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いよいよ長周55周年記念集会
               独立・平和・繁栄の日本へ    2010年5月14日付

 長周新聞創刊55周年記念祝賀集会実行委員会が2月に発足して以後、戦後65年、長周55年を総括する投稿が全国の各界から続続と寄せられ、本紙紙上で熱気を帯びた総括論議が繰り広げられてきた。この到達のうえにいよいよ16日(日)、全国の読者・支持者が一堂に集まり独立・民主・平和・繁栄の日本を実現する新しい出発点として長周新聞創刊55周年記念祝賀集会(海峡メッセ下関、午後1時から)が開かれる。

 幾千万大衆の未来に幸あれ        北九州市自治体労働者 平島広伸

 長周新聞発刊55周年、まことにおめでとうございます。私が長周新聞を拝読するようになり、かれこれ10年近くが経ちました。わずか10年ですが、その間に世界は実に激しくめまぐるしい動きをしてきました。米国同時多発テロ、リーマンショックに端を発した経済恐慌、インド洋やハイチの大地震をはじめとした巨大災害、自民党長期政権の終焉…。これらの出来事を起点として世の流れは右に左に大きく動いています。これらの激動の時代について、果たして世の商業的マスメディアはどのように報道してきたでしょうか。彼らの報道には情報の意図的な誇大化、矮小化、さらには何者かの都合のいいように大衆を扇動しようとしている記事の書き方が見え隠れしています。重要な情報の隠匿も目に付きます。今や商業的マスメディアの報道部門は役に立たないという状態をこえ、その存在は私には「害」とさえ感じられます。彼らの作為的な報道に洗脳されないためいっそのこと目にしない方が良いとさえ思うのです。
 この10年で急速に変化したものの一つとして、大衆側の情報の入手の仕方も挙げられます。インターネット上には、マスコミが決して伝えようとしない情報が溢れています。ネット情報も玉石混交でしょうが、そうであってもインターネットの急速な普及により世の権力者や資本家たちが隠しておきたい事実に大衆がアプローチできる時代に移ってきました。そんななかで長周新聞という存在は、一般に馴染みやすい紙媒体でありながら、内容は秀逸なインターネット情報と趣を一にし、真実を大衆に知らしめ、無私の精神で大衆とともに歩むというものだと思います。これは非常に貴重かつ希少な存在だと思います。またインターネット上でさえ見つけることの難しい記事も多く見られます。とくに山口や私の住む北九州市周辺の庶民の生の声を掲載してくださる姿勢は、他のメディアでは目にすることが難しく、本当にありがたく感じると同時に参考になっています。この地域の生の声は、いわば現在の日本の縮図なのではないでしょうか。地域の声から日本の大衆の現状が読みとれるのです。
 紛争、核、原発、さらには、強欲で冷酷無比な資本主義体制といった長周新聞がメインテーマとしてとり上げている記事にはずい分勉強させていただいています。購読していなければ知ることもなかったであろう事実も多いものです。とくに上関原発を巡る詳細な動きなどは、ほとんどのメディアがとり上げようとしないなか、実に賞賛に値することだと思うと同時に、地元で反対運動をしておられる関係者の方方にとって、どれだけ心強いものだろうかと思います。また私にとって、時折記者の方が書かれる経済記事が非常に分かりやすく、参考書代わりとなっています。有り難いことです。さらに出版物の紹介の記事も興味深いものがあります。ものごとを鋭く見通されている記者の方方の目にかなう出版物ならばこれは読む価値がある、というように私の書籍選びの一つの判断基準ともなっています。
 私は公僕としての身にあります。昨今われわれの存在というのは、無駄遣い、不祥事、天下りなど様様な面で批判の対象となっております。それは当然甘受すべき問題であると自覚しています。ただ、末端の職員は世の流れのとおりに、合理化により年年業務環境が悪化しております。長周新聞は普通ならば批判の対象とばかりになっているわれわれにも温かい眼差しを向けてくださり、現場の声をとり上げてくださいます。どれだけ気持ちが救われていることでしょう。感謝に堪えません。
 5年ごとに広く読者からの意見をとり入れていくという姿勢をとっておられるようなので、私も思うところを少しのべてみます。記事の内容面で、新しい分野、例えば未来に希望が見出せるような新しい技術や人物、組織の紹介などをとり入れていくというのもまた違った展開になり面白いかと思います。そういった中で農業への回帰など、新しいライフスタイルを提唱するということも読者の関心をひくかもしれません。
 現在世界ではイデオロギー、経済、地球環境、教育、人の心、ありとあらゆる分野で行き詰まりを見せています。世界の多くの人がこの先に不安を感じ、明るい未来を見通せない状況だと思います。そんななか長周新聞には創刊以来の社員の方方が受け継がれてきた揺るぎない、一貫した強い意志を感じます。なによりも健全であり明快。常に心は大衆とともに、という安心感を与えてくれます。こんな混迷の時代にあっても長周新聞がいつもわれわれの手元に届くということはなんとも心強いものです。一緒に未来に向けて歩んでくださっているという気持ちが湧いてくるのです。「夜明け前が一番暗い」と申します。「明けない夜はない」とも申します。みんなで良い未来を創っていこうではありませんか。
 長周新聞が見事に社会的使命を果たし終えたとき、そこには平和で穏やかな社会が営まれていることでしょう。社員の皆様、どうぞそれまでペンを走らせて、大衆とともに歩み続けてください。これからもよろしくお願いいたします。
 幾千万大衆の未来に幸あれ。

 維新胎動の地から権力者に挑む活躍に期待  下関市新地 奇兵隊子孫

 長周新聞の創刊55周年おめでとうございます。私は長州・奇兵隊の子孫であり、それが長周新聞とのご縁の発端となり購読している者です。毎回長周新聞を受けとりましたら、私はひととおり紙面の全部に目を通しています。長周新聞は真実がそのまま書かれてあります。よその新聞は同じことをとりあつかってもあたり障わりなく漠然とした書き方をしていて、なんのことかわからず、市民には本当のことが知らされません。
 55周年記念の『原爆展物語』を見せて頂きましたが、これまでだれも触れなかった真実が劇になっておりました。一つはアメリカがペリー来航以来の願望だった日本を植民地として手に入れるため、第2次大戦で日本民族の皆殺し作戦を実行したことです。もう一つは日本の支配中枢が自分たちの地位を守るため米英に庇護を求め占領支配への協力を誓ったということです。
 一番に狙われるべきところはまったく狙われませんでしたが、終戦の前日8月14日の真っ昼間に、アメリカ軍は岩国や光で猛烈な空襲をおこないました。私の岡山の親戚では広島の郵便局に勤めに出ていた従姉妹が原爆で、もう一人の従兄弟はビルマ戦で殺されています。関門海峡には何千個もの機雷が投下され、その機雷で船もろとも木っ端みじんにされた人もこの目で見ました。私は劇を見てもっと怒りが強調されてもいいと思いました。
 当時私は中学生でしたが、「この戦争は先が見えている。行くな」といって、予科練などに志願する生徒を止めた先生もおられました。また私の父も八幡製鉄が空襲されたあと片付けかなにかで八幡に行って帰りましたが、絨毯爆撃では等間隔で爆弾が落とされていたと戦力の差をまのあたりにしてきて、「この戦争はもうだめじゃないか」といっていました。多くの国民はもう勝ち目はないと見ていたのです。しかし真実は隠され、320万人もの犠牲者を出しました。
 戦後六五年たって、下関の中尾市長も民主党の鳩山首相も、公約であれだけのことをいって国民を裏切るから、自民党のときよりたちが悪くなっています。
 垢田沖の人工島でも仕分けされると思っていましたが、いっこうにやめる気配はありません。市民の税金を投入した市民の財産のはずが、テロ対策といって市民は立ち入り禁止です。人工島のせいで潮の流れが変わり、武久の海岸は砂が削られかつてあれほどきれいだった砂浜が砂利だらけになっています。環境に影響はないといって周辺住民を黙らせてきましたが、あの環境調査はなんだったのか、上関の原発でも本当に安全なものなら大都会へ建てればいい。アメをしゃぶらせてなぜ辺鄙なところに建てようとするのか。沖縄でも徳之島でも山ほどアメをしゃぶらせて懐柔して反対を崩そうとしています。
 幕末期、吉田松陰は別の容疑で囚われの身となったのに、己の信ずるところをみずから明かして死罪をまねきました。高杉晋作も国の行く末を案じ命をかけて奇兵隊を組織し、討幕運動に身を投じました。戦時中は「尊皇攘夷」といって戦意高揚に悪用され、戦後は進駐軍と進駐軍にいい顔をしようとした一部勢力によって、新地にあった維新挙兵の記念碑も、地域をあげて執りおこなわれてきた奇兵隊の偉業を顕彰する祭事なども、片隅に追いやられてきました。列強による植民地化を阻み、近代統一国家の建設という理想に燃えて命がけでたたかった奇兵隊をはじめ諸隊に結集した人たちが、明治新政府から邪魔者扱いされ抹殺され、その後の侵略戦争へとつながっていきます。明治維新の伝統を真に顕彰するのは今だと思います。
 現代においても長周新聞が権力者に対して真実そのままを貫こうとすれば妨害や迫害は避けられないと思います。維新胎動の地・下関からあえてこれに挑んでいかれる長周新聞が五五周年を機にますますご活躍されることを期待しております。

 真実の声を挙げて             はぐるま座公演諫早実行委員会 山口八郎

 長周新聞創刊55周年、誠におめでとうございます。私と長周新聞とのかかわりは、「はぐるま座」の公演活動を通じてです。とくに礒永秀雄没30周年の「詩祭」に出席して、『前へ』の詩を朗読したときは、大写しの写真まで載せていただいて、感謝しています。
 歴史を学ぶ者にとって、被爆者が生の声を挙げた源初の地が、広島・長崎でなくてなぜに下関なのか、最大の関心事でした。「長周新聞」の存在を知って、初めてそれがうなずけるわけです。長崎・広島という原爆の地は、それだけにアメリカ進駐軍の制約、日本警官の監視、加えて被爆者への差別意識等等、「祈りの長崎」とまでいわれた時代もありました。それらの制約の少ない下関なればこそ、被爆者たちは行動を起こすことができたのですね。その被爆者たちのバックボーンを支えてきた「長周新聞」「はぐるま座」の力強さがなかったら、この発信はなかっただろうと思われるのです。
 今や多数の都市が非核を宣言し、広島・長崎の市長と被爆者たちが、アメリカにおもむいて核廃絶を訴えるにいたりました。しかし戦争やテロの脅威は、かえって世界中に拡がってきています。アメリカのいう「テロへの戦い」は、目には目を、歯には歯をへの考え方であり、憲法九条の考え方に相反するものです。今こそアメリカは、戦後六五年のあり方を反省し、方向転換すべきです。今までのやり方では、決して平和は実現できないことを肝に銘ずべきです。肝心の日本政府がこの六五年間、九条の網の目をくぐることのみに汲汲としてきましたね。真のアメリカの同盟国を自認する者であるならば、「戦争は止めよ」というべきです。今までアメリカに追随し加担してきたことを反省すべきです。
 一方「派遣労働者の出現」もそうです。私たちが卒業した教え児たちを引率して集団就職させたころは、全員が正規労働者でした。派遣や臨時が多くなってきた今の労働者は、だれがもたらしたものなのか、隔世の感です。日本政府はもっと人民の声を聞き、人民の身になって政治をおこなうべきです。民間人がおこなっている「ペシャワル会」「国境なき医師団」その他、無名の人たちが、アジアでアフリカで努力しているその活動にこそ学ぶべきです。
 こういう想いに的確に応えてくれるのが長周新聞です。一般のメディアは、なにかに遠慮している言い草がめだちます。「核廃絶」を叫ぶ一方で「核の傘」を考える矛盾、「アイツも信用ならん」「コイツも脅威だ」じゃなくて、「アイツも信用する」「コイツも攻めてはこない」というのが九条の精神です。その実現にむけて努力することこそが、日本政府に憲法が命ずる責務であることを、肝に銘ずべきです。
 ところが戦後60年過ぎて、日本国民のなかに戦争の記憶が薄らいできました。再軍備論がまことしやかに表面化してきています。被爆体験・戦争体験の継承は、ますます重要性を増してきています。下手すると、物がいえない時代がやってきて、あれよあれよという間に戦争に巻きこまれてしまうことになりかねません。原爆展の重要性は日増しに強まっています。
 真の平和国家日本の実現にむけて、日夜努力していらっしゃる皆様のご活躍に、心から敬意を表するとともに、60年、70年と発展を続けていかれることを祈念いたしております。

 現実を変え、時代を動かす芸術創造に邁進  劇団はぐるま座 鳴海富子

 劇団創立55周年記念集会での「劇団の立派な建物―みてくれは立派だが内実は貧困というのは虚飾であり思想の真実に反する。このような問題を抜本解決することで新しい発展に進むことを期待する」という森谷編集長の発言は衝撃でした。このときから人民劇団を建設するという新しい過程が始まりました。
 『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』の創造は、自分自身のまちがった明治維新観、歴史観を根底から覆すものでした。そしてその稽古の過程も長年のブルジョア路線で自身にこびりついている、一人芝居、私が私がという自己中心の思想、自己流の演技との激しい斗争の連続でした。しかし稽古は劇全体でなにを描いているのか、そして各場ごとになにを中心に描くのか丁寧に論議され、演技に対しても率直に意見を交わしあうという今までに経験したことのないものでした。そして迎えた初演の下関公演は社会情勢と響きあい衝撃的な共感を得たのです。長周新聞の強力な指導と援助がなければこの日は迎えられませんでした。
 高杉のせりふにあるように自分たち自身の力に頼ること、そして一人一人の創造性が発揮され、困難は集団の力で突破する集団主義のすばらしさを実践を通じて教えられたのです。人人の独立と世直しの要求と響きあい観劇した人人からどんどん波及していく、劇団の歴史上初めてのことでした。明治維新の原動力は人民大衆であること、その明治維新革命を成し遂げた指導路線を鮮明に描いた『動けば雷電の如く』の舞台は観客を鼓舞激励するだけでなく、舞台で演じる私たちも心が躍り、高杉のように、奇兵隊のように生きようと鼓舞激励されました。作品の内容で教育されたのです。
 長い劇団生活のなかでこんな経験も初めてのことでした。また、人民劇団再建への決意をこめた「劇団声明文」を持って俳優もオルグも一体となって人人のなかへ入るなかで、その切実な怒りや世直しへの願い、腐敗したこの資本主義社会でも決して負けないで地域の人人と力をあわせ、世のため、他人のために尽力している人人の生き方に学ぶ毎日でした。これは決定的でした。幕開きの前田砲台の場はこのような実践を重ねるなかで、日日変化していきました。そして『動けば雷電の如く』で描かれている内容は人民劇団の建設そのものでした。その実践のなかで、人民劇団の基準も鮮明になっていったのです。この3年間は新たな発見、新たな経験、そして自己改造の連続でした。
 長周新聞創刊55周年記念公演『峠三吉・原爆展物語』全国初演下関公演、続く長崎公演、広島公演で寄せられた反響は予想をはるかにこえるものでした。真実の持つ力がこれほどまでとは思いませんでした。
 今までの芸術観は打ち砕かれました。芸術とは真実をそのままあからさまにいうのではなく、比喩を用い、手練手管でオブラートにくるんでそれらしく見せる、力量のある芸術家ほどそのやり方がうまいのだと。基準が真実ではなくそれらしく見せる、つくりものなのです。
 ですから、現地稽古、公開稽古で沖縄場面の問題が提起され、その後改訂された場面がなかなかできないのです。もう一度台本と向きあうなかで、今まで語ろうにも語れなかった被爆者、戦争体験者の真実の言葉、無念の思いで亡くなった人人、無数の人人の語り尽くせぬ思い、その真実の声を伝える……これは、やり方とか形合わせではできない、真実に生きねば、真実で応えねば、構え直して向かって行くしかないと思いました。念願の待ちに待った新作『峠三吉・原爆展物語』に学び、現実を変え、時代を動かすのが本当の芸術なのだと紙上で次次と語られる意見に新鮮に感動がわき上がり、力がみなぎる思いです。
 長周新聞創刊55周年に心から敬意を表します。そして長周新聞の根本精神に学び、現実を変革する芸術創造に邁進していきたいと思います。
 
 「長周精神」学び大阪の運動の面目一新へ   大阪・労働者 吉永洋之

 当時、増田渉先生もおられた大学の中国文学科に入学した私は、確か2年目の冬ごろから日中友好運動に参加するようになった。やがて長周新聞に出会った私は、商業新聞に比べて遥かに少ないページ数にも関わらず、その充実した内容に大変興味を持った。政治的なことはまだあまり良く分からないところもあったが、文化面に掲載されている文学・芸術に関する論評や映画評などはとても新鮮で私の目を開かせてくれるものがあり、ときどき掲載される詩や小説などの創作も他では得られないものであった。
 ところが奇妙なことに、当時そうした運動に関わっていた人たちの殆どは何故か長周新聞に対し極めて冷淡で、新聞が置いてあっても見ようともせず、長周新聞を見るのが憚られような雰囲気さえあった。彼らにとって長周新聞は目障りな存在だったのか、だれも私に購読を勧めようとはしなかったが、そうであれば尚更読んでみたくなり、私は自分から申し出て、長周新聞を購読するようになった。
 後になって知ったことだが、長周新聞は創刊当初から文化・芸術の社会的な役割を極めて重視していた。福田正義評論集の『文化・芸術論』を見ると、創刊直後の六月に「エレンブルグの中篇『雪どけ』を巡って」を福田主幹自ら執筆されているし、また数回にわたる文芸座談会を主催して礒永秀雄に代表される発展的な文学・芸術の担い手を育成することに力を注いできた。そして今回、劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』の下関公演が長周新聞創刊55周年記念事業の一環としてとりくまれ大きな反響を呼んでいる。
 いつごろだったか、確か劇団創立何十周年かの記念集会のあと、劇団に親しい人人が残って交流していたときだったと記憶しているが、福田さんも参加しておられ、のちに劇団を瓦解寸前にまで変質させた中心的な責任者の一人(山本卓)を前にして福田さんは次のような内容の話をされた。「舞台の向こうから一人の人物がやってくる。よく見ると顔に“革命”と書いてある」。それはそのころの劇団作品の持っていた独り善がりの政治主義・非芸術の傾向性を痛烈に皮肉ったものだった。私たちは大笑いしたが、福田さんの核心を衝いた批判に私は大変感心した。はぐるま座の劇を観て一定感動はするがそれで終わりであり、私が最初に観た『明日への誓い』が持っていたような観た人人を一歩前へ踏み出させるような力をその後の作品が次第に失っていっていることを疑問に思っていた私は、福田さんの話をそばで聞いていて心の中にあったもやもやが一気に晴れるような気がした。
 最近の長周新聞の四面には中野重治やゴーリキーに対する論評や峠三吉に関する記事などが連続して掲載されているが、私の希望としては引き続き文化面を充実されることをお願いしたい。
 長周新聞の読者となっていつの間にか三十数年が経ったが、紙面を読んでいつも感心するのは、例えば「安倍・林代理市政」として下関市政を徹底的に暴露する記事に見られるように、地方現実、人人の生活とたたかいのなかにしっかりと足を置きながら、全国的な視点に立って問題を明らかにし、さまざまな課題を持つ多くの市民が具体的な行動に立ち上がるのを紙面を通じて援助するという姿勢を徹底して貫いていることである。今日、私の住む大阪ではタレント弁護士出身の橋下徹が知事となり、「地域主権」などの旗を振りながら国からの「理不尽」な財政負担を拒否する態度をとったり、口先ではあたかも大阪府民の利益を守るかのようなことをいっているが、実際にやっていることは大阪「都」構想など地方の側から道州制への道を開こうとする策略に見られるように、橋下知事のやっていることはまったくの中央直結の政治に他ならない。
 最近では、大阪湾岸にカジノを誘致してラスベガスのようなギャンブルの街にする案を出したり、「関空(関西国際空港)に米軍基地を」と発言したりして、これまで橋下「改革」に幻想を抱き期待していた人たちも「橋下はなにを考えとるねん」と批判の目を向け始め、その化けの皮は次第に剥がされつつある。
 しかし実際の私たちの活動はこうした橋下知事が体現している米日政府の反動政治との真っ向からの対決を回避し、現実の大阪府民の生活とたたかいの外にあって、鳩山政府のあれこれについてお喋りをしたり、アメリカの現状について評論しているだけではないのだろうか。
 私は、長周新聞創刊55周年記念活動を通じて、長周新聞が創刊以来一貫して貫いてきた徹底して人民に奉仕する「長周精神」を真剣に学習し、活動を根本的に転換して大阪における人民運動の面目を一新するよう奮斗したい。

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