トップページへ戻る

核戦争阻止の力全国で組織
原水爆禁止全国実行委
            沸騰する独立世論8・6へ合流    2012年4月9日付
 
 原水爆禁止全国実行委員会は8日、下関市内で全国会議を開き、今年の8・6を頂点とした原水爆禁止運動の基本方向について論議した。会議には、山口県内をはじめ全国各地の活動家、教師、劇団はぐるま座団員などが参加し、この間の活動の成果と教訓を明らかにし、今年の運動をさらに飛躍させる課題について討議。東日本大震災と福島原発事故から一年たった全国的な疲弊のなかで、消費税増税やTPPの強行などの売国政治、さらに米軍再編による全土を巻き込んだ軍事体制づくりに拍車がかかるなかで、急速に転換してきた大衆世論と深く切り結び、第一級の課題である原水禁運動の発展に向けて全国的に政治勢力を組織していくことが呼びかけられた。
 
 教育・文化など各戦線で発展

 はじめに事務局の川村なおみ氏が基調を提起した。
 そのなかで、原水禁運動の発展とともに原爆展運動をはじめ、文化・芸術、教育、市民運動などの各戦線分野で力強く運動が発展しており、その成果を土台とした新しい平和勢力を全国的に広げる基盤が成熟していることを確認。また、「アジア重視」にシフトした米軍再編計画の要として米軍岩国基地の増強にともなって被爆地・広島を含めた周辺一帯を核基地にする策動、中国や「北朝鮮」敵視による緊張の激化、日本を廃虚にさせる原発再稼働、TPP強行によるアメリカへの富の売り飛ばしなど日本社会を全面的に崩壊させる動きが加速するなかで、戦後社会を根本から見直し、独立し平和で繁栄した日本への変革を望む世論が全国的にわき起こっていることを明らかにした。
 そして、1950年8月6日に原水爆禁止運動の端緒を切り拓いた路線に学び、広範な人人と固く結びついて、被爆者や戦争体験者の新鮮な怒りを共有し、アメリカの犯罪性を正面から暴き、各界各層の運動を新たな原水爆戦争を阻止する大運動へ合流させることを呼びかけた。

 米基地撤去へ鋭い意識 広島、沖縄、岩国

 討議では、はじめに各地のとりくみの様子が報告された。
 広島では、昨年末から広島市南区図書館、廿日市で原爆と戦争展を開催。被爆者をはじめ現役世代や大学生のとりくみへの姿勢が一層力強くなっており、とくに、米軍再編計画の見直しにより隣接する岩国基地への海兵隊移駐計画、それに伴う軍事道路網の整備などに対する関心は高く、どの会場でも「いつ戦争が始まってもおかしくない」と切迫感をもって語られていることを報告。「米軍はトモダチではないし、これと決別しなければ日本の将来はない」「原発事故も戦後60年間、被爆体験を無視し続けてきた結果だ」という歴史的な怒りが各地で噴出していること、毎月2回平和公園で学生を主体におこなっている街頭原爆展のとりくみにも力がこもっていることが紹介された。
 沖縄の活動家からは、10年間継続してきた原爆と戦争展の運動とともに、それを舞台化した劇団はぐるま座の『原爆展物語』公演の反響の大きさ、その影響が全県的に広がって発展してきた様子が報告された。
 「今年は沖縄復帰40周年にもあたり、本土と沖縄の団結とアメリカ支配からの脱却という復帰斗争以来の歴史的なスローガンが前面に出てきている。ある自治体職員は、沖縄戦パネルをじっくり読んで“アメリカが沖縄をつぶし、天皇が売り飛ばした。アメリカが恐れているのは、全県民が復帰前のように立ちあがってたたかうことだし、沖縄が立ちあがることが全国を揺るがすんだ”と熱を込めて語っていた。基地労働者や文化人からも“全国と団結することで、アメリカへの隷属を断ち切ることができる”と強調されている」とのべた。
 また、市役所や公民館をはじめ原爆展の全会場で「アメリカは核も基地も持って帰れ!」のスローガンを掲示してきたところ、クレームは一度もなく、多くの人が「この通りだ!」「これが一番いいたい」と指を指して共感し、県民の定着した世論になっていること、一方で、マスコミや革新系議員らの「県外移転」「沖縄の痛みを分かち合え」のキャンペーンは県民に根のない欺瞞でしかなく、そのことが県知事選での革新系候補の落選にも表れていると指摘。
 「大衆を蔑視する潮流はますます大衆不信に陥っていくが、原爆展運動は沖縄県民の歴史的な経験に基づいた基地撤去の斗争と生き生きと結びついており、こちらが全県民の意識を代表してやっていけば必ず発展していく趨勢にある」と確信をのべた。
 岩国の活動家は、今年に入って沖縄からの海兵隊1500人の移転計画、垂直離着陸機オスプレイの先行配備、愛宕山の米軍住宅用地としての売却、基地を中心とした道路網整備などが着着と進められるなかで「市民の中では、このままでは岩国は米軍の町にされるという意識とともに、あらゆる政治勢力が口先では“反対”を唱えながら親米で一致していることへの不信が強い。市長選に票割り候補を立てた“日共”集団は、市民の総スカンを受けてわずか2000票しかとれなかった。そのなかで市民は信頼できる勢力を求めており、全県、全国と連帯し、独立と平和に向けた運動路線の整頓と組織の強化が迫られている」とさらに運動を発展させていく上での課題をのべた。

 大衆自身の運動で熱気 『原爆展物語』公演も

 劇団はぐるま座の青年団員は、『原爆展物語』の全国公演の反響を生き生きと紹介。
 「大阪公演では、エピローグ場面の“10年の原爆展運動で様変わりになった”“死んだものの命が帰らないのなら、死なないためのたたかいを命がけでやらなければいけない”の台詞に会場から“そうだ!”と威勢よく掛け声が飛んでくるなど、舞台と客席の垣根を越えて熱気のこもった交流になっている。労働者からは“労働運動の見方が変わった”とも語られ、峠三吉の時期の運動に代表される私心なく大衆のなかに入り、真実を明らかにして、その力を束ねていく運動の魅力と、そんな勢力が全国的につながっていけば必ず独立、平和の日本社会を作れるんだという感動が返ってくる。公演を通じて、個個バラバラではなく、一人一人が結束していくことや、この運動に自分たちも加わっていきたいという流れが各地で出ている」と反響をのべた。
 愛知県の活動家は、10年間、原爆展運動を継続するなかで、「はじめは10枚貼るのが葛藤だったポスター貼りもいまでは100枚貼るのがあたりまえになった。賛同者も100人を超えた。それまで原爆の運動は、特定の政治的集団がやる偏った活動という見方が強かったが、こちらの側がそういう活動だったという反省がある。一人一人の大衆の体験を聞けば、歴史的にものすごい経験をしており、現代社会においてその決着を求めている。その大衆の思いとかみあって、あらゆる圧力をはねのけていけば必ず発展するということだ」と教訓を振り返った。
 また、「下関の被爆者が“なぜ長周新聞が被爆者の会を支援するのか”という疑問をもっていたところから、“だれはばからず被爆体験を語れるようになった”と感謝の思いを書いていたが、そこに核心がある。大衆の中にこそ力があり、その巨大な力を活動家がはっきりと見ているかどうかの問題だ」と指摘した。
 山口県の男性教師は、昨年の8・6集会以後の人民教育集会、礒永秀雄詩祭が、「だれもが安心して参加でき、みんなが喜ぶ集会となり、大衆が立ちあがる運動」へと発展してきたことを強調し、そのうえで「自分のためか、大衆のためか」の違いを鮮明にして実践することの重要性をのべた。
 地域の原爆展運動でも、「自分たちの目先の都合のために利用するというのではなく、大衆の願いに学び、大衆自身の運動としてとりくんでいけば、大衆からどんどん構想が示され、学校やPTAを巻き込んで、自分たちで賛同者の呼びかけや、子どもへの読み聞かせをやろうという動きになって広がっている」ととりくみの熱気を報告。
 「教師集団の中でも、昨年来、大衆に責任を持たず、片隅で文句だけいう組合主義と斗争することで発展してきた。大震災以後、子どもたちは“みんなのために力をあわせる”という時代意識をもって集団的に成長している。教師集団は、この勤労人民の意識に学び、社会の汚濁に負けることなく、正義感をもって生きていく子どもを育てるという使命をもって、妥協することなく、鉄棒、縄跳び、ピラミッドなどさまざまな実践をやってきた。勤労人民の資質をもった後継ぎの成長は、親たちから非常に歓迎され、その後の運動の発展の大きな力になっている。これを八・六に向けた大きな運動の流れに合流させていきたい」と強調した。
 下関市民の会からは、「30万市民の利益を代表するという市民の会が、その後、一部の小集団の不平不満をいいあう会になり、人が寄りつかなくなっていた状況から斗争し、新しい運動のなかでゴミ袋値上げ反対の10万人署名、満珠荘閉鎖反対の運動が発展して再建されていった。市民の生活を基盤にして、さまざまな問題をとり上げていくことでみんなの願いに奉仕する集団となってきたし、これからも市民の切実な怒りを代表してやっていきたい」と決意が語られた。

 苦難の根源との対決へ 傍観的立場は阻害物

 とりくみを通じた反響の大きさと教訓が明らかにされるなかで、運動の停滞をもたらしている一部の潮流として、大衆に責任を持たない非実践、大衆の力に確信がなく、情勢に対し傍観的な日和見主義の流れがあることが指摘された。
 「大衆の世論は、全国的な政治斗争が起こってくる情勢をあらわしている。“このままいけば日本はつぶれる、立て直さなければいけない”と全国各地で語られている。そのなかで原爆展運動が響くのは、第二次大戦と戦後の経験を通じて、日本人民をこれほど困難にさせている根源はなにかを明らかにしているからだ。つまり、平和の敵はだれか、団結する友はだれかという問題が大衆の実体験に基づいた論議となって発展してきた。同時に、それを覆い隠してきた修正主義や社民潮流、さまざまなインチキの暴露を通じて、大衆自身の運動として発展してきた」「教育運動は子どもに対する責任に真正面から向き合って発展してきたが、大衆への責任と無関係のところで好きなことをいっているのでは話にならない。体制内で安住して傍観している状況では、情勢の圏外にとり残されていくことを自覚しなければいけない」と論議された。
 また、「教育運動の発展は、あらゆる形で垂れ流される個人主義とたたかって、みんなのために奉仕する労働者の思想を勝たせていくという鋭い斗争だった。それは労働運動だし、勤労人民のイデオロギーの正しさを証明した」「あらゆる政治勢力が裏切るなかで、大衆の願いを代表して戦争を押しとどめるのは50年8・6路線しかない。大衆の苦難に心を寄せて、全市民を対象にした運動をやっていけば一人でも運動をつくっていける」と論議された。そして「大衆を組織していく課題は、もっと真剣に大衆に学ぶということが問われている」(富山)、「原爆展運動は現代を変えていく力にするために大衆はとりくんでいる。対米従属の社会の枠内に安住して、現実の外に机をおいて評論するという小集団的な路線と斗争することで大衆との結びつきが深まっていった」(はぐるま座)など、変革を求めて躍動する大衆の立場に立つことの必要性が強調された。
 最後に、この教訓にたって各地での活動を発展させ、今年の八・六を頂点とした原水禁運動に大合流させていくことを確認し散会した。

トップページへ戻る