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祝島が合併拒否すれば
上関原発計画は終わり

              記者座談会 町民の力示した町議選    2006年2月18日付

 原発計画をかかえる山口県上関町の町議選は、町民のなかで推進勢力の崩壊状況と、反対する力が崩れるどころか強くなっていることを歴然と証明した。計画浮上から24年、原発をめぐる国、県、中電と町民、県民のあいだの力関係はどうなっているか、町民はなにを願っているか、中電と県、推進勢力はなにを狙ってきたのか、現在なにが焦点になっており、町民は今後どのような方向ですすめばよいか、などについて本紙では記者座談会をもって論議してみた。

   田中氏当選に沸く町民
 司会 町議選が終わって、上関町内ではどんな受けとめがされているだろうか。
  田中早知氏が当選したことが最大の話題になっている。ほうっておいたら無投票だったところ、推「反」談合選挙の枠を破ったことへの反響・共感がある。しかも当選してしまい、「青天のへきれき」とか「奇跡が起きた」といわれている。室津で長年反対を貫いてきた婦人は、「上関が変わるきっかけができた。中電のコンピューター選挙に風穴があいた。町民の強い気持ちのあらわれです」と喜んでいた。別の住民は「おもしろい選挙だった。これで第三の勢力が出てくるきっかけになる」といっていた。
  選挙結果は、「99%ありえないこと」だったようだ。選挙期間中、入れる候補は違っても田中候補への注目度がぬきんでていた。いわば選挙のキーマンだった。各候補はぜんぜん票が読めない状態。田中注目とあいまって町民の反応があまりに冷えきっていたからだ。蓋をあけてみてビックリという選挙だった。推進派の選対に顔を出したという、ある地区の関係者は、候補が最後まで「票が読めない」と頭をかかえていたといっていた。隣近所が集まった家の中では各候補のことがボロカスにいわれていたりした。原発離れがすごいことを証明した。
  立会人として開票にかかわった関係者は、「開票所にいながら票が読めなかった。田中の票がつぎつぎに回ってくるので驚いた。全員が120票と発表されたときはざわめいた。平岡も150票、村田も落選とはいえ長島奥地を基盤に133票をとった。隠れ反対派が強いことを感じた」と語っていた。村田氏の落選を悔しがる人は、「祝島がいままでのように票を回していればゆうゆう当選だった」といっていた。推進派の一議席はかつがつ助かったという見方だ。
  推進派のある幹部は結末が予想外だったようで、「反対派の敗北だ。これを勝ちといえるのか」とムキになっていた。選挙終盤は選挙通の人たちも評価がコロコロ変化して、定まったものがなかった。室津の選挙プロは「外村があれだけとるのは不思議でしょうがない。白浜の地元票もいろいろなところに分散している。わたしの実感では外村に行くと見ていた人も平岡に逃げていた」と首を傾げていた。町民から見たら幽霊が入れたような票だった。中電の職員が夫人ともども住民票を移して投票しており、その票が中心だといわれている。
  田中氏については、「選挙運動もしないで」とか「犬の散歩をしていて」とか、各候補陣営からは恨み節だ。田中選挙は、自分の訴えを書いた四種類のポスターを書き、それを毎晩点検してははりかえていた。その訴えを見てみんなが盛り上がっていた。よく見たら、町民にたいして自分の訴えを発したのは1人だけだった。意味のない「お願いします」の連呼だけで選挙カーを回しているのが選挙と思っているが、こっちの方がよっぽど町民の判断を仰ぐもので選挙らしい。

  主導権握った町民 推進基盤が崩壊
  選挙全般でいえるのは、どこの地区でも「反対は崩れている」が、前評判として流布された。だが、崩れていなかったことを証明した。推進の得票率を見れば微減程度だが、その推進票の温度はすっかり“低温”化、薄味状態となった。
  24年たって町がつぶれてきたということが、選挙まえから深刻な論議になっていった。国勢調査の人口減少率が中国地方で1番の14%(過去5年間)、3700人になったということが話題になった。「原発がくれば繁栄する」のワンフレーズは、相手にされなくなった。町をつぶしてしまったからだ。まぎれもなく廃町政治だったと。
 以前は、商工会が原発推進の中心だった。この商工業者の熱の冷め方がひじょうにめだっていた。原発を騒いできたが、その売町政治のおかげで商売がやっていけない。どんどんへっていく人口のなかで、しかも年寄りが相手の商売になって、酒屋も商店も、衣料品屋もボランティア状態になっている。
 田中氏も戸津のふたば商店だ。もうけを考えたらみんなやめている。しかしないと町民が暮らしていけないから、頼りにされる。土建屋なども仕事がどんどんなくなるすう勢。鉄工所なども干上がっている。商工会の影がなくなったという感じだ。漁協にも、組織的な動きがめだたなかった。
  中電は選挙戦終盤になって走り回っていた印象。かなりの調整をやったようだ。世論が読めなかったようだ。投票率は88%しかない。寝たきり老人まで不在者投票に担ぎ出すようなことがめだたなかった。以前は必死で寝たきりの老人を連れて行ったり、光輝病院に行ったりしていたが、運動員がいなくなった。推進基盤の崩壊が疑いのない現実だ。
 C 議員は面目丸つぶれで格好がつかなくなった。加納氏は選挙期間中、面とむかって「なんであんたが今回出ているのか」といわれて、表情がこわばっていたと話されていた。加納氏の町長選挙の“選挙違反”で、警察でしぼられ、選挙権をとられた人たちがたくさんいる。一族による町政支配のドンの位置にあるが、町民の信頼はそうとうに失うことになった。「長周が“みそぎ中なのに”と書いたのがいけん」というが、それは本人の行動にたいする町民の評価なわけで、自己責任だ。
  推「反」陣営ともども主導権がまったく握れなかった。町民の力が選挙戦を翻弄した。祝島でも、みんな漁業権放棄はおかしいと思っている。そのなかで山戸氏らに投票した。幹部を反対ですすむように縛る内容を持った下からの町民主導だ。
 D 98年の無投票から以後の町議選は、基本的に無投票シカケの連続だ。町民に信任されない議会体制だし、中電に保護されあてがわれた議席というわけだ。推進派が反対派議員のポストを保証してきた。これは「94年体制」だ。94年には、祝島からは、恵比須、河村の両議員が粛正されて山戸、清水氏が出てきた。その年は、単独漁業権の書き換え、田ノ浦地先の共同漁業権を祝島が放棄した直後だ。そして中電は環境調査をはじめることができた。
 98年は、前年の「電調審上程ができる」というつもりが、前年秋の平生町長の「時期尚早」発言などでとん挫して、泡をくって無投票にした。02年は、推進派若手が西元議長を引退に追いやって河内氏が出てきて「推進派の若返り」をはかったが、中電側は反対派をつぶすのではなく、河内氏の方をつぶした。つぎには小浜鉄也選挙で挑むが、これも中電からつぶされた。推進派若手はあきらめモードになったが、今回は無所属反対で田中氏が出てこの枠を突き破った。推進派の若手としては頭が上がらないだろう。

 原発計画断念の寸前 頼みは反対派崩壊だけ
  当初は祝島漁協の合併議決、外村寝返りなど、反対住民に崩しをかけて、明らかに「推進圧勝」を狙っていた。町民の反対を崩したかったのだ。推進手続きがすすむかすすまないかは反対派が崩れること、裏切りにしか期待できない。
 D 雰囲気をつくってあきらめさせようとするのが特徴だ。漁協合併で「祝島が崩れた!」というのは、町内をひじょうに暗くさせた。そのまえには山戸・岩木陣営から「室津が崩れた!」と騒いでいた。崩れたのは外村氏と河本氏の義息の二人ぐらいなわけだ。そして「もう認める以外にない。よそは崩れているし、祝島もたいへんなのだから」という心理作戦だ。だが祝島では、環境調査の補償金を受けとらないとなった。島民のなかから動きが起きて、「あれ?」という感じになっていった。
  あのときは上関のある推進漁師が大騒ぎしていた。合併議決そのものがひっくり返ったわけではなかったのだが、「祝島がまたひっくり返ってしまった」といって顔色を変えていた。推進派としては「これで補償金のあと半分が入る」と思っていたら、様相が違った。四代でも推進派が真顔で山戸氏のことを心配していた。
  上関の推進勢力というのは瓦解している。推進に参加してきた町民は、町を振興させるという願いであった。ところが本物の推進派は、漁業も農業も商工業もつぶして、町を住めないようにつぶして売り飛ばすというものだった。いくら金が入っても上層部が食いつぶすだけで、廃村にしてきた。したがって中電に協力する推進基盤というのは崩壊している。これが上関の町民世論だし情勢だ。売町政治は破たんしているし、中電の原発計画はメドがなくなっているのが実態だ。
 選挙で加納氏などは「土地や漁業権問題は解決し、残るのは県の許認可だけだ」といっていた。いま「原発ができる」と推進派がいっているのは、自分たちの力が強くなったからではなくて、「反対派」幹部のおかげだ。つまり祝島が漁業補償裁判をとり下げ、漁協合併をして漁業権を放棄する決議をしたからであり、共有地裁判もとり下げるなどのメドを立てているからと思われる。原発は終わりというときに、「反対」の裏切りで振り出しにもどすという関係なのだ。
 94年の漁業権書き換えがそうだった。原発のメドはなくなっていたのだ。そこにマリンピア・信漁連問題を起こし、平井知事が乗り出し、祝島を丸めこんで無償譲渡による地先の共同漁業権を放棄させた。死に体だった原発計画はそこから息を吹き返して環境調査、第一次公開ヒアリング、電調審上程、補償金配分へと現在まで10年以上長引かせることになった。推進勢力からすると「感謝感激、平井さま、山戸さま」だった。
 今回も、二井県政の全県的な漁協合併方針といって、祝島漁協を合併参加、解散を議決させた。おまけに漁業権裁判までとり下げると決めた。ここまで廃村がすすんでいるなかで、このままあと何年も推進派を持ちこたえさせることはできない。ここが勝負所なのだ。祝島も苦しいだろうが、中電や二井知事の方はもっと苦しい。祝島から見れば、24年がんばって、ここを踏んばって、漁業裁判を堅持し、漁協合併参加を撤回して漁業権を守るならば、いまや中電のもくろみを断念させ、勝てるところにきているのだ。

  着工まで課題山積み 行きづまる中電
  原発着工までには、まだいろいろな課題が山積している。着工というのは、詳細調査が終わって原子炉設置許可申請が提出され、保安院の安全審査がパスしたあとの話。それまでの道のりははてしもない。上関原発の電調審上程はむりというところを通産省がハードルを下げた。先送りにされている。港湾や警備海域のための103共同漁業権の消滅は後回しにしているし、用地も反対派の土地を計画除外している。送電線用地のメドもないし、道路も使えない。橋もつくりかえなければ重要物トラックはとおれない。いまでも10dトラックが2台乗ったら危険といわれているほどだ。安全審査のパスということになれば、これらの問題をみな解決しなければならない。
  原子炉設置許可申請を提出したのち、行きづまっている立地点も少なくない。大間原発(青森県)は残り2〜3%の土地をおばあさんが手放さないために、計画延期や、設置許可の再提出という動きになっている。
  四代の地権者には、中電が「土地を売ってくれ」ときている。計画地の離れの方でも、どうしても必要なわけだ。反対地権者の主要な土地は炉心を見おろすような所に多い。上から石を投げたら原発に届くような至近距離だ。それはみな買収しなければ建設はできない。
  電調審上程で中電は「やっと登山口まで来た」といったが、そこから登ったのはわずかだ。これを芝居でだまして、町民をあきらめさせることで、どーっといきたいというのが、はかない中電のプランなのだ。反対派が「風説の流布」でうろたえることが、中電の頼りなわけだ。しかし現実の力関係はそんなものじゃない。

  兵糧攻めで屈服迫る 意図的な廃村政策
  開票後、テレビや新聞は幽霊のような姿の外村氏にえらいスポットをあてていた。「これだけ町が疲弊したら、原発で地域振興しなければならない」といって、「町をつぶす反対の道から、町を救う推進の道に変わったのだ」といった調子だ。これが中電側のシンボルだったということだ。
  24年たって町民は、原発推進の町長や議員、組合長などは、「原発で町の振興」といってきたが、やってきたことは町のことも町民のこともくそ食らえで、自分のもうけばかり、町を廃村にする売町政治だとみなしている。外村氏などは、いまごろ「原発しか地域振興はない」というが時代遅れなのだ。
 原発推進政治というのは、兵糧攻めということであり、町民が住めない、食っていけないようにして屈服を迫るというものだ。原発が完成したらなおさら、無人島に近づいた方が抵抗がなくてよいというものだ。町をつぶすというのは、意図的な政策だ。
 B 外村発言で証明されることは、かれの反対運動は町を振興するものではなかったということだ。「自然を守れ」「スナメリ守れ」だけなら、無人島の方が好ましい。スナメリ運動などは、都会の有閑マダムがやるぐらいなら罪はないが、町民のなかに持ちこんだらたいへんだ。町民が原発に反対するのは、漁業を破壊し、住民生活を破壊するからだ。それを守るために反対するのであって、反対することが住めない町にするというのでは人が結集するわけがない。
 C 上関では「反対派みたいなのではメシは食えない、なにが自然を守れだ」と初期の時期からすごくいわれていた。反対派指導部はインテリが多く、漁民べっ視がひどかった。そんな反対には漁民や商工業者はついていかず、地域振興要求が推進の側に流れた。ところが、推進側にも2種類いて、売り飛ばしの側が本流であって、圧倒的多数の推進派住民は売り飛ばされる側だったわけだ。
 A 祝島漁協が経営難におちいったのも「原発反対をしたからだ」「反対する以上、生活は辛抱しなければならない」という雰囲気がふりまかれる。県下の漁民は、祝島の魚価が半値以下という漁協運営がされていることや、それで合併に応じるということでびっくりしている。「漁業を守るための反対ではないのか」「国策・権力に20年もたちむかってきたのではなかったのか」というわけだ。中電をやっつけた角島をはじめ、豊北町はそうではなかった。
 漁師のなかでは、「ほんとうに食っていけなくなった」という意見が多く聞かれる。ただでさえ漁獲が落ちて、魚価もひどく安いなかで、漁師があたりまえに食っていけないのが問題なのだ。ほんとうなら、漁協がそういう問題を解決しなければいけないのに、バラバラでそれができないのがくやしいという。それは推進漁協だけのことではなく、祝島ではもっとひどい実態になっていた。魚価は何者かがピンハネしてよその半値以下、油代は1gにつき20円も割高だ。兵糧攻め状態が推進漁協よりひどい。
 借金もかかえていて、漁業がやっていけないという状態において、補償金に飛びつくように追いこむという手口はどこの電力もやってきたことだ。島民の方は、それでも反対を貫くという意志表示をした。
  廃村というとき、上関では漁業の困難が一番大きな要因だ。上関は基本的には半農半漁の形態だ。現金収入としては海運のほかに漁業が中心であり、そして農業があり、それと相互に依存しあう関係で鉄工・造船などがあり商業がある。
 零細漁業にとって、共同事業、協同組合は不可欠だ。漁場の管理とか、企業からの資材の共同購入、魚の共同販売などは不可欠だ。だから漁民は漁協を必要としているし、そういう組織性を持っている。ところが中電が乗りこみ、原発を持ちこんで、漁協は中電に乗っとられて、原発を推進する目的に利用されるようになった。補償金のための組合運営だ。その結果、漁協としての相互扶助、共同事業どころか漁業者同士を争わせ対立させる道具になった。争ったら仕事にならないから、一応流れにあわせるというか、漁民の組織性の上に乗っかって、推進に利用したわけだ。そして疲弊した。
 ところが反対派が実権を握った祝島でも、ひねた労働組合のような色彩が支配し、漁業を発展させるという要素が乏しかった。祝島が豊北のようだったら、推進組合と比較して漁業振興でダントツの成績を上げていなければおかしい。ところが逆だった。ここは山戸氏をはじめ祝島の漁協幹部は真剣に考え方を改めなければならないところである。

  建設ない運動破産 町民は漁業振興要求
  推進派、反対派の両方から無人島政治が働いてきた。それにサンドイッチされた住民はたまったものではない。祝島の反対運動には、県下だけではなく広島とか全国的にも、労働組合とか、革新的な勢力が応援している。これらいわゆる「反対派」というのが、反対をいうが、自分たちがよりよい社会をどう建設するかというのがない。文句だけいって自分たちが金をとるというのがはびこっている。この「反対」勢力が日本中で腐ってしまって、運動など放棄して、大資本や権力の使い走りをしている。
 原発による漁業破壊に反対して漁業権と漁業を守るということになれば、いま漁協合併に反対している全県の漁民の強い支持を受ける。それと上関の「反対派」幹部は原爆反対・戦争反対をいわない。ミサイルが狙ってくるのが現実問題で、四代や白井田などの年配者はみなそれを心配している。みんな経験者だから心配なのだ。それは基地増強に直面する岩国、原爆を受けた広島の強力な支持を得ることになる。
 祝島住民の反対運動は、全町的にも全国的にもぜんぜん孤立などしていない。孤立しているのは中電の側だ。これを勘違いして見えるのを日和見主義というのだ。
 C 全国的な大きい教訓だ。労働組合などでもそうなっている。原発ができて地元が廃村になってしまったら、そのことを「ざまぁみろ」とでもいいかねない。「推進した、バカな町民の責任だ」「事故でも起こらないとわからないのだ」とか。政治勢力のなかでは大きな分岐点だ。責任を持って社会を進歩させるというのがぬけ落ちている。
  近年の特徴では、片山を失脚させて柏原体制にもっていく過程で、旧来の推進派を中電がめった打ちにしてつぶした。見せかけでも金をちらつかせて、幻想を持たせるなどしなくなった。とにかくぶっつぶして無人島にした方が原発をつくるのは簡単じゃないか、その後も楽だ、といった構造改革型。小泉流だ。それは理屈っぽくいえば市場原理主義、ありていにいえば中電原理主義だ。
 A 全国の典型的な地方切り捨ての姿が見えてくる。地方公共団体破壊、農漁業破壊、地方生活の破壊だ。上関をこのようにしたというのは中電や国、県の社会的犯罪だ。
  幹部の方は推進派も「反対派」も「農漁業振興・地域生活を守る」でないわけだ。これが20年たってひじょうにはっきりしてきた。町民の側は反対派も推進派も「廃村から上関を守る」なのだ。そのためには漁協を中電の原発推進の道具にしないで、漁民の協同組合にして、漁業を守らなければならない。農業も同じだ。そして商工業を守る。町を中電の下請会社のような状態から町民の町にする。そして年寄りが住みやすく、若者が住みやすい町にする。そのためには、中電はお引きとり願わなければならないし、原発計画は断念してもらわなければならない。そして町をこれほど混乱させた社会的な犯罪を反省し、責任をしっかりとってもらわなければならない。だれよりも、国と二井県政が上関町の立てなおしのために責任を負わなければならない。

  戦後日本社会の典型  祝島踏ん張れば勝利
  推進派と反対派の両方から町民をだまして原発推進をやるという中電が仕かけた上関の推反談合政治は、戦後日本社会の典型的なところがある。日本が戦争で負け、アメリカが武力占領した。戦争指導者どもは、平和主義者だったかのような顔をしてアメリカに助けを求め、じきに支配者の地位につけてもらった。ところが革新派の側のなかでも、アメリカは平和と民主主義の解放軍とみなす流れがあった。
 上関は、戦後室津村で共産党村長が生まれた。貧乏なところで政府批判が強かったのだ。河本周次村長は自分の財産をなげうって人のためにつくしたと評価されている。もう一つの流れは、シベリア帰りの共産党・加納新氏であった。自民党と共産党が、表面上は批判しあう格好で実際には表裏一体になっていいことをしていくという政治構造ができた。これは上関を困難にしたが、それは日本社会全体が同じだ。
  それから四代を担当していた上杉議員、弁護団が同じ「日共」系の小柳議員が引退した問題は、共有地裁判に影響がおよばないか心配の声がある。「日共」集団が後釜を立てなかったのはなぜかという勘ぐりがある。
 A 岩国の「日共」系の弁護士が共有地裁判の弁護団に入っているが、漁協合併問題で東和町の漁師たちが訴えを起こしたとき、「書類手続きの不備」とか「こちら側の不手際」とかいって、わざと敗北させた。漁業者がカンパを募って挑んだ必死のたたかいだった。東和町の漁業者らはピンときて「共有地はやばいのではないか」「どうしてあいつが弁護団なのか?」と疑問視している。東和町漁協組合長とか、バックの二井県政にたてつけない者が、中電や国とたたかえるだろうか。「“勝てる、勝てる”といって、いつの間にか負けさせられた」と、いまでもいっている。 
 D 祝島の裁判をおろさせて合併にもっていく。そこから四代の共有地裁判とか神社地裁判につなげて、一連の四代の地権者の土地買収にドドっともっていきたいのが中電と二井県政のプログラムだったはずだ。
  合併承認で漁業権放棄、漁業裁判もとり下げというのでは、反対派からも見放されるが、推進派からもバカにされる。歴史ある島民が恥ずかしい思いをすることになる。推進派側からは、祝島がねばったおかげで四代は5000万円、上関は3000万円をせしめたのに、原発の目の前に住んで一番被害を受ける祝島の漁師が1000万円そこらであきらめ、自分らの残り半分の補償金が入るようにしてくれたという関係だ。借金で首が回らないような部分に金をやって、売り飛ばさせるというシカケと上関側では語られている。
  県下では13の漁協が合併不参加でがんばっている。24年間、原発という国策とたちむかってきたのに、国より力のない二井県政が漁協合併を決めたからしかたないというのでは笑いものになる。同時に祝島のなかでは、漁業権問題が大きな問題になっている。これをひっくり返したら中電はメドがなくなる。山戸氏も、いろいろいかがわしいことをやってきたが、ここははじめて二井県政にたてついて、人のためにいいことをやったらいいんだ。哀れな放浪の身になるか、ふるさとで認められるかの分かれ道だ。
 祝島がここで合併を撤回し、漁業権裁判を継続するなら、推進は数年と持たない。祝島住民にとって苦しい時期だが、それを踏んばるなら勝利するところへきている。

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