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「核なき世界」叫ぶ欺瞞
オバマの被爆地訪問
              感謝感激する異様な姿    2016年5月30日付

 被爆地・広島に戦後はじめて米国大統領が足を踏み入れ、謝罪することを拒否したうえで「核なき世界」を叫んで帰って行った。具体的な内容は何もなく、抽象的な言葉ばかりが並んだ演説だったが、商業メディアは礼賛報道に明け暮れ、まるでオバマが平和主義者であり、アメリカに謝罪を要求するのは品位がなく「けしからん」といわんばかりの扱いをしている。十数万の無辜の非戦闘員であった老若男女めがけて、人類史上最も凶悪な原子爆弾を投げつけた国は、世界中どこを探してもアメリカ以外にはいない。いかなる理由があろうと、原爆投下は人類の名において決して許すことのできない第一級の戦争犯罪である。にもかかわらず、なぜ投下された側が感謝感激して大歓迎をしなければならないのか、投下した側の為政者が英雄のように持ち上げられるのか、世間に強い違和感を与えるものとなった。オバマがやったことは被爆地を利用したプロパガンダ(扇動)で、欺瞞以外のなにものでもないのである。
 
 投下した側を英雄扱い 日米和解ではなく現実は隷属

 今回の被爆地訪問は、「核なき世界」を叫んでノーベル平和賞を受賞したオバマにとって、残り8カ月と任期が迫るなかでの実績作りだった。遠く離れたプラハ(チェコ)で演説するよりも本丸の被爆地に乗り込んで「核なき世界」を叫ぶことが眼目で、その一挙手一投足はみずからの演説に最大の重点を置いていた。原爆資料館で過ごした時間は10分程度。献花の際には頭を下げることもなく、17分の演説も含めて爆心地周辺への滞在時間はわずか50分だった。原爆の実相を知るためとか、被爆者の思いに触れるために来たわけではなかったことなど歴然としていた。
 そして「71年前の快晴の朝、空から死が降ってきて世界は変わった」から始まった演説では「核なき世界を勇気を持って追求しなければならない」「過去から学び、戦争が起こらない世界を作っていくことができる。広島、長崎を道義的な目覚めとすべきだ」等等とのべ、誰が原爆を投下したのかには一切触れなかった。
 演説を受けて安倍首相が「米大統領が被爆の実相に触れ、核兵器のない世界への決意を新たにする。核なき世界を信じてやまない世界中の人人に、大きな希望を与えてくれた。歴史的な訪問を心から歓迎する」と大歓迎の面持ちで謝意をのべたのも、強い違和感を与えるものだった。
 一連の成り行きを全テレビ局が生中継で報道し、「歴史的な瞬間ですね」「画期的な出来事です」「格調高い演説でした」「国内世論もあるなかで大統領みずから被爆地に来られた意味は大きい」「和解への道をオバマ大統領自身が一歩踏み出した」等等、報道管制でもひかれているのかと思うほどヨイショしてお茶の間に伝えた。そして「核なき世界」を主張するオバマの背後では、米大統領が常に持ち運ぶ核ミサイル攻撃の指令装置「核のフットボール」を軍人が携えていたーー。

 核なき世界唱え核開発 削減数は冷戦後最低

 口先で世界を欺瞞する。これはオバマ、安倍晋三に限らず世界的に蔓延している支配の手口であるが、「福島は完全にコントロールされている」と同様に、オバマの「核なき世界」ほど現実と真反対なものはない。米国は世界トップクラスの核兵器を保有し、まさに広島・長崎への原爆投下を皮切りに軍拡競争の最先端を走り、「核なき」状態とはほど遠い。1750発の核兵器を実戦配備し、しかもオバマ政府のもとでは今後30年間で1兆j(約110兆円)もの費用を注ぎ込んで小型核兵器を開発することを決めている。よりコンパクトな核兵器を作り出して近代化を進めるという。冷戦後の米政府のなかで核兵器削減数が最低水準だったのもオバマ政府で、実際行動は言葉とは裏腹である。昨年のNPT(核不拡散条約)再検討会議では、非核保有国を中心に核兵器の法的禁止を議論しているなかにあって、米英が反対して全会一致が崩れ、最終文書の採択に至らなかった。
 戦後71年にわたって、世界中でもっとも戦争を引き起こし、生身の人間を殺傷してきたのはアメリカである。朝鮮戦争では3発目の原爆を黄色人種の上に投げつけようとしたし、枯れ葉剤をまき散らしたベトナム戦争、キューバ侵攻、アフガン侵攻やイラク戦争、シリアやリビアでの軍事行動、中南米やアフリカ地域も含めた軍事力の展開、旧東欧諸国での政変への関与など、まさに核兵器の脅威を傘にして暴力、謀略何でもありで覇権をものにしてきた。このなかで、ブッシュが凶暴なるネオコン(軍産複合体)の一味で、オバマが平和主義者などというのは現実の世界の矛盾から見ても事実とは異なり、より欺瞞的になったという程度の違いしかない。

 謝罪要求するなの偽善 全メディアが大合唱

 被爆地訪問をめぐってあらわれたもう一つの問題は、植民地従属国の代理人どもの節操のなさで、何なら原爆投下とその後の対日占領に感謝しているのではないかと思わせるような喜びようであった。品位も何もあったものではない原爆投下という戦争犯罪に対して、「謝罪を求めるのは品位がない」と煽るような頓珍漢が真顔でやられ、「謝罪を求めれば憎しみの連鎖になる」「恨み辛みを口にするのはどうか」といった論調一色に染まった。原爆投下者への怒りや批判を自粛する姿はプレスコード時代と何も変わっておらず、「品格のある日本人」は原爆投下の非など問わないのだというような歪みきった報道に終始した。NHKも民放も問わず、戦後の大本営は米国に本拠地があることを示した。
 オバマ訪問後、読売新聞は「核廃絶へ希望の朝」「日米関係は、原爆投下から71年を経て、和解を象徴する大きな歴史の節目を刻んだ」と持ち上げ、さらに毎日新聞になると「真の和解への道」と題して、「オバマ大統領の広島訪問は、被爆地で『核なき世界』への決意を示したことだけでなく、日米両国の真の戦後和解への一歩を刻んだという点で、歴史的である」「避けて通れない和解への道を、まずオバマ氏が歩いたのである」「被爆者の多くがあえて謝罪を求めなかったことの重さを、誰もがかみしめるべきではないか」「次は日本の首相が真珠湾を訪れるのが、自然な流れだろう。オバマ氏の一歩を安倍晋三首相が受け継ぎ、未来へとつないでほしい。原爆と真珠湾というトゲを抜いた先に、日米両国の新しい絆が生まれるに違いないからだ」と、論説委員長が感極まった感想を記した。
 和解ではなく、原爆投下によって日本列島が占領され、隷属しているのが現実でありながら、アメリカが核兵器をたんまり所有している姿にも目をつむり、米大統領の欺瞞を礼賛するのである。

 戦後の対米従属の根源 国民の生命差し出す

 日本人民はかつて天皇制軍国主義が投げ込んだ戦争によって320万人もの命が犠牲になった。広島、長崎の原爆投下、沖縄戦の大殺戮、全国の大空襲、戦地における飢餓、病死、輸送船の撃沈などで無残に殺された。このなかで、戦争を引き起こした天皇制軍国主義の犯罪者たちと、その戦争に巻き込まれて親兄弟を奪われ、散散な目にあった一般の国民を同列において、「加害」「被害」を責め立てることほどデタラメなことはない。帝国主義国同士が植民地再分割の血なまぐさい戦争をやり、そのもとで各国で何の罪もない人民大衆が膨大な犠牲を払ったのである。
 アメリカが原爆投下をはじめとした日本人大殺戮に及んだのは、日本を単独で侵略支配するという明確な計画によるものだった。戦後のとりわけ革新勢力のなかで、「米英仏蘭は日独伊のファッショ勢力とたたかった平和と民主主義の勢力」とみなす潮流がはびこったが、米英仏蘭もまた、日独伊から植民地を奪いとるという帝国主義戦争にほかならなかった。第2次大戦はまた、日本帝国主義による中国、アジアへの侵略戦争とそれらの国国の民族解放戦争という側面があり、主にはこの力によって日本帝国主義の侵略政策は行き詰まり、打ち負かされた。その出口戦略なり帰結が太平洋戦争で、敗北がわかりきっているもとでたくさんの兵隊が丸腰で南方に送り出され、多くの若者が死んでいった。戦争終結にあたって天皇制軍国主義は国体護持にもっとも固執し、天皇制を残すためにアメリカと取引し、原爆投下について大本営は知っていながら警報も出さず、老若男女を地獄絵にたたきこんだ。
 そして戦争が終結すると、天皇をはじめ独占資本集団、官僚機構、新聞などの戦争指導勢力は、犠牲になった国民には何の謝罪も償いもせずに「1億総懺悔」といって国民に戦争責任を押しつけ、自分たちは平和主義者だったかのような振る舞いを始め、岸信介のDNAが安倍晋三に引き継がれたように、対米従属構造は今日までつながっている。世界的に見て、70年も外国軍隊が占領して隷属している国は日本ぐらいである。それは今日、恥ずかしげもなく「オバマ万歳」をやる統治機構のルーツが、アメリカの対日支配の協力者になって民族的な利益をことごとく売り飛ばすことで、自分たちの支配的地位を守ろうとした点にあり、まさに原爆投下によってアメリカの単独占領となり、地位を守られて感謝していることと無関係ではない。その挙げ句70年たった今日まできて日本社会は無惨に崩壊し、富だけでなく命までも奪いとられるところへきた。
 戦後の世界では「日本の軍国主義を叩き、戦争を早く終わらせるためだった」「おかげで日本も米国も多数の生命が救われた」などといって、原爆投下が糾弾されることもなく、欺瞞的な「通説」によって正当化されてきた。1発の原子爆弾で十数万人を殺戮するような行為を徹底的に批判することは、二度とこのような残虐な戦争犯罪を起こさせないこととつながっている。「謝罪しなくていい」などというのは偽善であり、原爆投下者への屈服以外のなにものでもない。

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