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岩国で『原爆展物語』公演
             基地撤去の市民運動を激励    2010年7月7日付

 米軍基地撤去の世論が高まる岩国で3日、『峠三吉・原爆展物語』の公演が昼夜2回おこなわれ、350人の市民が観劇した。今回の公演は民主党政府が米軍再編強行で突っ走るなか、「基地撤去の市民自身の運動をつくっていこう」という市民の強い期待と協力のもとでとりくまれた。あいにくの雨模様のなか、被爆者、戦争体験者をはじめ、現役世代の労働者や中小企業関係者、親子連れや青年と幅広い層の市民が訪れ、公演後は市民の交流の場となった。
 会場となった市民会館の入り口正面には市内在住の書家、石田霞村氏が「公演の成功のために」とみずからが申し出て書いた約3bの峠三吉の詩「序」が展示された。昼公演、夜公演ともに親子での観劇や祖父母と孫が連れ立っての観劇が多いのが特徴で、2、3人で連れ立って訪れた高齢婦人や2人組で訪れた20代の青年などの姿も見られた。
 劇が始まると、会場は劇に集中し身を乗り出して観ている人の姿が多く見られた。一幕一場、「被爆体験を語り継ぐ、被爆者の使命で団結する、党派を超えた純粋な運動をしていこうと頑張ってきました」と語る場面では、会場からも拍手が起こった。原爆展で被爆者が被爆体験を語る場面では、目頭を押さえ、涙をぬぐう姿が見られた。沖縄の場面では「沖縄も本土も同じ」「本土と沖縄が強い絆で結ばれることを確信させるものでした」というセリフにうなずく人が多かった。
 二幕では終盤に向かうにつれて観客が舞台に集中し、三場の広島の場面やエピローグの場面などとくに真剣に見入る姿が見られた。「戦争で死んだ多くの人たちの命が返らないのなら、死なないためのたたかいを命がけでやらなければならないということですね。黙っていたら、また原水爆戦争の戦場だ。仕方がないといって、また殺されるわけにはいかないよ」というセリフに引きつけられ、幕が下りると盛大な拍手が送られた。

 戦争体験者や若い世代交流 公演後の座談会

 公演後の座談会には、昼、夜合わせて被爆者、戦争体験者、母親、青年などが参加し、活発に意見が交わされた。
 市内に住む婦人は「今回の劇を観て引き込まれた。私も“戦争はいけない”とか“原爆はなぜ落とされたのか”“原爆を落とさなくても戦争は終わっていたんじゃないか”など思ってはきていたが、自分だけが思っているだけではなにも変わらないと感じた。この劇を観て、“これだ”と思った。なにができるか分からないが、協力していきたい」と語った。
 被爆二世の男性は「今日感じたことは、この劇のようなことがわれわれの世代、会社の中でも話題になってこなかったということだ。私は高度経済成長から現在までそれなりの仕事をやってきたが、今思うのはいろんなところでこの社会が行き詰まっているということだ。日本人としてこの社会を変えなければいけないところにきている。学校の社会科の勉強でも今回の劇のような勉強はしない。この劇は日本社会のすべてを描いていないかもしれないが、行き詰まっている日本の状況があらわされている。おふくろが被爆者だが、話は聞いていない。父親からも体験は聞いていない。現在の社会が生きていけないような社会になっているなかで、これからどうしていくのか考えていかないといけない」とのべた。
 名古屋から観劇に訪れた男性は「芝居はものすごくよかった。今の社会は戦争の時代と同じになっている。政治家も官僚もマスコミもすべてにろくな者がいない。民主党は普天間の問題でも国民を裏切り、菅が“私がやります”といって首相になったが、自民党より悪くなっている。消費税は上げて法人税は下げる、そんなバカなことはない。メディアはジャーナリズムとしての誇りもプライドもなくなっている。この状況を変えていける劇だ」と語った。
 市内の会社に勤めている20代の男性は「日本全国で空襲があったということを初めて知った。北海道から沖縄まで日本の全部がやられていて、だれもが経験していることなんだということがわかった。また財閥とか基地とかが狙われずに一般の民家が狙われたことも初めて知ることだった。私たちの年代を含めて本当に知らされていないことが多い。私は最近高杉晋作や吉田松陰などの本を読むようになった。自分が彼らと同じ年代になって、“なにかしなければいけないんじゃないか”といつも思ってきた。なにか行動していきたい」と語り、パネル冊子と峠の詩集を買って帰った。

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