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礒永秀雄詩集  
                    
礒永秀雄は戦後日本が生んだ卓抜した詩人である。編集にあたっては、『礒永秀雄作品集』として出版することにした。編集にあたっては、『礒永秀雄作品集』を基本にさらに精選するとともに、礒永晩年の作品『兎年偶感』『竜』の三点を新しくつけ加えている。

                                       
著者・礒永秀雄 発行・長周新聞社 B6判 213頁 定価1000円

(一部抜粋)


踏み荒らされた秋の野で

歩くんだな
銃口で脊中を押されて
しばらくは 兩手を擧げてだ
野菊の花の散り敷いたふるさとを

歩くんだな
呼吸を整えながらだ
裡に滿々の力を貯えながらだ
神妙に もう五六歩 歩くんだな

ぐわあん と
火を吐くのは 銃か 拳か
いずれはつきりとお眼にかけるからな
今はおとなしく 歩けと言えば歩くんだな

歩くんだな
銃口で脊中を押されて
天の青さを ぐいと 睨んで
おう もう三歩 もう二歩 あと一歩!

ぐわあん とな
おう したたか ぐわああん とな
天の天までとどろけよとな
やれ! 屈辱のどたん場でぬかるな!

(一九五二年一二月二〇日)


殺しにゆけ

殺しにゆけ
あのちいさな私を殺しにゆけ
松林の奥がいいか 地下室がいいか
キャバレーの裏の空地がいいか
場所はばったり出会った処だ
容赦はいらぬ
衆人環視のどまん中で
見つけたらすかさず
モリで胸突け
鈍器で脳天を打ち破れ

殺しにゆけ
あのぬるぬると脂ぎった私を
舌先もつれるあの蛇を
ねずみのようなつつましさで
いきなり鳥の羽ひろげる
あのまっ黒いマントの中の私を
殺すのだ 抹殺するのだ
葬るのだ 現代から  

蹴おとせマンホールに
千万年前の縦穴に 横穴に
それらも 埋まった古墳の果てに
埴輪めいた男を引きわたすのだ

要らぬ この奴隷めいた奴
要らぬわ こののしあがる木偶
おう 昨日の醜
今日の醜
革命を餌に酒を飲む
この腰折れ雀は
おやじよ
焼鳥にでもしな
骨まで焼きまくってな
したたか胡椒ぐるみにしたやつを
火の粉もついたまま
私の口の中へねじこめ


(一九五五年六月一六日夜)

一〇年目の秋に

近道なら
あなただ
あなたの声だ
あなたの良識だ
あなたの人間としての訴えだ
さらに私たちの良心としてのあなたの登場だ
天皇―
あなたが富士よりも輝かしい方であるなら
あなたは誰憚らず言えるはずだ
あなたが誰よりも日本を愛する方であるなら
あなたはきつとこう言われるはずだ
―私の願う恒久の平和は
 戦争を放棄する固い約束の
  上に立つています と

かつてあなたの願つた平和は
選んだいくさの火の中で燃え尽きたけれど
あなたがあの夏の日に願い
私たちもともに誓つた平和は
厚いケロイドとともに
胸を離れぬ金輪際崩れてはならぬ
大きな平和だ

私は覚えている
菊の紋章を削り落した銃を異邦人たちが海に捨てた八月
日本の山河に憧れながら
異国の土と消えた復員前の幾多戦友
広島駅頭で泣くようなさようならを言つて立ちつくしていた生き残
 つた戦友
屈辱と白い髪の霜だけをみやげに
外地から引揚げていた父と母
「殺された友を見殺しにするな」と
壕の内そとで誓い合つていてくれたという学友の便り
しかも久々に見る日本の山河は
切ないほど美しい青さで
私の眼にしみた 胸にこたえた

しかし
私は日本に残つた人々の苦労を知らない
その人たちは生きのびていてくれたから
私は自分たちの苦労を言わない
そうして更に私は不幸にしてあの日のあなたの声を耳にしていない
一億の人々がこうべを垂れ
狂おしい感動の中で聞き入つたという
あのしめやかな声を耳にしてはいない
その日から南の風は草の香をはこび
その夜から虫の音は静かな秋を告げはじめたという
あのあなたの声を耳にしていない

私の耳にあるあなたの声は
部隊長があなたに代つて伝えた
あなたの心にもなかつたという
〈玉砕命令〉
呪いのように耳もとに灼きついている
そのはじめのことば
おわりのことば
〈朕 汝 股肱ノ臣ニ告グ〉
〈チン ナンジ ココウノシンニツグ………〉
私たちは片唾をのんで聞いた
真暗な思いで聞きとどけた
そのおわりのことばを
私は今 あなたにかえす
〈スイサイニオイテ
テキヲヨウゲキシ〉
〈水際ニオイテ
敵ヲ邀撃シ……〉
〈テキヲヨウゲキシ〉
〈スイサイニオイテ……〉
〈ギヨクサイセヨ〉
〈玉砕セヨ!〉
ああ いまわしいその声とはきつとちがう
あなたのほんとうの声を
私は聞きたい
生きた声を にんげんの声を

―私の願う恒久の平和は
 戦争を放棄する固い約束の
  上に立つています と
せめてこれだけでもよい
言つていただきたい あなたに
あの奢つた選良たちの眠りをさまし
まつとうな人間の世にかえすために
十円紙幣の鎖の中
ユダヤ十字にしばられた
賭博場にもまがうあの建物の奥の
いまだ隅々までその声は水を打つという席に立つて
あなたがこうはつきりとおつしやることを
万に一つの夢に 思う
派閥もない私たちと同じように
党派を越えたあなた
平和を願うあなた
そして誰よりも日本人であるはずのあなたに
汚された富士のかなしみをこめ
かえらぬ人々の願いをもこめて
私は希う 私は求める
この声があなたに届くかどうかを
私は知らない
しかし私は知つている
平和の願いが必ずいくさを退けうることを
真実の道を掩う雑草をたんねんに
抜きつづけることが
私たちの永遠の仕事でなければならぬことを
。右 近道」と新しい矢印のある
立札の立つあたり
私は 今
一つの願いを
衣を脱ぎ捨てるように
しかしきちんと畳んだものを
あなたへの悔いない切札として
置いてゆきます
捨ててゆきます


(一九五五年八月二二日朝)


花よジャンケン

花よ ジャンケン
氷の音の固いうちに
小鳥のまぶたの白まぬうちに
考え深い西空の月が
ブリキのように忘られぬうちに
この束の間の朝あけのひとときを
花よ ジャンケン

そうなんだ 死んだ若者たち
今はもう昆布のようにもはためかぬ
遠い南の海の
岩間から 草間から
死んだあの友たちの帰ってくる時間が
こんないびつなひとときに追いこまれてしまった
なら 花よ
おまえが今朝はひらかぬのではないかと
ああ 思いもするのさ

そんな青春の回帰のために
さ 切火
花よ ジャンケン
私の出す


その冷い拳に
ひとにぎりほどの今日の真実
わたせぬ星を握りしめて
さ 君 ジャンケン
鋏を鳴らしながらやってくる風の前で
花よジャンケン!  


(一九五六年一二月二日)


ゲンシュク

ゲンシュクって何ですって聞いたの
襟を正すことだってさ
わかんないからもう一度聞いたの
おごそかなことって答えてくれたけど
ぴんとこないのよ
なんだろうゲンシュクって
天皇様だの神さまだのっての
あんなものに関係あるのかしら
それは人間の状態ですかって聞いたの
私でもなりますかって聞いたの
それあなるさって先生言ったわ
君のウチで一番好きなのは誰かい
それあケンカもするけど兄さんよ
じゃあその兄さんがだね
君のそばでいつのまにかバッタリ倒れたとするよ
なぜ
なぜだかわからないが倒れて起きぬ時
君はケラケラ笑えるかい
なんぼ私だってすぐ介抱するわよ
その介抱もむなしく亡くなるんだ
いやあね そんなの
そしてその時兄さんがいうんだ
兄さんみたいに何にもしないで死ぬんじゃないよ
しあわせに暮らすんだよ って
シュンとするなあ
その時君はどう思うだろう
なぜ死んだのだろう たった一人のお兄さんが
いいわ 仕方がないことだもの
だけど約束するわよ
きっと兄さんの死をむだにしませんって
いやにシュンとして考えこんじゃうんだなあ
それだよってその時先生が言ったわ
ゲンシュクって一つの死を前にして何かを心に誓う状態だって
この世の中ってあんまりゲンシュクでないのね


(一九六〇年一月一日)




暗い暮らしの谷を這い
腹ばいながらこの草かげまで来た
月ばかりが冷たく明るく
夜風ばかりがやさしいという時
俺は吼えることを忘れ
つつましくとかげや蛙を食って
飢えをしのいで来た
俺はさらに地べたを這い
かけられた罠をかぎ分けながら
水を求めて歩きだすと
遠くの籔のざわめくのを聞いた
あちら そしてこちら
俺とおんなじ疲れた虎が
獲物を待ってひそんでいるのだ
その低いうめきを聞くと
俺はむしょうに腹が立って来た
あいつらも俺と同じように
まだ死なぬまだ死なぬと思いながら
しだいに見さかいのつかぬ
人食い虎に変貌していくのだ
疲れがおのれを罠に追いこみ
狩人たちのかっこうの餌になるのだ
俺はぞっと身ぶるいする
俺は飢えの果てでめざめる
俺はいきなり草むらを躍り出
こうべをあげて吼える
起きろ 虎
吼えろ 虎
人を食い家畜を襲う
あのうらぶれた虎になるな
俺たちの腕の一撃
俺たちの牙の力は
獅子を打ち倒すために備えられた
俺たちの歯は強く
噛みつけば奴の力によって
奴がもがけばもがくほど
奴の首をねじる
俺たちは虎
俺たちの祖先は
龍が天に昇るのさえ阻んだというではないか
俺たちは虎
しかり まさしく俺たちは虎
友よ
君のその黒い縞も
黄色い皮にあてられた焼ごての跡ではなかったか
白い天の とてつもない白い天が
焼きつけた屈辱の印ではなかったか


(一九六二年一月一日)


一かつぎの水

まだ肌寒い春の夜明けに
井戸水を汲む音がする
水桶にそそぐ音がする
客のわたしは主人あるじにたずねる
  誰です 朝早くから水汲みに来たのは?
  馬新さんです いや今け朝さはその息子さん
  馬新さん? おお 馬新さん!

わたしは彼を知っている
十七年前この村で
農業合作社を組織した時
わたしたちは話し合った
  身よりのいなくなった韓爺さんの
  毎日の飲み水はいったいどうする?
井戸から遠くて水汲みはきびしい
  輪番で汲んであげたら?
その時 一人が立ち上がった
  わたしが運ぼう 一かつぎの水だから
  わたしが毎朝運んであげよう と
それが青年馬新さんだった

あれからかれこれ十七年
六千余日を風雪もいとわず
馬新さんは毎朝毎朝
部落のはずれの韓爺さんのところまで
一かつぎの水を運びつづけた

およそ行動の持続とは
言うは易くして行うのは難い
馬新青年は結婚の後も
暗いうちから起きあがって
無償の行為をつづけていたのだ
今は息子も大きくなって
親子二代でその水運びを
欠かさず毎日つづけているという

馬新さん 馬新さん その息子さん
わたしは眼がしらが熱くなった
ただ黙々とかげひなたなしに
きびしい奉仕に生きている
あなたたちこそ人民の中の人民
すばらしい人民だということを
ニクソン訪中の随行記者たちに
話してやったが理解しない
感動の色も浮かべなかったが……

馬新さん すばらしい馬新さん
わたしはあなたたち父子を誇りたい
どこまでもあなたたちに学びたい
あなたの謙虚さと
黙々とした実践の持続が
わたしたちを支え
中国を支え
かならず世界の未来を支える と


八月の審判

 夏の夜空に花火があがる。大小のスポンサーの名が花火の名とともに賑々しく拡声器で伝えられ、菊が牡丹が柳が龍がヒュルヒュルと笛までついて打ち上げられ、中空で大きな音を立てて花を開く。轟音は水に拡がり山をゆるがす。浴衣がけの、ポロシャツの、海水着のままの人の波に浜辺は埋めつくされ、海に面した家々の二階や縁先では客を迎えて景気よくビールの栓が抜かれる。十五年目の原爆記念日の夜である。妻は子供達と花火の写生をしている。僕は打ち上げられた花火の煙が、きのこのように、くらげのように、にぎりこぶしのように、あるいは幽霊のように、東から西へ、拡がっては溶けてゆく姿を眺めている。世の中は僕の小学生の頃のような、いやそれ以上の平和な姿に帰ったようだけれど、僕の心はいつまでたっても慰まない。花火の音を聞けば銃砲声を思い、その煙を見れば戦場を思うという、この古めかしい不幸な気分はいったい何時の間に培われてしまったのだろう。人並に花火の美しささえ楽しめないというふさぎの虫はいつから僕に巣喰いはじめたのだろう。こんな陰気な性格ではなかったのに、いつもこんなでもないのに。僕は夏が好きだ。ギラギラ照りつける太陽が好きだ。汗ばんだ人々の顔が好きだ。家々の壁板が柱が天井がまだ生きている木の香りを漂わせる夏が好きだ。だのにこんな暗い気持が起りがちなのもきまって夏だ。八月が僕をいら立たせるのだ。八月が審判にやってくる。
 僕は昭和十八年の冬学徒臨時徴集で南の島に追いやられた。たくさんの学友たちが死んだ。海は一瞬にして三千人の兵を船もろとも呑んだ。強制使役が死ななくてすむ人々を次々と殺した。三百人が三十人になることはそう手間のかかることではなかった。「死にとうナカ」。茶椀で米のメシが喰いたい」。帰りたい、帰りたい、日本へ帰りたい」そういいながらジャングルの中で兵士たちは死んだ。沖縄出身の兵士は故郷の悲報にあるいは発狂しあるいは逃亡し、見つけられては銃殺された。命令を受けた戦友の手で……。連日の無差別爆撃と銃撃の下でついに斬込部隊が編成され、トカゲの鳴き声を空っぽの腹の底から出さなければならなかった。戦友の遺骸を焼くのも片腕から片肱に、はては手首から指一本にかわっていった。煙が上がるときまって翌朝爆撃を受けるならわしだったから、火を焚くのは夕もやから朝もやにかけてつまりもやに擬装されたあがり方でなければならなかった。野戦病院の戦友の遺骸を受取りに行けば軍医はメスで無造作に友の手首からさきを切り取り、セロファンにつつんで、それを彼の飯ごうにぶちこんで黙って渡してくれた。まだある。まだまだある。数え切れぬほどいまわしい思い出は残る。
 しかしとにかく僕は帰って来た。ニューギニアの果てから。生き残って。かすり傷一つしないで。元気に、少くとも元気に、もう殺されることのないことを信じて、生き長らえて帰って来た。
 僕の眼を射たものはすばらしい日本の野山の美しさだった。すがすがしい緑だった。さわやかな水の色だった。帰っていく家もない僕はこの野山の美しさのある限り残されたいのちを詩人に賭けようと思った。奪われた幾多の夢を取り戻すために。永遠に青春を生きるために。僕自身何よりも先ず人間であり日本人であるあかしをするために。
 名ばかりの故郷に引揚げた両親の許に帰って僕は知った。日本に残っていた学友たちは僕を死んだものと思い。礒永の死を無駄にするな」と誓い合ってくれていたという。「俺達はもう騙されぬ。この投げ与えられた自由はたくさんだ。自由は俺達の手でかちとるんだ」友人は復員したての僕をそういって手紙で励ましてくれた。その友ももういない。しかし僕は生き残っている。臆面もなく生き残っている。亡くなった友人達の言葉に取り巻かれ、八月に鞭打たれながら。ヒロシマの光を見たという妻とともに。元気な二人の男の子とともに。母とともに。


(一九六〇年八月一〇日)

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