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人民劇団としての出発点
劇団はぐるま座創立60周年記念祝賀集会
              全国結びつける役割に期待    2012年11月12日付

 劇団はぐるま座の創立60周年記念祝賀集会が11日午後1時から、下関市の海峡メッセ下関で開催された。記念集会には全国2府18県から約400人が参集し、はぐるま座の総括報告や長周新聞の来賓挨拶を受けた各地の参加者によるテーブルスピーチや出し物には熱がこもった。参加者は、はぐるま座がこの五年間を通じて人民劇団として本格的な役割を発揮する出発点に立ったことを喜びをもって祝賀し、今後とも「人民に奉仕し、人民とともに」の創立精神を堅持して、日本社会の根本変革を願う全国の人人の魂を奮い立たせ、結びつける役割を果たすことへ大きな期待を寄せる熱気あふれる集会になった。
 江原美佐江氏(長門市・小学校教師)と本田多恵氏(長周新聞社)の司会で始まった記念集会は、事務局長の肥後容子氏(北九州市・小学校教師)による実行委員会活動の報告から始まった。肥後氏は、全国の各界116人の実行委員の手でこの集会が準備されてきたこと、はぐるま座の総括論議の呼びかけが歓迎され、30人が長周新聞紙上で発言し総括論議が熱を帯びて発展してきたこと、本集会には『動けば雷電の如く』や『原爆展物語』公演を全国各地でとりくんできた人人、下関、広島、長崎の被爆者、沖縄や全国で原爆展運動を担ってきた人人、劇団の公演で結びついたTPP反対や町興しなど日本を立て直そうと頑張っている宮崎、佐賀、福岡、岡山などの人人、「教育から日本を立て直そう」と奮斗している教師、三〇万下関市民を代表した市民運動を進めてきた人人、下関の文化関係者や維新の史跡を守り顕彰している人人、劇団員家族などが参加していることを報告した。引き続き主催者を代表して重谷悦彦実行委員長が挨拶をおこなった。
 次に来賓挨拶として、長周新聞社の森谷浩章編集長が登壇。森谷氏は、はぐるま座が「『動けば雷電の如く』と『原爆展物語』の普及活動を通じて自己改造を進め、人民劇団として本格的な役割を発揮する出発点に到達したと思う」とのべるとともに、「人民劇団であるはぐるま座は長周・福田路線と結びついていくなら勝利し、それと対立するならつぶれるというのが、劇団の60年の全歴史の教訓であり、これは譲ることのできない死活の問題」だと訴えた。
 続いてはぐるま座の斎藤さやか氏が「劇団はぐるま座の創立60周年総括報告」をおこない、次のことを明らかにした。
 はぐるま座は1950年8・6平和斗争の一翼を担った中国地方の文化芸術運動を源流にし、福田正義長周新聞主幹の導きによって創立された。それが70年代後半から変質が始まり、1994年の会館建設は人民を裏切って人民の敵に投降するものとしてあらわれた。5年前の劇団創立五五周年を契機に芸術的にも経営的にも破産状況に立ち至った現状を直視し、人民劇団として再建するたたかいを開始した。
 『動けば雷電の如く』と『峠三吉・原爆展物語』の創造と普及を通じて人人の反響に学ぶことは圧倒的多数の大衆の利益を代表する側へ自己を変革し、人民劇団の骨格をうち立てる過程であった。そして、「この五年間の勝利は、人民の言論機関である長周新聞の導きなしにはありえなかった。最大の教訓は、全活動に福田路線を貫き、統一戦線の一翼として活動するなら発展し、そこと離れれば消滅するということだ」とのべ、「戦争を阻止し、日本を変える全国団結をつくる人民劇団として、記念集会を出発点に大飛躍することを誓う」としめくくった。

 古い支持者や被爆者が激励 広島・長崎・沖縄・下関

 第2部の祝賀集会に移った。はじめに川崎市の医師・柳田明氏が「60周年を契機に下関から全国へうって出る記念すべき日にしたい。劇団のさらなる発展と新しい出発を記念したい」と、乾杯の音頭をとった。祝電・メッセージの紹介のあと、この日の記念品として『動けば雷電の如く』をモチーフにした二種類の日本手ぬぐいが紹介された。その後、テーブルスピーチに移った。
 元下関市中学校PTA連合会会長で『雷電』下関公演実行委員長の海原三勇氏は、「はぐるま座はこれからも福田路線を継承して、さらに大衆のなかへ溶けこみ、真実を共有する精神で邁進してほしい」と激励した。
 劇団発祥の地・山口市の古くからの支持者である平田敦子氏(退職教師)は、「先日の山口公演をみて、人民のなかから生まれ人民と結びつきを深めていた結成当時の情熱と意気込みを強く感じた。日本の独立と平和を求める行動が全国各地に燃え上がっている今、劇団の劇を届け大きな渦を巻き起こしてほしい」とのべた。
 山陽小野田市の退職教師・村田芳郎氏は「戦争が終わって大日本帝国が亡ぶ大変動があったが、今度は人民が主人公になって社会をやりかえる大変動をおこしたい」と発言した。
 下関原爆被害者の会会長の大松妙子氏は、「下関から広島、長崎へ広がった原爆展運動の原点が、福田主幹と長周新聞であることを知った。人民教育同盟の先生方や平和の会、市民の会とともに、はぐるま座が下関を基点に狂った世の中を変えるために頑張ってほしい」とのべた。
 ここで下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる広島の会、同じく長崎の会の10人が登壇し、礒永秀雄の詩「夕焼けの空を見ると」を心を込めて朗読した。
 スピーチに戻り、原爆展を成功させる広島の会副会長の高橋匡氏は「広島の会を結成する過程での、また毎年の原爆と戦争展を準備する過程での下関の方方、はぐるま座の方の努力はなみなみならぬものがある」と感謝の気持ちをのべ、同じく広島の会の森永ヨシヱ氏は「いつ戦争がおきてもおかしくない世の中で、はぐるま座と長周新聞が一致団結して行動すれば力強い」と期待を込めた。
 続いて原爆展を成功させる長崎の会会長の吉山昭子氏は、原爆のことを口にすることができなかった長崎の被爆者を代表してはぐるま座60周年を祝賀し、同じく長崎の会の河辺聖子氏は「はぐるま座は苦労を耐え忍んで頑張ってきたいい劇団だ」と発言した。
 原水禁沖縄県実行委員会の源河朝陽氏は、『原爆展物語』沖縄公演にふれ「沖縄と広島、長崎、全国を一つに結んで平和のためにたたかう力と勇気、確かな展望を与えている」とのべた。沖縄から参加した5人の婦人が登壇し、沖縄で愛唱されている労働者の歌『汗水節(あしみじぶし)』を歌った後、沖縄県民の「基地もオスプレイも、戦争につながるものはアメリカに持って帰れ」「全国の人人と力をあわせて頑張ります」という思いを構成詩であらわした。
 下関市の高杉東行終焉の地碑前祭実行委員長の清水勇作氏は「先日の『動けば雷電の如く』下関公演では、仕込みも舞台設営も撤収も、長周新聞と劇団員が一丸となって、まるで奇兵隊のようだった」とのべた。
 次いで舞台では、礒永秀雄の『修羅街挽歌』が劇団はぐるま座によって上演された。「わが身に燃えさかる火を、火山弾のようにばら撒きながら、吼えつづけて歩く鬼、修羅。その修羅の業に耐えうるもの、それを詩人という」「修羅は死ぬことができない。修羅は成仏を希わない」……戦場から生き残って帰ってきた礒永秀雄が残された命を詩人にかけようとして、死ぬまで自己改造を続けることを誓う内容に、はぐるま座がみずからの決意を込めた。

 全国各地で新しい運動発展 各界や若い世代発言

 ひき続くテーブルスピーチでは、3人の教師がマイクを握った。まず、鉄棒逆上がり全員達成の実践をとりくんだ人民教育同盟中央本部委員長の佐藤公治氏が、「はぐるま座の路線斗争を学び、私の思いを第一にするのか、子ども・勤労父母の思いを第一にするのか、“私”か“公”かをめぐって、はぐるま座の思想斗争と同じ質のたたかいが教育運動のなかでも問われていることがはっきりした」とのべた。北九州市から参加した二人の婦人教師も「はぐるま座のみなさんに、熱意・努力・団結のすばらしさを学ばせてもらった」「『原爆展物語』をみて、平和の旅、原水禁広島集会、教育集会、体育実践などそれまでの点と点とが結ばれ、つながりが理解できた」と発言した。
 名古屋市の恩田廣孝氏(元予科練経験者)は、戦時中は「鬼畜米英」を煽り、戦争に負けると「民主国家アメリカ」を煽る政治家やメディアに抗し「真実を後世に伝えてほしい」と期待を寄せた。
 岡山県井原医師会会長の鳥越恵治郎氏は、尖閣問題の騒ぎにふれ領土問題は戦争に発展すると指摘。「日本をコントロールしているアメリカだ」と警鐘を鳴らし、山口県の上関原発反対のたたかいに強い共感を寄せた。
 宮崎県川南町から参加したNPO法人ゆうあい川南理事長の河野美代子氏は、一昨年の口蹄疫で29万頭の牛や豚が殺処分され、自分たちの力でどうにか立ち上がろうとしていた矢先にはぐるま座が来て『雷電』公演をおこなったと報告。「川南の開拓魂と劇団の高杉魂が一つになった」「全国を回って感動を伝え、人人を動かしてほしい」と力強く発言した。
 続いて京都からきた青年の森重祐人氏が発言に立ち、「はぐるま座が“いろんな政治勢力はどうでもいい。とにかく市民の中へだ”という原爆展スタッフと同じ思いで毎日を生きている。はぐるま座に出会って、物の見方や考え方、人生が変わった。そうした人たちが団結していけば、世の中を必ず変えていけると思う」と発言。会場から大きな拍手が寄せられた。
 小中高生平和の会の高校生・鈴木彰君は「『雷電』公演をみて、高杉晋作が多くの人に支持されたのは、人人の思いを代表し、先頭に立ってみんなのためにたたかったからだ。僕たちもそこに学んでいく」とのべ、同じく藤井南さんも「平和の会で学んだことを生かし、つらい思いをしている病気の人を支える仕事につく」と発言した。
 次に下関市民の会の5人のメンバーが舞台に上がり、構成詩「はぐるま座60周年に寄せて」を披露した。「はぐるま座の声明をはじめ読んだときは涙が出たが、迫力ある演技をみて逆に励まされた。私たちも同じ質の経験をしてきたので、他人事と思えなかった」「市民の会も“勤労市民とともに”の設立の精神を投げ捨て小集団の利益のために不平不満をいう会になっていた。ゴミ袋を値下げさせる10万人署名運動をきっかけに、30万市民全体の利益を代表して頑張る会へと生まれ変わった。それは長周新聞の援助や福田さんの精神を学んで前に進んで来れた」と発表した。
 『雷電』都城公演実行委員長で、JA都城青年部部長の松山龍二氏がスピーチに立ち、「全国の力を結集してTPPを絶対に止めよう。高杉晋作のような未来の指導者を、ここにいるみなさんの力でつくりあげよう」と力強く呼びかけた。
 スピーチの最後に劇団員家族の岡田房子氏(宮崎県)が、はぐるま座が全国の人人に支持されていることへの感動と感謝の気持ちをのべた。
 集会はプログラムが進行するにつれ、全国から参加した人人の大交流の場となって大きく盛り上がった。長周新聞社の青年たちがともにたたかう決意をこめて『炭掘る仲間』を歌い、続いてはぐるま座が合流して『民族独立行動隊の歌』の力強い歌声を響かせた。最後に『希望の歌』を全員合唱し、司会が集会の大きな勝利を確認。「創立六五周年に向けてさらに全国団結を広げ、戦争を阻止し新しい日本をつくるために頑張ろう」と閉会が宣言された。


     長周新聞社の挨拶              編集長 森谷浩章

 劇団はぐるま座創立60周年を迎えて、長周新聞社を代表して心からのお祝いと今後への大いなる期待を申し上げます。
 はぐるま座はいうまでもなく、戦後7年目の1952年、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約によって、日本がアメリカへの隷属の鎖に縛り付けられるなか、それに抗して平和で豊かな日本社会をめざす幾千万大衆を激励していく人民劇団として創立されました。以来60年、あらゆる妨害、陰謀、攪乱、弾圧、とりわけ長期の経済的圧迫をのりこえてたたかいぬき、現在の資本主義の危機、戦争の接近というなかで、日本の歴史発展に重大な役割を果たすべきところに来ています。
 私は5年前の創立55周年集会において、1994年に銀行借金で建設した会館は虚飾の殿堂であり、早期に取り壊して人民劇団の再建にあたるべきだと発言しました。劇団員のみなさんはそれを受け入れ、『動けば雷電の如く』と『原爆展物語』を創造し、その普及活動を通じて自己改造を進め、人民劇団として本格的な役割を発揮する出発点に到達したと思います。
 はぐるま座は、1970年代の後半から東京の商業主義演劇に迎合する流れが強まり、90年代に入ると銀行借金による巨大な会館建設で金融資本の奴隷となって支配階級に投降し屈服する道を進みました。それは人民を利用し食い物にするものであり、当然にも長周新聞・福田正義主幹と対抗するものでありました。このような人民劇団の骨格の崩壊、裏切りへの転落は、70年代中国の変質、90年代ソ連、東欧の崩壊というこの時代を反映した世界的に共通の流れでありました。このなかで、政府批判をやっていた政治勢力が自然に消滅するか、競い合って与党になり、今では右翼翼賛政治が花盛りとなってきました。このようなあらゆる勢力の翼賛勢力への転落の現象は戦時中におきたことであり、めずらしいことではありません。この課題を乗りこえるのが長周新聞の課題であり、はぐるま座の課題であります。
 現在の資本主義の危機と戦争の接近という抜き差しならぬ情勢のなかで、歴史を切り開く力は疑いなく幾千万大衆のなかにあります。大衆こそ歴史を創造する主人公であり、大衆こそ英雄であることを理解しなければ何事も成し遂げることはできません。したがってわれわれの仕事は、大衆のなかにある松明を集めて大きな灯台にすること、バラバラの大衆を一つに結びつけ社会を動かす物質的な力にするということです。それは傲慢な支配階級の思想、一切の私心を捨てて公明正大な精神、人民に奉仕する思想に徹することであり、不断に大衆のなかに入って大衆の生活と斗争を学び、敵の影響を取り除いて大衆の本質的な要求を代表し、その先頭に立ってたたかうということです。これは口でいうのは簡単で、半端なインテリどもは簡単に見下すわけですが、実際に実行する勢力はほとんどありません。しかしここが戦争に立ち向かって勝利するかどうかの分かれ道であります。
 劇団の公演の観劇者人数は一進一退のところが現在あります。目先でインチキな政治勢力や裏切り者まで依存するのが多数派となる道という意見があります。戦後の政治勢力のほとんどは私利私欲、党利党略のセクト主義がほとんどであり、大衆はそのようなものには辟易しています。長周新聞の経験でいっても、広島、長崎で禁、協勢力と断固として一線を画して、私心を捨てて公を第一にする公正無私の思想に徹して独自の路線で大衆のなかに入って活動することが広島、長崎市民のなかで圧倒的多数派となる道であったし、インチキな勢力に多少でも色目を使ったならば大衆からは孤立するという経験をしてきました。また上関でも自治労や社民勢力、「日共」集団、市民運動勢力などがささえる反対派の代表を中国電力の手先として暴露しました。それに対して「長周は孤立した」という連中もいましたが、実際は町民のなかで圧倒的な多数派になり、それは祝島のなかでも長周の訴えを受け入れて補償金受け取り拒否の行動となって原発終結へと導くことができました。何が多数派の道か、純化することによって多数派になる、ここは決して勘違いしてはならないところであります。
 はぐるま座は5年間の奮斗によって、人民劇団再建への基本的な転換をしてきたということができます。しかしこれで万万歳というならばたちまちにしてつぶれることは間違いありません。客観的な実際はこれからが本格的な役割を発揮する出発点だということだと思います。たとえば弱点、課題でいえば、劇団活動のなかでは創作活動が決定的ですが、『動けば雷電の如く』と『原爆展物語』の台本は主として長周新聞の側がつくったものです。また下関や広島、長崎などの主要な公演は長周側が総力を挙げてとりくんで普及活動の典型をつくり上げたものです。私がいいたいことは、長周の自慢話をしたいのではなくて、人民劇団であるはぐるま座は長周・福田路線と結びついていくならば勝利し、それと対立するならばつぶれるというのが、劇団の60年の全歴史の教訓であり、これは譲ることのできない死活の問題なのだということを訴えたいからです。
 資本主義の危機が深刻になって戦争が接近するなかで、幾千万大衆をひとつに結びつけ、その先頭に立ってたたかう福田型の政治勢力を全国的に大結集し、今度こそ戦争に立ち向かって、貧困も失業も戦争もない自由な社会を実現する大きなたたかいを進めなければなりません。劇団はぐるま座が本日の記念集会を期して、長周新聞とともにそのような新鮮な政治勢力を結集し、日本社会を本当に変えるために、不断に自己変革を続け本格的な役割を果たしていくことを期待して私のご挨拶とします。

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