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イラク占領失敗し米軍撤退
決起した人民に勝てぬ侵略者
                新自由主義拡大が頓挫     2011年12月19日付

 アメリカが大ウソをついてひき起こし、9年にも及んだイラク侵略戦争は、敗北に終わった。無差別虐殺や廃虚のなかから決起した、独立と自由を求めるイラク人民の抵抗斗争によって、イラク駐留米軍の大半は今年末をもって撤退せざるをえなくなった。アメリカ支配層は、イラクの恒久占領によって中東一極支配の拠点をつくり、イラクに風穴を開けて、新自由主義グローバル化を中東全域に拡大することをもくろんだが、失敗に終わった。
 2003年3月、ブッシュ前政府はイラク政府に対し、「大量破壊兵器の保有」「テロ組織支援」という口実で、国連の決議さえとれずに、イラク侵略戦争を開始した。「有志連合」と称して欧州諸国をはじめ37カ国をこの戦争に動員した。小泉政府も、アメリカの指図で自衛隊を初めて戦場に送った。
 アメリカ支配層は、1991年に米ソ二極構造が崩壊したのち、世界一極支配の野望をたくましくして、「民主化」と「市場経済」を旗印に東欧諸国やロシアに勢力を拡張した。抵抗するものは、旧ユーゴのセルビアのように空爆など武力によって征服し、各国に親米欧政府をでっちあげた。
 このグローバル市場化の流れに最後まで抵抗した地域の一つが、中東アラブのイラクやシリア、イランなどであった。アメリカの軍産複合体を基盤とする中枢は、そのうちの一国を足がかりに周辺地域全体に、いわゆる「民主化」と新自由主義の波を広げることを構想していた。
 その「モデル国家」としてイラクを選んでいた。世界第3位の石油埋蔵量のほか、アラブ地域の中心に位置し、米軍基地を置いて中東全体ににらみをきかせるのに好都合だった。1991年の湾岸戦争でイラクに「侵略者」の烙印を押し、その後の執ような大量破壊兵器の査察で、イラクの軍事力は解体同然だったという条件もあった。
 アメリカ中枢部では、ペンタゴンを軸に湾岸戦争をモデルに研究会を重ね、91年2月の「砂漠のあらし」を再現するための訓練・演習を米軍にやらせ、戦争プランを練り上げ、その日を待っていた。ブッシュ前政府は内外の反対や慎重論を蹴って、その単独行動主義を存分に発揮して、イラク戦争を発動した。
 アメリカは1970年代から、中南米や東欧、ロシアなどに勢力を拡張するのに「衝撃と恐怖―迅速な支配達成のために」と呼ばれる手法を使ってきた。それは、既存の国家を丸ごと消し去り、新たな国家をうち立てるという「究極のショック療法」を駆使することだった。
 米軍はイラク侵略を始めると、1日でトマホーク380発以上を発射した。ちなみに湾岸戦争の時は5週間で約300発だった。イラク軍との戦斗がおこなわれた3月20日から5月2日までのあいだに、米軍はイラクに3万発以上の爆弾を投下し、2万発の精密誘導巡航ミサイルを発射したが、それは過去に発射されたミサイル総数の実に67%に相当するものだった。アメリカに刃向かうものは皆殺しにするというメッセージを込めた実験であった。
 イスラム教スンニ派の拠点であったファルージャに対する2度の包囲・「掃討」作戦、ナジャフでのシーア派民兵に対する包囲攻撃も残酷きわまりないものだった。ファルージャでは、何重にも包囲したうえで米軍機が無差別爆撃をやり、地上では米兵が民家をしらみつぶしに回って、抵抗するものはその場で射殺する。約1カ月の「掃討」で8000人もの市民が犠牲になり、街のサッカー場が墓場になった。これも、「衝撃と恐怖」でイラク人民の抵抗意識をうちのめすことに眼目があった。
 アブグレイブ収容所などでの捕虜(実際は一般の住民)に対する殴打から電気いすなどありとあらゆる拷問、なかには変態的な人倫にもとる責め苦なども、同じ目的であった。これも、恐怖感を持たせる心理作戦の一環だった。

 100万人殺し難民300万人 残したのは破壊だけ

 アメリカの侵略で、イラク人約100万人が死亡し、300万人が傷つき、300万人が難民となった。あるイラク人は「米国が残したものは、破壊された国だけ。彼らは近代的な学校も工場も残さなかった。逆に、何千何万の孤児と未亡人を残した」と語っている。
 おもな国庫収入源である石油生産量は、今夏でも日産250万ヲと戦前水準と変わらない。電源の復旧も進まずいまだに断続的停電が続いている。失業率は政府発表で15%、総人口の4分の1が貧困ライン以下の生活を強いられている。
 オバマ大統領は先日の演説で「独立し、安定し、自立した国家、イラクをあとにする」といった。またも大ウソである。イラクにはシーア派、スンニ派、クルド族とあるが、貧困と不公平が憎悪を募らせ、宗教間、民族間の衝突があいついで、数年前には内戦状態に陥った。この原因も、占領当初にクルド族に自治区を認めて、米国が石油権益を握ろうと取引した結果である。イラク政府がシーア派主導であるなかで、最近、スンニ派にも自治区設立の動きが出ている。しかも、シーア派主導の政府はアメリカのかいらい色が強い。今はイランの影響が強くて、シリア問題などでアメリカのいいなりにはなっていないが、イラクの独立に命を賭けるようなことはない。今後、政治、宗教、民族間の衝突が激化しないとはいえない。
 イラク人民は、原爆以外のあらゆる兵器によるショック攻撃を受けながら、決して屈服することはなかった。アメリカの戦争目的が占領であり、植民地化であることが明確になるなかで、反米武装組織が次次に生まれ、米軍や「有志連合」軍と果敢にたたかった。悠久の歴史を持つイラク人民が、不屈の民であることを侵略者に思い知らせたのである。
 オバマが米軍撤退を公表した14日、首都西部の都市ファルージャ市の中心広場では、米軍叩き出せの集会・デモがおこなわれた。「われわれは自由になった」「ファルージャは抵抗の炎」と大書した横断幕やプラカードを掲げ、「抵抗」「抵抗」とスローガンを連呼した。
 イラク人民のたたかいは、アメリカ支配層がイラクに「衝撃と恐怖」を与え、新自由主義経済への風穴を開けようとしたことも挫折させた。
 イラクには石油のほかに、奪い取れる経済的果実は山ほどあった。当初アメリカはミサイル攻撃などで首都などが破壊され、イラク軍も無力となった時点で、さっさとイラクの国家資産をベクテルやエクソン・モービルなどアメリカの企業に売り払おうとしていた。
 戦前のイラク経済は、国営石油会社をはじめ200社にのぼる国営企業によって支えられており、セメントや紙から食用油に至るまで、主要な食料と原材料のすべてが国営企業で生産されていた。占領当局はまず、国営企業200社をただちに民営化すると発表。次に法人税を一律15%へ引き下げ、外国企業がイラクの資産を100%保有することを認めたり、投資家がイラクで上げた利益を100%無税で国外に持ち出せる、再投資の義務もないなどの優遇策をとった。
 チェイニー副大統領(当時)がかつてCEOだったハリバートンは、米軍基地建設や運営、道路管理から害虫駆除、映画館などを一手に引き受け、ボロもうけをした。
 だが、アメリカや一部欧州の外国企業がイラクにどっと群がるなか、200社の国営企業は慢性的な停電で稼働停止状態であった。また、外資企業はイラク人労働者でなく外国人労働者を好んで雇用した。さらに、セメントもより高い価格で外国から輸入したり、イラク中央銀行が国営企業に融資するのを禁止したりした。外資との関係をめぐって、民族間、宗教間の利害衝突もあった。石油労働者をはじめ国営企業の労働者は、首切りや賃下げに反対するストなどで民営化に反対した。
 その結果、石油部門はメジャー(国際石油資本)が握っているが、非石油部門ではトルコや中国、イラン、「韓国」、アラブ諸国などが交通運輸や電信・電話、電力から住宅建設などで米英を上回っている。アメリカの大手契約企業ははじめの三年半に、何十億jのカネを懐にしながら、ぼう大な仕事の大部分は手つかずのままにして引き揚げたからだ。現状では、イラクに新自由主義経済への移行の突破口を開けたとはいいがたい。
 アメリカのシンクタンク、ケイト研究所は、イラク戦争はアメリカの戦争でも「もっともバカげたものだった」と論評。「ごう慢が大きな失敗をもたらした」として、暴力でイラク国民を屈服させえなかった、民主国家もできなかった、アメリカの国家的威信は地に墜ちた、多くの生命を犠牲にしたと指摘している。

 帰還兵85万人が失業中 米国内でも

 アメリカはイラク戦争にのべ150万人の米軍将兵をかり出した。戦死者は4500人、負傷者は3万2000人余りに達した。帰還兵の過半数を占める85万人は失業中だし、負傷者や心的外傷を持つ人は就職もできない。彼らの医療・看護費は、総額1兆jと試算されており、オバマが毎年7000億jの軍事費削減をしても間に合わない。
 イラクとアフガンの戦費は、政府発表で8500億j、学者の試算では3兆jにのぼる。巨額の戦費はアメリカ財政危機の元凶であり、金融資本救済とあいまって現在のデフォルト寸前の財政危機を招いている。もともとイラク戦争をやった一つの狙いは、過剰生産恐慌を背景に、ITや住宅などバブルを連発してきたアメリカの危機を戦争で打開することだった。これも結果はドル乱発で日本など他国を犠牲にして金融資本主義を維持することにきゅうきゅうとする事態となっている。
 イラク人民が民族間や宗派間の和解を勝ちとって、外国勢力の指図を受けない政府を自由に選ぶことができ、その政府が実質的な権力を握れば、アメリカがイラク戦争でめざしたイラクに米軍基地を自由につくり、イラクを米多国籍企業のために全面的に開放することは達成できない。
 オバマ政府は、軍事教官やペンタゴンの職員、民間軍事会社員など計1万6000人をイラクに残留させた。米大使館は世界最大で、1700人を擁する。2012年度予算では、大使館、領事館経費として38億jを計上した。建設、教育、文化交流のほか、安全、後方支援などに使うという。オバマは当初の米兵1万人残留計画はイラク政府の免責特権の付与反対で断念したがぼう大な外交機構を通じてイラクの実質支配をなんとか継続する構えである。イラク人民とのあいだで、新しい段階での占領、反占領のたたかいが展開されることとなる。

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