トップページへ戻る

核戦争阻止する運動建設へ
原水爆禁止全国実行委員会
                8・6広島集会への課題     2005年7月12日付
 
 原水爆禁止全国実行委員会が10日午後1時から、下関市のからと会館で開催された。討議では、長崎原爆展の大成功まで来た運動の到達に立って、峠三吉の時期の原点に立ち返って発展させてきた運動路線への確信を強めるとともに、戦後60年たった今日、原水爆戦争の切迫とあわせて、広範な人人のあいだで、問題意識と憤激がかつてなく高まっていることが浮き彫りにされた。実行委員会は、こうした情勢にこたえる活動へと飛躍発展させるうえでの教訓、課題を活発に論議。アメリカに謝罪を求め、原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止を求める国民的規模の運動を思いきって発展させるために奮斗し、それを八・六広島集会に結集し、原水爆戦争を押し止める大運動の契機とすることを誓いあった。

 核廃絶の力を広島に結集
 はじめに平野照美事務局長が、4月の実行委員会以後の活動を報告。「長崎原爆展の成功まで来て、また、各地のとりくみのなかで、広範な大衆のなかで大きな意識の変化が起こっていることがはっきりした」とのべ、アメリカの核独占と中国、朝鮮への原爆使用の策動、小泉政府の日本を戦場に差し出そうとする対応への激しい怒りが全国的に渦巻くなかで、それを束ねて「核廃絶の力を広島に大結集しよう」と訴えた。
 そのうえで、1950年の8・6平和斗争の路線に確信を持ち、@原爆で殺された地下からの叫び、生き残った人人の新鮮な怒りを共有することを出発点にすること、A「戦争を終結させるためであった」という欺まんを一掃して、アメリカの原爆投下の犯罪性をあいまいさなく暴露し、被爆者のほんとうの思いを抑圧しているものをとり除く、B原爆投下者アメリカが謝罪するどころか、ふたたび原爆を使用しようとしていることを断じて許さない、C平和運動の装いで運動をねじ曲げ、変質させてきたあらゆるインチキ潮流を暴露し、一線を画す、D力のある運動をつくっていくためには、労働者を中心に青年、婦人、農漁民、商工業者、勤労人民、文化・知識人、教師などすべての人民各層が団結して、原水爆戦争を阻止しうる力を結集しなければならない――の5点にわたって問題を提起した。
   
 全国で新しい息吹 戦後60年振り返り
 討議では、長崎原爆展をはじめ、この間各地でとりくまれてきた原爆展や「アメリカに謝罪を求めるアピール」による街頭や職場学校、社宅などでの宣伝・署名活動をつうじた論議、沖縄、岩国など米軍基地再編とかかわった地域の人人の深い思いなどの報告があいつぎ、いたるところで戦後60年をふり返った問題意識と憤激が渦巻いていることが浮き彫りにされた。
 長崎原爆展を担ったスタッフは、「長崎原爆展は長崎の被爆市民が長期の抑圧を破って体験を語る場となり、大成功した。200人の被爆者が激しい怒りを語っていった。ひきつづき広島、長崎、下関の交流をすすめていくことを確認しあっている」と報告。また、「原爆投下の目的や“沖縄戦の真実”のパネルの“戦争終結のためには必要なかった”ことに引きつけられる人が多かった」こと、「加害論などインチキ路線には力がなく、これと正面からたたかうことで怒りが発揚された」とのべた。
 長崎で原爆展キャラバン活動をすすめてきたはぐるま座団員は、「60年間“祈りの長崎”を売りものにして市民を抑えつけてきたが、50年8・6路線が支持を受け、うっ積した思いが激しく語られた。被爆者は個人の思いではなく、二度と原爆を使わせない方向で語らねばならないと確信を深めている」と語った。
 広島市民原爆展をとりくむ活動家は、「広島の会でも長崎を訪れて交流するなかで、“長崎も思いは同じでまるで兄弟姉妹のようだ。原爆を受けたのは広島と長崎しかないのだから、一致協力していけばそうとうなことができる。広島市民原爆展でも長崎、全国の被爆者と交流しよう”と語りあっている」ことを紹介。被爆者が学校で体験を語るとき、原爆正当化論を正面から批判し、「原爆投下は必要なかった」ことをはっきり語るなど、これまでの広島の平和教育の局面を変えていることも報告した。
 下関原爆被害者の会からは「下関からはじめた運動は広島、長崎を問わず、ほんとうの思いを代表するものだ。いまから長崎の運動を励ましていこうと、実感を持って語られている」こと、またNPT再検討会議をめぐって、「60年たってアメリカほどよその国を苦しめる国はない。それに日本がくっついていることに腹が立つ。いまこそ被爆体験を語らねばならない」などの論議が活発にされていることも報告された。
 討議は、長崎原爆展を成功させた教訓とかかわって、「長崎ではキリストを使って、“召されて妻は天国へ”などと、原爆を落とした側が救世主とされ、落とされた側が犯罪者みたいにあつかわれてきた。その分かれ道は50年8・6だった。アメリカの原爆投下が国家的犯罪だということを正面から明らかにした」「成功させるうえで、広島と下関の被爆者が主体となって“広島の原点”を伝えること、そして山口県からのべ300人の活動家が入って大量の宣伝をした。このなかで峠三吉の“すべての声は訴える”を掲載した長周新聞号外4万枚、さらにとりくみの節目で、“教会は少数派”であることを明らかにした原爆展キャラバン隊座談会の紙面を配布し、長崎市民の怒りがさらに発揚された」などの意見が出された。
 さらに、「アメリカの原爆投下正当化の拠点とされていた長崎をひっくり返して、広島と長崎が結びついていけば、核廃絶にむけたすごい力になる。1950年8・6の路線に立って、大衆の怒りを代表し、アメリカを暴露してこそ、ほんとうの力を結集できる。キリスト教や原水禁、原水協の指導路線などは、力がないことがはっきりした。権力やマスコミでとりあげられるだけだ」などの意見も出された。
   
 米国への怒り噴出 米軍大増強も重ね
 沖縄の活動家は、「戦後60年で、沖縄でもイデオロギー斗争が激化している。マスコミは、チビチリガマが沖縄戦の典型だといって、集団自決を命じた皇民化教育が一番問題だというキャンペーンをはっている」こと、それにたいして、「原爆も沖縄も戦争を終わらせるのに必要はなかった。アメリカの目的はなんだったのか。天皇や支配階級の裏切りはとんでもないことだ」という論議が発展しており、学校や地域で原爆展が求められ、問いあわせがあいついでいることを紹介。「米軍基地再編の問題でも、普天間基地の嘉手納基地統合をめぐって、マスコミがどこに移転するかや本土との負担分担などに焦点があるかのようにふりまくなかで、核基地化の問題を正面から暴露していくことが必要だ」と発言した。
 岩国の活動家は、「原爆展のとりくみや岩国基地の核攻撃基地化に反対する宣伝活動をつうじて、市民の意識の大きな変化を感じている」と発言。「戦後60年の問題として、岩国空襲の問題や、ベトナム、イラク戦争とあわせて、アメリカがなぜ原爆を落としたかが論議になっている。小学校からも原爆展をやって被爆者の話を聞きたいという要請が来ている」「広島湾一帯の議会での厚木基地移転反対の決議があいついでいるが、第2次世界大戦以来の仇をうちたいという流れがある。情勢は燃え上がっていくすう勢にある」と報告した。
 また、こうした情勢とはかけ離れたところで、「原水禁や原水協の統一問題が大きく見える」「アメリカへの怒りがわかないという活動家がいる」など、平和運動内部にある阻害要因についても論議が発展、そのような潮流が社会全体のことには関心がなく、自分のちっぽけな利益だけを追い求める「経済主義、組合主義のなれのはて」であり、そのようなものと断固として一線を画すことが重要だと論議された。
 これとかかわって、「大衆の意識は目前の利益がどうこうではなく、きわめて戦略的だ。第2次世界大戦でなぜあんな目にあったのか、なぜこんなデタラメな社会になったのかを考えている。また、現実の原水爆戦争の動きへの切迫感がある。活動家がそうなっていないのなら、だれからも見むきもされない。労働者が全人民的政治課題を第一義的にたたかわねばならないという、50年8・6当時の方向こそ、大多数の人民を結集することができる。“大衆的”ということは主張を薄めることではない」との発言もあった。
 また、「岩国周辺と広島県での反対の動きは、峠三吉の原爆展がくり返し、広くやられてきたことと関係がある。天皇が突然サイパンを訪問したのも、われわれの運動の発展と無関係ではない」など、50年8・6の路線を継承する努力をつうじて日本の平和運動の主勢力として発展してきた運動を小さく見る観点への批判意見も出された。
 実行委員会では、労働者を中心に各界の広範な人人のなかで、アメリカに謝罪を求める広島アピールによる署名、カンパ活動をいちだんと強め、広島市民原爆展をつうじて、広島・長崎、沖縄、岩国周辺、東京にいたる全国的な大交流を実現し、8・6広島集会に各界の平和の力を大結集するために奮斗することを確認した。

トップページへ戻る