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命の源・食糧生産を破壊
下関市の豊北・豊田町
             日本の国土・文化をつぶす    2008年4月4日付

 日本の農業・漁業をつぶすデタラメな政治のもとで過疎地域の暮らしが激変し、有史以来築き上げてきた地域の風土や歴史、原風景までも一変させる事態が進行している。集落消滅という予想もしえなかった出来事が全国で起きている。地方をはじめとした国土の崩壊は、命の源である食料生産、すなわち日本社会の存立と関わった重大な問題である。世界的な食料危機が叫ばれるなか自給率は39%と後進国並の低水準に落ち込み、農林水産省は将来的に12%になると放言している。世界的動乱で輸入がストップすれば、日本民族は飢え死にするほかないというのである。第1次産業を担ってきた地方がどうなってきたか、下関市と合併した旧豊北町、旧豊田町の歴史的な変遷と、現在の実情から見てみた。

 児童へり小学校「休校」豊田町三豊地区
 この春、豊田町三豊地区にある三豊小学校が「休校」になった。明治9年に創立された同校は、明治時代の末期には児童数110人になるまで大きくなり、木屋川ダムの建設関係者が住んでいた昭和16年には241人まで膨れあがった。戦後は児童数の減少が止まらず、今年はついに3人になるため「休校」扱いとなった。
 6年前に保育園が「休園」になったのも影響した。旧豊田町との約束では、「園児が10人以上集まれば復園する」となっていた。ところが合併後、子どもが10人以上集まったので、子どもの名前を全部書き連ねて申し入れたが、下関市から「合併したのでできない」と父母らはいわれた。仕方なくみんな西市の保育園に連れて行くようになった。向こうに友だちができるので、小学校も西市に入れる格好となった。
 元校長の80代男性は「三豊地区がこうなってきたのは、戦後だ。戦中までは農林業が盛んだった。農協の購買部があって、それがこの地区のマーケットだったが、20年くらい前に閉鎖された。しばらくは貯金の関係など、週に1度来て開けていたがいつのまにかそれもなくなった。小学校の下の集落も以前は18軒あったが、5軒になった。4月の祭りの日には、三豊、西市、俵山の小学校が午後休みにして、すもう大会もしていた。屋台も出て賑やかだったが、そういう行事も1つずつ消えていく」といった。
 同地区で農業をしている70代の婦人は、自分の田を2町と、高齢化で身体が動かなくなった知人の田を2町、あわせて4町をつくっている。別の人からも「うちの田もつくってほしい」といわれているが、1人なのでどうしようかと思い悩んでいる。息子が時時、手伝いにやってくる。
 「農業をしても赤字。年金暮らしでなんとかやっている。田おこし機が300万〜500万円。コンバインも去年壊れたので新しく買ったら500万円した。農薬もある。今年の秋には保冷庫も大きいのに買いかえないといけないので、60万〜70万円かかる。10年かけて月賦で払うが、機械は10年たつと壊れるように上手にできている。そのあいだにちょこちょこ修理代もかかる」という。
 米の値段は下がる一方で、農協に200俵くらい出しても、1俵の価格は1万円少少だ。「以前は国が価格を設定して買い取っていたが、自由に売ってよいことになった。個人で売ると、2万円くらいになるだろうが、うちはたくさんあるから売りさばけないし、農薬や肥料も頼まないといけないので農協に出している。値段がどんどん下がるのに経費は上がる。息子があと10年で定年を迎え、農業をしたいから“それまでがんばってくれ”といわれてやっている」と語った。
 豊田町は林業が盛んな地域としても知られている。しかしこちらも、1956年に外材の輸入自由化がはじまり、安価な外材が入ってきたことで衰退の一途をたどった。日本で使われる木材の8割が外材で、そのほとんどが、アメリカからの輸入木材だ。段階的に関税率は引き下げられ、とどめを刺したのが93年のUR(ウルグアイ・ラウンド) 合意。いっきに30%引き下げることを決めた。現在の関税水準は丸太が0%、製材は0〜6%、合板は6〜10%となっている。安い外材を大手ハウスメーカーなどが使う格好になっている。
 豊田町の山には節のない質のいいヒノキがあるが、経費をかけて管理し切り出しても、輸入物に押されてただ同然の値段しかつかない。現在、林業を支えているのは60〜70代の人人が主力。神社仏閣の隣に生えている木や、家が近くにある場合は、倒れて家屋を壊したらいけないので、木によじ登って上の方から少しずつ切るケースもある。70代の人人が木の1番上までチェーンソー片手に登る。切り落とすたびに大きく揺れて振り落とされそうになり、しがみついて、また切るという作業だ。簡単にできる仕事ではなく、長年の経験や技術がなければ難しい。
 森林組合の話では、輸入自由化によって、それまで1立方b(1リューベ) 当り4万円くらいしていたのが、どんどん下がって1万円前後にまでなった。木を切り出すのにかかる経費がだいたい1立方b当り1万円前後なので、利益が出ない。コストを下げるために大量の木をまとめて切り出して、6000円とか、九州などでは4000円で切り出す業者もいる。その後は植林をしなければならないが、大量に切って放置するためはげ山が増えていることも全国的な問題になっている。

 店が減り買物も不便に 豊北町粟野地区
 下関市のもっとも端に位置する豊北町粟野地区では、2年前、農協支所や山口銀行の出張所などが相次いで店舗統合・撤退して姿を消した。シャッターが閉まった店舗の掲示板には、「ご挨拶」の張り紙が1枚張り付けられた。豊関農協粟野支所は、滝部の豊北町支所に店舗統合。月、水、金曜日の午前10時30分から1時間、職員が1人つくだけになった。山口銀行粟野出張所も滝部支店に統合。建物は解体され、ATMボックスがポツンと置かれてある。
 預金を引き出しにきていた年配男性は、「今から田舎はどうなっていくのだろうか。私らには想像がつかない」といった。「この機械(ATM) でも、使い方がわからない年寄りがいるし、1回覚えても忘れてしまって、知り合いを呼んできて引き出したりする者もいる。駅もずいぶんまえから無人駅。なにもかもが“無人化”だ」といった。県漁協粟野支店もいずれ店舗統合になることは必至で、人間対応の金融機関は郵便局だけになるすう勢。ところが、これも郵政民営化によってどうなるのかと不安視されている。
 地域の食生活を支えていた丸和(スーパー) も数年前に撤退し、生活に変化をもたらした。今は小さな商店2軒が拠り所で、高齢者は豆腐や卵、うどん玉などの食料品を手に入れることはできる。ただ、交通の便を持たない人人が手にする品物は限られる。「封筒1つ買うのに不自由するような状況」だ。80代の年寄りが無人駅から列車に乗って滝部駅まで行き、そこから歩いてお店や病院まで行く。「行き帰りだけでも難儀なこと」と話されている。地域の絆でさまざまな不便さを補いながら、利益抜きに支え合っているというのが実態だ。
 保育園も来年から滝部1カ所に統合される予定で、角島や他の地域ともども廃園にされる予定になっている。この3月末には、小学校も山を越えた阿川小学校に集約し、廃校にする方針を江島市政が打ち出した。子育て世代は、さらに困難が増すことになる。
 橋ができて陸続きになった角島では、農協支所の店舗統合はなんとか免れた。信用事業廃止を迫られた漁協も、単独経営で生き抜いていく道を進んでいる。島では、漁協が面倒を見るスーパーがなくなると、とりわけ高齢者が困るので、採算や効率には目をつむってバックアップ機能を果たしているようだ。
 住民の1人は「“効率化”というけれど、農漁村から見たらただの切り捨てでしかない。なんでもかんでも算盤勘定ではじいていたら、暮らしていけなくなる人が出てくる。農業・漁業で食っていけないから日本全国の地方が過疎高齢化になる。国の舵取りがおかしな方向を向いているから、こんなことになるのだ」と思いをぶつけた。

 すさまじい人口の流出 豊田町も豊北町も
 豊北町、豊田町は山口県内でも有数の農業地帯だ。この地域には戦後は、戦地から復員してきた人人や大陸から引き揚げてきた人人があふれた。田舎の海と山が、生きていくうえで拠り所となったからだ。1955年の国勢調査では豊北町は2万8148人、豊田町は1万3968人にまで人口が膨れ上がるなど、ピークを迎えた【図参照】。半世紀たった2005年の調査では、豊北町は57・4%減少の1万1996人になり、豊田町は53・9%減少の6435人にまで人口が減少。すさまじい人口流出である。
 同時期の世帯数の変遷をみると、豊北町が5466世帯から4612世帯と15・6%減。豊田町は2755世帯から2373世帯へと13・9%減。かつて1世帯当り5人だったのが2人ほどになった。独居老人世帯が増えているのも特徴だ。
 3月1日現在の高齢化率は、豊田町が33・7%、豊北町が39・4%で、3人に1人が65歳以上の高齢者となっている。市内全体の26・8%よりもはるかに高いことがわかる。とりわけ豊北町の過疎高齢化・人口減少のピッチが急速だと、行政などの現場では危惧(ぐ) されている。だが、そこに追い打ちをかけるように、保育園一カ所統合すなわち各地区の保育園廃止や、小学校統合を江島市政がやる始末となっている。
 戦後からの半世紀、第1次産業が衰退していく過程で、歩調を合わせるように人口は流出し続け、都市部の労働力としてかり出された。農家数は、1960年に豊田町では1598戸【図参照】あったのが、2007年には851戸にまで半減した。豊北町では、2479戸から1151戸にまで減った。それに比例する形で経営耕地面積(ほとんどが田) も激減した。1970年に豊田町では1720fあったのが2007年には1190fになり、豊北町は2047fあったのが1065fにまで減少することとなった。現在、販売金額が100万円未満の農家は全体の7割にのぼり、生産農業所得の平均は1戸当り70万円ほどとなっている。
 漁業も同じような状況で、魚価は安すぎるのに高い資材代がかかってとても食っていけない。山口県では自民党林派が食いつぶした信漁連のデタラメな負債を漁民に尻ぬぐいまでさせた。その結果、豊北町漁協では3年前に6割の漁協組合員が脱退することにもつながった。

 農業潰す馬鹿げた政治 輸出企業が儲ける為
 戦後の農地改革によって、地主制度が廃止された。ところが解放されて民主化と思っていたら、半世紀以上たってみると散々な農業崩壊となった。戦後こそ、まさに有史以来最大の農村破壊がはじまったのである。高度成長の労働力として若者は出ていき、輸入自由化で生産費は見合わず、工業優先社会が生み出した高い機械や資材を売りつけられるばかり。地域がヘトヘトになったところで、合併で自治体は奪われ、病院など公的機関も剥ぎ取られ、いよいよ住めないようにしている。農業全滅に近いようなことをやっているのである。
 農山村の過疎高齢化が進むと、森や農地の維持管理が難しくなる。森が荒れると保水力がなくなり、治水にも影響を及ぼす。いったん荒れると森の復元は容易ではない。また水田が減っていくことで、土壌の窒素保持能力が低下し、人間にとって有害な硝酸塩や亜硝酸が地下水に広がることも実証されている。国土の60〜70%が森林で、わずか10%の都会に90%(首都圏だけで総人口の3分の1) の人口が集中する一方で、国土崩壊が深刻なものになっている。
 農林水産省は現在全国に200万人いる農民を40万人にまで減らす方向に舵を切っている。日豪経済連携協定(EPA) が成立して、全面関税撤廃がおこなわれた場合、最終的に日本の食料自給率は12%にまで落ち込むなどと試算。WTOのインチキなルールに則って、関税がゼロになる日を目指している。江戸幕府もビックリの関税自主権放棄というわけである。
 貿易自由化を迫るアメリカなどは、自国の食料生産には巨額の補助金をぶち込んで保護育成。日本には補助金の撤廃、関税ゼロを突きつけるという、大インチキをやっている。
 トヨタなどの輸出企業が儲けるために、工業優先、金融優先で農漁業をつぶすというバカげた政治が、真顔でやられている。クラウンを食べて日本人が生きていけるわけではなく、日本の農業をつぶすわけにはいかない。農業のない国など、“国”のうちに入らない。日本社会の存立にかかわる問題であり、文化や風土、自然環境もふくめた重大な問題になっている。

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