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礒永詩祭民衆の生きる糧に
平和への力奮いたたせる
                 700人が感動を共有        2011年11月7日付

 戦後、日本民族の魂をうたった詩人・礒永秀雄の没35周年を記念する詩祭が、5日午後1時から下関市生涯学習プラザで開催された。山口県下はもとより全国各地から子どもたちから戦争体験世代まで、約700人が参加した。詩祭は、世代を超えた詩の朗読や音楽、紙芝居、影絵など多彩な形式で、礒永秀雄の世界を総合的に演出することで現代にいきいきと蘇らせ、書や絵画などの展示とあわせて参加者に深い感動を与えた。詩祭はこの間の礒永秀雄顕彰運動の熱気あふれる高まりを反映して、新しい時代を開く人民のたくましさをうたいあげる礒永精神が子どもたちの成長を促し、まっとうな生き方を願う人人を励まし、平和、教育運動を推進する者が共有する思想性を浮き彫りにし、新しい文化芸術創造の方向を示すものとなった。
 詩祭には沖縄、広島、長崎、愛知など遠方からも、多くの人人が期待に胸を高まらせて参加。家族連れもめだった。会場ロビーでは正午から、書や絵画、子どもたちの感想画、感想文の展示、「礒永秀雄の世界」(パネル)と写真展を熱心に参観する人人で埋まった。
 開会にあたって、詩祭実行委員長の佐藤公治氏(宇部市上宇部小学校教師)が挨拶に立った。
 佐藤氏は、「戦後66年をへて、時代は大転換期にある。東日本大震災を経て平和と繁栄の日本を求める世論は高まり、自分中心ではなく公の利益のため、みんなのためにと立ち上がる人人のなかで、礒永作品は新鮮な感動で受けとめられ、子どもたち、働く人人や商店、戦争体験者・被爆者など幅広い人人の反響が劇的に変化し、かつてないレベルで広がりを見せている」と、没35周年の顕彰運動で明らかとなった特徴を明らかにした。
 また「子どもたちは礒永童話が大好き」なことを、この間「とけた青鬼」や「おんのろ物語」に描かれた他者への思いやり、優しさ、正義感に心うたれ実生活を変えている状況をあげて紹介。「一かつぎの水」や「虎」など「いかなるまやかしも拒否して魂の真実をうたう精神・生産を担いたたかう人民の側に未来を見出して、それを称賛するとぎすまされた作品群に子どもたちがびんびん響いている」ことをあげ、鑑賞者が出演し、出演者が鑑賞してつくり上げる舞台に「明るい未来を切り開く展望」を見出す胸の高鳴りを語った。
 続いて、詩祭に参加した礒永秀雄の三男である泰明夫妻と、孫の夏妃さんが紹介され、礒永秀雄の長男・天志、泰明両氏のメッセージが読み上げられた。両氏のメッセージは、父親であり詩人・教師であった礒永秀雄の日常の生活、言動から学んだことを想起し、死後三五年たった今、多くの人人の手で顕彰されていることへの感謝の気持ちを伝えるもので、参加者は熱い拍手でこたえた。

 詩業の発展を浮彫りに 熱こもる舞台発表

 舞台発表に移り最初に、礒永の詩人としての出発点を代表する詩劇「中也の詩による幻想曲・修羅街挽歌」を、劇団はぐるま座が熱演した。プログラムはこれを皮切りに、礒永秀雄の戦後出発から、民族の魂を組織する詩人として多くの人人にうたわれる詩業の発展を浮き彫りにしつつ進展した。
 「死んだ戦友たちに聞かせる歌」をうたえる詩人になるための激しい魂の葛藤と決意を叙情豊かにうたった「修羅街挽歌」は、礒永秀雄が放送劇として創作したものだが、はぐるま座の舞台背景、照明、音楽、音響効果で増幅されて参加者の心に染み入り強い印象を残した。ピアノの余韻を残した終幕に、若者を欺して戦争にかり出したものへの憤激と平和への決意を新たにした。
 その感動が冷めやらぬなか、予科練の出身者で同世代の多くの仲間を戦争で殺された恩田廣孝氏(愛知県)が、礒永秀雄が戦後10年目の節目に、旧世界と決別して平和への道を歩む新たな決意をうたった「十年目の秋に」を朗読した。恩田氏はみずからの体験に深く根ざした戦争のない社会を築くための秘めた決意をにじませてうたった。
 続いて、礒永秀雄が戦後、中学校・高校の教師として、生徒たちに強い印象を残したこと、山口県下二十数校の校歌を作詞したことが紹介され、光市室積中学校での教え子である岩城英行氏(山口市)と元室積中学校校長の大楽義人氏が登場。岩城氏が「礒永先生の思い出」を語ったあと、2人で「室積中学校校歌」(礒永秀雄作詞)を高らかにうたった。
 岩城氏は、復員して間もない礒永秀雄について、「軍人」であったとは思えない優しい先生であったこと、2年生最後の授業で「我を持たず、相手のことを考えて難しくなったら“見解の相違”といえばよい」と教えられたこと、3年生の文化祭で「パンドラの箱」という劇をしたとき、先生からキャラメルをもらったことで、「先生と子どもという境目が吹っ切れたような気がした」など、「忘れがたい素晴らしい先生であった」と熱を込めて語った。
 続いて、礒永秀雄が「高度成長期」の浮ついた繁栄ムードを批判し、人間のまっとうな有りようを励ます作品、「安保」斗争後の挫折ムードと裏切りの流れのなかで、それに抗して大衆の根底に流れる魂を励ます多くの詩や童話を書いたことが紹介され、その代表的な詩「ゲンシュク」を長崎の大学生・中島友野君が純朴に真実に迫る姿勢で朗読。「この世の中ってあんまりゲンシュクでないのね」と締めくくると、会場は共感の渦に包まれた。
 童話「鬼の子の角のお話」を、北九州市の小学校の子どもと教師、母親が役割を分担して朗読した。子どもに角がはえないで困っている鬼の親の情愛と、ウシやイノシシ、タケノコとの情けあるやりとりを、子どもの純真な朗読とそれを助ける教師、母親の発表で描いたことに、会場はほほ笑みに包まれた。

 小中高生元気よく群読 礒永童話の感想も

 続いて、小中高生平和の会の子どもたちを中心に80人が統率された集団で舞台に上がり、「虎」「一かつぎの水」をはきはきと一斉に群読。子どもたちが礒永作品をストレートに受けとめ発表する姿に会場の熱気はいちだんと高まった。そして、高校生が「ただいま臨終!」を真剣な声で朗読し、「くたびれた細胞で何の革命!」と締めくくると、張り詰めた空気が広がった。
 この間の顕彰運動で大きな反響を呼び起こした童話「とけた青鬼」を、萩朗読の会が紙芝居にして上演して共感を誘ったあと、山口県と北九州の小学生1年生から6年生までの10人が舞台に立ち、童話「鬼の子の角のお話」「虎」「とけた青鬼」の感想を続けて発表した。
 スクリーンに子どもの感想画が映し出されるなか、「わたしはこうべをあげて吼える部分がすきだ」「この虎みたいにくじけず、力強い人になっていきたい」「あきらめかけても頑張ろうという気持ちになる」(虎)、「相手の気持ちがわかった、やさしい気持ちを持っていることを知って、わたしももっと人の気持ちを考えやさしく接していけるようにがんばろうと思った」(鬼の子)、「青コブみたいに弱い人や困っている人のために役に立つ人になって少しでもいい世の中にしていけるように頑張ろうと思った」(とけた青鬼)など、素直な発表に参加者は将来の展望を見る思いを共有しあった。

 後年の作品心こめ朗読 沖縄、広島、被爆者も

 10分間の休憩のあと、後半の演目に移った。その最初に、沖縄の婦人6人が登壇し、会場が期待に包まれるなか、礒永秀雄が1971年、沖縄返還の偽りを暴いた作品「核をかついで去れ」を沖縄の歴史的な怒りと基地撤去への決意を込めて朗読すると、連帯の拍手が心を込めておくられた。
 続けて、劇団はぐるま座の鳴海富子氏が、革命家を装い実際は裏切りを重ねる者たちを痛烈に批判した礒永秀雄の反修詩「まるい背なかへ」を、みずからのたたかいに裏打ちされた響きで朗読したあと、礒永童話「桃太郎」を下関の会社員有志が多くの人形を駆使して構成した影絵で演じた。民族的な形式でしみじみとした情緒を漂わせた影絵の動きで、桃太郎が忍耐を重ねて虐げられた村人を助ける語りは会場をなごませた。
 ここから、広島、下関の被爆者、市民が、民衆の誠実さ、たくましさを高らかにうたい上げ、新しい時代、明るい未来を開く人民大衆を励ました礒永秀雄の後年の作品を続けて朗読した。
 まず、広島から駆けつけた原爆展を成功させる広島の会の三人の婦人が登場し、司会の「社会の激動発展とかけ離れたところでむさぼる惰眠への、礒永秀雄の厳しい批判は、みずからの怠惰を戒める誠実な心をとぎすます努力と一体のものであった」という紹介にあわせて、その代表的な詩「真金になるまで」を、被爆地での原爆展運動の発展を支えた思いを響かせて朗読。会場の連帯の気持ちを高めた。
 このあと、下関原爆被害者の会の五人が続けて「夕焼けの空を見ると」を、全国に広がる原爆展運動の火ぶたを切り、被爆体験を語る使命で団結を強めてきた「自分たちの思いをそのままうたった詩」との思いで一行一行思いをこめて朗読し、熱い共感を誘った。
 さらに、全国先端のアメリカ型腐敗市政のもとで、公正無私な精神で30万市民を代表する新鮮な市民運動を担ってきた下関市民の会の6人の婦人の朗読に移った。詩「連帯」を堅山キヌ子氏が愛情に充ちた朗読を披露したあと、全員で「夜が明ける」を朗読した。
 出し物の最後は礒永秀雄が逝去する前年、長周新聞創刊20周年記念集会でみずから朗読して発表した「新しい火の山に想う」となった。長周新聞社の青年勤務員17人が「百万の理論/実践をともなわぬ理論は/頭でくつがえすことができる/しかし/背骨にしみわたった深い思想は/たえず若々しい水とともに背骨を支え……」「われわれは/心から君たち平和への火の山/革命のミサイルを支持してやまない/いざ 羽ばたいて立て/長周新聞!」と、若若しく高らかにうたいあげると、次代への期待を込めた拍手が続いた。
 閉会の挨拶を実行委員会顧問で、川崎市の医師、柳田明氏が感動の面持ちでおこなった。柳田氏は、「礒永さんの詩は日本語の表現性とともに、深いものがある。今の時代、私たちが求めているものを、ギリギリのメッセージとして残してくれている」とのべ、「今から全国に礒永秀雄が必要だ。原爆展とともに礒永秀雄作品を、全国に広げよう」と呼びかけると、「ヨーシ」と応える声が会場を響かせた。
 最後に司会から「出演者が観劇し、観劇者が出演し、熱気のあふれる、これまでで最高の詩祭になった。礒永秀雄は“永遠の青春を生きるために詩人を志す”といったが、死後35年ますます多くの人人を励ます力を発揮することを証明した。文化運動の立て直しから明るい社会を建設する力にするために、この詩祭を契機に礒永秀雄の顕彰をさらに進めよう」と訴えた。
 参加者は感動をアンケートに記し、展示をあらためて鑑賞し、書籍を買い求めるなど、ロビーでは熱い交流が長く続けられた。


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