原発の上のプールに使用済み核燃料を大量に抱えていることも震災後に暴露されたが、これも敷地内ではどうしようもないところまで来て、福島を核の処分場にしようという魂胆だ。まさに「原発の墓場」にしようとしている。
  報道もめっきり減ってきたが、福島の現実をかき消してはいけない。再稼働した結果、もう1カ所でも国内で原発事故が起きれば、作業員や技術者も足りないし対応などできない。福島でさえ技術者の被曝量の上限が来て大変な状況なのに、どうやって対応するのかだ。
 A 最近になって東電が「メルトダウンと判断するマニュアルが見つかった」と発表したが、事故後3日目にはメルトダウンとわかっていたのに隠し続け、「ただちに影響はない」「たいしたことはない」といってきた。福島第1原発では、メルトダウンどころかメルトスルーまでいっている。格納庫も突き抜けて核燃料はどこにあるのかもわからない状態だ。40年を目途に廃炉を目指していたが、それも努力目標でしかなくなっている。水を入れてただ冷やすことしかできず、汚染水を増やし続けている。汚染水タンクは1000をこえ、頑丈なタンクが足りず簡単なタンクで間に合わせている状況だ。凍土壁をつくっているが、阿武隈山系の地下水はものすごい勢いで地下を流れており、コントロールしようがない。全国の原発を再稼働させるなら、福島同様のタンク用地を確保できなければ事故対応はできないことを暴露している。「事故が起こってから山を切り拓きます」といっても遅い。
 B この期に及んで原発再稼働に乗り出していることに、福島の怒りは尋常でないものがある。人の命や暮らしを愚弄するのにもほどがある。再稼働が動いている地域を見ても、愛媛県の伊方原発も、鹿児島の川内原発も、福井県の高浜原発も、住民たちの避難対応などどうでもよいこととして扱われている。人の命を何と思っているのかという問題だ。
 福島原発事故のさいもSPEEDIのデータを隠して、住民たちが避難したところにものすごい量の放射能が降り注いでいた。わかっているくせにパニックを起こさせないように、統治の側が人人を犠牲にした。これがすべてを物語っている。福島の現実を日本全国に伝えることが重要だと感じた。

 生産者奮起する宮城 建築規制で戻れぬ人人

  宮城では漁業が勢いよく復興しているし生産者が頑張っていた。生活環境自体はまだまだ先の見えない状況が続いているが、基幹産業だった漁業に限って見てみると、再開を望んだ漁師に対して漁船や漁具などが行き届き、水揚げができる環境は整っていた。「水揚げがなければ何も始まらない」と生産者は奮起してきた。宮城県の漁業者は震災前から比べると四割近く減っているが、水揚げ量は震災前の80%まで盛り返している。このなかで、水揚げはできるがもともと住んでいた土地に帰れず、よその地域から浜へ通っている漁業者も多い。それが痛手となって再開をあきらめたり、負担に感じてやめていった人もいる。
 なにより生活再建が遅れている。建築規制によって浸水地には人人が戻れず、各地域で育んできた生業をとり戻せないことが住民生活の全ての面で障害となっている。そして、人が住めない地域にしてしまった所に巨大な防潮堤を建設する計画が進み、みなが「何を守るための防潮堤なのか」といっている。歴史的に津波被害にあってきている三陸地方では「津波が来たら逃げるしかない」というのは常識で、「防潮堤よりも高台へ繋がる避難道路を整備してくれた方がよっぽどいい」という意見が圧倒的だ。だが、住民たちは仮設住宅や親戚の家などの避難先にばらばらにさせられて帰れない状況に置かれ、地域住民として意見をまとめることもできない状況だ。住民生活を後回しにして誰も望まない形で「創造的復興」が進行している。
 復興させようと思ったら、その地域のコミュニティに依拠しなければ何も前には進まない。しかし被災者みんなの結束をバラバラにしている。意見のとりまとめも困難性がある。漁師でも漁が終われば浜で話したり交流するなかで互いの共通理解、認識をひろげ、組合経営や地域の世論が形成されていく。これが通勤漁師のようになってしまって組合運営にも難しさが出ていた。
 住民の多くは最初の1、2年で元の土地に戻ってやり直すことを望んでいた。しかし建築規制が敷かれ、浸水地は別物の都市開発に持って行かれている。巨大防潮堤をつくり、さらに土地をかさ上げしてから市街地整備という順序で、いつまで経っても生活は再建されない。その間、仮設に押し込んでおくというものだ。雄勝や陸前高田を見て驚いたが、真顔でそんなことがやられている。建築規制がかかっている地域を整備しても、そこに何ができるか決まっていない地域が3県で4割強ある。
 雄勝が端的だが、もともと地盤が頑丈だったのに20bのかさ上げをして、町の中心部の施設や住宅などをつくるという。ゆるゆるの地盤の上に市街地が整備されるわけだ。そこに頑丈な家や建物を建てようと思えば、20b以上も下にある岩盤に達するまで杭を打たなければすぐに傾く。建築にかかわっている人間なら誰でもわかることを日本の防災に責任を持つ人間が推進している。傾くマンションどころか町全体が傾くようなものだ。津波が来る前に地震が来ただけでアウトだ。それほどバカげている。

 巨大防潮堤を優先 変らぬ自然への傲慢さ

 陸前高田でもそうだ。地震が来ただけで場所によっては1b近く陥没し、土地はがたがたになった。震災によって、人間は無力で自然に対して傲慢な態度は通用しないことがわかったはずなのに、なお巨大防潮堤で防げるとか、かさ上げで大丈夫と見なしている。地震や津波を侮った態度があらわれている。「創造的復興」は住民に対して残酷であると同時に、そのような本末転倒を暴露している。
  建築規制などしないですぐに住民を戻したら早くに復興していたはずだ。10b以上の巨大堤防をつくったところで津波はそれをこえてくる。40b地点まで駆け上がったところもあった。岩手県宮古市の田老には巨大防潮堤があったが、津波で破壊された。自然の力はすごい。それでもまだ自然に勝てると観念的に思い込んでいる。
  雄勝や陸前高田が象徴的だが、かさ上げなどで足止めを食らって住民が戻れない。塩漬けにすればするほど住民は流出していく。夜は電灯もなく真っ暗で、人っ子一人いない。一方で隣の女川町ではかさ上げをあまりせずに防潮堤の計画もないため、復興が比較的早く進んでいる。
 石巻も気仙沼と比べると巨大な防潮堤をつくるということもなく中心部の復興は進んでいるように見える。防潮堤の話もあったが、水産関係者や加工会社が猛反対して「必要ない」と訴えた。それでもどこかにつくりたいのか、水産加工団地のど真ん中を割るように防潮堤を兼ねた高盛り道路をつくる計画が動き始めている。高さは3・7bほどだが、「防潮堤の外にいる人を殺す気か」と大変もめている。説明会で何度も業者たちが市に必要ないと訴えるのに、その場限りの対応だけで意見はなにも反映されないままとなった。
 A 防潮堤やかさ上げよりも現実的なのは、基礎がしっかりした防災タワーや避難道を作ることだ。
  石巻市の渡波にはそのようなタワーがつくられた。「これでいいんだ」とみないっている。これなら何兆円も要らない。浸水地は津波が来れば流される。わかったうえで代代そこで暮らしてきている。「てんでんこ」の教えにかなうものはない。
 C 「創造的復興」を押しつける側が石頭で、頑強に自分たちのやりたいようにショックドクトリンを貫いたのがこの五年の結果だ。被災者の暮らしや町の営み、生業に何の関心もなかったことをあらわしている。必要のない防潮堤のおかげでまちづくりや生活再建が遅れてしまい、気仙沼のように合意形成がままならず前に進めないところもある。もっぱらゼネコンがもうけるためにコンクリートを使いたがり、真砂土で埋めたがり、盛りたがる。そして工事金額の規模が小さい僻地は置き去りにされ、入札不調が起きれば労務単価は高くなり、通常なら考えられないような設計金額で再入札にかけないと誰も応札しない。そうしてさらにゼネコンのいい値になっていく構造だ。
  これからはオリンピックに業者をとられて、被災地の工事はさらに遅れることは必至だ。“オリンピックなんかしなければいい”と幾人も語っていた。ところがオリンピックでは被災地が“復興の象徴”扱いにされる。そのオリンピックを自分の故郷に戻って見ることができる被災者がいったい何人いるだろうかとも話になった。あと、僻地は露骨なほど置き去りにされている。宮城県では村井県知事が震災直後に「漁港集約化」をうち出し、全141の漁港のうち復旧整備するのは拠点港に指定した60港に絞った。それに対して漁師や漁協が激怒して抗議し、「すべての浜の復旧をやります」といったが、実際行動において漁港集約を貫徹している。

 霞ヶ関の願望が横行 26兆円はどこへいった

 A 26兆円はどこに消えたのか。あと5年で32兆円まで使うというが、残り6兆円でなにができるだろうか。当初の復興予算は13兆円といっていたのが26兆円になり、10年間で32兆円になるという。32兆円あれば1人あたり6800万〜6900万円はある。その金を住宅再建なり生活再建に回すことも可能だったはずだ。ところが東京の体育館や沖縄の道路などに復興予算を流用したり、大企業が群がって食い物にしていった。26兆円を費やしてまともに復興できない被災地の姿は、統治機構の腐敗をそのままあらわしている。復興させる意思も能力もないことを暴露している。
  被災地の各自治体も自由に予算が執行できず、がんじがらめに縛られている。メガソーラーの集積地帯とか自然エネルギーの有効活用、防災公園などを含めた計画を出し、それらはみなパシフィックコンサルタントとかの大手コンサルが青写真を描き、被災自治体が金太郎飴のような復興計画を出した。それに対して復興庁が予算を付けるというものだ。霞ヶ関がつくったプランに囲い込んだ。予算の権限が県にも市町にもなく、全部復興庁が握っているから、本当に必要な施策が後回しになる。
  阪神淡路大震災のとき、国は責任は持つから自由にやってくれといってお金や権限を与え、かなり自治体に自由にやらせた。しかし東日本大震災では不自由に縛り付けたうえに責任をもたない。
 NHKの復興予算の特集を見ていると、「住民が帰ってこない」とか、「防災集団移転のための住宅を建てても住まない」とか、誰が見てもはっきりしている失敗について、「当初の計画は安全のために防潮堤や高台移転などを策定したが、これほど人が減るとは想定していなかった」という。「想定外」で責任は自分たちにはないといっている。
  福島第1原発の爆発事故に関しても、誰も責任をとっておらず逮捕もされていない。復興の失敗も誰も責任をとらない。そして復興したのはどこかといえば、東北の被災地は復興せずに大企業なり東京が不景気のなかで復興している関係だ。
  ゼネコンに加えて被災地にイオンやコンビニ各社が乗り込んだり、農業ではカゴメがきたり、流通には商社が介入したり、工業といえばロボットやドローン製造工場などが来たり、あらゆる分野に大手企業が殴り込みをかけている。メガソーラーの太陽光発電のパネルはアメリカのGE製も入っている。
  「これほど人が戻らないとは思わなかった」というが、あと5年先を見たときに必然的に広大な空き地ができあがる。住民から土地を買いとった自治体側も売れなければ困る。そのさいに二束三文で大企業が買いとっていくというコースも十分に想定される。雄勝にしても広大な土地が空白になるし、陸前高田などもっと広大だ。そこに工場をつくり外国人労働者などを引っ張ってきて働かせるなどはあり得ることだ。TPPや「地方創生」で草刈り場にしていく先どりだ。
 D ショックドクトリンで更地になっているところに絵図を書き、コンパクトシティとかコンパクトタウンなどといってきた。インフラもまだ復旧していないのに、次の5年はソフト面に投入するという。そして現地の生業だけは復興させない。資本のもうかるやり方でやって、そこに労働者として来させるやり方だ。
  あと5年これをやらせたときの先は見えている。この5年間でやられたのは「創造的復興」という名の妄想的復興だ。霞ヶ関とか大企業の願望は現実にあっていないことは歴然としている。これに対抗して、地域ごとの生業や歴史、伝統そして人間の生活をとり戻すためにたたかわなければやられる。5年間だめだったから10年後もだめにならないといけないというのでは話にならない。5年でだめだったのなら、是正して今後5年で人間を第一にした方向に持っていかないと三陸の未来はない。霞ヶ関や大企業の妄想では復興できないし、むしろ阻害物になっている。結果は出ている。
  各自治体に予算権限を握らせた方がはるかに早く復興する。県なり各自治体に自由にやらせるというのも具体的要求としてある。住民が主人公になったまちづくりの力、共同体の力を大結集していく方向にしか事態打開の展望はない。
 東北の姿はTPPとか「地方創生」の行き着く先を示している。全国の自治体もそうだが、いまや統治する側がやることなすことまともではない。これに対抗して、住民生活の再建、国民の生命や暮らしを守れ! というあたりまえの力を強くすることが決定的だ。被災地に必要なのは同情ではない。安保法制にせよ、TPP、原発再稼働、消費税増税、基地建設など、対米従属構造のもとで“後は野となれ”をやる政治との全面対決が求められている。外資や大企業が国家を私物化して弄んでいる状況のなかで、全国でそのような連帯した運動を強めることが待ったなしだ。

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