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広島市で可部原爆展開幕
広島の子に被爆者が伝える
             地元小学校児童が集団で参観  2005年6月11日付

 「広島のほんとうの声を若い世代に伝えよう」と訴えた被爆60周年記念のとりくみとして、「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会の主催で、可部原爆展が9日から広島市安佐北区総合福祉センターではじまり、青少年や年配者、市民が訪れている。
   
 日ごろにない真剣さ
 原爆展会場には、市民提供コーナーとして可部在住の婦人が、当時小学5年生の同期生から8月6日にどのような経験をしてきたのかを聞きとった内容を、「可部と原爆」と題して写真や絵、説明ともあわせて展示した。また地元賛同者の男性からも原爆にかんする俳句集が提供され、被爆60年目にほんとうの思いを語ろうと、ほとばしる思いと意気ごみでとりくんでいる。
   原爆展を訪れた可部小学校の児童達(9日)   この日は、可部小学校の3年生、4年生の各一クラスずつが訪れた。子どもたちは少人数に分かれて8人の被爆者につきそいながらパネルの説明と体験を熱心に聞いた。被爆者たちはパネルのなかの詩を読みながら様子を伝えたり、「わたしもお寺の下敷きになって頭蓋骨が陥没したんよ。でもそれでも死んでたまるかという思いで一生懸命生きてきたんよ」と子どもたちに直接頭をさわらせて実感させながら伝えた。
 子どもたちは、被爆者たちの淡淡としかも熱意のこもった話の一つ一つにうなずきながら聞き入った。学校の授業時間をはるかにこえる1時間30分をかけて、パネルと被爆資料、そして被爆者の話に聞き入った。

 引率教師が変化に驚き
 子どもたちを引率した3年生の担当教師は、「3年生はこのような写真を見ること自体はじめてです。子どもたちがこんなに話を聞くことはないです。日ごろは多動性でうろちょろする子がいて、少なくともこんなに長時間話を聞くことはできない。その子たちが集中して聞いている」と感動の面持ちで語った。さらに「いまの学校でやっている平和教育といっても水の表面をなでて、ながめているだけ。子どもたちも峠三吉の“父を返せ、母を返せ”の詩は覚えているが、その被爆者の叫びの深い意味、その奥の思いがわかってくるのではと思う」「話す被爆者の人たちの優しさ、温かさを感じるし、そのような人たちがなぜ語るようになったのか、その意味を考えさせられている」と子どもたちの姿を見ながら語っていた。
 パネルを見た60代婦人は、「4月3日に召集された叔父が練兵場で被爆し、いまもその遺体、骨もわかりません。当時、父が何日も何日も捜しに行って、“見つからなかった”といって帰ってきたことを覚えている」と、なんらかの叔父の手がかりはないだろうかと探すようにパネルを見たこと、「原爆で息子を失った祖母がずっと悲しみ、くやしがっていたのを思い出した。その祖母の悲しみ、怒りをアメリカにぶつけたいくらいです」といった。
 市内から運ばれ逃げてきた被爆者たちを可部で世話したという被爆婦人は、従姉妹の多くが原爆でやられたこと、その行方を捜し、捜しあててもそのまま亡くなっていった経験を話した。そして「この戦争がいったいなんだったのか、原爆だけじゃない、日本中がこのようにやられた。その張本人のアメリカこそ考えないといけない。自分の国が被害を受けていないことをいいことに、人の国にひどい被害を与えつづけている。そのことが許せない」と、吐き出すように訴えた。

 響く心持つ今の子供達
 子どもたちに体験を話した被爆者は、最近の子どもたちを見ていると「どうなっているのか」と、ずっと思ってきたと吐露した。はじめて体験を話して「いまの子どもたちに響くものがあるんですね。実際に多くの人たちが亡くなって生き残った人たちが語る体験は、ゲームの世界でも、漫画の世界でもない、ほんとうに子どもたちの心に響くことがわかりました」といった。そして広島では8月になるとお祭り騒ぎをしてきたことへの嫌悪感を語り、「子どもたちをふくめてほんとうの意味での平和学習と平和のための行動が必要になっている」と被爆者としてその使命をはたさねばとの思いを明らかにした。
 可部原爆展は14日まで開催されている。

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