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「平和教室」、「平和の旅」運動へ

第18回平和教室 下関新地の史跡歩き高杉晋作に学ぶ
         地元の熱い思い受け止める  2003年11月4日付

 小中高生平和の会(代表/今田一恵 中高生代表/南香世・小林さつき)は1日、第18回平和教室を開いて「高杉晋作に学ぼう!」をテーマに、高杉晋作とゆかりの深い下関市の新地地区に残された六つの史跡をめぐり、地元の人に説明を受けた。曾祖父が、奇兵隊だったという伊崎町に住む小田藤吉氏に先祖代代からいい伝えられてきた話を聞いた。下関、美祢、宇部、萩、山口、防府、大津、北九州から参加した小・中・高生68人と教師や母親など92人の参加者は、地元新地の人人の「子どもたちに高杉晋作を伝えたい」という熱い思いを受け止め、充実した平和教室となった。
 
  小中高生や母親など92人が参加
 午前10時に西部公民館に集合した子どもたちには、平和教室のしおりと新地の史跡地図のパンフレットが配られた。パンフレットは地元で組織されている「維新ネットワーク」から子どもたちのために提供された。
 はじめに、平和教室の目的とめあてを全員で声をそろえて読み、「きょう1日がんばりましょう」と代表の南さんが呼びかけ、その後今年3月にNHK総合テレビが放送した「そのとき歴史が動いた」のビデオを鑑賞した。
 そのあと今田一恵氏が、「昔、殿さまがいばっていてお百姓さんたちを働かせている時代があった。そのとき漁師や百姓は牛や馬のような苦しい生活をしていた」「ちょうどそのころ外国から日本に船が来て日本を都合のいい国にしようとしていた」と時代背景を簡単に説明した。「“こういう世の中ではいけない。新しい社会にしないといけない”ということで、山口県から徳川幕府を倒す運動を起こしたのが高杉晋作たちです。農民や漁民など武士でない人たちが入って奇兵隊をつくり、若い人たちも“日本を変えていこう”という思いで参加しました」と子どもにかみ砕いて説明し、「きょうは高杉晋作がどんなことをしたか、昼からいろんな所を見て勉強してください」と呼びかけた。
 八班に分かれて午前11時30分に桜山神社にむけて西部公民館を出発した。正午から桜山神社の近くの公園で班ごとに楽しく弁当を食べながら、大きい子も小さい子もすぐに仲よくなっていた。

 同じ高さの石柱を見学
 桜山神社招魂場
 午後1時、桜山神社の境内に整列した子どもたちに、羽織袴を着た阿部匡紀宮司が奇兵隊士の招魂場について説明した。阿部宮司は子どものために事前に菓子を準備し、小・中・高生を喜んで迎えた。「みんな平等という意味で同じ高さで石柱が396柱並べられており、封建制度を壊すということで意味がある」こと、「これを基点にみなさんがいっしょに来たことを思い出にしていただけたらと思います」と語った。その後招魂場内を回り、墓に掘られた名前や一番若い年齢の墓を探したりしながら歩いた。今田氏が「15歳の若い人たち、平和の会の中学生、高校生ぐらいの人が奇兵隊に入って日本の国を変えるために亡くなった。そしていろんな人が奇兵隊に入っているのに、若い人もみんな同じ高さです」と説明。子どもたちは整然と並んだ墓のあいだをゆっくりと見て回った。最後に全員で阿部宮司にお礼をいって、桜山神社をあとにした。

 奇兵隊の刀きずにさわる
  了 圓 寺
 阿部宮司が途中まで近道の案内をし、つぎにむかったのは、奇兵隊の刀疵(きず)が残る了圓寺。お寺の広い本堂をとおりぬけ、奥の狭い部屋の柱にいまも残る2つの刀疵に子どもたちは、「すごい!」と声を上げたり、さわったりしていた。「高杉晋作や奇兵隊がお寺に駐屯していて、作戦を立てたりしてたたかいの準備をしていた。堅い木でも、刀を磨いていたからよく切れた」と引率の教師が説明し、子どもたちは目を輝かせていた。

 晋作奉納の大太鼓を全員がたたく
   厳 島 神 社
 10分ほど歩いて訪れた厳島神社では、有島靖久宮司の話を聞いた。有島宮司は「これは高杉晋作が奉納した大太鼓です。晋作は新地でよく活動し亡くなりました」と太鼓を指さしながら説明。「日本が植民地になるかもしれないと考えた高杉晋作が、大きな日本という考え方で、幕府とたたかったのが、四境戦争といいます」。そして小倉口のたたかいで高杉晋作が指揮をとり、敵が小倉城に火をつけ、そのとき小倉城内の北のやぐらの焼け跡に残っていた太鼓を高杉晋作がたたかいの戦利品として持ち帰ったと語った。
 また「この太鼓は新年と太鼓祭のときと年に2回太鼓をたたきます」と説明した。「この太鼓をどうやって持って帰ったのですか」という質問にたいし、「祖父が奇兵隊だったというおじさんがいて、“かついで持って帰った”という話を聞いてきました」と答えていた。説明が終わると子どもたちは走って太鼓にかけ寄っていった。萩の小学6年の女子2人が「どうしても太鼓をたたかせてほしい」と有島宮司に頼み、年に2回しかたたくことがない大太鼓を全員が1回ずつたたき、子どもたちはうれしそうにしていた。

 終焉の地や身を隠した井戸も見学
 班長を中心にまとまって信号を渡り、高杉晋作終焉の地を見学した。班長が班員を把握しながら安全に気をつけて移動し、そのなかで班員が仲よくなっていた。
 古い路地をとおり民家に囲まれたひょうたん井戸と呼ばれる井戸を見学した。井戸の近所の米屋の婦人は、突然説明を依頼したにもかかわらず快くひき受けてくれた。「高杉晋作が命を狙われていたときに、この井戸の中に身をかくしていたそうです。冬だったので体を壊すもとになったそうです」とわかりやすく説明した。高杉晋作を大事にする地元の人の思いにふれながら、お礼をいってわかれた。

 溢れる奇兵隊への誇り
  小田藤吉氏の話
 5分ほど歩いて漁港の前の階段に全員が座り、曾祖父が奇兵隊だったという伊崎町の漁師小田藤吉氏に話を聞いた。「わたしのひいじいさんが柿原藤吉といい百姓の出で奇兵隊だった。その孫にあたるわたしの父が祖父から聞いたという話をわたしに伝えたことをいまから話します」と語り、奇兵隊が小倉城を攻めたときに、柿原藤吉が分捕り品で鐘を持って帰ったこと、その鐘を持って帰るときの状況について語った。「長州藩は幕府を迎え撃つため、馬関から兵士を乗せ小倉に行くが、夜になると高杉晋作の命令でソローッと下関に帰っていた。そしてまた朝になると船に乗って小倉へ攻めていっていた。“長州にはものすごい兵隊がいる”と見せかけるためにやったそうです。そして小倉城がどうしても落ちないときに、その地のおばあさんが“この城は正面から行ってもだめ。裏へ回りなさい”と教えられてやったらすぐに落ちた」ことなどを語った。またそのときに、なぎなたを上手に使う巴御前に似た豪傑が最後まで残り、あまりにも犠牲が大きいので高杉晋作が「撃ってとれ」といって、鉄砲で撃って殺したことなどをいきいきと語り、子どもたちも真剣に聞いていた。
 自分が小さいころ高杉晋作がつくった詩吟を剣舞で踊っていたのを再現して、踊ったりうたったりしながら心をこめて子どもたちに語っていた。
 最後に「平和についてもふれたい」と、自分が2年2カ月軍隊生活を送ったこと、「戦場というのはすさんでいて、味気なくて二度と行きたくないところだ」と話した。小学3年の男子が「ひいおじいちゃんは高杉晋作と話したことがあるのですか」という質問をするなど、曾祖父が奇兵隊だったということが、「すごいことだ」と子どもたちの心に一番残っているようだった。

  地元の熱意に深く共感
  感想つづる子供達
 最後に奇兵隊の結成の地となった白石正一郎宅跡を見学し、2時間30分の史跡めぐりを終え、西部公民館にもどって感想交流会をおこなった。小さい子は疲れた表情をしていたが、しっかりと感想を書いて発表した。
 「高杉晋作ってだれだろうと思っていたけど、ビデオを見てすごい人なんだとわかった」(小学6年女子)「高杉晋作について桜山神社の宮司さんが教えてくれたので感謝したい」(小学3年男子)「小学校でも、高杉晋作や吉田松陰のことを習ったけど、下関に来てもっとよくわかった」(小学4年男子)「太鼓をたたいたことが心に残った」(小学3年女子)「だれが偉いとかでなく、同じ高さで並んでいることに感動した」(高校1年男子)など、高杉晋作についてまったく知らなかった子どもたちも、実際に地域の人に説明してもらいながら、その熱意にふれることで心に残るものがあった。
 参加した教師からは、「高杉晋作を地域の人が誇りにしていることがよくわかった」「高杉晋作について身近に感じた。身近にあるのに、学校で取り上げられないのが残念」(下関小学校教師)などと感想が出された。
 平和の会では高杉晋作についてはじめてとりくんだが、高杉晋作を守る地元の人たちの温かい協力や、子どもに受けつがせたいという思いに支えられて、充実した1日となった。
 次回は11月30日に、明治維新にまつわる話をおじいさん、おばあさんに聞く予定になっている。

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