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幾千万大衆と共に  福田正義長周新聞論

 1,長周新聞の性格と歴史的経験
 2,創刊記念集会への報告 
 3,社内講話から
                                       
著者・福田正義 発行・長周新聞社 B6判 187頁 定価1200円
(送料240円)    

(一部抜粋)
人民に奉仕する

 三九周年ということは、 一九五五年の長周新聞の創刊から三九周年ということだ。 一九五五年というのは、 日本ではその前に共産党の五〇年問題というのがあって、 共産党が大分裂して運動が停滞し、 人民がひじょうに困っている時期である。 この時期に長周新聞は、 山口県を中心にして、 三市 (下関、 山口、 徳山) の有志が集まって、 このままでは人民大衆が困る、 なんとかしなければならないというので、 日本全体、 および県内の情勢を分析して、 長周新聞の創刊になった。 これは、 『創刊の訴え』 に集約されている。 この 『創刊の訴え』 と、 それにつけている長周新聞の 『編集綱領』 はひじょうに歓迎された。 長周新聞はその方向を堅持して、 大衆との団結を広げながらすすんでいった。 これは、 ウソやはったりでなく、 正真正銘の長周新聞の方向である。
 この方向の源泉ということにふれておくと、 わたしは戦時中、 中国にいた。 戦前、 日本の共産党はひじょうに強大で、 とくにインテリゲンチャがひじょうに多かった。 インテリで共産党員でないものは、 バカかアホかというぐらいに多かった。 そういう意味では、 かなり強大な党であった。 たとえば、 中国共産党の文献なども、 日本で刷られたものが上海に送られて、 上海で中国共産党が購入して、 マルクス主義の学習をするという時期もずいぶんあった。 ところが、 その日本共産党は、 戦争のなかで、 それがもっとも苛か烈れつになるなかで、 事実上消滅してしまう。 人民の困難にたいして手助けすることができないようになる。 一九三五 (昭和一〇) 年前後に日本共産党はほとんどなくなってしまったからだ。 しかし、 中国共産党の方は、 それ以後に、 大陸の都市部ではひじょうに痛めつけられるが、 延安に入って、 そして力をつくって、 ふたたびあらわれてきたときには、 日本帝国主義をはじめとしてアメリカ帝国主義もなにもみな追っ払い、 そうして中国に最初の人民の革命、 社会主義革命を確立する。 これはどういうことであろうか、 というのがわたしの最大の問題意識であった。
 なぜ、 日本共産党は重大な時期に、 敵が弾圧するといった問題もあるが、 つぶれてしまって、 なぜ、 中国共産党は、 あの広大な大陸で全帝国主義をうち倒して人民の政府をつくることができたかである。 この中心をなすものは 『老三篇』 である。 つまり人民に徹底的に奉仕する、 そして人民の事業のためには刻苦奮斗するということが、 言葉のいいまわしというようなものでなく、 徹底している。 中国の工作員の活動などを見ていても、 ほんとうにそう思った。 これは、 かつての日本共産党と異なる。 したがって、 中国共産党の諸部隊は、 人民のおるところではかならず人民を団結させ、 これを立ち上がらせ、 勝利して前進していく。 そして、 全中国をまたたくまに解放してしまった。
 ここに問題の核心がある。 われわれがいろいろ理屈がうまいとかなんとかでなく、 ほんとうに 「人民に奉仕する」 という精神に徹して、 人民の苦難を調べ、 そしてそれを助けていく、 そういう活動をやるなら、 かならずそういう事業は人民に支持されるということを感じた。
 わたしは、 一九四九 (昭和二四) 年の秋から広島に派遣された。 わたしが広島に派遣されたときの広島というのは、 それこそ原爆でめちゃくちゃに破壊されたままの状態だった。 そして盆に灯籠とうろう流しをやるとかいうことはできても、 そういう悪事をやったものにたいして、 人民を代表してこれとたたかうということはなにもなかった。 これではいけないというので、 当時の情勢、 つまり日米戦争をはじめとする当時の情勢から、 日本を占領して、 そこからアジアならびに世界制覇を考えているアメリカ帝国主義の許しがたい犯罪を暴露する。 「原爆のようなものを落として、 何十万の人人を一瞬のうちに殺すというようなことは許しがたいんだ」 という主張をはじめた。 これは、 共産党も賛成しなかった。 アメリカにたいして文句をいってはいけないというのが一般的な通説になっていたからだ。 しかしこれは断固やった。 そうして、 被爆の写真を集めて、 非合法のうちに新聞をつくり、 それを街頭にはり出し、 そうして原爆の投下というものが、 いかに人類にたいする犯罪かというビラをまいた。
 こうして賛成者はどんどん出てきて、 労働組合もかなり支持するようになって一九五〇年の八月六日に、 最初の原爆に反対する集会を提起した。 しかし戒厳令と同じような弾圧を受けて、 集会を普通の形で成功させることはできなかった。 しかし、 これは広島の多くの人民に深く印象を残して、 また同時に全国にも大きく響いて、 その翌年に開いた第二回の大会は、 合法的に開くことができた。 荒神小学校を借りて合法的に原水爆に反対する集会を開くことができた。 これが日本での最初の原水爆に反対する大衆的な集会となった。 それ以後、 原水爆に反対する斗争というのは燎原の火のように広がり、 全国、 全社会的に広がって、 原水爆に反対する全国集会、 全国大会、 国際大会というようなものがもたれるようになり、 原水爆に賛成するというようなものはだれもいなくなった。
 こうしてみると、 人民の根本的利益を守るならかならずそれは支持される、 そういう確信をもった。 これが一貫してわたしの政治信条となっている。 長周新聞の発行も、 もちろんそういう基礎のうえに立っている。 そういう基礎のうえに立って、 『創刊の訴え』 を出し、 『編集綱領』 を出して、 大衆に訴え、 大衆の支持によって発行していった。 もちろんその発展はそう早いスピードではないが、 しかし全体としてみればひじょうに早い時期にかなり大きな合法性をもち、 力をもつようになった。
 ある時期、 たとえば教組が大会をもつ。 ここには共産党はあいさつに行けない。 長周新聞は行ける。 共産党とわかりきっているわたしが、 日教組の大会に出て、 見解をのべるというようなことができるようになる。 それは、 教育問題なら教育問題における長周新聞の努力の反映であると思う。 したがって、 人民がそこにおり、 人民が生活し斗争しているところで、 新聞であろうと組織であろうと、 なんでもできないことはないとわたしは思っている。
 たとえば、 この最近、 豊北原発反対斗争をたたかった豊北の人人の思い出の記事が載っていたが、 これにわたしは深く感動した。 豊北というところには、 長周の足がかりは一歩もなかった。 しかし豊北に原発ができる、 これにたいして漁民が反対しているというので長周が立ち上がって豊北に入って、 豊北の漁民、 労働者、 農民、 その他さまざまな人人と団結して、 豊北の人人を団結させて、 ついに中電が原発建設をやることができないようにした。 長周新聞に最近載っている声を見て感動するのは、 一六年もまえの斗争について、 人人がまるで昨日のことのように正確に覚えており、 正確に書いているということだ。 そのとき、 豊北町の斗争団体はどういうようにしたか、 そのときに山口県の原発共斗はどのようにしたかということを、 まるで統一戦線を指導する人間のようにひじょうに正確に書いている。 このことは、 豊北原発に反対する斗争が、 豊北の人民に深く結びついている証拠だと思う。 豊北の原発反対斗争について、 この最近、 共産党のある幹部が豊北の斗争についてはまだ評価していないといったが、 そういうバカ者はどこにもいない。 それは豊北に行ってみればわかる。
 これらのことは、 人民大衆と深く結びついて、 自分が偉いとかなんとかいってホラを吹くのでなしに、 人民大衆の利益のために献身するという方向で斗争するならば、 新聞事業であろうと、 その他の労働運動であろうと、 すべて成功する、 勝利するということをわたしに確信させている。
 長周新聞もいよいよ四〇周年を迎えるというので、 人民大衆はたくさんいるので、 おおいに組織して強大になって、 四〇周年にふさわしい集会をもってくれるように期待している。

        〔注〕
 『老三篇』 毛沢東の著作 「人民に奉仕する」 「ベチューンを記念する」 「愚公山を移す」 の三編のこと。 中国共産党はこの著作で誠心誠意人民に奉仕する思想の建設に力を入れた。



●創刊二〇周年祝賀集会への総括報告

 祝賀集会実行委員会のみなさん。
 祝賀集会に参加された各界を代表される読者・支持者のみなさん。
 わたしは、 長周新聞の創刊二〇周年にあたって、 ご多忙中を遠路はるばるご参集くださって、 このような盛大な祝賀集会を催してくださったことに、 心から感謝します。
 長周新聞は一九五五 (昭和三〇) 年四月一五日に創刊されて、 今年の四月で二〇周年を迎えました。
 創刊当時は旬刊 (一〇日刊) のタブロイド判、 二カ月後に週刊になり、 一年半後に三日刊になり、 一九七一年一月から大判になり、 七四年九月から輪転機で印刷するようになりました。 通算号数は一九一〇号であります。 この間定められた発行を休んだことはありません。
 二〇年といえば一つの歴史であります。 それは日本社会を数百年の過去からひきつぎ、 新しい無限の未来へとつながってゆく、 そのような流動し発展していく歴史の一過程であります。 長周新聞の二〇周年にあたって、 その活動を総括するということは、 この二〇年の日本社会の発展過程のなかで長周新聞がどのように日本社会の政治、 経済、 思想、 文化の各面にわたってその発展とかかわりあい、 どのようにそれをいきいきと反映しえたか、 また日本社会の進歩と発展の方向にそって、 どのように能動的に働きかけ役割をはたしえたか、 あるいはまた、 それがどのように不十分であったか、 またどのような誤りがあったか  これらについて明らかにし、 その正しい面からも誤った面からも謙虚に学んで、 われわれの認識を発展させ、 よい面をさらに伸ばし、 よくない面を改める、 ということでなければならないと考えます。
 長周新聞二〇周年にあたって、 すでに多数の読者の総括意見が発表されています。 これらの意見はみな正しいものであります。 わたしは、 これらの読者の総括意見をふくめて、 新聞の発行の側を代表して、 かぎられた時間ですが基本的な点について報告したいと考えます。

 長周新聞は創刊の 『訴え』 のなかで、 一九五五年、 つまり戦争が終わって一〇年前後の情勢についてのべ、 そこからひき出されてくる新聞を性格づける編集綱領ともいうべきものを規定しました。 それは、
 政党、 政派や思想信条、 職業にかかわりなく真実の報道と正しい世論の組織につとめること。
 独立と平和と民主主義を守ること。
 労働者、 農漁民、 市民の生活を擁護すること。
 郷土文化の発展のためにつとめること。
となっています。
 歴代の政府や商業新聞は、 一九五一 (昭和二六) 年の 「サンフランシスコ条約」 で、 あたかも日本は独立したかのように吹聴していますが、 日本人民の生活の実際を見ればはっきりしているように、 アメリカ帝国主義の泥靴は、 政治、 外交、 軍事、 経済、 思想・文化のすべてにわたって日本民族の独立を侵しており、 日本の進歩と発展の重大な障害物になっています。
 アメリカ帝国主義は、 日米 「安保」 条約で日本を縛りつけ、 岩国、 沖縄、 横田、 横須賀などの軍事基地によって、 日本人民を軍事的に抑圧しており、 同時に、 日本をアジア侵略の基地にしています。 軍事基地における直接的な民族的屈辱は、 岩国、 沖縄で頻繁に起こっているように、 許すことのできないものです。
  「日本が独立している」 という欺ぎ瞞まんにあざむかれて、 まるで鯨の胃袋の温水にひたって、 「一時の安易さ、 実際は破滅」 を望むのか、 日本が従属している事実に立って、 断固として斗争を堅持して独立を勝ちとるか、 これはきわめて重大な問題です。
 われわれは、 日米 「安保」 条約を破棄し、 米軍基地を撤去し、 アメリカ帝国主義を日本から完全に追っ払うまで、 斗争を持続的に堅持しなければなりません。
 同時にまた、 日本のひとにぎりの独占ブルジョア階級を中心にする売国反動派が、 日本人民を抑圧収奪し海外へ経済侵略をやっていくために、 アメリカとグルになり、 民族の根本的利益を売り渡していることを見のがすことはできません。
 日本人民のアメリカ帝国主義と日本の売国反動派に反対する斗争は、 一九五五年までも勇敢にたたかわれましたが、 この二〇年来ひじょうに発展しました。
 多くの読者の意見にもあるように、 長周新聞は、 日本民族の独立という観点から広範な人民大衆とともに一貫してアメリカ帝国主義に反対し、 日本の売国独占資本に反対してたたかってきました。
 日米 「安保」 条約に反対し、 米軍基地に反対するだけでなく、 アメリカ帝国主義が日本独占資本とグルになって、 日本の労働者を二重に搾取・収奪し、 日本の農業を破壊し農民生活を成り立たないようにし、 中小企業者を倒産に追いこんでいる数かぎりない事実について暴露してきました。
 二〇年余りの活動の経験は、 独立、 平和、 民主、 人民生活の擁護のそれぞれの課題は、 それぞれ独自の課題であると同時に、 それらは相互に離れがたく結びあっていることを教えています。 たとえば、 日本の平和を守る問題も、 アメリカ帝国主義が日本を侵略していること、 ソ連社会帝国主義が千島を侵略していること、 つまりは帝国主義・社会帝国主義の侵略主義、 覇権主義に反対する斗争と結びつかねば空論になるということです。
 人民生活を守る問題も、 人民生活を圧迫しているものとの具体的なたたかいをやらなければなりませんが、 その根本的な解決のためには、 独立、 平和、 民主に要約され集中される政治的な課題と結びつけてたたかわなければほんとうには解決することができないことを教えています。
 これらのことから、 長周新聞の二〇年の基本的経験をつぎのようにいうことができると思います。
 われわれの日本社会はひじょうに複雑であり、 多くの階級や階層のあいだに矛盾があり、 それらの矛盾は複雑にからみあっています。
 だが、 この二〇年来の事実は日本人民のすべての苦難は、 さまざまなあらわれようはするが、 結局のところ、 アメリカ帝国主義とひとにぎりの日本の独占ブルジョア階級の支配に根源があり、 それが人民を搾取し、 抑圧し、 日本社会の発展を阻害していることをひじょうにはっきりと示しています。
 したがって、 つきつめてみればアメリカ帝国主義と日本独占ブルジョア階級を一方とし、 労働者、 農漁民、 都市勤労市民、 中小業者から非独占の資本家にいたる人口の九〇%以上を占める人民を他方とする、 この二つの支配者と被支配者、 収奪者と被収奪者とのあいだの矛盾と斗争がもっとも主要なものであり、 この主要な矛盾を解決するために全力を注がなければならない、 ということを教えています。
 人口の九〇%以上を占める人民の各階級階層のあいだにも矛盾と斗争は存在しています。 だが、 それは主要な矛盾によって規定されており、 根本問題からみれば副次的なものであります。 したがってそれらの矛盾のあるものは人民の内部の問題として処理することができるし、 調整することができるものもあります。
 高度に集中化されている日本のような独占資本主義の社会では、 国家が独占ブルジョア階級の人民支配の道具になっており、 その支配は、 国家機構をつうじ、 また、 経済機構をつうじて、 網の目のように社会のすみずみにまでおよんでいます。 したがって、 支配と被支配の関係、 収奪と被収奪の関係は、 全戦線にわたっており、 社会のすみずみにおいてたがいに矛盾しあい、 たがいに斗争しあっているということであります。 それは、 政治、 経済ばかりでなく、 思想・文化についてもそうであり、 一見なんのこともないような風俗、 習慣、 生活様式、 流行といったものまでもふくめて、 相互に対立しあい、 相互に浸透しあい相互に斗争しあっています。
 だが、 この矛盾と斗争をつうじて個個の局面における曲折はありますが、 しだいに人民の方が一つ一つ勝利して小から大へと発展していき、 支配者の方が一つ一つ敗北を重ねて大から小になっていく  この趨勢すうせいは避けることのできないことです。 二〇年の歴史的事実はこのことをこのうえなくはっきりと示しています。 結局のところ、 被支配者が支配者の位置にとってかわる、 このことは歴史の必然であります。
 長周新聞の任務は、 人民の言論機関として、 このような社会の情勢について、 人民の立場から敵と友とについて分析を加えて明らかにし、 米日反動派のあらゆる人民支配収奪の手口を暴露し、 人民大衆の政治的経済的要求を支持し、 人民大衆の団結のために奮斗し、 人民大衆の生活と斗争に役立つということであります。
 同時に、 日本社会の進歩発展に役立つということであります。 さらにはまた、 視野を広げてみれば、 日本人民のたたかいは、 アジアと世界のすべての進歩勢力の斗争とたがいに支持しあって世界史を発展させているので、 そのような日本人民の世界史のうえではたす偉大な事業に役立つということであります。
 とどのつまり、 そのことは、 人民の根本的利益を守るということであります。
 このような観点からみて二〇年来の長周新聞は、 米日反動派に反対し、 日本社会の新しい時代を切り開くための、 またアジアと世界の進歩と平和のための、 日本人民の歴史的発展の大方向にそってすすんできたかどうかということです。 この点については、 基本的にそのようにしてきたということができるのではないかと考えます。

  「日本共産党」 の看板をかかげる宮本修正主義集団は、 この九年余りのあいだに人民の革命的斗争の戦線では見る影もないほど落ちぶれてしまいました。 かれらは戦斗的労働者のなかではどこでも大衆的に糾弾されています。 今日では、 宮本集団を糾弾することを反共つまり共産主義に反対するなどと思うものはいなくなりました。 宮本集団は修正主義であって共産主義とは縁もゆかりもないしろものであることがすっかり暴露されているからです。
 宮本修正主義集団の裏切りが公然化した一九六六 (昭和四一) 年、 長周新聞は山口県の広範な革命的人民とともに、 宮本集団との真向からの斗争に立ち上がりました。 宮本集団は全国からその手下と金を動員し、 かれらの山口県における出店である小郡俗論党を叱しつ咤た激励げきれいして長周新聞と山口県の革命的人民に襲いかかりました。 だが、 いかんせん修正主義分子が革命的山口県民と団結している長周新聞に勝てるわけはありません。 かれらはこの九年余りのあいだ、 あれこれの芸当をやってみましたが、 結局、 革命的進歩的陣営からつぎつぎに追い出され、 長周新聞は革命的進歩的陣営との結びつきを強めています。
 修正主義の問題は、 政治の問題であり、 理論の問題であります。 だが、 もっとも重要なことは思想の問題であり、 つきつめていえば、 人民大衆の根本的利益を守り、 敵に屈せず、 敵にたいして原則上の問題で妥協せず、 革命を最後までやりぬく不ふ撓とう不ふ屈くつの意志があるかどうかということであります。
 見てごらんなさい。 革命的気取りと裏切りが同居し、 理論家ぶった屁へ理り屈くつと白痴的俗論が同居し、 親切ごかしと冷血的エゴイズムが同居し、 紳士づらと乞食的ものほしさが同居している  これが模範的修正主義分子の人間像であります。 これは、 立ちながら腐っていく独占資本主義社会に生まれた寄生虫であり、 帝国主義独占ブルジョア階級の新型の手代であります。 このようなものは、 しばらくのあいだ人をあざむくことはできても、 すぐその正体は暴露され、 長く人をあざむきつづけることはできません。
 長周新聞とこのようなものとのあいだにはなに一つ似たものはなく、 そのはじめから終わりまでまったく異質の対立物であります。 長周新聞とかれらのあいだの対立と斗争は、 六六年に突如としてはじまったものではなく、 そのはじめからであり、 かれらが六六年に公然たる裏切りに出たことから斗争が公然たる形態をとったものであります。
 長周新聞が宮本修正主義集団にたいして公然と立ち上がり、 真向から斗争を開始したことは、 山口県的範囲だけでなく全国的範囲で大きな役割をはたしたし、 いまもはたしています。 今日、 われわれはこのような長周新聞の断固たる反修斗争をあくまで支持しともにたたかってこられた読者、 支持者のみなさんに心からの敬意を表するものであります。
 帝国主義、 独占ブルジョア階級に人民が勝利するためには、 その全過程で日和見主義とたたかわねばならず、 とりわけ修正主義とたたかわねばなりません。 長周新聞は、 今後も、 米日反動派に反対する斗争と結びついて、 いっそう徹底的に宮本修正主義集団を暴露し、 これと斗争しなければなりません。 また、 つぎつぎに発生する新旧さまざまの日和見主義を暴露し、 これと斗争しなければなりません。

 長周新聞創刊のための 『訴え』 は、 ブルジョア報道機関が横行している状況について指摘し、 「大衆はいおうにも口に鉄をかまされた馬のように、 語るべき何らの機関ももたない」、 したがって 「いかなる権威にも屈することのない真の大衆的言論機関をみずからがもつことである」 といっています。
 二〇周年にさいして、 この二〇年間をとおして、 長周新聞が 「いかなる権威にも屈することのない真の大衆的言論機関」 でありえたかどうか、 これも基本的に総括されなければなりません。
 多くの読者、 支持者のみなさんは、 長周新聞が自力更生、 刻苦奮斗してきたことを一様に認められております。 長周新聞はこの二〇年来、 敵とその手先から政治的、 経済的にいいつくせぬほどの迫害、 弾圧、 脅迫、 謀略、 挑発などを受けてきました。 とりわけ新聞発行を継続するための経済的困難は長期にわたって深刻をきわめました。 だが、 二〇年来、 長周新聞は所定の発行を一号も休んだことのないことははじめにのべたとおりです。 また、 長周新聞はそれが人民大衆の利益のためであれば書くことができないような記事は一行もありません。 それが人民大衆の利益に反し、 真理に反するなら、 たとえだれであろうと容赦なく批判し暴露できないような 「権威」 は長周新聞のまえには世界中に一つもありません。 したがって、 わたしは、 長周新聞はその創刊の 『訴え』 の内容を二〇年間貫いた、 と報告することができます。

 人民に奉仕する  これは長周新聞の創刊以来の編集・発行・経営の根本精神であります。 われわれはいっそう立派に徹底的に人民に奉仕するためには、 われわれ自身の思想を不断に改造し、 不断に高めなければなりません。 だが、 この精神を堅持しておれば、 またそれを基準としてことの是非を明らかにしていけば、 われわれは基本において誤まることはありません。 人民に奉仕することは、 言葉をかえていえば人民の根本的利益を守るということであり、 人民の内部にあって人民の利益を損なうものにたいしては、 是非を明らかにして批判を加え、 斗争をつうじて高い団結に達するよう努力するということであります。
 自力更生、 刻苦奮斗を堅持する  長周新聞が、 腐敗しきった、 だが独占ブルジョア階級のクモの巣のような支配の網の目がはりめぐらされている国家独占資本主義の社会のどまんなかにあって、 人民大衆の利益を徹底的に守り人民の敵と徹底的にたたかうためには長周新聞の編集・発行・経営にたずさわるものは、 広範な読者、 支持者の援助を望むが、 主として自分自身の力に頼り、 いかなる困難にも屈することなく刻苦奮斗し、 創意を発揮し新聞の編集・発行・経営を堅持するというのでなければ、 それを持続させ発展させることはできません。 もしも、 漠然としたなんの頼りにもならない 「勢力」 に幻想を抱いたり、 また、 自力で創意を発揮しいかなる困難ともたたかうというのでなく、 外からの援助に期待したり、 またブルジョア新聞の、 あるいはさまざまなブルジョア経営の方式をとり入れるなら、 長周新聞は二〇年はおろか二年ももちこたえることはできなかったでしょう。 長周新聞は、 あくまで人民大衆を信じ、 自力更生、 刻苦奮斗の精神を堅持し、 人民の根本的利益を守るという大原則のもとに、 それと結びつけて長周新聞独自のやり方を創造しそれを貫いたことによって発展することができた、 ということができます。
 人民大衆の言葉で  読者の多くの意見のなかに、 長周新聞が 「固い」 「読みにくい」 「もっと親しみやすいものに」 という強い批判があります。 これらの批判は重要であります。 二〇年の全過程から見ると、 この問題のなかには主として二つのことがあります。 一つは一部の先進的な人人だけを対象として、 広範な人人を念頭におかないという誤り、 もう一つは大衆に学ばず、 事実の調査を十分にやらず主観的、 観念的な、 したがってだれにも理解できないようなものを書くという誤りであります。 これらの誤った傾向は、 一掃しなければなりません。 これらは思想の面から正さねばならないが、 なによりも大衆のなかに入り大衆に学び、 大衆の生活と斗争を知り、 大衆の言葉で書くということであります。 長周新聞編集部はこの点を正すためには、 思いきった改革をやらねばなりません。

 この二〇年来の日本と世界の情勢の変化発展は、 ひじょうに大きいものであります。 帝国主義と反動派の力は弱まり、 人民の力はすばらしい勢いで発展しています。
 アメリカ帝国主義と日本の反動派がかたくなにやっていた 「中国封じこめ」 政策はうち破られました。 アメリカ帝国主義は中米会談を乞こい、 佐藤内閣はのたれ死にをして、 日中国交回復が勝ちとられました。 この二年数カ月来、 日中間の交流は堰せきを切ってあふれるように発展し、 かつての様相は一変しました。
 社会主義中国の国際的威信はますます高まっています。
 インドシナにおいては、 アメリカ帝国主義と傀儡かいらい政権が徹底的に敗北し、 カンボジアもベトナム南部も人民解放勢力が全国土を解放しました。 東南アジアにおけるアメリカ帝国主義の侵略支配は見る影もないほど弱まりました。 アジアにおいてアメリカ帝国主義に寄りそってきた各国の支配者たちは、 不安にかられ動揺しており、 独立を求め、 解放を求め、 革命を求める各国の人民をますます勇気づけています。
 アジアの情勢にはまさに新しい転換がはじまっているということができます。
 日本独占ブルジョア階級の不安、 動揺もきわめて深刻です。 かれらがもっとも頼りにしてきたアメリカ帝国主義の力が衰退の一路をたどっており、 国内における政治的、 経済的危機もきわめて深刻で、 欺ぎ瞞まん政策で局面を糊こ塗としてきた三木内閣の屋台骨も内部からガタガタになっています。
 だが、 日本の独占ブルジョア階 級は、 ひきつづきアメリカ帝国主義に寄りすがり、 アメリカ帝国主義の力に頼って日本人民を抑圧し海外侵略に乗り出そうとしています。 かれらは、 米日 「韓」 の軍事同盟を基礎に、 アジアにおける体制を整えようと必死のあがきをしています。
 だが南朝鮮における朴傀儡かいらい政権に反対する人民の斗争は持続的に発展しており、 いつインドシナのロン・ノル、 グエン・バン・チューの運命がやってくるかもしれないという不安におびえています。 三木内閣は日中平和友好条約をひきのばし、 必死になって 「覇権条項」 の明記に反対しています。 だが、 かれらがあがけばあがくほど、 かれらの正体は人民のまえにいっそうはっきりと暴露され、 人民の斗争を発展させるだけです。
 資本主義世界全体の全般的危機はひきつづき進行し深まっており、 その一環である日本資本主義の諸矛盾はますます激化しています。 これは人人の意志でどうすることもできない客観的事実であり客観的な歴史の法則であります。
 アメリカ帝国主義を日本から追い払い、 アメリカ帝国主義に従属している日本売国独占資本を打倒する斗争を発展させるうえで、 情勢は人民にとってきわめて有利であり、 米日反動派にとってきわめて不利であります。

 長周新聞は、 二〇周年を期して二〇年の正反両面の教訓から深く学び、 さらにいっそう広範な人民大衆との結びつきを強め、 日本の独立と平和、 民主と繁栄のために奮斗しなければなりません。
 わたしはつぎの提案をしたいと考えます。
 長周新聞はすでに山口県の範囲をこえてしだいに全国的な広がりをもちつつあります。 したがって、 編集綱領の 「山口県民の新聞として」 という表現を改めることが必要であるという時期にきていると考えます。
 また、 真に人民各階級各階層の新聞であり、 政党政派、 思想信条をこえて、 独立、 民主、 平和、 繁栄、 文化の発展を中心課題とする統一戦線の新聞として名実ともに発展させるよう、 きょうお集まりくださった人人のいちだんの支持と支援を希望します。
 わたしは最後に、 長周新聞の二〇周年が今日あり、 このように発展してきた原動力は、 読者、 支持者のみなさんの協力の賜たまものであり、 また、 長周新聞の本社、 支局をふくむ編集、 工場の勤務員の奮斗の賜であり、 それを支えてきた家族のかたがたの協力の賜であると考えます。 これらすべてのかたがたへの心からの感謝を表明して、 総括報告を終わります。
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