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復興に動かぬ国対応が障害
震災から7カ月へた岩手県重茂
             漁協軸に生産再開するなか    2011年10月10日付

 東日本大震災から7カ月が経過し、もうじき被災地は厳しい冬を迎えようとしている。このなかで、津波によって壊滅に追い込まれた三陸沿岸では、「復興」どころか「復旧」すら進まないことに住民の多くが苛立ちを募らせ、国の被災地支援や行政機構による復興施策がなぜこれほどモタモタするのか、やり場のない怒りを抱えながら故郷の再建に向けた懸命なとりくみが進められている。本紙は山口県から被災地に足を運び、岩手県沿岸から7カ月がたった現地の取材を進めた。
 岩手県宮古市の重茂半島は、震災後に地域共同体の「心臓」として役割を担ってきた重茂漁協が奔走し、被災した沿岸のなかでもいち早く復活の狼煙を上げ、生産活動の再開に向けたとりくみを進めてきた。
 国の復興施策が何ら動かないなかで、漁協がバックアップ機能をやって漁船・漁具の確保や操業再開、瓦礫撤去などで資金を拠出して威力を発揮し、地域が一丸となって立ち上がっていくのに貢献。被災した組合員を臨時雇用の形で雇って給料を保障し、みずからの力で瓦礫を撤去し始めたほか、中古漁船やエンジンを他県から買いつけたり一括購入して、共同利用で急場をしのぎながら操業再開を目指すなど、個人の自助努力任せにしなかったことが「元に戻せばこの地で生きていける」と組合員に展望を与え、復興の原動力になってきた。主力のワカメ、昆布養殖はなんとか来年春の収穫にメドをつけ、漁船も徐徐にそろい始めた。下からの復興、すなわち現場の生産者の努力によって、生産活動そのものは動き始めていた。
 ところがここにきて、復興施策との矛盾が大きな壁となってあらわれている。上からの復興、つまり国なり県の財政的援助や復興へのとりくみが機能不全に等しい状態で、七カ月がたつのに事が動かない事態に直面している。
 津波の波高が最高で40b近くに達した重茂半島では、漁港は軒並み壊滅した。巨大な堤防が100b以上陸側に押し流されて転がっていたり、津波の威力を証明する光景が今でも生生しく横たわっている。漁協が所有していたワカメの加工場や、冷蔵庫も大半が津波にさらわれた。船がそろってワカメ・昆布が収穫できたとしても、それを加工する施設の復旧にメドが立たなければ来期の展望につながらない現実がある。
 漁協関係者の1人は「復旧、復興を唱えるだけでは意味がない。前例がない事態だというのはわかるが、行政の対応があまりにもモタモタしていて、この国の政府機能を疑ってしまう。事務的な滞りが多すぎるんだ…」と吐露していた。
 5月に政府の第1次補正予算が国会で承認され、漁船確保のための補助金は名目として確保された。ところが実行段階になると、書類作成から手続きに至るまで難航続きで、9月になるまで書類関係の雑務に翻弄されていた様子を語った。「しかも、漁協には補助金はいまだに入っていないんです」。
 跡形もなくなった港や加工・冷蔵施設になると、さらに原形回復のメドが立たない。10月初旬になってようやく、激震災害に認定(九割が国の補助金でまかなわれる)するための査定に水産庁から職員がやってきたことも、重茂の人人を驚かせた。3月に震災に見舞われ、7カ月も経過してからの「査定」で、「遅すぎる!」という思いが募った。
 しかもワカメ加工場などの再建に利用できる第2次補正予算で盛り込まれた施設整備の補助金は、年度内に完成させるのが条件で来年度に繰り越しができない制約になっている。完成が間に合わなければ補助金は下りてこない。さらに、原形復旧が基本で、地盤沈下した場所につくり直さなければならないといわれるなど、現実離れした融通の悪い対応にも遭遇し、漁協が意見を重ねてようやく認められた経緯もある。査定するためには被害状況をそのまま見せなければならないことから、水産庁職員がやってくるまでの7カ月間、崩壊した施設を撤去もできず、手がつけられないまま放置するほかなかった。「なんのための七カ月だったのか」と思いが語られていた。
 港の復旧も防波堤のかけらを拾い上げたり、テトラポットを積み直したりの作業が始まった程度。8月末にやってきた作業台船が停泊して、作業にあたっている光景があった。そして陸側では綺麗に瓦礫が撤去されているのに、手がつけられない土地がそのまま広がっている。

 春にはワカメや昆布の収穫 加工場の再建急務

 漁協関係者の男性は「沿岸が広範囲に被災して、水産庁担当職員の手が回らなかったのはわかる。しかし、それならば県や市を信頼して査定業務を任せるなり、もっと早く対応できなかったのか。春にはワカメ・昆布の収穫が始まる。年度内に加工場を完成させなければワカメは三日で腐る。せっかく生産機能を回復したのも水の泡になってしまう。なにがなんでも年度内に完成させるしかない。業者には24時間の夜中作業でもお願いするつもりで急ぎたい」といった。
 そして、「自分たちでできることからやってきたが、自力では手が付けられない部分があり復旧に向かわないジレンマがある。復興どころか復旧すら進まない。港は沈下して機能を果たしていないし、まだまだやるべきことが山ほどある。血管が詰まって、血液が流れないような感覚です」と語っていた。
 重茂では年間4000d水揚げするワカメの養殖が主力。このうち2000dを漁協が組合員から買い取り、ボイル・加工して冷蔵庫(3カ所、1500dの保管能力)に保管し、販売までを手がける。生ワカメなら3日間で腐るが、3月から4月にかけての最盛期に水揚げしたものを総出で加工し、冷蔵庫に在庫として抱えながら、年間通じて販売していく形態だった。販路としては生協のほか、スーパーなどと取引のある問屋にも卸していた。冷蔵庫も1000d分の機能が津波でやられ、そのなかには4カ月分のストックが入っていたという。この復旧がなければワカメの保管ができない。また、岩手県を代表する魚である鮭の孵化場も漁協が所有していた。これもすべて津波に流された。
 「うちの川は11月に鮭が戻ってくる。鮭は回帰率が高い魚で年間7億円近い水揚げを定置網であげていた。イクラを加工したり、フレークの原料にするまでを漁協の加工場でこなしていた。ワカメの加工場、冷蔵庫、鮭の孵化場などすべてが元に戻らなければ以前の状態にはならない。冷蔵庫を設置するための補助は3次補正予算の通過を待っている状態。このままでは来年春の収穫分には間に合わないので、どうさばくか考えている」と漁協関係者は語っていた。
 重茂半島は宮古湾を挟んで突き出すように位置している。岩手県内でも「陸の孤島」と呼ばれるなど、決して都市部へのアクセスが良い土地ではない。震災直後に半島と市街地を結ぶ唯一のルートとなった山間の市道が9月の台風15号で崩落し、一時通行できなくなったことも住民のなかで話題にされていた。こちらも協議に時間がかかり、本格復旧は国の査定待ちで、年末以降に後回しされること、「津波で海側の県道をやられ、今度は山間部の市道が崩落。もともと道路がこの2本しかないことが問題。ずっと建設を要望しているのに対応してもらえない」と話されていた。
 震災後、協同組合の相互扶助精神を発揮して復興に力を注いできたことが、地域みんなに復興への希望を照らし、みずからの手と足を動かしていくパワーを激励した。800隻(うち500隻以上が1d未満)あった漁船は14隻を残してすべて流されたが、漁協が即座に動き始め、4月初めの組合員集会では、残った漁船の共同利用方式が告げられ、みなが全会一致で了承。「われわれは過去にも大津波の被害を受けているが、その度に困難を乗り越えて漁業で立て直してきた。こうしたときこそ組合員が共同の力を発揮することが重要だ。来年にはワカメや昆布をこれまで通り水揚げしよう」と組合長が呼びかけ、漁協は他県の浜にまで足を運んで中古船を買い付けたり、フル稼働し始めていた。
 伊藤隆一組合長は、「震災後は電気も電話もつながらず、宮古市役所が現状を確認しようにも道路がなく連絡がとれなかった。そのなかで翌日の3月12日には漁協職員が地区内の様子を確認・情報収集にあたり、13日には漁協に対策本部を作って対応した。重茂の共同体の中心に漁協が位置しており、その役割は大きいものがある。役所対応を待っていても現場は動かない」と、口にしていた。
 そして、僻地でありながらみなの結束で地域の産業を盛り立ててきたこと、震災に直面した後も復興にあたってきたこととあわせて、「なにをやるにもみんなの一致がないと動かない。全員がいかに同じ方向を向くか漁協も心を砕いてきたし、結束したときにはすごい力が発揮されるものなんです。私たちはあたりまえのこととしてやっているが、本来漁協はそういう相互扶助組織として戦後出発したはず。施設整備などの困難はあるが、必ず元に戻したいし、引き続きがんばりたい」といった。

 

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