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“擬制”経済下の人間・人間関係の破壊 
         それをいかに克服するか
                                 鎌倉孝夫著
   第一章・擬制化・腐朽化する資本主義/資本の「物化」・人間の「物価」
   第二章・人間「労働」の破壊
   第三章・「生活」の破壊/人間・人間関係の破壊
   第四章・人間再生を求めて/まとめ
                                       
                発行 長周新聞社 B6判 168頁 定価500円


 経済学者・鎌倉孝夫氏(埼玉大学名誉教授)の著書『“擬制”経済下の人間・人間関係破壊――それをいかに克服するか』が長周新聞社から出版された。本紙の今年新年号から二八回にわたって連載した内容に、著者がその後の情勢の進展を踏まえて書き加えたものである。
 このたびの鎌倉氏の著作は『究極の“擬制”経済』(一九九九年)に続くもので、「第一章・擬制化・腐朽化する資本主義――資本の“物化”・人間の“物化”」「第二章・人間“労働”の破壊」「第三章・“生活”の破壊――人間・人間関係の破壊」「第四章・人間再生を求めて――まとめ」の四つの柱で構成。最終章には、昨年本紙に連載された論文から「社会主義原理の骨格」が付け加えられた。

 ワーキングプア原油高騰の背景          
 一九九〇年代から続く長期の不況のなかで、政府・マスコミが「財政難」「効率化」「自己負担」などと騒ぎ、生活の各分野にわたって「規制緩和」「規制改革」が鳴り物入りで進行した。その結果生み出されたものは大量の失業とワーキングプアの発生、労働現場での非人間的奴隷的な扱い、農漁業の村ごとの荒廃と食料自給率の低下、教育・医療の崩壊と福祉の切り捨て、少子化など生活基盤からの根こそぎ破壊であった。若者も老人も子どもたちも、男も女も安心してまっとうな生活を送ることができなくなっている。
 そうしたなかで、石油・穀物の価格が国際的な投機と連動して上昇し、ガソリン・食料品など生活必需品の高騰が覆いかぶさってきた。こうした状況は、アメリカのサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)の破たんを契機にした深刻な金融危機と重なって進行しているように、生産活動に根ざした実体経済からかけ離れた投機的な経済活動(擬制経済)が破たんしたなかでの、きわめて今日的な特徴を示している。
 本書は、こうした現状を豊富なデータを踏まえて把握し、その科学的な解明に正面からとりくみ、そこからの脱却・解放の方向を提起するものである。
 著者は「今日の産業・金融は、人間、人間関係の破壊によってしか維持・発展しえなくなっている。社会の本来の生存・発展の主体である人間・労働者を生かしえず、生存を破壊することによってしか発展しえないというのは一体何を意味するのか。そしてそれをもたらしている根元は何なのか」と問いかけ、資本主義制度の歴史的な到達段階を浮き彫りにしている。

 人間破壊によって発展する経済          
 米ソ二極構造の崩壊後、資本主義・帝国主義が「新自由主義」を掲げてその本質をむき出しにし、「弱肉強食の競争を通した利潤原理を徹底的に追求し推進した」が、それにもとづく矛盾は全世界的規模で噴出した。著者は「財政難」や「賃金コストの上昇」などの宣伝がいかに欺まんに満ちたものであるかを、アメリカの戦争経済と深く関連した対米従属下の日本の軍需産業(民衆の生活に役に立たない典型的な虚業)を軸にした政府、官僚、財界の癒(ゆ)着との関連で展開している。
 国家が「人間が人間として生きること、万人に生きる権利を保障すること」は当然のことである。そして、「その根本は、衣食住の充足であり、教育、医療、保健・福祉の充足」であり、「本来人間生活にとって不可欠な住宅は、どんなに貧しい人にも保障されなければならない」。
 だが今日では、ローン支払いが困難になった低所得者は、強制的に住む家を奪われてしまう。サブプライムローン問題は国家が当然の責任を放棄し、「自己責任」にまかせ、しかも「銀行・金融機関、住宅産業の利潤(利子)獲得の場にしてしまった」ことの帰結であり、「擬制経済化の対極にあるものは、人間の生活破壊である」ことを赤裸裸に暴露した。
 本書では商品の使用価値ではなく、剰余価値のみを追い求める資本の運動法則を明確にしたうえで、資本が本来の拡大再生産を通じて機能せず、株式・証券化により投機の対象として「物化」することの対極で、人間の「労働」が社会的有用性を見失い「物化」することを明らかにし、「資本・擬制資本の本質の発揮が徹底すれば、人間・人間関係、つまり人間社会は解体する所にまでいたる」ことを強調している。
 また、こうした観点から、現在の派遣労働、非正規雇用のもとで労働者が奴隷的状況に置かれている状況の本質を明らかにしている。それは、企業における派遣労働者を受け入れる部門が「人事部」ではなく「調達部」や「工務部」であることに端的に暴露されている。派遣会社は「人間部品の補給装置」として機能しているのである。それは正規労働者も同様である。疲労が重なり、技術訓練・新技術取得が困難となるばかりか、自主的判断力、企画・想像力を失う状況が生じており、人間的労働が喪失している。
 著者はこうしたことは、日本社会がすでに社会発展の根源を失いつつあるきわめて腐朽した資本主義段階にあり、それが「もはやその体制内の改良とか、“よりまし”な資本主義というような体制の枠組みの下では、人間が人間として生きられないまでになっている」という認識の根拠であることを明確にしている。そして、この矛盾の根本的な解決は社会主義でしかないことを鮮明に提起し、「いまこそ社会の現実の主体を、資本から労働者に転換させなければならない」と強調している。

 協力・共同こそ労働現場の倫理   
 著者はここで、「資本は、労働者の労働なくしては存立出来ないのに対し、労働者にとっては資本は必要でない。資本が存在しなくとも(むしろ存在しない方が)社会存立に必要な労働を行い、社会を存立・発展させるのである」という観点を押し出している。「いかに資本が、経済・社会をそして、社会の実体の担い手である労働者を支配していても、その存立根拠は労働者の人間的営みとしての“労働”であり、それを通しての“生活”の維持である。いかに技術が高度化し、生産の自動化が進展しても、創造力は人間としての労働者にしかない」
 労働者は団結し、連帯しなければ生きる権利を守れない。労働者が労働者として団結・連帯する根拠は「労働」(と「生活」)領域を根拠とする働く場における労働者の協力・共同にある。労働者が生産し生活している場には「個と競争」(商品交換関係)ではなく、「人間的労働における共同的人間関係」が存在しているのであり、これを解体することは資本の存立の根拠を喪失することでもある。
 著者は、労働者・勤労者がこの現実に確信を持って、金権支配と侵略の国家を労働者が主人公となった国家に変えることを現実の課題として提起するとともに、このような観点に立ってこそ労働組合が強化されるし、それが労働運動を刷新するカギとなっていることを示唆(さ)している。
 本書は、古い時代意識に縛られた現実への悲観的な観点を一掃し、新しい時代意識に立って展望に満ちた活力のある生活とたたかいを発展させる方向を促すうえで、寄与できる一冊である。
 (B6判・一六八ページ、一三〇〇円)

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