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礒永秀雄の世界 長周新聞創刊45周年記念出版

    1、いまわしい戦争の経験/2,残された命を詩人にかける/絶望の
   克服とヒューマニズ ム/4,人々の役に立つ詩を/5,極限の場で鑑
   賞に耐える詩/6,挫折ムードと高度成長のまやかしの中で/(ほか 
   参考・礒永秀雄と長周新聞)


                                       

        発行・長周新聞社  B6判 368頁 定価1700円(送料310円)


(一部抜粋)

● 八月の審判


 夏の夜空に花火があがる。大小のスポンサーの名が花火の名とともに賑々しく拡声器で伝えられ、菊が牡丹が柳が龍がヒュルヒュルと笛までついて打ち上げられ、中空で大きな音を立てて花を開く。轟音は水に拡がり山をゆるがす。浴衣がけの、ポロシャツの、海水着のままの人の波に浜辺は埋めつくされ、海に面した家々の二階や縁先では客を迎えて景気よくビールの栓が抜かれる。十五年目の原爆記念日の夜である。妻は子供達と花火の写生をしている。僕は打ち上げられた花火の煙が、きのこのように、くらげのように、にぎりこぶしのように、あるいは幽霊のように、東から西へ、拡がっては溶けてゆく姿を眺めている。世の中は僕の小学生の頃のような、いやそれ以上の平和な姿に帰ったようだけれど、僕の心はいつまでたっても慰まない。花火の音を聞けば銃砲声を思い、その煙を見れば戦場を思うという、この古めかしい不幸な気分はいったい何時の間に培われてしまったのだろう。人並に花火の美しささえ楽しめないというふさぎの虫はいつから僕に巣喰いはじめたのだろう。こんな陰気な性格ではなかったのに、いつもこんなでもないのに。僕は夏が好きだ。ギラギラ照りつける太陽が好きだ。汗ばんだ人々の顔が好きだ。家々の壁板が柱が天井がまだ生きている木の香りを漂わせる夏が好きだ。だのにこんな暗い気持が起りがちなのもきまって夏だ。八月が僕をいら立たせるのだ。八月が審判にやってくる。
 僕は昭和十八年の冬学徒臨時徴集で南の島に追いやられた。たくさんの学友たちが死んだ。海は一瞬にして三千人の兵を船もろとも呑んだ。強制使役が死ななくてすむ人々を次々と殺した。三百人が三十人になることはそう手間のかかることではなかった。「死にとうナカ」「茶椀で米のメシが喰いたい」「帰りたい、帰りたい、日本へ帰りたい」そういいながらジャングルの中で兵士たちは死んだ。沖縄出身の兵士は故郷の悲報にあるいは発狂しあるいは逃亡し、見つけられては銃殺された。命令を受けた戦友の手で……。連日の無差別爆撃と銃撃の下でついに斬込部隊が編成され、トカゲの鳴き声を空っぽの腹の底から出さなければならなかった。戦友の遺骸を焼くのも片腕から片肱に、はては手首から指一本にかわっていった。煙が上がるときまって翌朝爆撃を受けるならわしだったから、火を焚くのは夕もやから朝もやにかけてつまりもやに擬装されたあがり方でなければならなかった。野戦病院の戦友の遺骸を受取りに行けば軍医はメスで無造作に友の手首からさきを切り取り、セロファンにつつんで、それを彼の飯ごうにぶちこんで黙って渡してくれた。まだある。まだまだある。数えきれぬほどいまわしい思い出は残る。
 しかしとにかく僕は帰って来た。ニューギニアの果てから。生き残って。かすり傷一つしないで。元気に、少くとも元気に、もう殺されることのないことを信じて、生き長らえて帰って来た。
 僕の眼を射たものはすばらしい日本の野山の美しさだった。すがすがしい緑だった。さわやかな水の色だった。帰っていく家もない僕はこの野山の美しさのある限り残されたいのちを詩人に賭けようと思った。奪われた幾多の夢を取り戻すために。永遠に青春を生きるために。僕自身何よりも先ず人間であり日本人であるあかしをするために。
 名ばかりの故郷に引揚げた両親の許に帰って僕は知った。日本に残っていた学友たちは僕を死んだものと思い「礒永の死を無駄にするな」と誓い合ってくれていたという。「俺達はもう騙されぬ。この投げ与えられた自由はたくさんだ。自由は俺達の手でかちとるんだ」友人は復員したての僕をそういって手紙で励ましてくれた。その友ももういない。しかし僕は生き残っている。臆面もなく生き残っている。亡くなった友人達の言葉に取り巻かれ、八月に鞭打たれながら。ヒロシマの光を見たという妻とともに。元気な二人の男の子とともに。母とともに。


 
● 虎


暗い暮らしの谷を這い
腹ばいながらこの草かげまで来た
月ばかりが冷たく明るく
夜風ばかりがやさしいという時
俺は吼えることを忘れ
つつましくとかげや蛙を食って
飢えをしのいで来た
俺はさらに地べたを這い
かけられた罠をかぎ分けながら
水を求めて歩きだすと
遠くの藪のざわめくのを聞いた
あちら そしてこちら
俺とおんなじ疲れた虎が
獲物を待ってひそんでいるのだ
その低いうめきを聞くと
俺はむしょうに腹が立って来た
あいつらも俺と同じように
まだ死なぬまだ死なぬと思いながら
しだいに見さかいのつかぬ
人食い虎に変貌していくのだ
疲れがおのれを罠に追いこみ
狩人たちのかっこうの餌になるのだ
俺はぞっと身ぶるいする
俺は飢えの果てでめざめる
俺はいきなり草むらを躍り出
こうべをあげて吼える
起きろ 虎
吼えろ 虎
人を食い家畜を襲う
あのうらぶれた虎になるな
俺たちの腕の一撃
俺たちの牙の力は
獅子を打ち倒すために備えられた
俺たちの歯は強く
噛みつけば奴の力によって
奴がもがけばもがくほど
奴の首をねじる
俺たちは虎
俺たちの祖先は
龍が天に昇るのさえ阻んだというではないか
俺たちは虎
しかり まさしく俺たちは虎
友よ
君のその黒い縞も
黄色い皮にあてられた焼ごての跡ではなかったか
白い天の とてつもない白い天が
焼きつけた屈辱の印ではなかったか
 (一九六二年一月一日)


 
● ただいま臨終!


まだ 顔は あるか
眼は たしかに二つついているか
にんげんの世の夜あけを見たゆえに
ふざけたつむりかたをきっぱりやめた
あの眼は 少年のように輝いているか
よごれはじめてはいないか
にごってはいないか
まだ 口はあるか
いのちのほとばしり出る
あのコックのことだ
乱れに乱れた道すじの辻々で
ここは右 ここからは左と
きっぱりさとしてやれるあの口はあるか
その口は 足といっしょに歩いているか
まだ 足はあるか
何よりもまず権力の顔をふみつけ
くたびれたおのれの肩書きをふみつけ
いのちのある限り
いのちからいのちの肩を叩いてまわり
東から西から北から南から集まって
象の大群のように亡霊どもの砦を倒していく
あの力と確信にみちた足はあるか
うろうろするな
上手に立ちまわるな
紅衛兵を大人げないなどとうそぶくまえに
きみは大手を振ってまかり通る<悪>に
どんなレッテルを今日貼って来たか
衆をたのむな
おのれを焼きなおせ
昨日までの仕事も正義も
今日一瞬のつまずきで水の泡になる
さよう 一瞬の仕事の連続こそすなわち永遠
「ただいま臨終!」
この厳しい覚悟に耐えられずして
どこににんげんの勝負があるか
くたびれた細胞でなんの革命!
          (一九六六年九月七日)


● 一かつぎの水 −浩然さんにかわって−


まだ肌寒い春の夜明けに
井戸水を汲む音がする
水桶にそそぐ音がする
客のわたしは主人(あるじ)にたずねる
−誰です 朝早くから水汲みに来たのは?
−馬新さんです いや今朝(けさ)はその息子さん
−馬新さん? おお 馬新さん!

わたしは彼を知っている
十七年前この村で
農業合作社を組織した時
わたしたちは話し合った
−身よりのいなくなった韓爺さんの
  毎日の飲み水はいったいどうする?
井戸から遠くて水汲みはきびしい
−輪番で汲んであげたら?
その時 一人が立ち上がった
−わたしが運ぼう 一かつぎの水だから
  わたしが毎朝運んであげよう と
それが青年馬新さんだった

あれからかれこれ十七年
六千余日を風雪もいとわず
馬新さんは毎朝毎朝
部落のはずれの韓爺さんのところまで
一かつぎの水を運びつづけた

およそ行動の持続とは
言うは易くして行うのは難い
馬新青年は結婚の後も
暗いうちから起きあがって
無償の行為をつづけていたのだ
今は息子も大きくなって
親子二代でその水運びを
欠かさず毎日つづけているという

馬新さん 馬新さん その息子さん
わたしは眼がしらが熱くなった
ただ黙々とかげひなたなしに
きびしい奉仕に生きている
あなたたちこそ人民の中の人民
すばらしい人民だということを
ニクソン訪中の随行記者たちに
話してやったが理解しない
感動の色も浮かべなかったが……

馬新さん すばらしい馬新さん
わたしはあなたたち父子を誇りたい
どこまでもあなたたちに学びたい
あなたの謙虚さと
黙々とした実践の持続が
わたしたちを支え
中国を支え
かならず世界の未来を支える と     

●夜が明ける


夜が明ける
小鳥たちを起こせ
花は もうめざめて待っている
花はいつも
空を指さして咲き
根にかえる日のために みのる
ゆうべ ひと夜さ
鳴りをかえしていたきみの中の海
寄せては返していた波の音−きみの呼吸を
ふいごの音に変える朝がやってきた
下にあく小鳥たちのまぶた
上にむかってあくにんげんのまぶた
朝の床の中でのつかのま
きょう一日のたたかいの
起伏と波動の見とおしのかなたの一点
連帯の渦を広げゆく沖の一点をみつめなおし
フル回転のエンジンのスイッチを入れ
まぶたをはっきり開いて
さわやかに床を蹴って起きるのだ
きょうもまた 革命である
しかり きょうもかの水平線−わが能力の限界へ挑もう
夜が明ける
まだまだ足りぬ人びとへのあつい思い
まだまだ学ばねばならぬ大衆の実践
さらに まだまだ歩き 語り 励まし合わなければならぬ
炎の結集
夜が明ける
わが海も かの海の青さを取りもどそう
太陽との対面の姿勢で
きょう一日は
はっきりと
きまる
  (一九七四年一〇月一五日)


回顧など  二十年あのときこのとき  礒永秀雄


  「駱駝」 は生命尊重と反権力そしてすべてのまやかしを拒否する側に立つ素朴な詩人集団である。 さらには日本語と民族的情感を大切にする側に立つ平凡な詩人群で構成されている。 「正統詩 を標榜しているが、 正統詩の理論より実践を先行させて今日に至っている。 「正統詩」 はあるいは模索で終わるかもしれない。 しかし、 そこにはたえず民衆に学び民衆の側に立つ姿勢は一貫してつらぬかれて来たはずである。
  『長周新聞』 創刊のころは 「殺しにゆけ」 という自己変革への激しいアピールの詩をしたためた記憶がある。 この詩は 「革命を餌に酒を飲む腰折れ雀」 の脳天めがけての一撃であった。私の三十代後半である。
 六〇年の安保斗争で 「輪姦」 という詩を作った。 樺美智子虐殺の怒りの湯気の立っているのをそのまま、M紙に持ちこんだが掲載は見合わされた。私は早速 『長周新聞』 に送って掲載してもらった。「駱駝」 安保特集号にものせた。 この詩は安保のデモを超えるものとして全国に反響した。詩壇からは 「あまり汚ない」 と罵られたりした。 罵った連中は既成の美学の上にあぐらをかき、 安保のデモにも高見の見物をしていたか、 かっこうだけデモった連中だった。 M紙には追い討ちをかけるように 「樺美智子さんの死に」 というのをのせた。 この詩は、 在京の教え子を通じて樺家に手渡されている。 『長周新聞』 は私にとって最も身近かな新聞であり、詩を童話を、ある時は四面全紙を開放して掲載してくれた。 この恩義は終生忘れることはないであろう。
 六六年、 風の便りに 『長周新聞』 が孤立したと聞いた。事情はわからなかったが、私は 『長周新聞』 の読者として、 県民の新聞を守る義務を感じた。 福田氏はウロウロするような男ではない。私は彼の人間性とその奥にあるたしかな革命の火種を信じていた。私は二篇、三篇、詩を矢継早に書いて 『長周新聞』 に送った。詩は政治の道具ではない。詩は真実の叫びであり、 正鵠な批評である。 いわゆる第三者としての卒直な実感を述べたまでである。 ところが、 妙な事が起こった。 昨日まで、 あれほど私の童話の支持者であり、詩の支持者であった人々が、 ダカツのごとく私を嫌い、 批判しはじめたのである。 そればかりではなく、私を敵と呼ぶ狂乱ぶりであった。私ははなはだ迷惑した。 中には 「長周から手をお引きなさい」 と忠告してくれる有名な文化人さえいた。 「言論の自由」 は弾圧される方向に進んでいたのである。 しかも進歩的文化人を誇る人々の手によって。 日本人の悪い政治的体質の一面を見せつけられる思いがした。 「革命はついに要領によってねじ曲げられようとしている」ふとそう思った。
 六〇年安保の挫折はあちこちにあらわれはじめた。 六〇年、 中央の新進作家や詩人たちが田舎の文化人たちにまで呼びかけて結成された 「若い日本の会」 は安保斗争が終わると雲散霧消し、 幹事クラスは軽井沢に遊びに出かけてチョンとなった。 その中心者の一人はいま臆面もなく首長選に立候補している。
 反権力が権力にかわる体質構造は、 たとえば中国の文化革命に対する紅衛兵への非難に端的に見られる。 おのれのみいい子になって安全地帯からああだこうだと批判するあの野次馬的性格こそ、 権力志向の姿勢と見破らねばならない。 それはあらゆる世界について言いうる。私は 「ただいま臨終!」という詩を書いて 『長周新聞』 に投じた。
  「まだ 顔は あるか/眼はたしかに二つついているか/にんげんの世の夜あけを見たゆえに/ふざけたつむりかたをきっぱりやめた/あの眼は 少年のように輝いているか/よごれはじめてはいないか/にごってはいないか/まだ 口はあるか/いのちのほとばしり出る/あのコックのことだ/乱れに乱れた道すじの辻々で/ここは右 ここからは左と/きっぱりさとしてやれるあの口はあるか/その口は 足といっしょに歩いているか/まだ 足はあるか/何よりもまず権力の顔をふみつけ/くたびれたおのれの肩書きをふみつけ/いのちのある限り/いのちからいのちの肩を叩いてまわる……あの力と確信にみちた足はあるか/うろうろするな/上手に立ちまわるな/紅衛兵を大人げないなどとうそぶくまえに/きみは大手を振ってまかり通る〈悪〉に/どんなレッテルを今日貼ってきたか/衆をたのむな/おのれを焼きなおせ…… 「ただいま臨終!」 この厳しい覚悟に耐えられずして/どこににんげんの勝負があるか/くたびれた細胞でなんの革命!」
 この詩に心ある中堅詩人は、 「本年度の最大収穫の一つ。 このとおりです。 東京は……」 と詩壇の腐敗を嘆き共感の便りをよこした。
 引用が長くなったが 『長周新聞』 はどこまでも思想や主義や信条を超え、 多くの革命的人間像を浮き彫りにしつつ、 確信をもった斬新な展開で民衆に奉仕する新聞であってほしい。 もっと幅広く、 もっと深く、 もっとおおらかに、 民衆の生命の奥底に光をあてて進んでほしいと思う。
(1975年4月23日)

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