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維新の誇りで活性化に意欲
下関 『雷電』公演の取組広がる
              商店、農漁業、医療、教育、文化    2012年10月5日付

 劇団はぐるま座の創立60周年と下関移転を記念する『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』下関公演(20日・下関市民会館、主催・下関公演実行委員会、後援・東行庵、下関市、下関市教育委員会)に向けてのとりくみが全市的な大きな運動になって広がっている。ポスター1500枚が自治会掲示板や公民館、小・中・高校・大学、商店・企業、お寺などに貼り出され、「男なら」を流しながら宣伝カーが市内各所を回り、チラシが市内74ある小・中学校の子どもへ6500枚届けられた。また下関旅館組合、理容組合、美容組合、医師会、民生委員児童委員協議会などを通じてポスターやチラシがおろされ、各地の敬老会や商店街の集まり、介護施設、文化サークルなどで連日のように紙芝居がおこなわれている。『雷電』下関公演は、下関市民のなかに流れる維新の誇りをよみがえらせ、下関と日本を立て直すうえで精神面からその活力をとり戻す力になるものとして大歓迎されている。
 
 商店街で紙芝居見て交流 長府

 3日、長府商店街の商店主たちが集まり、はぐるま座を招いて『雷電』の紙芝居と交流をおこなった。
 紙芝居は、列強の植民地となることを拒絶する馬関攘夷戦争からの復興に汗を流す農民たちの場面に始まり、高杉晋作が白石正一郎邸で士農工商の身分をこえた奇兵隊を結成し、四国連合艦隊との講和談判では賠償金の支払いと「彦島租借」の要求を毅然とはねつけ、さらに維新倒幕運動最大の危機のなかで、長府功山寺で挙兵して藩論を統一し、幕府の第二次長州征伐軍にうち勝って明治維新勝利の道筋をつけるまでを、生き生きと描いた。まさに下関を舞台にした140年前の父祖たちのたたかいが目の前で展開され、紙芝居が終わると商店主たちは感動の面持ちで次のように感想を出しあった。
 「迫力のある紙芝居だった。幕末の討幕運動は一部の力を持った人の力で成し遂げたものでなく、みんなの思いを代表して、農民など下の人たち一人一人の運動で成し遂げたことを改めて感じさせられた。小売商店の現状は厳しく、大型店出店によって商売も行き詰まりつつあるが元気の出る芝居だった。自分たちも行動を起こさなければと思った」
 「学生時代まで基地の町岩国に住んでいた。今も基地再編やオスプレイなどの問題があるが昔から商店街を歩けば黒人の米兵に出会うし、戦斗機は夜中でも関係なしに飛び回っていた。紙芝居を見て一番感じたのは、農民という最下層の人たちが維新の原動力になったこと。農民がコメを作るから社会が回るのに、幕府は年貢としてありったけとりたてるという構図が、今の社会とオーバーラップする。若い人にもぜひ見てほしい内容だ」
 「下関市は明治維新発祥の地で、功山寺など全国的にも有名であり、歴史が詰まった土地。高杉晋作だけでなく、同じ意志で農民たちがこの地から立ち上がった誇りは忘れてはいけないし受け継がないといけない。長府の地で商売をやっている者として、もっとそれを活発にしたい」
 紙芝居は、現代の社会につながり、地域活性化の起爆剤になるものとして歓迎され、公演成功に向けて意欲が高まった。はぐるま座からの「東京の商業演劇に追随し、会館を建設して破産に行き着いた路線を一掃して、下関に拠点を移し、地域に根ざした人民劇団として生まれ変わる決意をしている」という発言も、心からの共感を集めた。七日には、地元の功山寺境内で紙芝居をやって盛り上げることも決まっている。
 長府地区では数年前から、商店街を駐車禁止にするという唐突な計画が浮上。大型店やドラッグの出店は野放しの一方で、駐禁が実行されれば、商店街は壊滅的な打撃を受け、長府の観光による下関活性化も頓挫するとして、嘆願書を提出するなど商店主らの結束した行動が起こっていた。
 商店主の思いは、9月末で10店近くが閉店した唐戸・赤間地区や豊前田地区でも同じ。「あきらめでなく、なんとしても活気をとり戻したい」とどこでも語られ、店頭に『雷電』のチラシを置いたりポスターを貼り出す手にもこれまでになく力がこもっている。

 農家や医者も強く期待 TPP参加阻止重ね

 農家のなかでも『雷電』公演は大きな注目を集めている。
 豊田町では、高齢化して後継者がいないなか、営農組合をつくって農作業を集団化し「みんなが力をあわせてやっていくのだ」と語る農民(50代)が、「TPPに参加するなど、問題にならない。アメリカが自由競争といい関税をなくせといってきているが、農業だけでなく医療も保険もみなやられることになる。みんなが一緒になって考えていかないといけない」と語り、『雷電』公演に協力を申し出た。
 吉見地区の農業婦人は、公演を知らせると「尖閣諸島の問題をいろいろ騒いでいるが、日本を植民地のような状態においていることについて、まずアメリカにものをいうべきだ。原爆を2発も落とされた国なのに、オスプレイのことをはじめとしてやられ放題ではないか」と憤りの気持ちをあらわにした。
 各地で産地直送や農産物直販所をとりくんでいる農民も元気で、「代議士はいばっているが、それを支えているのは私たち小規模農家だ」「高杉晋作は下関の誇り。ぜひみんなにすすめたい」と口口に語り、公演を団結の力にしたいと願っている。
 医者のなかでも「患者と末長くつきあって、患者の健康のために尽くすのが本当の医者だ。それを壊して、もうけ第一でいこうとするTPPには反対」と語られている。待合室にポスターや2種類のチラシをおいて協力する開業医が増えている。

 教育界でも動きが活発 各校区のPTAも

 教育関係者の反響は非常に大きいものがある。各校区のPTAや児童クラブ、さまざまなスポーツクラブや塾の指導者たちがチケットを預かって呼びかけたり、紙芝居を計画し周囲に働きかけたりと活発に動いている。そこでは「明治維新発祥の地の誇りを子どもたちに伝えたい」「みんなのために頑張る、自分一人が良くなればよいではなくみんなで良くなっていくという価値観を教える題材として、明治維新はとても大切」と語られている。
 紙芝居を見たある退職教師は「現役のときは学校に赴任すると、かならずその地域の歴史をめぐり、子どもたちの親を訪ねることを重視してきた。今大阪の橋下が“維新の会”といって教育のことにクチバシを入れているが、教育とは点数で評価できるものではない。それでは子どもも教師もつぶされる。子どもをどう育てるか、子どもたちが頑張れる力をどうつけてやるかだ」と強調し、子どもたちに明治維新や高杉晋作の歴史を伝えようと奮斗している。
 ある児童クラブ担当者は、「吉田松陰の松下村塾での教育は、自分の命を投げ出しても国の危機を救う、国をどうするか、どう生きるかというものであり、実際にそのために献身した若者がたくさん出た。今日本の進路の前に難問が山積しているのに、目先の私利私欲しか関心のない政治家ばかりというのが悔しい。今こそ人づくりが必要」と強調した。
 ここ数年、下関の学校現場では、中学生になっても九九や漢字がわからない子どもが増え、授業がおもしろくないといって暴れると、警察が来て学校から排除されることが連続し、その結果中卒で行き場のない子どもがたくさん生まれてきた。「バラバラの競争主義でなく、教育をまともなものにせよ」という問題意識は、子どもの教育にかかわる地域の人人のなかで非常に強く、『雷電』公演がその契機になればとの期待が高まっている。

 劇団の下関移転を歓迎 文化団体

 下関には各地の公民館などを拠点に、地道に活動を続ける文化サークルが無数にある。その詩吟、書道、剣舞、ダンス、琴などのサークルが、チケットを預かったり、紙芝居を計画したりしている。
 ある文化団体の代表は、父親が創設したのを引き継いで77周年になるとのべたあと、「下関はこれだけ疲弊しているのに、なぜ市が活性化のためにもっと動かないのか。市は文化にお金を使わない。文化協会も手続きばかり煩雑で、ほとんど自分たちの持ち出しでやっている。しかしお金には換えられないものがある」と語り、『雷電』公演の成功のために奔走している。
 また、はぐるま座の下関移転を非常に歓迎しているのが共通した特徴で、「これからは末長いおつきあいをしていきましょう」「これまで誹謗中傷もあっただろうが、ずっと筋を通してやってきていることに励まされている」「今の演劇は説教調、自己満足が多い。はぐるま座のような方向で60年もやってきたことは貴重なことだ」といって励ましている。商業主義とは無縁のところで、純粋に文化活動を追究している人たちの大結集を促すものとなっている。

 正当な明治維新顕彰へ 吉田や新地でも

 『雷電』公演は、東行庵のある吉田地区、高杉晋作終焉の地のある新地地区をはじめとして、長年にわたって維新の史跡を大切に守ってきた人人のなかでも歓迎され、「公演をやるなら吉田だけでなく、下関全体で盛り上げることが大事だ」と成功のために尽力している。
 下関市民のなかでは、明治維新の大事業に身を挺した高杉晋作や白石正一郎をはじめ、商人、町民、農漁民など父祖たちの誇りが脈脈と受け継がれている。ところがこれまで、こうした維新の誇りは抑圧され、表に出てこなかった。2003年には東行庵にいた一坂太郎氏が高杉史料を萩に持ち逃げして、野村市長のもとで萩博物館の特別学芸員におさまり、下関市民、山口県民の大きな怒りをかった。維新史のくつがえしというものは、戦後アメリカの側から意図的に持ち込まれている。
 2008年の『雷電』下関初演は、市民による高杉と明治維新顕彰の大きな機運を巻き起こした。それを前後して、毎年の吉田の東行忌や新地の碑前祭の参加者が200〜300人に増え、全国からの参観者も増えることとなった。そうしたなかで2009年には高杉史料のうち158点が東行庵に返還された。
 ところが東行記念館が下関市の管理になった2010年6月から、裁判を理由に、高杉史料は1〜2点を除いて表に出されなくなり、全国から来た観光客ががっかりして帰っている。おりしもNHKが大河ドラマで『龍馬伝』を放映し、マスコミに媚を売る文化人が雪崩をうって「龍馬」になびいた年である。しかし今や市民のなかでは「平家物語も暗いし、龍馬もパッとしない。下関はやはり高杉だ」というものが大世論となっている。吉田では返還されないまま萩に残る69点の高杉史料を早急にとり戻す機運が高揚している。
 現在、日本の政治は幕末の腐敗役人どころではなく、民主党も自民党もアメリカに膝を屈し揉み手をして、経済は疲弊の一途、戦争の危機すら忍びより、まさに国をつぶすような事態になっている。今回の『雷電』下関公演を通じて、市内の中小商工業者や農漁業者、教育や文化関係者、労働者や青年などあらゆる分野の人人が、下関における高杉晋作と明治維新の誇りをよみがえらせる大交流の機会にするなら、それは精神の面から下関を活性化させ、日本を立て直す展望を指し示すものになるという確信が広がっている。

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