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新自由主義の世界的矛盾噴出 ⑩~⑭
――それをいかに解決するか――     
     埼玉大学名誉教授 鎌 倉 孝 夫
 
(この項前号より)

③TPP―それをめぐる動向・意図

 第三に、人間の生活・生命に直接関わる分野が、資本による金儲けの場になることが問題の根源にある、ということである。しかも今日の資本は(次項で明確にするが)多国籍金融資本である。
 資本の目的は金儲けにある。可能な限りコストを低くし、生産する生産物を増やし、大量に販売して利潤拡大=価値増殖を実現する。人間生活の充実・向上という有用性を基準とした商品生産ではなく、いかに価値増殖を実現するかが基準・行動原理となる。雇用される労働者・農業労働者は、生産の主体ではなく金儲けを目的する資本に支配され、その目的に従ってしか労働しえない。資本は、コスト切下げ=低賃金、そして生産量増大・販売量増大目的で労働者を労働させるので、長時間、ハードな労働が強要される。成長ホルモン剤、GM食品、添加物づけ生産物の生産・販売拡大はこのような資本の要求によってもたらされた。
 『長周新聞』(上掲④)は、アメリカでの農業分野の多国籍資本の実態を明らかにしている。
 養鶏業では、1950年個人農業経営が95%を占めていたが、70年代終りごろから株式会社経営が急増し、巨大企業4社が全米養鶏生産の60%を支配している。今や生産者の98%が親会社である大企業と契約した契約生産者となっている。この四大養鶏企業は、タイソンフーズ、ブラジルJBS、ベルデュ、サンダーソンである。これら親企業は、飼料、種鶏、と畜・加工、流通といった関連業者を買収し、傘下に置いている。
 牛・豚も巨大企業が農家を下請労働者として搾り上げる構造ができ上っている。穀物もカーギルなど少数の巨大企業が支配している。農業生産は、低賃金で雇われるパート労働者によって行われ、家畜工場では、低賃金・無権利のメキシコ系移民労働者が雇われている。メキシコ系移民労働者はアメリカの農業労働者の八割を占めている。この30年間で30万軒の農家が消滅している。
 GMに関してみると、GM種子最大手は多国籍企業のモンサントが支配している。モンサント社はグリホサートを主成分とするランドアップという商品名の除草剤を、これに耐性を持つGM種子とセットで世界的に販売している。現在アメリカ国内で作付けされている大豆の九三%、トウモロコシの40%、テンサイの95%がGM食品である。アメリカ国内で販売されている食品、加工品の九割は原料にGM作物が使われている。
 流通分野では、レーガン政権下の独占禁止法の規制緩和を契機に、食料品販売分野でも買収統合が大規模に行われ、大手スーパー・ウォルマートが圧倒的に支配している。全米4740店舗を展開、純売上高約46兆円、世界各国に店舗を展開している。全米食品販売の5割から8~9割を、ウォルマート、クローガー、コストコ、ターゲットの四社が支配している。
 多国籍企業は、原材料も労働力も、世界中の国の中でもっとも安価、大量に手に入る地域から輸入する。――「〈自由貿易〉〈自由市場〉の最先端を走り、規制を緩和し続けたアメリカ社会が行き着いた先は、ごく少数の多国籍企業による市場や社会的機能を含めた独占支配、寡占状態であった」(『長周新聞』④)。
 多国籍資本の利潤獲得目的の自由な行動――それを保証するのが新自由主義政策であるが、その行動の自由には、利潤獲得の権利の法的保証が含まれる。上述したように、TPP協定には、新薬特許保護期間延長とか、著作権保護期間の延長が含まれる。企業の行動の自由ということからいえば、これらは競争の自由、参入の自由を制約することになるから、新自由主義に反する行為ということができる。しかし新自由主義の自由を、独占企業の利潤獲得の自由ととらえれば、市場独占さえ彼らの自由となる。独占、それは強者=独占企業の独占利潤獲得の権利の保証として、強者の自由、まさに勝手次第となる。
 その上にISDS条項に示されるように、多国籍独占企業の権利・利潤獲得の自由を法律によって保証させよう、というのである。今日の多国籍金融資本=今日の独占企業は、国家の財政・金融政策を彼らの利潤拡大目的に従わせ、各国の企業活動のルール・法を、彼らの行動―最大限の利潤拡大を目的とした行動のためのルール・法につくり変えようとしている。
 安倍政権が、TPP協定を批准し推進しようとするのは、アメリカの多国籍金融資本を模範とし、そのルール・行動規範を日本の多国籍金融資本自身のものにすることをめざしているからである。国民・労働者民衆の生活・生存・生命を犠牲にし、ひと握りの金融独占資本の利潤拡大を図ろうというのである。
 そこで、現代の経済の主役、新自由主義推進の主役   多国籍金融資本の本質を明らかにしよう。

 多国籍金融資本の本質 ・特徴

 はじめに ツイッターで動かされる企業

 「トヨタ自動車はメキシコのバハ・カリフォルニア州に新工場を建て、米国向けにカローラを生産すると言っている。あり得ない!(NO WAY!)米国に工場を建てろ。さもなければ高い関税を払え」―トランプ次期大統領のツイート(17年1月5日)。これに名ざしされた企業だけでなく、アメリカはじめ海外投資を行なっている多くの企業が即座に反応し、対応する動きを示している。名ざしされた企業の株価は動揺している。次期大統領に決まっているけれどもこの時点で何の権限ももっているわけではない者の、個人の感情を示しただけのつ・ぶ・や・き・に反応し動かされる企業、そして経済の現状。個人のつ・ぶ・や・き・――政権の意向でも議会で決まった政策でもない。そのつ・ぶ・や・き・が企業を動かし株価を動かす。動かした者は得意になるだろうが、こ・と・は個人間の問題ではない、社会に、国家に関わることである。この事態は、政治的観点からいえばまさに独裁ではないか。
 トヨタ自動車・豊田章男社長は、早速今後五年間でアメリカでの事業に100億㌦(約1兆1600億円)を投じる考えを表明した(17年一1月9日)。そしてトヨタは、「米国に10の製造工場を持ち、過去60年間で220億㌦投資し、1500の販売店と13万6000人の従業員を抱えている」とした。しかしメキシコでの生産は変更しないとしている。
 トランプ氏に名ざしされたフォード・モーターのマーク・フィールズCEOは、メキシコでの工場新設を撤回し、「トランプ氏の政策は米国の製造業にとってよりよい環境を生む」と発言している。
 トランプ氏の意向を受けて、さらに積極的に対米投資を増大させる企業も現われている。ソフトバンク(孫正義CEO)は、今後4年間で500億㌦の投資、5万人の雇用を創出させると発表。中国資本・アリババ(電子商取引大手、馬雲会長)は、「米中西部中心に100万の中小企業を創出・支援し、100万人の雇用を創出する」としている。欧米フィアト・クライスラー・オートモービルズ(FCA、セルジオ・マルキオーネCEO)も、米中西部の工場に10億㌦を投じて能力を増強し、2000人雇用を増やす、と発表した。
 しかし、米GM(メアリー・バーラCEO)は、「自動車生産は2~4年先を見据えて考えるもの。すでに米国内雇用には従来から尽くしてきている」とメキシコでの投資、生産は変更しない、としている。日産自動車(カルロス・ゴーン社長)、ホンダ自動車(八郷隆弘社長)も、メキシコ工場の生産・稼動は変更しない、としている。
 16年のメキシコ国内自動車生産の45%を米自動車ビッグ3が占めている。フォード・モーターはメキシコ生産車の九割超を米国に輸入している。低賃金・低コストでのメキシコ生産を、アメリカ国内生産に転換すれば、確実にコスト上昇―競争力低下をもたらす。
 トランプ政権が現実に打出す政策によって、事態がどう変動するかは、後述2で検討するが、ここではトランプ氏の発言が、実際に政策として実行されるかどうか分らない中で、企業の対応を現実にもたらすという今日の多国籍企業の性格を指摘しておきたい。
 実際トランプ氏の発言によって、確実に株価が変動する。株価変動は企業経営に現実に影響する。「この二カ月、アジア株はトランプ氏の言動に翻弄されてきた」。日経平均株価や米ダウ工業株30種平均が上昇した。アメリカの金利上昇予測で資金がアメリカに集中しドル高(円安)をもたらした。インフラ投資、国防支出増加の発言で関連業界企業の株価は上昇した。反面、ドル高・原油高で収益悪化予測のアジア航空会社、TPP離脱など通商政策変化による輸出減少予測のアジア企業の株価は下落した(『日本経済新聞』2017年1月17日)。トランプの発言―予測による株価変動―企業経営への現実の影響。企業経営が、明らかにツイッターの発信による株価の変動に翻弄されているのである。ここに今日の多国籍金融資本の特徴の一端が示されていることをとらえなければならない。この特徴はどこから生じるのか。 

 ①株式会社―所有と経営の一定の分離

 現在の資本家的大企業は、株式会社形態をとっている。何よりも株式会社の本質、特徴をとらえなければならない。
 個人企業、あるいは複数人の出資による企業は、投資(出資)した個人・何人かの個人が、企業経営―労働者を雇用し労働させモノ・サービスを生産・販売し、利潤を獲得する。出資者と企業の所有者が企業の経営者となっている。出資者=貨幣資本家と現実の経営者=価値形成・増殖を行う現実資本家は一体である。銀行等金融機関から資金を借入れることもあるが、資金貸付けを行う銀行等金融機関は現実資本の所有者・経営者にはならない。
 株式会社では、現実に経営を行う現実資本が発行する株式を、資金所有者が買う。資金所有者が、所有する資金を個人的消費用に支出する場合には、資金は資本にならない。貸付けて利子をとることもある(貸付資本になる)が、この場合は、現実資本の経営には関わらない。資金所有者が、現実資本の発行する株式を買う(現実資本に出資する)と、直接出資者として経営に関わることになる。しかし株式所有者(株主)自身が経営―現実資本の運動を行うとは限らない。
 現実資本の経営を行う資本家が、その経営の規模拡大(蓄積拡大)、あるいは生産性の上昇を図るための設備投資増大のため、株式を発行して、資金を調達する。これが株式会社形成の基本動因であった。株式(有価証券)は、株式会社の所有権―会社資本の持分に比例した所有(分有)権であり、同時にその会社が獲得・実現した利潤からの配当獲得権である。従来からの現実資本の所有者・経営者も、株式会社では株式所有者=出資者となる。株式を発行して調達した資金は、この株式会社自体の自己資金である(借入資金ではない)。現実資本としての株式会社は、株式発行で調達した資金によって、価値形成・増殖――利潤形成・獲得の運動を行う。
 株式会社の経営活動によって実現した利潤は、株式所有者(株主)に、配当として支払われる。しかしその期に実現された利潤が全部配当として支払われるわけではない。会社経営拡大(あるいは維持)のために内部留保(資本準備金等)される。あるいは経営活動(資本家的機能)を行う経営者への報酬(監督賃金)として使われる。経営活動によって利潤がえられなかったり、赤字(損失)が生じたりすれば、配当は支払われない(同時に株式価格は下落する―次項で)。
 従来、株式所有者(出資者)と現実資本としての株式会社の経営者が分離することが、株式会社の特徴として指摘されてきた。しかし、現実の株式会社経営は、株式所有者の意図・目的から独立して行われるのではない。株主は、配当獲得のため、さらに株価引上げによる売却益を求めて(次項)、経営活動に関わる。しかし現実には、株主中の大株主が、会社経営活動を支配する(支配株主となる)。株式会社が、従来からの個人(複数個人)資本家による資本調達・投資拡大のため形成・発展してきたのであり、これら資本家たちが、支配株主として会社経営の実権を握り、株式発行を通して社会的に分散している資金を自己資金として調達・活用するのが、株式会社の本来の姿である。中小株主は、資金の出資者・投資者としては、資本家の仲間に加わってはいるが、経営活動には現実に参加してはいない。(中小株主も株主総会で発言、提案を行うことができるが、支配株主の意向に合わない提案は拒否される。しかし総会での発言・提案は原則公開されるので、一株主運動などで、会社の反社会的、反労働者的経営等を告発することができるという点で一定の意味をもつ。)
 株式会社によって、資本所有者と、企業経営活動の担い手がたしかに分離するけれども、経営活動が、資本家的利潤形成・獲得目的から独立し、雇用される労働者全体の利益目的の経営に転換される(転換しうる)とはいえない(バーナム『経営者革命』の幻想性)。所有による経営支配、むしろ所有による経営支配の効率拡大が、株式会社の本質なのである。

 ②資本の二重化―株式は「擬制資本」

 株式会社において、現実に価値形成・増殖を行っている資本は、現実資本―株式が払込んだ(株式を購入し資金を資本として投下した)資本で、事業を行う―労働者を雇い、労働させて価値形成・増殖を実現している資本である。商業資本も、産業資本の商品売買を専門的に担当し、売買期間の短縮・流通費用の縮小によって利潤を形成する(利潤のマイナスをミニマム化して利潤を増やす)現実資本であり、銀行資本(銀行業を運営する資本)も、産業資本・商業資本の運動から生じる遊休資金を集中しこれを産業資本(商業資本)に貸付けて利子を獲得する貸付資本運動を担う資本―それ自体は利潤を生む資本として、現実資本(利潤生み資本)に含まれる。
 これらの現実資本の運用する資本は、株式会社では、株式を一定価格で売って調達した資金によるものである。株式自体は、株式会社(結合資本)の「所有証書」であり、会社が生み出した利潤の「按分比例的な所有権」(マルクス『資本論』第3巻第29章)であって、株式自体が現実に価値(利潤)を生む資本ではない。しかしこの限りでの株式のとらえ方は、株式の固有価格―擬制資本としての特有の性格をとらえていない。
 株式は、一定の価格を持つ特殊な商品である。その価格は、会社に払込んだ現実の貨幣額を示すものでも、それによって決まるものではない。それとは別の価格をもつ。「擬制資本(Fiktives Kapital)の形成は資本還元(Kapitalisielung)と呼ばれる。すべて規制的に繰り返される収・入・は、平均利子率で計算されることによって、つまりこの利子率で貸し出される資本があげるはずの収益として計算されることによって…資本還元される。例えば年間収入が一〇〇で利子率が五%ならば、この100は2000の年利子となるであろう。そこで、この2000が年額100 〔収入〕 に対する法律上の所有権 〔株式〕 の資本価値とみなされる」(『資本論』同上)。
 ある資金所有者(貨幣資本所有者)が、株式会社に1000の資本を出資し(これが現実資本額である)、年10%の配当=100の配当を得るとすると、この100が「資本還元」されて形成される(収入を利子とみなし、利子を生む元本が擬制される)のが、株式価格なのである。この株式価格は、配当の変動とともに、資本還元の基準となる貸付利子率の変動によって左右される。この株式価格は、この額の資本があるものとみなされる(擬制される)のであって出資した現実資本の価値額とは、別もの、貸付けられた貨幣(資金)額とも別ものである。
 だから、株式を、会社の「所有証書」、配当請求権・「按分比例的な所有権」としてとらえる(この理解は現実資本規定にとどまる)だけでは、この株式の「擬制資本」としての特徴をとらえられないのである。しかも、株式所有者を、現実の価値を持つ貨幣(貨幣資本)所有者としてとらえる理解があるが、株式証券は商品であって(その価値は擬制によってあるものとみなされた擬制的価格であり、その使用価値は価値が増えること―投資額以上の価値を獲得することにある)、貨幣(貨幣資本)ではない。貨幣は一定の現実の価値がある(あるいは一定の現実の価値として通用する)のに対し、株式価格は需給によって変動するし、配当(果実)がえられなければゼロになる可能性がある。株式は、擬制的商品なのである。
 この擬制資本の形成によって「自分自身によって自分を価値増殖する自動体としての資本の観念が固められる」(『資本論』同上)。資金を現実資本に貸付けて利子を獲得する―これは現実資本運動に規定された資金貸借関係であって、そこからは「自分自身によって自分を価値増殖する自動体としての資本の観念」―価値増殖がその物自体の属性になるという観念はなお成立しない。物の所有自体が自動的に価値増殖するという資本自体の物化――これこそ資本の最高の発展形態なのであるが――これは現実資本では形成されず、擬制資本によってはじめて形成されることをとらえなければならない。
 株式会社の形成・発展においてとらえなければならないのは、資本が現実資本と擬制資本に二重化する、という特徴である。擬制資本は、貸付資本(利子生み資本)が現実具体化して形成されるのではない。ある収入(それは現実資本の利潤とは限らない。土地や家を貸付けて得る地代・家賃等々も含む)を、ある資本の生み出した利子とみなしその利子を生み出した元本が資本還元されて擬制された資本である。
 しかもこの擬制資本としての株式証券の取引・売買市場=証券・資本市場が、資金市場(銀行業資本による資金需給関係)とは別の独自の市場を形成し、株式・証券市場で、株式取引・売買による利得獲得を専業とする独特の商人資本が活動する(投資会社、ヘッジファンド等)。そこには投機が必然的に伴う。しかもこの株式証券市場で形成・変動する価格によって、現実資本の運動が左右されるまでになっている。
 今日の金融資本の特徴をとらえるには、何よりも、資本の二重化、とくに株式証券=擬制資本の特徴をとらえなければならない。

 ③擬制資本によって動かされる経済

 株式に代表される擬制資本、それはその価値の根拠を持っていないし、価値増殖(直接には配当取得)の根拠もない。利潤―その根拠は労働者の労働によって形成される剰余価値である―を生む現実資本の運動を根拠に成立するものでしかない。
 しかしこの非自立的で自分自身に存立根拠を持たない擬制資本が、いまやあたかも自立したかのように発展・膨張し、その価格の変動が企業の価値増殖運動を動かし、経済全体を(さらに国家・中央銀行の政策をも)動かすまでになっている。
 第一に、様々な収入が資本還元されて証券=擬制資本が形成される。
 ①企業の債務が証券化される(社債)。会社が借りた資金は一般的には一定の利子が支払われる。この利子が収入とみなされ、その収入が資本還元されてある価格をもった証券がつくられ、売買される。しかし社債は、確定利子を支払わなければならないので、株式を全部おきかえることはできない。利潤率は不断に変動するからである。②国家の借金も、国債として証券化され売買の対象となる。「国は借り入れた資本 〔資金〕 に対していくらかの額の利子を年々自分の債権者に支払わなければならない。…資本 〔資金〕 そのものは、国によって食い尽くされている。国の債権者が持っているものは、(1)例えば100というような、国の債務証書である。(2)この債務証書は債権者に、国の歳入すなわち年間租税収入に対するいくらかの金額、例えば5、または5%の請求権である。(3)彼はこの100の債務証書を任意に他の人々に売ることができる。利子率が5%で、そのための国の保証が前提されていれば、所有者Aはこの債務証書を通例100でBに売ることができる。…しかし、すべてこれらの場合には、国による支払いがその子(利子)とみなされる資本は、やはり幻想であり、擬制資本である」(『資本論』第3巻第29章)。「国債という資本ではマイナスが資本として現われる」(同上)。国債発行で手に入れた資金を国家は一般には消費してしまう。マイナスしか残らない。(いわゆる建設国債の場合にはインフラ設備に投資しそこから使用料を収入として得る―それを利子支払いに使いうる)。国債償還・利子支払の根拠は、国民からの税金取立てによるしかない。
 ③なおマルクスは、労働者の労働力は擬制資本化するのか、という問題を提起している。労働力を売った代金としての賃金が、利子とみなされ、労働力はこの利子を生む資本だと考えられる。「1年間の労賃が50で利子率が5%だとすると、1年間の労働力は1000という資本に等しいとみなされる」。しかしこれは「資本家的考えの狂気の沙汰」の「頂点」だ―この考えを妨げる「二つの事情が現われてくる。第一には、労働者はこの利子を手に入れるためには労働しなければならないこと 〔労働力を所有しているだけではダメ〕 であり、第二には、労働者は自分の労働力の資本価値を譲渡によって換金することはできないということ 〔奴隷ではない、ということ〕 である」。労働者は自分自身に属している労働力を自らの判断で売るのであって、自分自身(身ぐるみ)を他人に売るわけではない(自分自身を売ってしまえば、労働者は他人の持ちものになる。それを売った代金は労働者のものにはならない。労働者を奴隷として売った代金は奴隷所有者のものになる―労働者のものにはならない―のと同じことである。)
 ④それ自身自然物として、土地は価値を持っていない。しかし、資本主義経済では、土地は耕作者=農業労働者から切り離され、一定の価格を持つ商品として売買される。ここでも土地を貸付けて得られる地代が、「ある想像的な資本」の利子とみなされ、資本還元されて土地価格が成立する。この土地価格は、擬制資本として、売買される(『資本論』第3巻第6篇緒論)。
 現在では、土地・住宅等不動産投資を投資家の資金を集めて行ない(信託)、そこから得られる収入、売却益を投資家に配当として支払う投資信託会社が成立し、その配当を証券化して売買するREITが成立・発展している。ここでは、投資・売買の対象としての不動産は、投機の対象となる。
 ⑤現在、様々な収入が、持続的にもたらされる場合、その収入をもたらす源泉が何であるかを問わず、その収入が資本還元されて一定の価格をもつ証券(擬制資本)として売買されている。実体経済に基づく収入の証券化=擬制資本化ではなく、それから遊離・自立化した証券=擬制資本が形成され、膨張している。
 08年のリーマンショックは、膨大な価値の根拠のない証券が取引され、その根拠のないことが現実に示されると一気にパニックに陥るという今日の経済・金融の特徴を示した。
 1980年代以降、アメリカから金融資産の証券化   住宅ローン債権の証券化をはじめ、自動車ローン、クレジットカード債券等、金融資産の証券化が始まり、増大した。ABS(資産担保証券、アセット・バックド・セキュリティ)、RMBS(住宅ローン債権担保証券)等の証券である。例えば、住宅ローン債権(住宅購入資金の貸付け)は、20~30年に亘って元金が貸付けられ、この間利子は得られるが、返済不能のリスクも生じる。そこでこの貸付資産を証券化して売り出せば、その売却で債権が現金化されるので、これをまた貸付けることができる(ローンの拡大)。証券を買った者は、金融資産から生じる収入、さらに資産価格上昇による利得を獲得できる。   こうして様々な貸付債権=金融資産が証券化され、取引されるようになった。GM自動車会社は傘下に自動車ローンを扱う金融子会社(GMAC)を設け、自動車ローン証券を売出した。これによってさらにローンを膨張させた。
 90年代以降、住宅ローンは、サブプライム層に広がった。サブプライム住宅ローン債権の証券化が増大した。借用力(返済能力)の低いこの層への住宅ローンの増大は、ローン拡大―住宅需要増大―住宅価格上昇という住宅バブル自体に基づいて、ローン返済が借り換えによって行いうるという状況の下で膨張した。しかし返済不能によるリスクを伴うサブプライムローンの証券化は、他のローン(自動車ローン、クレジットカード等)の証券化と組み合わせたCDO (Collateralized Debt Obligation・債務担保保証券)によって行われた。CDOは、資産を担保とする証券ではなく、証券(原証券)の上に作られた証券(証券化商品担保証券)である。いわば擬制をベースとした擬制資本である。
 これらの証券売出し・取引に、投資ファンドだけでなく、商業銀行(貸付業を本業とする)も、子会社(SIV)等を通して加わった。銀行業務と株式・証券業務の兼業を禁止したGS法(グラススティーガル法)が撤廃されたことによってこれが大々的に展開される。
 CDOが膨脹する中で、リスク回避・債権保証を行うモノライン(金融保証・保険会社)、CDS (Credit Default Swap、金融保証のデリバティブ)がつくられる。これはCDOなどを発行・運用している機関のリスクを回避するために、リスクが発現したとき損失を保証する(肩代りする)約束で保険料を受取るデリバティブ(金融派生商品)である。CDSの買い手は保証料を支払って損失発生したさいに生じる保証金を受取る権利(プロテクション)を買う。しかしどれだけの損失を蒙るかは全く不確定であってこのプロテクションは架空の想定でしかない(「想定元本」)。しかもこのCDSが、本来の金融保証目的から逸脱し、保証料―元本なしで金融収益を獲得することだけを目的とするCDSが開発され、膨脹した。CDSの売り手は、様々な企業や証券化商品を組合わせ損失保証を約束したCDSを売り出す。リスクだけがCDSを用いて移転する(シンセティックCDO)。原資産・原証券が発生させる損失(それ自体不定)保証ということだけで、金融デリバティブが組成され、売出される。倒産・損失の危険が大きければ、このデリバティブは高価格となるが、現実に倒産・損失が生じた時に損失額を保証することは不可能となるという深刻なリスクを招くものとなる。
 実体経済から全く遊離した擬制的証券が膨脹し、自己肥大化しているのである。
(つづく)

 


 

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