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核戦争阻止の展望開いた路線
            8・6原水禁取組んだ活動者の感想   2006年8月30日付

 今年の8・6原水禁広島集会は原水爆戦争を押しとどめる大きな確信を与えるものとなった。戦争を阻止し、平和を実現するために、圧倒的に大多数の各界大衆と結びつき、その世論と運動を強めるために、目的意識的に推進する献身的な活動者集団が全国各地であらわれ、その役割を果たすことがきわめて重要になっている。この原水禁運動を取り組んだ各地の活動者の感想、意見が寄せられているので紹介したい。

 「沖縄の運動発展させた親米改良路線との分岐」 沖縄・源河 朝暘
 8・6広島集会まできた今年の原水禁運動は、50年8・6平和斗争の路線の正しさを今一度実証したと思う。
 被爆地の広島・長崎をはじめ全国各地で開催された大小無数の原爆展は、広範な日本人民の戦争反対、原水爆禁止の思いと深く響きあい、原爆を投下したアメリカにたいする民族的怒りを激しく高めた。
 「アメリカは核を持って帰れ」のスローガンが、広島・長崎市民をはじめ広範な日本人民の圧倒的な支持を集めた。米日の北朝鮮ミサイル問題を口実にした戦争挑発の大キャンペーンがやられるなかで、その欺瞞を引き剥がし、完膚なきまでに打ち砕いた。
 アメリカがたくらむ原水爆戦争の策動、米軍再編の狙いを暴き出し、平和を求める人民の世論を大きく高めた。
 被爆者は、社会的使命感に燃えて立ち上がり、被爆者の体験と思いを引き継いで平和のために行動する青少年運動が目ざましい勢いで発展した。
 新たな原水爆戦争の危機が強まるなかで、労働者は、原水禁運動を再建する指向を強めており、腐りきった日本社会の根本的変革を求める民族的階級的意識を発展させている。
 こうして今年の原水禁運動は、昨年にも増して力強く発展し、原水爆戦争を実際に阻止する展望を切り開いたのである。
 その一方アメリカの占領支配とたたかうことを回避し、反対、反対を叫ぶだけの似非(えせ)・ブルジョア「共産党」、社民勢力は、日本人民から見放され、忌み嫌われ、敗北・衰退・瓦解の道を進んでいる。これらの親米・改良主義路線との明確な分岐なくして労働運動の再建と発展はありえないことをあらためて実証した。

 1つにつながった沖縄戦と原爆
 今年、広島に学ぶ小中高生平和の旅・原水禁広島集会派遣沖縄代表団は、画期的ともいえる成果をあげることができた。
 代表団に初めて参加するメンバーが多いこともあって、7・30結団式のときは少少緊張ぎみであった。旅、8・6広島集会への参加日程を終え、2週間後に開いた8・20報告集会では、小学生、高校生、青年教師、被爆者、婦人労働者が、「学んだことを、多くの人人に伝えていきたい」「来年はもっと多くの人を派遣したい」「運動をさらに広げていこう」と感動と確信にあふれた報告をおこなった。
 代表団を送り出すために奮斗した地域の人人、学校の同僚教師、家族は、わずか2〜3日の平和の旅で大きく成長した子ども・青少年に熱く感動し、今後の青少年運動、平和教育運動に大きな期待を寄せた。
 さっそく平和の旅沖縄代表団は、旅で学んだ感想文をまとめて「報告集」を作成・完成させた。今後、「報告集」を支援してくれた多くの人人に届け、さらに運動を広げるために「報告集」の普及活動に入ろうとしている。
 この間の活動をとおして、平和の旅代表団が、「これまで戦争を早く終わらせるために原爆が投下されたと思ってきた。原爆は、広島、長崎のこと、沖縄は沖縄戦と考えてきたが、原爆投下の目的、沖縄戦の真実を知って原爆と沖縄戦が1つのものであることがわかった」と認識を発展させ、50年8・6平和斗争の路線に確信を持ってきたことは、大きな成果である。

 米軍再編と結び原水爆戦争阻止
 今、沖縄では、普天間基地を移設すると称して名護市辺野古に新基地建設を計画し、さらに北朝鮮ミサイル問題を口実に嘉手納基地にパトリオットミサイルの配備を早め、強行しようとしている。すでに核シェルターが建設されており、基地内では核・生物・化学兵器を想定した訓練まで公然とやられている。
 戦争体験者・被爆者をはじめ多くの人人が、「原水爆戦争で再び日本を廃墟にしてはならない」と声をあげ、原水禁署名に立ち上がり、地域から原水爆戦争反対の世論と運動を発展させている。
 また、労働組合が職場で原爆展を開催し、原水禁署名を組合員、地域住民に広げる動きが生まれている。また、ある労働組合幹部が北朝鮮ミサイル問題で「暴支膺懲の失敗を繰り返すな」と題した長周新聞号外に強い共感を示し、米軍再編・パトリオットミサイルの嘉手納基地配備が原水爆戦争の準備であると危惧(ぐ)を強め、労働組合は、執行委員会で原水禁署名のとりくみを決定し、署名活動に力を入れている。
 一方、沖縄県内の米軍基地反対の運動のなかには「基地の県外・海外移設」「危険の除去」とか「生活環境の保全」や「希少生物の保護」といった超階級的な路線が混在しており、それがアメリカの北朝鮮・中国に向けた原水爆戦争の策動を覆い隠す役割をはたしている。また、反米・独立の旗を降ろし、大衆運動を首長・議会選挙に切り縮め、それにおし流す動きも強まっている。
 今こそ、今年の原水禁運動の到達点にしっかりと立ち、「アメリカは核と基地を持って帰れ!」のスローガンを正面に掲げ、さらなる運動の飛躍をめざして奮斗しなければならない。

 「戦争体験し占領に怒る市民に戦争阻止する力」 岩国・森脇 政保
 今年の原水爆禁止運動は、北朝鮮のミサイル発射実験を口実に、「制裁決議」「先制攻撃」など、米日政府の戦争策動がエスカレートする緊迫した情勢のもとでたたかわれ、大きな発展を遂げた。この勝利は、峠三吉の時期の私心のない運動、全国の人人の世論と要求を代表する50年8・6斗争路線にもとづくもので、生命力と運動への展望を与えるものとなった。
 今年の8・6広島集会に参加した岩国の人たちは、大きな感銘を受け「これまで自分たちはなにを求めて生きてきたのか」とふり返り、「これから生きていく勇気と目標をもらった」「これからの人生をそのために尽くしたい」「子どもたちに語りついでいく責務を確信した」「来年は友人を誘って参加したい」などとその思いを語っている。
 私はこの間の活動を通して多くのことを学んできたが、2つのことについてのべてみたい。その1つは戦後アメリカが日本人民を抑圧・支配するためにおこなってきた、かずかずの欺瞞宣伝を事実にもとづいて、アメリカの狡猾で残忍な野望を徹底して暴露することの重要性である。広島・長崎への原爆投下、沖縄戦、全国150都市への無差別空襲は、おびただしいなんの罪もない人人を無惨にも焼き殺した。戦争終結にはまったく必要のなかったこの残忍な行為は、日本を単独占領して日本人民を従わせ、アジア侵略の基地を建設するためであった。そのため日本国民に恐怖と威圧を加え、刃向かう気力を失わせるため「殺して、殺して、殺しまくれ」(ハルゼー・ルメイ)の皆殺し作戦をやったのである。
 岩国空襲でも、すでに戦争は実質終わっていた8月14日に、全国でもまれな絨毯爆撃をやり1000人をこえる市民を殺害したのであり、陸燃ではB29の集中爆撃で360余人を殺害したあとも、艦載機グラマンによる機銃掃射で逃げまどう人人を狙い撃ちしたのであり、黒島では子どもを狙って爆弾を投下し、柱島その他多くのところで「ニヤ、ニヤ」笑いながら人人の上に機銃掃射の雨を降らせたのである。のちに人人のあいだで「これはもはや戦争ではない。殺人ゲームだ」といわしめたのである。しかし基地滑走路には1発の爆弾も投下していない。
 しかし、今日にいたるも岩国空襲は「余った爆弾を投下した」「航空機黒島号を献納した」「柱島には連合艦隊が停泊したことがある」などと、幼稚な欺瞞がまことしやかに流布され、怒りがアメリカにむかわないよう細工をほどこしている。
 こうしたインチキは「原爆と空襲展」などを通して、その歴史の真実が明らかになってきているが、こうしたことは多方面に及んでおり、第2次大戦とはどういう戦争であったのか。日本を単独占領したアメリカの戦後支配の目的と結びつけて、インチキを暴き平和の敵を鮮明にしていかなければならない。
 もう1つ思うことは、戦争を阻止する力は、やっぱり日本人民のあの凄惨な第2次大戦の体験に根ざしていることである。米軍再編による岩国基地増強に頑強に反対し、その先頭に立っているのは、被爆者であり、空襲体験者であり、戦争で父や夫を失った遺族であり、戦争体験者である。また戦後60余年、米軍の占領・支配のもとで、苦難と屈辱を受け続けてきた市民である。いま米日政府は、権力、金力を振りかざして立ち上がった市民の運動を分断・破壊しようと躍起になって、陰険狡猾な手段を弄しているが、これが戦争の道であり、破滅の道であることを察知し、「子や孫のため」「日本の将来のため」にと全力を尽くしている。
 広島の原爆と岩国空襲で肉親を失った婦人は、毎年八月駅前被爆地の清掃作業をし、8月14日の供養にはかならず出席されている。駅前空襲で、叔父一家4人を直爆で亡くされた男性は、駅前から公園の片隅に追いやられた記念碑に心を痛め供養塔の建設を考えられている。
 戦没者を追悼、供養する遺族、戦争体験者の思いは「原爆も戦争も2度とくり返してはならない」という願いを実現するためにおこなわれており、「新しい戦死者を靖国に祀る」ための小泉の靖国参拝とはまったく異質のものである。
 岩国に「岩国空襲を語り継ぐ会」が生まれ、それを待っていたかのように、毎日のように体験者、遺族の人からの問いあわせがあり、会えば堰を切ったように凄惨な話が出されている。
 戦争体験者に真摯に学び、怒りを共有して、団結してたたかっていきたいと思っている。

 「アメリカと戦わず何fが原水禁か!」 岡山・中井 淳
 1950年8・6平和斗争の路線に学び原水禁運動を始めて5年、そして今年の8・6広島集会まで来て思うことは、アメリカと正面からたたかうことで広島市民の深い信頼を勝ちとり、国内外の団結が進み、運動が生命力をもって発展するということだと思う。
 今年は、在日米軍再編で基地機能を強化し、北朝鮮ミサイル問題で戦争熱を煽り、アメリカが日本を動員して進める戦争の動きが本格化したなかで原水禁運動がたたかわれた。これらのことは原水禁運動内部にも鋭く反映し、激烈な思想的・路線的なたたかいをへて勝利した。
 7月初めの全国実行委員会で、「アメリカとたたかうのか! それとも現実の戦争の動きと離れたところでこれまでやってきたことをのん気にやっているのか!」と、ごつんとやられた。長年慣れ親しんできた平和ボケ、情勢に対する鈍感さに気づいた。ここから活動を転換した。現実進行している、アメリカが日本政府、与野党、マスコミを総動員して進めている戦争政治とたたかわずしてなにが原水禁か!「ミサイル問題」に勝利せずして今年の原水禁運動の勝利はない。広島市民に学び、広島行動に学び、そこのところをはっきりさせなければ地元の勝利もない。ことは重大な事態が進行しており、なによりも戦略的に重要な広島での運動を勝利させることが全国を励まし、世界の平和勢力と団結できる、このように方針を発展させた。
 そのような目的意識をもって、7月のなかばから土日、土日と広島行動に参加した。長周新聞号外「“暴支膺懲”の失敗を繰返すな」、原水禁チラシ、署名・カンパ活動、途中から「アメリカは核をかついで帰れ」のチラシを持って広島市民のなかに入っていった。回を重ねるごとに、アメリカとたたかう広島市民の思いと団結できるようになってきた。
 「アメリカは核をかついで帰れ」と書いた3台の宣伝カーは広島市内の中心で堂堂と宣伝をくり広げていた。市内の繁華街で署名をとりくんでいる所には市民から物納カンパが届けられたりした。そういうことがいたる所で起きた。深い信頼関係のもとでこの運動は進んでいることを実感した。敵は北朝鮮だと煽るアメリカと日本傀儡(かいらい)政府に対して、「敵はアメリカだ!」と大宣伝してたたかう勢力に対する絶大な支持である。「ミサイル問題はどうでしょうか?」というような、腰の引けた態度では市民の深い思いは引き出せなかった。こちらの論点をはっきりうち出すことで深い思いを引き出すことができ、「真の敵はアメリカだ」となっていった。
 戦後の日本社会を支配しているのはアメリカである。その支配のもとでデタラメな社会になってしまった。今日アメリカは日本を戦争ができる社会に改造して朝鮮や中国と代理戦争をやらせようとしている。日本をアジアのイスラエルにしようとしている。戦争をひき起こすアメリカという平和の敵をはっきりさせて、広範な人民大衆のなかに入って結びつき、その平和の願いを具体的に代表して堂堂とたたかうことで、大衆の深い信頼を得ることができ、戦争政治を阻止し、平和を勝ちとることができる。この道を進めば、かならず運動は小から大へと発展することを学んだ。

 「大衆世論と力束ねた”米核持ち帰れ”の訴え」 富山・藤本 収三
 マスコミが朝鮮のミサイル発射を報じた当日の朝、私はある戦争体験世代の人から「こんなことがエスカレートしていったら、本当に日本にミサイルが飛んでくるようになるのではないか」と問いかけられた。富山県は朝鮮による「拉致事件」が実行されたとされる新潟県や福井県などと同じ北陸地方ということもあって、地元商業紙は日本列島めがけてミサイルが発射されたかのような見出しの号外を、コンビニの店頭にまで積み上げた。先の問いかけはこうした宣伝と無関係ではない。そのA氏は続けて「もしミサイルの先に原爆がついていたら、富山もかつての広島みたいになってしまう」という。私は「なんぼなんでも今すぐには」と正直思った。
 しかしわかれてしばらくして、私はなにか愕然とした気分に襲われた。昭和20年8月の富山空襲の惨状も目の当りにした戦争体験者のA氏と、日頃戦争反対を口にはしている自分の立っている所が違うのではないかと。まさしく、戦時態勢に入りつつあるという切迫感において、こちらが漠然としており、ボケているのである。
 ここが7月初めの全国実行委員会で「北のミサイル問題を騒いで原水爆戦争にもっていく策動とたたかわず、なにが原水爆禁止運動か」と指弾された問題であったし、今も、これからもそうであると思う。
 今年の8・6広島行動は5日に広島に入り、チラシ配布や署名を訴える宣伝行動に参加した。特徴的だったのは「原水爆禁止の署名をお願いします」というのでは、行きかう市民はあまり足をとめず、「アメリカに核を使わせないために」「アメリカは核を持って日本から出て行くべきだ」という呼びかけには、前とははっきり違った反応があったということだ。署名に応じながら、「当然のことです」「アメリカが世界中の騒動のもと」とうなずく人も多かった。中学生や高校生とおぼしき若者たちに「がんばってください」と逆に励まされたのには正直驚いた。
 わずかな経験であったが、「アメリカは核を持って帰れ」というのが広島市民になんの抵抗もなく受け入れられるということを、実感した。受け入れられるというよりは、市民のだれもがそう思っているというのが正しいのだろう。1つのスローガンというものが、どこかの高尚な人物の頭の中から生まれるものではなく、大衆の根底にある思いや怒り、願いをねりあげたスローガンこそが世論と大衆の力を結集していくものになるのだ。署名活動のなかではそんなことも考えさせられた。
 6日の集会ではなんといっても広島や沖縄の現役世代の登場とその発言に感じいった。自分たちの実践によって得た確信に立ち、また自身の認識の過程をなんのためらいもなく話し、気負うわけでもてらうでもなく、原水爆禁止の運動に生きていくと堂堂と語る。そこに私は、自分の持つ「活動家」のイメージと異なる、生き生きとした新しい人物像を見たような気がした。自分は、このような新生の勢力を生み出す運動とはまだまだへだたったところでウロウロしているのではないか。このような思いにかられた集会でもあった。

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