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核戦争阻止の力長崎から発信
第13回原爆と戦争展主催者会議
                被爆の真実今こそ全国へ     2017年5月22日付

 長崎市中央公民館で21日、6月下旬に長崎市で開催される第13回長崎「原爆と戦争展」の主催者会議がおこなわれた。被爆から72年目を迎えるなかで、被爆地の真実の声を全国・世界に発信するとりくみとして継続されてきた同展への期待は高く、参加者した被爆者や被爆二世からは、今年に入って急速に高まる戦争策動への危惧とともに、長崎の全経験と思いを束ねて全市的な平和運動へと広げていく意欲が語り合われた。

 6月21~26日開催 国民巻き込む軍事挑発に警鐘

 はじめに原爆展を成功させる長崎の会の河邊聖子会長代行が挨拶した。「今年も暑さとともに原爆と戦争展の季節がやってきた。被爆した当時、家族で浦上駅に降り立った私の目の前では、人を乗せたままの電車が燃えさかっていた。母に連れられ、三歳の妹の手を引いて炎の中を歩いた。そして、母も姉も毎朝、大量の血を吐いて苦しみながら亡くなった。夫も体中に地図のような紫の斑点ができ、苦しんだ末に死んでいった。私もなにかあると“原爆のせいでは…”といわれることもあるが、負けるものかという思いでこれまで生きてきた。口先で核兵器廃絶を唱えながら、政治はおかしな方向へと進んでいる。原爆については広島と長崎の人が声を大にして伝えなければならない。“知らなかった”では済まされない。原爆の被害に終わりがなく、線引きもできないことを被爆者はよく知っている。そのためにも皆さんが心を一つにして、手を組んで頑張りましょう」と呼びかけた。
 次に共催団体として、原爆展を成功させる広島の会の高橋匡会長、下関原爆被害者の会の大松妙子会長のメッセージが読み上げられた。
 高橋氏は、先月、廿日市市で開催した原爆と戦争展の特徴として「朝鮮半島をめぐってきな臭い戦争の空気が漂うなかで、国民の安全よりもアメリカに同調することを優先して先走る安倍政府への批判が多くの参観者から語られた。72年前の痛恨の歴史を顧みることもなく、まるで戦争を歓迎するかのような日本政府の態度に多くの広島市民が憤りを抱えている。なによりも私たち被爆者は、この身を通じて体験した原爆のあるがままの実相を次世代に伝えていくという第一目標を果たさなければならない。反戦・反核の思いを胸に被爆体験を後世に継承するとりくみに全力を挙げていきたい」と連帯の言葉を贈った。
 大松氏は、「体験者は高齢化しているが、今真実を伝えることの大切さをひしひしと感じる。現在、戦争を知らず、本当の平和を知らない世代が多くなってきた。国の欺瞞を信じ、お国のため、日本を守るために尊い命を失った多くの若い人たちの供養のためにも、戦争の愚かさを伝えることが生き残った私たちの使命だ。日本全土を廃虚にされ、唯一の被爆国の日本でありながら、核兵器禁止条約への不参加など、総理以下、日本人としての誇りを持たず、自分の栄誉と欲望しかない政治家たち。いったいどこの政府でしょうか」「国民が一致団結して原爆と戦争展を成功させることが平和の源だ。お互い手を携えて頑張りましょう」と、ともに団結する思いを寄せた。
 原爆展事務局が展示会の概要ととりくみの経過を報告した後、参加者の討議に移った。
 事務局は、2005年の長崎西洋館での第1回展以来12年にわたって毎年開催されてきた原爆展への市民からの協力は年年広がっていること、特に今年は、朝鮮半島をめぐる軍事挑発が激化し、米軍の前線基地を抱える日本列島を巻き込んで戦争の危機が煽られ、国内では安保法制につづき、教育現場での教育勅語や銃剣道の推奨、戦前の治安維持法を想起させるテロ等防止法(共謀罪)まで、圧倒的な反対世論を無視して強行採決をくり返す動きに対し「“アメリカの核の傘”の名の下で、320万人もの犠牲への痛みも反省もなく、再び後戻りのできない戦禍へと国民を導くような動きを許すわけにはいかない」「被爆地の面目にかけて、核戦争を食い止める力強い平和運動を起こさなければいけない」との被爆地の市民世論が高まっていることを報告。現在までに被爆者、戦争体験者、被爆2世、自治会、商店主、老人クラブ、医師、寺、大学教員、学生など約90名の市民から賛同協力が寄せられていることも報告した。
 12歳の時に伊良林で被爆した八四歳の婦人は、長崎大学病院に勤めていた姉が原爆で即死し、その後、父母、姉も亡くなり、弟が全身のガンに侵されていることを明かした。「姉のお骨を拾いに長崎大学医学部へいくと、校舎は焼け焦げて周囲の骨もすべて真っ白な灰になっていた。手で拾うとボロボロと崩れ落ちた。仕方がないので、姉の勤務先だったヨード係付近にあった骨を持って帰った。そのとき連れて行った弟も全身にガンが広がり、いまは放射線治療で苦しんでいる。あと何年生きられるかわからない。少しずつでも協力し合っていきたい」とのべた。師範学校で被爆した父親が持ち帰った陸軍で使用していたアルミ製の皿を持参し、当時の生活を伝える資料として、原爆展に提供することを申し出るとともに、被爆当時の体験をうたった詩句を披露したいと意欲をのべた。
 戦争遺児の女性は、「五歳の時に原爆が落とされ、母の実家の島原から長崎の空に原子雲が湧き上がっていた。長崎市内に戻ると浦上川には死体がいっぱい浮いていたのを覚えている。同級生の祖父母や親たちが亡くなっていくのを身近に知り、子ども心に“なぜこんなことが起きているのか”と思っていた。原爆が原因だと知ったのは後のことだ。ビルマに出征していた父が、マラリアに感染して復員2年後に亡くなり、母と一緒に貧乏生活を這い回るようにして戦後を生きてきた。当時は、戦争反対という声を上げることはできなかったが、いまはこのように声を上げていくことができる。だが頭のいい政治家がたくさんいるのに何一つ抑止力になっていないことに腹が煮える思いがある。こうして平和運動の一員として活動できることを誇りに思っている」とのべた。
 被爆2世の男性は、「城山に住んでいるが、自宅周辺は火の海だったと聞いている。松山の爆心地付近にも被爆前は商店街があったが原爆で壊滅している。観光客や修学旅行生もそのことは知らず、このままでは歴史が消されてしまうのではないかと感じている。現在、北朝鮮とトランプとのミサイル挑発合戦がひどくなり、その一部は日本の在日米軍基地に向けられているという。話し合いで解決するという当たり前のことがされず、軍事力で決着を付ける動きになれば日本も確実に戦場になる。被爆地でもあり、国際交流で成り立ってきた長崎は、二度と戦争をくり返させないために世界に意見を発していかなければいけない」とのべた。
 70代の婦人は「戦争中は疎開していたので実際の原爆については知らないが、父の親友から被爆当時の体験を聞き、その体験を書いた本を原爆展に提供した。国の動きを見ていると、子どもや孫の将来に強い不安を感じる。最近では、長崎市内上空をオスプレイが飛んだり、軍用ヘリが夜間に騒がしく飛んでいることさえある。戦争を食い止めるために少しでも力になりたい」と、会期中はスタッフとして参加する意欲をのべた。
 論議のなかでは、「原爆展を参観したことのある人から、すれ違いざまに“原爆展はいつやるのか?”と声をかけられた。知っている人はみんな期待している」「毎年、小中学生や高校生を連れてくる親たちがいるのがうれしい。学校などを通じて学生生徒にたくさん来てもらえるように交渉していきたい」「地域の自治会にもポスター掲示を呼びかけたい」と意気込みが語られ、これから1カ月かけて全市に宣伝を広げていくことを確認して会を閉じた。

 第13回長崎「原爆と戦争展」の要項
 日時 6月21日(水)~26日(月) 午前10時~午後7時(最終日は5時)まで
 会場 長崎市民会館・展示ホール(地下1階)
 展示内容 パネル「第二次世界大戦の真実」「原爆と峠三吉の詩」「全国空襲の記録」「沖縄         戦の真実」「語れなかった東京大空襲の真実」、長崎市内の被爆遺構と慰霊碑         の紹介、長崎復興の記録、被爆資料、体験記 被爆・戦争体験を語るコーナー
 主催 原爆展を成功させる長崎の会 下関原爆展事務局(下関原爆被害者の会、原爆展を     成功させる広島の会)
 後援 長崎県、長崎市
 入場無料


 

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