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会再建21年の歩みに確信
下関原爆被害者の会総会
               私利私欲なく真実語り継ぐ    2015年6月22日付

 下関原爆被害者の会総会 子どもたちや若い世代に被爆体験を語る活動を進めている下関原爆被害者の会は21日、27年度総会を下関市の勤労福祉会館で開催した。被爆70年という節目の年を迎え、会再建から21年間積み重ねてきた活動が、昨年度1年間を通してさらに発展してきたことを確認。安倍政府が安保法制を強行し、戦争への道を突き進むなかで、二度と戦争をくり返させないために結束して活動していくことを、被爆者として平和への強い願いを込めて誓いあった。
 
 全国に広がった原爆展運動 戦争阻止幾万の霊に誓う

 総会は森副会長の「私たちは世間の噂に惑わされることなく原水爆禁止、戦争反対を旗印に元気で頑張りましょう」との開会宣言で始まり、原爆死没者ならびに、これまでに亡くなったすべての被爆者に1分間の黙祷を捧げた。
 初めに大松妙子会長は、「安倍さんが戦争に向けての状態なので、私たち原爆被害者、戦争体験者はこの問題についておおいに反対するために頑張っている。先生方からも私たちの話は教育の一環だといわれ、勇気を頂いて各学校に体験を語りに行っている。新しい会員の参加をお願いしたい」と挨拶。
 続いて来賓の成人保健課の重谷課長が下関市長の挨拶を代読し、「原爆と戦争展」の開催や若い世代に被爆体験を語り継ぐ活動など日頃の活動への敬意をのべ、「非核平和都市として核兵器廃絶の実現と、世界に戦争のない真の恒久平和が訪れることを願っている」とのべた。
 県被団協の森田会長は、県内の被爆者健康手帳を持つ被爆者が3月末で3226人、平均年齢が81・7歳となったことにふれ、「高齢化が進むなかで原爆展の開催も困難になりつつあるが、ご協力を得ながら進めていきたい。実相を伝えることが大事だ」とのべた。
 原水爆禁止下関地区実行委員会の平賀氏は、「戦後70年目を迎え、安倍政府の下で日本が新たな戦争の危機に直面しており、私たちにとって正念場を迎えている」とのべた。安倍政府が国民の声を聞かず、アメリカの要求に応えて日本の人・物・金をすべて売り渡そうとしているとのべ、こうしたなかで下関で開催した勝山地区や下関市立大学での原爆と戦争展で戦争に対する関心が高まり、行動している状況などを報告。「若い人たちが二度と戦争を体験することがないよう、被爆者と手をとりあっていきたい」とのべた。
 県被団協の武永事務局長は、「語り部の活動はすごく大事だ。今の政治家はみんな戦後世代で、空理空論で条文をこねくり回して戦争ができるように持って行っている。戦争に駆り出されるのは、元気な若者だ。一瞬で家族も家庭も歴史もなくなる非人道的な核兵器は絶対に廃絶しなければならない」とのべた。
 続いてメッセージが紹介された。
 原爆展を成功させる広島の会の高橋匡会長代行は、「あの日の消えることのない、いまわしい傷跡を焼きつけたまま70年目の8月を迎えようとしている。いつでもどこでも戦争のできる安保関連法案を強引に決定しようとしている安倍政府の横暴をなんとしてでも阻止しなくてはならない。第二次世界大戦の体験を次世代に引き継ぐことを最大の使命としている被爆者が、命をかけても核兵器を廃絶し、戦争を阻止しなくてはならない。一緒に頑張りましょう」と寄せた。
 同長崎の会の河邊聖子会長代行は、「私たちの戦後の歩みは一口で語れるほど簡単なものではなかった。原爆の苦しみはむしろ戦争が終わってから始まったといえるほど、たくさんの家族、親せき、友人を原爆症や白血病で失った。長年目を背けていたが、絶対に忘れ去られてはいけないと考え直させてくれたのが下関の皆さんが始められた原爆と戦争展だった」とのべた。その思いを踏みにじるように集団的自衛権の行使容認、辺野古への基地建設などが進められていることへの強い怒りをあらわし、「アメリカに基地を持って帰れというのが沖縄をはじめ全国の人たちの思いだ。若い世代に立ち上がってもらうためにも当時の実相を語り継ぎ、日本が再び戦場にされぬよう生きている限り力を出しあいたい」と寄せた。
 沖縄原爆展を成功させる会の比嘉幸子代表は、広島高女1年で同級生の多くを失い、生かされた者として被爆体験を語り始めたことにふれ、「今、第9回那覇『原爆と戦争展』を開催している。再び戦争を起こさせぬために、ともに力いっぱい頑張りましょう」とメッセージを寄せた。
 長崎で被爆した松尾氏を議長に選出したのち議事に移った。26年度の活動報告では、会再建から21年、私利私欲なく「平和のために」で会員が結束し、活動を進めてきたことが、政党・政派、思想・信条、職業をこえて支持と共感を呼び、多くの市民の協力を得て活動が発展したことを確信を持って確認。2001年に始まった原爆展運動が、広島・長崎の様相を変え、沖縄や全国各地へと広がって、米軍基地撤去の運動や教育をはじめ各分野の運動の力となっていることを明らかにし、「被爆・敗戦から70年という節目の年に、安倍政府が集団的自衛権の行使容認や安保法制を強行するなど、320万人もの犠牲を出した第二次大戦の反省を覆し、再び戦争への道を突き進んでいることは戦争を体験した私たちにとって許すことのできないものだ。子や孫たちに二度とあのような悲惨な体験をさせることのないよう、私たち被爆者が真実の体験を語る使命を果たしていくことが、日本の未来にとって重要になっている」とした。
 平成26年度の1年間では、市内5校の小学校や平和教室で、新たな会員も含め、のべ25人の被爆者が体験を語り、約400人の子どもたちが学んだ。また勝山地区や市立大学、市役所ロビーでの原爆と戦争展をとりくみ、広島・長崎の原爆と戦争展を共催するなど、他団体とも協力して原水爆禁止・平和運動を精力的におこなってきたことを報告。
 被爆70年である今年度、被爆体験を語り継ぐ活動やそれをビデオに残していくこと、原水爆禁止の署名・募金活動を強めること、劇団はぐるま座が秋に計画している、戦争の真実と平和の魂をうたった『礒永秀雄の詩と童話』下関公演をとりくむことなどを盛り込んだ平成27年度の活動方針を満場一致で採択した。
 総会は、「二度と戦争をくり返させないために安保法制の撤回を求める決議」「上関原子力発電所建設計画の白紙撤回並びにすべての原発廃止を求める決議」を採択。最後に村上氏が「子や孫たちに二度とあのような悲惨な体験をさせることのないよう、私たち被爆者が広島・長崎の惨状と、焼け野原のなかから復興させてきた真実の体験を語る使命を果たしていくことが、日本の未来にとってますます重要になっている。下関をはじめ全県、全国の平和と独立を求め、原水爆に反対する各界各層の人人としっかりと手を携え、命ある限り被爆体験を語り継ぎ、戦争を阻止することを、原爆と戦争で亡くなった幾万の人々の魂に誓う」とする総会宣言を読み上げて提案し、満場一致で採択された。
 全員で「原爆許すまじ」を斉唱して総会を閉会したのち、懇親会に移った。

 真剣に学ぶ子供の姿を力に 懇親会で思い交流

 懇親会では最初に、長周新聞の青年から恒例となっている「ふるさと」「花を贈ろう」の2曲が送られたのち、被爆体験とともに二度と戦争を許さない深い思いと、高齢になるなかで助けあいながら奮闘する決意が語りあわれた。
 長崎で16歳のとき被爆した男性は、親せきがみな原爆を受けて亡くなった経験とともに、自身も前立腺ガンや肝臓を50%取り除く手術を経て、交通事故に遭ったことを語り、「こうして元気で皆さんに会えることを非常に嬉しく思っている。元気なあいだはこの会だけは出席したいと思っている」と語った。
 91歳の婦人被爆者は、昭和18年に日赤の看護婦として召集され、珍しい女性の出征だと村中の人に見送られて大村の海軍病院へ赴任し、長崎で被爆者の看護に当たった経験とその惨状を語り、「他の集まりは年齢的に断っているが、年に一度のみなさんとの集まりは命ある限り楽しみにしている」と語った。
 92歳の婦人被爆者は、「吉本さんと一緒に会を立ち上げてもう21年になる」と感慨深く語り、「今まで命長らえて、いろんな苦労があったが、出られる間はと思い頑張っている」と語った。90歳の婦人被爆者も、「二度と私たちのような思いはさせたくない。戦後、かたわの子が生まれるから被爆者は嫁にもらうなといわれたが、みなさんのおかげで公に学校に行って体験を話せるようになり、先生方から励まされて勇気を頂いている」と語った。
 学校で被爆体験を語った経験も口口に出され、「学校で親の大切さを話すと、子どもたちが手紙に“親が大事だということが一番わかった”と書いてくれるから安心している」「かわいい子どもたちが必死になって聞いている姿が忘れられない。この子たちが大きくなったらどんな子になるだろうかと思う。今現在のような平和な暮らしを絶対に崩してはいけない」と語られた。
 70代の男性は、「うちは貧乏だったから、兵隊に行けば腹一杯食べられると、上の兄2人は14、5歳で志願し、一人は知覧に、一人は人間魚雷に行った。戦後、あと5日戦争が長引いたら死んでいたと聞いた。子どもたちに体験を語るようになり勇気づけられているが、もしも戦争になったとき、子どもたちが真っ先に連れて行かれる。自衛隊を募集したり、市長が子どもに自衛隊に行かないかといったりしているが、そんなに戦争がしたかったら安倍や政治家が鉄砲を担いで行ったらいい。安倍はあっちに行っては何百億、こっちに行っては何百億と国民の金を自分の物だと思っている。自分の財産を使えと思う。平和を崩したらいけない」と語った。
 長周新聞社の竹下氏は、21年前、吉本前会長や当時の役員と一緒に市内の被爆者を探しながら会を再建していった経験にふれた。「当初吉本前会長も、市内に親せきがいるから体験は語れないと、匿名で子どもたちに語り、子どもたちの反応に非常に感動され、語らないといけないというところから活動が始まった。20年のみなさんの奮闘の蓄積で本当に様変わりに発展した実感を強く持っている」とのべた。そして会の方向を巡って、「遊んで楽しめばいい」という流れと鋭い論争となり、会が分裂するなかで、吉本前会長が「私利私欲なく平和な未来のために語り継ぐことが被爆者の使命だ」と呼びかけ、その純真な思いを21年間貫いてきたことの意義を語った。
 小中高生平和の会の教師たちは、学校で被爆体験を聞いた子どもたちの姿に担任の教師が非常に喜んでいたこと、14日の平和教室で体験を聞いた母親の反響などを報告し、「愛する教え子を戦場に送ってはいけない。みなさんと一緒に頑張りたい」と決意を語った。
 初めて参加した劇団はぐるま座の団員は、「被爆者が体調を押して、熱い気迫で語り部をされている思いをもっと学び、舞台で次の世代へと伝える役割を果たしていきたい」という決意とともに、11月の『礒永秀雄の詩と童話』下関公演のとりくみがスタートしたことを報告した。
 戦争情勢のなか、被爆者としてその使命を果たす思いにあふれる総会となった。


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