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礒永芸術全国に広げようと熱気
礒永秀雄詩祭実行委員会
             子供も年配者も生きる勇気   2011年11月21日付

 5日に開催された没35周年記念・礒永秀雄詩祭は、約700人の参加のもと、子どもたちから被爆者、戦争体験者、現役世代が一つになって礒永秀雄の世界を生き生きと再現し、深い感動が共有された。19日には詩祭第3回実行委員会が下関市の福田正義記念館で持たれ、詩祭の反響がその後も大きく広がっていることが出しあわれるとともに、今後、礒永芸術を全国に広げていこうと活発に論議された。
 冒頭、実行委員長の佐藤公治氏(宇部市上宇部小学校教師)が挨拶に立ち、「このたびの礒永秀雄詩祭は大成功に終わった。明日から生きていく糧となる芸術が大きな反響を呼び起こしている」とのべた。そして「詩祭に参加した子どもたちが、学校に帰って劇的に変化している。これまでお腹が痛い、頭が痛いと不登校気味だった子どもが元気に学校に来るようになり、声が小さかった子どもが大きい声で発表するようになった。計算や漢字の苦手な子が積極的に勉強にとりくむようになった。いろんな学校でそうなっている。礒永作品が生きる指針となって、子どもたちを大きく成長させている」「また長周新聞の青年たち、大学生、高校生の朗読が、今からの時代を担う美しい青年像を示し、将来への展望を明るく指し示すものになった。被爆者や戦争体験者の方は、それぞれの人生を踏まえた心の叫びとして発表され、心にしみ入るものであった。観客が登壇し、登壇した出演者が観客となり、みんなが一体となって成功させた詩祭になった。きょうはさまざまな教訓を語りあい、礒永作品を今から全国に広げていく決意の場にしよう」とのべた。
 続いて実行委員会顧問の柳田明氏(神奈川県医師)のメッセージが紹介された。メッセージは、詩祭直前に診療所で文化祭をおこなったが、「原爆と戦争展」などへの関心の高さが目立ち人人の意識が進んでいることを感じたこと、そして詩祭の成功で人人の意識の飛躍を確信したとのべるとともに、劇団はぐるま座の「修羅街挽歌」は「全国の戦争体験者、3・11以降の未来に正面から向き合おうとする若い人たちの両者に一歩前進の勇気と深い自信を与えると思う」と感動をつづっている。
 続いて事務局からの報告がおこなわれた。報告は、今回の礒永詩祭のとりくみを通じて「新しい時代意識に立った礒永秀雄の詩や童話が世代をこえて、現実の厳しさに立ち向かう人人の勇気と誇りを発揚し、民衆の生きる糧となる芸術を代表することを示し、これまでで最高の詩祭となった」こと、子どもたちから被爆者、戦争体験者、現役世代までの出演者が「自分の充足のために楽しむ催しとはまったく異なり、独立・平和・民主・繁栄の日本を建設する主体として、礒永秀雄の気高い精神で一致してすばらしい舞台を築き上げた」ことを明らかにした。そして、「戦後の多くの詩人・作家が仲間うちで慰め合う状況が続き、民衆の生きる糧となる作品を生み出せないなかで、礒永作品は逝去して35年たっていちだんと生命力を発揮しており、極限の場で鑑賞にたえる芸術を追求した礒永秀雄の作品に対する評価がいちだんと鮮明になった」とした。また詩祭の実行委員には山口県下と全国から119人が名を連ね奮斗したこと、1000枚をこえるチケットが販売され、約25万円のカンパ・祝儀が寄せられたこと、『礒永秀雄の世界』『おんのろ物語』が400冊普及されたことが報告された。当日の舞台と展示を収めたDVDを作成し普及するなど、詩祭の成果を広く発信していくことも提案された。

 本来の力発揮する子供 生活態度も変化

 報告を受けて、教師たちを皮切りに参加者から次次と詩祭の反響が出された。
 北九州市の小学校教師(女性)は、「詩祭が終わった次の日から、参加した子どもたちが学校のなかで大きな変化を見せている。長いセリフがいえたことが自信になり、その後算数や絵に意欲的にとりくむようになって、他の先生からも“変わったね”といわれている。これからどういう目的で生きていくのかということが彼らなりにつかめ、生活態度が変わっている。本来の力が礒永作品によって引き出されている」とのべた。そして、「子どもたちは“舞台を降りたらいろんな人にほめられた”“絵を見ていたら、そこでもほめられた”と喜ぶとともに、自分たちが出演したことだけでなく、全体をよく見ていたことが驚きだった。とくに『修羅街挽歌』の感想で、“戦争で戦友を亡くして、歌を歌えないから苦しんでいました。歌はあるけど、歌わないでといわれて苦しんでいました。歌えないのは生きる目的を忘れていたからです”と書いている。勉強が苦手な四年生の子どもたちが、礒永さんの葛藤をわかりたいと思い、作品に流れているものをつかもうとしていることにとても驚いた。大震災以後、今の修羅街のような世の中でどう生きていくのか、子どもたちが心底求めているものに対して“これだ”と示してくれる作品だ。今まで教育改革で押しつぶされ、眠らされてきたが、それをはねのけて子どもたちが大きな力を出している。そこに新しい時代意識がある。親もたいへん喜んでおり、教師のなかにもっと広げていきたい」と発言した。
 北九州市の小学校教師(男性)は、六年生の子どもたちと「虎」「一かつぎの水」の朗読と「虎」の絵を1カ月間とりくみ、詩祭にはクラスの3分の2の子どもと親が参加したこと、詩祭後の参観日にはクラスの33人全員が「虎」と「一かつぎの水」を覚え、朗読を他の教室で驚かれるぐらいに響きわたらせたことを報告した。「参観日の前日、暗誦できない子が最後の1人になったとき、まわりを取り囲んだ子どもたちはその子の朗読の一言一言を固唾をのんで見守り、やり終えるとみんながとても喜んだ」とのべた。
 この教師は、子どもたちがはじめに描いたネコのような虎の絵と、それを2枚目、3枚目、4枚目と描き直して力強くなった虎の絵をその場で示しながら、子どもたちがやり終えた感想で「私が描いたのは、虎が血を吐いていてもほえ続けるところです。たくましくほえて、心強い虎になってほしいからです」「最初は弱弱しかった虎が、うらぶれた虎ではいけないと強くなっていって最後には強いことに自信をもっていったことがかっこいいと思いました。私も虎のように強くなりたい」と書いたことを紹介。後者の子どもは走り高跳びが飛べず泣いていた子だったが、頑張って跳べるようになったことも報告した。そして「今、学校では感想画は2時間も集中できない。だが今回、子どもたちは14、5時間かけて描いた。詩の朗読も入れると1週間分の授業時間を使っている。“みんなのため”という礒永さんの詩精神と子どもたちの気持ちがぴったり重なってくる。礒永作品だからこそ子どもたちの声も出てくるし絵もそこまで集中できたと思う」とのべた。
 宇部市の小学校教師(男性)は「うちの学校から参加した同僚教師が、詩祭で子どもたちが発表する姿を見て、この30年間の自分自身の教育観を変えられた、教科書にしばられ文科省の方針にきゅうきゅうとしてやってきたことが違っていたといっている。子どもたちは厳しい現実のなかで、チャラチャラした幻想にまどわされることなく、社会の真実を見抜きながら、未来に向けて生き抜いていく力を発揮していると感動していた」と発言した。宇部市の小学校教師(女性)も「教科書のように薄っぺらで、チャラチャラしたものでは子どもたちはもたないが、本物を与えると子どもたちは食いついてくる。峠三吉の『序』『八月六日』も子どもたちは気持ちを込めて、校庭に響きわたるように読むし、修学旅行が終わっても朗読している。詩祭は今後の自分の教師としてのあり方を考えるうえで、とても勉強になった。今後礒永作品の読み聞かせや、感想文、絵のとりくみもやっていきたい」とのべた。
 小中高生平和の会の女子高校生は、詩祭に向けた2回の平和教室を振り返りながら、「はじめて集まった子どもたちが、先生の指導を受けながらどんどん声が大きくなっていった。当日は緊張して頭が痛くなるほどだったが、小中高生みんなの朗読に励まされ、気持ちが高まっていった。『ただいま臨終!』では、今を変えていかないといけないという礒永さんの気持ちを強く感じたし、それを受けとめて、観客の人たちに届くようにガツンと表現できたと思う。礒永さんの詩はずいぶん前に書かれたものだけど、“くたびれた細胞でなんの革命”というのは今の時代にあっていると思う」と発言した。

 毎日詩読み生活の糧に 被爆者や市民の会

 下関原爆被害者の会の被爆者からは「詩祭への参加は3回目となるが、今回は参加者も多く、内容もすごくよかった。『修羅街挽歌』に感動した」「子どもたちの発表に涙が出た。その晩はしばらく眠れなかった。こういった詩祭はずっと続けて下さい」「子どもたちの絵に感動した。盛大な詩祭ですばらしかった」と感動が語られた。
 下関市民の会からも、「今回はじめて礒永さんの作品と出会い、今も毎日少しずつ読んでいる。『連帯』の詩は、身体の弱い子どものことと重なった。また先の戦争では叔父2人が特攻隊や沖縄に行き、片手をなくして帰っており、私は戦争を憎んでいる。礒永さんの作品は若い人から年配者まで、とくに70歳前後の人には絶対に読んでほしい」「第2回実行委員会で先生方から子どもの絵を見せてもらい、そこから詩祭の呼びかけも一生懸命になった。参加した友人もとても感動している。『夜が明ける』の詩は、市民の会の運動をやっていくうえでぴったりだった。詩祭のような会を今後もどんどんやりたい」「はじめは朗読は嫌だなと思い、声も全然出なかったが、一生懸命練習するなかでやりとげることができた。子どもたちも頑張っているし、もっともっと頑張りたい」と喜びが語られた。若い会員からは「当日都合で参加できなかったことが、残念で仕方がない。40周年には家族ぐるみで参加し、出演もしていきたい」との発言もあった。
 影絵「桃太郎」をとりくんだ下関の会社員有志からは「朗読四人、裏方10人でおこなった。準備期間は1カ月だったが、夜仕事が終わってからダンボールを切り抜いて70の人形をつくり、いい作品にできあがったと思う。今後は会社でときどき詩の朗読会をやろうと話になっている」と出された。

 今後の展望に論議発展 礒永作品全国発信へ

 論議は今後の方向をめぐるものに発展し、長周新聞社から「詩祭のアンケートのなかにも“全国に広げてほしい”というものが多かった。子ども向けに礒永秀雄の詩と童話のパンフレットをつくって普及することや、長周新聞に発表された詩から選んで『礒永秀雄の世界』第2弾の出版をとりくみたい。子どもたちが礒永作品をたいへん歓迎しているが、子どもたちは平和ボケではなく、この世は地獄だけどそのなかから展望を見出している。極限の場で人民のなかに力を見出しているということだ。40周年まで待たないで各地でミニ詩祭をやり、礒永作品を全国に広げよう」と提案された。はぐるま座からも「詩祭の準備は、沖縄で高校生3000人に観劇してもらった『原爆展物語』公演と同時進行だった。『修羅街挽歌』を深めることで『原爆展物語』の舞台も発展した。今後は今回の演目をもとに礒永秀雄の詩劇を完成させ、礒永詩の朗読とあわせた舞台として全国の職場や学校に広げていきたい。TPPで“日本はアメリカの奴隷になるのか”と世論が沸騰しており、礒永作品で全国に勇気と力を届けていきたい」と決意がのべられた。
 前下関市中学校PTA連合会会長の海原三勇氏からも「今回の舞台は東北地方の人人に見せるといいのではないか。今後全国に広げるとりくみにしていきたいし、5年後の40周年は昼夜2回公演で満員御礼が出るぐらいのものにしたい」と発言があった。
 最後に佐藤氏より「今後の展望にまで論議が発展し、ワクワクしている。5年先といわず、今から40周年に向けて一層頑張りましょう」と挨拶があり、実行委員会を閉会した。


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