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礒永精神全国に広げる出発点
礒永詩祭第4回実行委
             平和で豊かな社会作る糧に   2016年12月19日付
 
 12月3日におこなわれた「没40周年記念・礒永秀雄詩祭」は山口県内はもとより九州、沖縄、愛知、富山など全国各地から戦争体験者、被爆者、親世代、教師、小・中・高校生、大学生など600人が参加し、世代をこえて礒永秀雄の世界を共有する場となった。この詩祭のとりくみを総括する第4回実行委員会が17日、下関市の福田正義記念館で開かれ、詩祭のとりくみの反響や教訓を交流しあい、五年後の没四五周年詩祭に向けた展望を語りあった。
 
 各地で詩や童話鑑賞する運動に

 最初に海原実行委員長が挨拶し、詩祭が実行委員会をはじめ多くの人人の協力よって盛会のうちに終えることができたことへの感謝をのべた。そして、「35周年から5年間の総括ができた。礒永さんへの想いを込めて演じてくれた出演者の姿、礒永泰明さんが参加され感動していたことも印象に残った。舞台やデコレーションもすばらしかった」とのべ、会場全体で礒永秀雄の世界を蘇らせることができたとふり返った。とりくみを通じて「一かつぎの水」に代表される「無償の奉仕」を称えた内容への共感が特徴としてあり、その感動は今「地域でのミニ詩祭や読み聞かせをしたい」「道徳の教材として礒永作品を活用したい」という教育界での新たな動きにつながっていることを紹介した。「没40周年詩祭の成功を単発で終わらせるのではなく、没四五周年にむけての新たなスタートだ。詩祭を機に下関から発信していくことを確認したい」とのべた。
 その後、事務局が詩祭のとりくみの概要を報告した。礒永秀雄詩祭は各界各層600人が参加し、出演者だけでなく会場全体で礒永秀雄の世界を現代に蘇らせることができたこと、詩祭には礒永秀雄を初めて知った人が多く参加したが、礒永作品に脈うつ戦争への深い怒りと、人間の優しさ、真当な生き方を訴えた詩の内容が新鮮に受けとめられた。礒永詩祭の場に子どもの書道作品が展示されたのも初めてで、詩祭全体を通して礒永秀雄の精神の真価が改めて多くの人人のなかで共有された。詩祭のとりくみが全市的な基盤に支えられて成功したこと、市内の教育界を巻き込んだ大きな運動に発展したこと、礒永秀雄詩祭を一過性のイベントで終わらせずに、新しい文化運動の一つとして継続していく新たな出発点に立つことができた、と報告した。今年中に詩祭のDVDを作製し内容を広く宣伝していくことも報告した。収支報告のあと感想や意見を出しあった。
 下関原爆被害者の会の婦人被爆者は、参加した多数の友人が、子どもが一生懸命演じる姿や劇団はぐるま座が演じた『修羅街挽歌』に感動しており、「礒永さんを初めて知った人も多いなかで、みんなの“行ってよかった。また行きたい”という意見を聞いて嬉しかった。あれほどの内容が時間内におこなわれたことも素晴らしかった」とのべた。また被爆体験の語り部をした小学校三校を訪問して詩祭への参加を訴えて回るなかで、この間教育運動を牽引してきた人民教育同盟の活動をもっと下関の教師のなかに広げていく必要性を感じたとのべた。90代の被爆者も、ポスターを掲示した商店に新聞を持ってお礼に行くと、詩祭の写真を見て参加者の多さに驚いていたことを語り、「礒永さんを知らない人がまだ多い。礒永さんも先生方の活動ももっと知らせたい」と語った。男性被爆者は、詩祭の数日前に訪れた商店に詩祭のポスターが掲示されていて、礒永詩祭に誘われた経験を語り、詩祭が市民のなかで広く共感を得てとりくまれた実感を語った。
 市民の会の女性は、参加した友人が「一人の詩人の催しであれほどの人が集まることは珍しい。子どもたちを見て生きる勇気をもらい、未来が開けた」と驚いていたことを紹介した。また現在、日本が戦争の方向に進むなかで、国民の根底で渦巻く戦争反対や平和を望む世論を表面化させていくうえで、礒永作品の顕彰が平和運動の力に繋がっていくのではないかと語った。その他にも、子どもの感想画や習字への感想も出された。
 音読劇を発表した北九州の子どもたちを引率した教師は、子どもの親兄弟、祖父母が家族ぐるみで詩祭に参加し、自信に満ちて演じる子どもの成長を心から喜んでいたこと、「子どもが積極的になった」「また誘ってほしい」という声が出ていることを語った。また子どもたちの学校生活が変化し、大人しい子が大きな声で発表するようになったり、友だちを思いやりケンカが減っている状況など、礒永作品が子どもを成長させるという確信を語った。また、今後教師のなかで礒永作品を広げていきたいと語った。
 別の教師は、小さい頃にいじめられた経験があり、礒永童話「おんのろ物語」を読んで勇気づけられて詩祭に参加した子どもが、舞台で「一かつぎの水」を堂堂と発表したことを紹介した。子どもの母親は「わが子が多くの人の前で発表できたこと、自信を持って行動するようになったことがうれしい。礒永秀雄さんが没後40年たっても多くの人に影響を与え愛されるのは、その精神が子どもや大人も元気づけるからだと思う。自分自身も作品を読み深めたい」とのべたことを紹介した。
 教師たちは、この間のとりくみを通じて「礒永作品は砂に水が染み込むように子どもたちの心にスッと入っていく」という実感を持っている。また20代、30代の若い教師たちが「一かつぎの水」に感動し、見返りを求めぬ「無償の奉仕」の精神をみずからに問い、子どもたちにも伝えたいという反応も共通していた。だが今回の詩祭には、若い教師たちの参加が少なかったことが課題として出され、「若い先生たちに詩祭の空気を肌身で感じてほしかったと思う。それが今後の教育活動の力になる」と論議になった。若い教師の礒永作品への純粋な感動や教育への情熱を思いきって発揚できるよう促していくベテラン教師の役割も浮き彫りになった。
 退職教師の男性は、戦後教育で「個性重視」を煽って人を蹴落としても平気という自己中心がまん延してきたなかで、その教育をどううち破っていくかという問題意識を語った。重ねて最近の米軍のオスプレイ墜落に対する日本政府の対応や、アメリカのトランプが「米軍駐留費を上乗せしなければ撤退する」と豪語するのに対して、日本政府は「撤退しろ」ともいえず、ますますアメリカに隷属していく政治のありようを批判した。戦後七一年を振り返りアメリカ頼みをうち破る運動を発展させていく糧として、礒永詩祭や礒永顕彰の意義があるのではないかとのべた。その他にも「被爆者の方が語り部をした学校に出向き、詩祭成功のために精力的に動かれてきたという行動は、まさに礒永先生が訴えた行動する生命力だと思う。先生の作品は頭ではなく行動を促すものだ」という意見も出された。

 5年後の没45周年へ 既に始まる運動

 実行委員会に初めて参加したPTA関係者(北九州市)の男性は、「詩祭は全国各地からの出し物があり、すばらしかった。私は礒永さんを数年前に知った。西洋の鐘は“カーンッ”と鳴ったらそれで終わりだが、日本の鐘は余韻を残す響きがある。礒永さんの作品は、日本の鐘のように、深く響きわたり多くの問題を投げかける内容だ」と感想をのべた。さらに「五年前の東北大震災で生き残った人が震災で亡くなった人に対して“すまない”という気持ちを抱くのは、戦争で生き残って詩人となった礒永さんも同じだったと思う。これは日本人の美徳だ。それは生き残った者が、今後どう生きていくかということだと思う。礒永さんが戦争で亡くなった人に対してどのような思いがあったのか、戦争が風化していくなかにあってどう自分を鼓舞して詩を書くに至ったのか、もっと勉強したい」と語り、今後北九州でのはぐるま座の公演にも協力したいと思いをのべた。
 劇団はぐるま座は、詩祭の参加者が居住区で礒永作品を広げるために行動していることを報告した。山口市で朗読教室をおこなっている男性が、「おんのろ物語」の紙芝居を公立図書館に寄贈することを提案し、今後、礒永童話や「一かつぎの水」を朗読教室の活動で活用したいという意見が寄せられていると語った。また鹿児島から参加した夫婦が、「歌ったり踊ったりの芸能のイベントはあるが、詩の内容を世代をこえて共有するとりくみは珍しく、“高級感を感じた”」と語り、今後鹿児島でも詩や童話を広めるための協力要請が劇団にきていることも報告した。「詩祭が新たなスタートになって、北九州や豊北町でも定期的に続けていく方向が検討されている」とのべた。
 最後に海原実行委員長は、「礒永詩祭で出演者、参加者全体で蘇らせた礒永秀雄の世界と熱意を5年後の没45周年につなげていきたいと思う。実行委員会に集まっていただいた各界各層の人たちとともにこれからも歩んでいきたい」と呼びかけて終えた。

 

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